22日の「即位礼正殿の儀」で徳仁天皇が行った「即位宣明(お言葉)」に対し、「国民に寄り添う」「平和への決意」などと報道は賛美一色です。ハンギョレ新聞ですら、「『平和』と『憲法』を取り上げて論じたことは意味が大き(い)」(23日付社説)と評価しています。こうした賛美・評価ははたして妥当でしょうか。
「宣明」には少なくとも3つの重大な問題があります。
@ 「正殿の儀」による「即位宣明」自体が憲法違反
「宣明」は、「ここに『即位礼正殿の儀』を行い、即位を内外に宣明いたします」と述べました。「正殿の儀」によって正式に即位しそれを宣言する。それが「宣明」の意味であり、「正殿の儀」自体の目的もそこにあります。
しかし、広く指摘されているように、「三種の神器」を置いた「高御座」は天照大神の座で、「天孫降臨」の神道に基づく明確な宗教儀式です。それを国事行為として国費を投じて行うことは政教分離に反する明白な憲法違反です。
さらに、天皇が高い位置から即位を「宣明」し、それを受けて首相が壇下から「お祝い(寿詞)」を述べ、「天皇陛下万歳」を三唱するのは、「国民を主権者と明示した日本国憲法と真っ向から反する、主客転倒した儀式」(渡辺治一橋大名誉教授)にほかなりません。
憲法違反の儀式における憲法違反の「宣明」を賛美・評価することなどできないことは明白です。
A 憲法違反を犯しながら「憲法にのっとり」という欺瞞
「宣明」が「憲法にのっとり」と言ったことを評価したり、「憲法を順守」と比較して論評する向きがありますが、「順守」であろうと「のっとり」であろうと、徳仁天皇が護憲を口にしたことは確かで、そのこと自体が問題です。
前述のように徳仁天皇が行った「宣明」自体が憲法を逸脱しています。自ら憲法違反を犯しながら、「憲法にのっとり」と護憲を口にする。これほどの欺瞞はありません。
それは、第1に「正殿の儀」の違憲性を覆い隠し、第2に天皇自らの違憲行為を隠ぺいする、二重の違憲隠ぺいと言わねばなりません。
B 明仁前天皇の継承は、憲法逸脱、戦争責任・植民地支配責任隠ぺいの継承
「宣明」は、「上皇陛下が30年以上にわたるご在位の間…お示しになってきたことに改めて深く思いを致し…」として、明仁前天皇の活動を引きつぐことを明言しました。これが「宣明」全体の基調です。新聞各紙あるいは多くの「識者」もその点を肯定・評価しています。これはきわめて問題です。
明仁前天皇が在任中に行ったことは何だったでしょうか。「被災地訪問」「戦地慰霊」「福祉施設訪問」などパフォーマンスは活発でしたが、その言動の本質は2つあったといえます。
1つは、憲法(第6条、7条)に規定されている「天皇の国事行為」を逸脱し、いわゆる「公的活動(天皇としての活動)」なるものを勝手に作り出し、拡大していったことです。その典型・帰結は、憲法違反の「生前退位」でした。
こうした「公的活動」、天皇自身の意思による公的言動が、第6条、第7条および第2条(皇位継承)、第5条(摂政)、第4条(国政への関与禁止)などに反していることは明らかです。
もう1つは、父・裕仁天皇の侵略戦争・植民地支配責任を一貫して隠ぺいし、逆に裕仁を擁護してきたことです。
明仁天皇が沖縄に11回行ったことが美談のように語られていますが、11回も行きながら、裕仁が沖縄を「捨て石」にし、戦後は「国体護持」のために沖縄をアメリカに売り渡した責任について言及・謝罪したことは1度もありません。
それどころか、明仁天皇は折に触れ(誕生日会見などで)、裕仁を「尊敬している」と擁護し持ち上げてきました。
明仁路線を賛美し引き継ぐことは、こうした憲法違反の公的・政治的言動、戦争責任・植民地支配責任隠ぺいを引き継ぐことにほかなりません。
明仁天皇在任中、安倍晋三首相との対比で、天皇を「平和・民主の人」と美化する論調が、いわゆる「民主勢力」の中にも少なくありませんでした。それは重大な誤りです。同じ誤りを徳仁天皇に対しても繰り返すことは許されません。
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