http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/234.html
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ここ何年か、グローバリズムへの揺り戻しも含めて、国際的には、英国のEU離脱や”トランプ現象”、「習一強体制」の中国、又世界の各地で見られる政権の「右傾化」「独裁化」など、其々の国や地域の(歴史的)文脈に応じた形で現れて出ているが、私はこれを「右傾化」「独裁化」或いは「ファッショ」と論断するのは誤り、乃至は一面的と思っており、国家なり国権の強化ということで、ボナパルティズムと捉えるべきだと思っている。
即ちマルクス言うところの例外現象、しかしながら例外現象にこそ本質が顕現するとするシュミット的視点に従うなら、近代国家の本質※が顕れ出ていると見るべきである、と。
※そういう意味では「近代国家は絶対主義国家」という小室直樹の見立ては正鵠を射てるのだろう。
また他方、その意味で、中国の場合、毛沢東がその典型になるだろうが、「一君万民」型の東アジアの王権システムへの本卦帰りと見做されるべきであろう。 念の為に言っておくけど、それは2.26事件の青年将校が夢見た天皇像である。
現実の政治過程はソ連共産党を真似た大政翼賛会という一党独裁となり、そのトップを捩って近衛幕府、東條幕府と言われた様に、それは「一君万民」型の日本的変形である大政委任、つまりは幕府への本卦帰りと成って行ったのだが。 しかしながら2.26事件やポツダム宣言の受け入れに天皇が決定的な役割を果たした事で解る様に、「例外事態に決定を下すのが主権者」というシュミットの定式通り、主権者はあくまで天皇、従って、言う処の「委任独裁」=天皇主権下の東條独裁ということであった。
敗戦後、それはGHQ主権下の吉田ワンマンとなり、今日の米軍主権(安保体制)下のアベ一強となる訳である。
もちろん、この間、戦後民主主義の進展とその背景に在った中間層の増大に合わせて、政党及び議会政治の隆盛があったものの、”バブル崩壊”の90年代以降、中間層の空洞化或いは二極化に敷設を合わせて、政党及び議会政治の形骸化、劣弱化が進行して行き、総じて、民主制そのものも減退して行ったのである。 そしてその最後の一撃となったのが、コイズミ改革という名の、新自由主義的施策の強行であり、その最大のターゲットになったのが郵政省ー「郵政民営化」である。
そうして、この「郵政民営化」を以て、80年代の国鉄や電電公社の民営化に始まる「サッチャー改革」日本版の仕上げとなる。
どうして、そう言えるのか?
D.ハーヴェイによれば、新自由主義の狙いは「階級権力の強化」であり、それは、それと裏腹の、それまで権力を分有してきた中間的組織の解体的再編及び「資本中心のヘゲモニー獲得」が中心になる。
「サッチャー改革」の主要な敵が炭労(を始めとする労働組合)であった様に、戦後労働運動の中核部隊だった「国労」が先ずは狙い打たれるー分割民営化(JR)である。 返す刀で電電公社の民営化が強引に推し進められ、田中角栄が病気で倒れた後を襲う様にして、その分割民営化が成される。 当時、「電電民営化(NTT)」を以って、「日米の巨大資本が遂に田中角栄を倒した」(山川暁夫)と評されたのだが、郵政省の外郭である電電公社の分割民営化は、将来見込まれる情報産業の隆盛を背景にして、政策官庁として霞が関で伸して来た郵政省の片翼を剥ぎ取ることであり、それは其の儘、田中氏の政治生命に繋がっていたのである。
そうして、「サッチャー改革」から20余年を経、新自由主義が限界とそれを上回る弊害をもたらすことが明瞭になっていた2005年の時点で何故、コイズミは、狂気の如く、「郵政民営化」に突き進んだのか?
ー建設省と並んで、郵政省は党人派の中核勢力、田中派ー経政会の牙城だったが、先に省庁統廃合で「族議員」(その多くが党人派)を排し、この勢力の強さの源泉である事業部門、即ち巨大な郵貯マネー及び「財政投融資」等の運用先とその差配なども含め、全国津々浦々に張り巡らせたそのネットワークを解体・再編する!
つまりは、こういうことだ。
中間層及び中間組織の政治的表象としては議会であり、所謂”55年体制”、自民党と社会党が中心となるが、自民党においては、経済の高度成長が本格化するに連れて伸して来た田中角栄氏を筆頭とする、所謂党人派とされる勢力が主体であり、又社会党は、その主要な支持基盤が公労協主体の総評であった様に、公務員層が中心になるのだが、先に「国鉄民営化」で、総評の最も戦闘的な実働部隊だった国労の解体と「大きな政府」から「小さな政府」への流れで、公共部門の縮小と先細りに向かう中、産業報国会一歩手前の、連合なる翼賛組織に水膨れ的に組み込まれ、結局それが社会党解体の呼び水となり、本丸の方も、経政会分裂の煽りを受けて弱体化し、この「郵政省解体=総務省(旧内務省!)吸収+事業民営化」で以って最後の止めを刺された、ということである。
なお、この問題は、ゴーン氏で揺れる日産についても当てはまる。
日産は、創業者が長州出身、また本来の日本産業という名が示す通り、国策会社として出発・発展し、更に満州重工業開発株式会社(満業)に改組するなど、帝国主義的進出の先兵乃至中核企業として、常に国家と共にあったが、敗戦後、それ故に創業者鮎川義介の戦犯追放と財閥解体の煽りを受けて、企業統治が混乱し、労働争議が頻発する。 そのような敗戦後の混乱から戦後復興、そして高度成長に至る過程で力を持ってきたのが労働組合であり、そのトップ塩路一郎は”天皇”と呼ばれる程権勢を誇るが、80年代に入り、”国際化”の掛け声の下、新自由主義が猖獗を極める英国進出を巡って経営陣と衝突し、田中角栄と殆ど同じ時期に失脚、表舞台から消える。
結局、日産はその様なグローバルな展開が徒となり、企業倒産の危機に瀕し、外国資本(ルノー)の下に、マッカーサーならぬゴーン氏の進駐・専制を許し、今日見る様な事態へと繋がって行くわけである。
こうして見てくると、日産の軌跡は上で見た近代日本の縮図の様に思えてこないだろうか?
ここで更に付け加えれば、日産のこうした問題は、天皇制を巡っての、この国の在り方についての極めて深刻な問題を投げ掛けているのだが、これは又、別途論じることとする。
とまれ、戦間期、”大正デモクラシー”を挟んで、冷戦終焉前後までの半世紀余り主役の座に在った大衆社会や民主主義の発展を支える中間層及び中間組織は、薩長中心の系譜を引き継ぐ近代日本のエスタブリッシュメントにとって、所詮成り上がり者であり、その意味で外様の域を出るものではなかったのだが、二極化と空洞化で、中間層の弱体化が鮮明になった時代状況においては、上で申した通り、これまで権力を分有してきたこれらの勢力はバラバラに解体し、自らのヘゲモニーの下に組み敷くものでしかなかった、ということである。
後は一瀉千里、三年間の民主党政権さえその引き立て役、それ以上に復とない露払い役となって※、無人の野を行くが如く、清和会独裁への道が拓かれ、アベ一強となったという次第、斯くして、明治期の藩閥政府と帝国議会さながらに、この勢力の専横、更に又、”お友達内閣”や”モリカケ疑惑”に現れてる様に、露骨な縁故政治が罷り通ることになるのである。
※下記スレ参照されたい
作られる”多数派”と”圧勝” アフター・リベラル、デモクラシーへ
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/546.html
Re:アフター・リベラル、デモクラシー 「中国共産党化」の真実
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/547.html
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