「新聞週間」にあたって新聞大会が16日行われ、「新聞は、地域や世代を超えて互いに尊重し合える社会を支えていく」と決議しました。新聞倫理綱領には、「報道は正確かつ公正でなければなら(ない)」「自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する」とも明記されていいます。
しかし、新聞をはじめとするメディアの現状は、この決議や倫理綱領とは程遠いと言わねばなりません。それを端的に示しているのが、「天皇・皇室報道」です。
9月19日、マスコミ倫理懇談会第63回全国大会が行われ、分科会で、「天皇代替わり報道」が検証されました。記者として皇室取材を経験したこともある森暢平成城大教授はこう述べました。
「国民みんなが関心を持っているわけではないのに、全員がお祝いしている、両陛下ありがとうと言っているように見えたのが怖かった」(9月22日付沖縄タイムス)
さらに分科会では、「皇族の被災地訪問などで、美談ばかりが報道される理由も議論になり、通信社記者は『ネガティブな話を聞くこともあるが、直接本人に確認取材できない。そうすると美談ばかりが残ってしまう』と難しさを語った。
福島民報社の円谷真路報道部長は、上皇ご夫妻(ママ)から『困ったことはありませんか』と尋ねられ、『ありません』と答えた東日本大震災の被災者が、実際は夜の寒さなど避難所生活に不満があったと紹介。『本音として報道する方が良いのかどうか』と問題提起した」(同沖縄タイムス)
これ以上の報道がないので議論がさらに深まったのかどうか分かりませんが、この限りで言えば、「確認取材できない」とはなんたること。「ネガティブな話」を自ら取材して記事にするのが記者の仕事ではありませんか。「本音を報道するのが良いのかどうか」?「良い」に決まっている、いや、「本音を報道する」ことこそメディアの務めです。
自ら検証することはもちろん必要ですが、こういうことで躊躇しているところに、メディアの「菊タブー」の根の深さが表れています。
かつて評論家の松浦総三(1914〜2011)は、メディアの「天皇報道」は「戦前となんら変わるところがない」と指摘し、次の3点をあげました。「第一に敬語報道であり、第二に誇大報道であり、第三に大本営ばりの宮内庁による報道統制であろう」(『松浦総三の仕事@マスコミの中の天皇』大月書店1984年)
松浦は「敬語」について、『世界大百科事典』(平凡社)の次の記述を引用しています(太字は松浦が傍点で強調した個所)。
「本来の地盤は敬意である。敬意は、優越者・支配者の優越を是認しその支配を積極的に受け入れる態度にもとづいており、被支配の感情である。その優越関係が一つの地位また階級について固定した用語で表される場合には絶対敬語といわれる。皇室敬語や<陛下><殿下><閣下><殿>の使分けなどはその例で、これは制度によって敬意が強制されたのである」
続けて松浦はこう述べています。「傍点(太字)のところを、もう一回よく読んでいただきたい。天皇報道につかわれる敬語というのは、一言でいえば絶対敬語で、被支配者が支配者にたいして、支配をみとめて使用する言葉である」(前掲書)
日本の「天皇・皇室報道」は抜本的に見直し改革されなければなりません。その手始めに、メディアは天皇・皇室に対する敬語の使用を直ちにやめるべきです。
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