。 戦後、ドレイパーはダグラス・マッカーサーの上官として、 日本の総支配者として来日し、日米安保条約を起草し、 日本への米軍駐留を永久化し、自衛隊を創立させる。 第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「 売掛金=未払い代金の回収 」であった( この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照 )。 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「 戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい 」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを承諾した。 これが、「 同業者、兵器密売企業の共同経営者 」 天皇と、『 世銀IMF 』のドレイパー、との密約である。 マッカーサーなど汚れ役を肩代わりした単なる『 駒 』__ですよ・・。
●本当の戦争責任者__戦犯列伝。 _________________________________
大日本帝国陸・海軍__の実質的主導者= 皇族軍人( 御前会議 ) _________________________________ ガーター大日本帝国陸海軍_最高司令長官&元帥 「 大日本帝国陸・海軍_裕仁御前の大本営 」総大将 迪宮・裕仁・昭和天皇ヒロヒト。 < 大日本帝国陸軍 > 有栖川宮熾仁親王 陸軍大将 参謀総長、大本営幕僚長 小松宮彰仁親王 元帥陸軍大将 参謀総長、近衛師団長、征清大総督 北白川宮能久親王 陸軍中将(贈大将) 歩兵第4師団長、近衛師団長 伏見宮貞愛親王 元帥陸軍大将 第1師団長、歩兵第4師団長 閑院宮載仁親王 元帥陸軍大将 参謀総長、近衛師団長 久邇宮邦彦王 陸軍大将(贈元帥) 近衛師団長 梨本宮守正王 元帥陸軍大将 第16師団長 竹田宮恒久王 陸軍少将 近衛騎兵連隊 北白川宮成久王 陸軍大佐 陸軍砲兵大佐 朝香宮鳩彦王 陸軍大将 上海派遣軍司令官、近衛師団長 東久邇宮稔彦王 陸軍大将 第二軍司令官、陸軍航空本部長 賀陽宮恒憲王 陸軍中将 陸軍大学校長、第43師団長 秩父宮雍仁親王 陸軍少将 大本営戦争指導班参謀、歩兵第31連隊第3大隊長 直宮 閑院宮春仁王 陸軍少将 戦車第5連隊長、千葉陸軍戦車学校付 竹田宮恒徳王 陸軍中佐 第1総軍防衛主任参謀、関東軍作戦参謀 北白川宮永久王 贈陸軍砲兵少佐 駐蒙軍参謀 朝香宮孚彦王 陸軍中佐 第51航空師団参謀、第51教育飛行師団参謀 三笠宮崇仁親王 陸軍少佐 航空総軍参謀、大本営参謀 直宮 東久邇宮盛厚王 陸軍少佐 第36軍情報参謀、野戦重砲第1連隊中隊長 賀陽宮邦寿王 陸軍大尉 豊橋第一陸軍予備士官学校教官 < 大日本帝国海軍 > 華頂宮博経親王 海軍少将 議定会計事務総督 有栖川宮威仁親王 元帥海軍大将 連合艦隊旗艦「松島」艦長、巡洋艦「高雄」艦長 東伏見宮依仁親王 元帥海軍大将 第二艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官 山階宮菊麿王 海軍大佐 「八雲」分隊長、「磐手」分隊長 伏見宮博恭王 元帥海軍大将 軍令部総長、第二艦隊司令長官 有栖川宮栽仁王 海軍少尉 栄典 伏見宮博義王 海軍大佐 第6駆逐隊司令、敷設艦「厳島」艦長 山階宮武彦王 海軍少佐 海軍航空隊所属 久邇宮朝融王 海軍中将 第20連合航空隊司令官、高雄海軍航空隊司令 華頂宮博忠王 海軍中尉 軽巡洋艦「五十鈴」乗組 高松宮宣仁親王 海軍大佐 横須賀海軍航空隊教官、戦艦「比叡」砲術長 直宮 _________________________________ 上記連中の中で、東京裁判にかけられた人間・・・ ひとりでも、居るのか? _________________________________
いつでも交換可能な平民階級出身のダグラス・マッカーサーと 平民階級出身のオモテの、日本帝国陸海軍実行指揮者。 東條、以下__御前会議の命令を粛々とこなしていただけの 平民出身の現場の平民階級大将___だけだろ? A 級戦犯で上げられ、処刑までされたのは・・・・・? 。
ぱっぱらパァ〜のまんまの、お子様奴隷大衆。 何故、 日本にとっての、民間人ジェノサイドを敢行した米軍軍人に、 それも、戦後スグに・・ 勲一等ヒロヒト旭日大綬章を授けてきた意味___わかりますかね?
●65年前の3月10日、東京の下町を焼き尽くし、10万人の犠牲者を出した東京大空襲の惨禍があった。日本政府は戦後、同作戦を発案指揮した米空軍の司令官カーチス・ルメイ氏( 故人 )に旭日大綬章を贈ったが、実は在日米軍の幹部には過去50年足らずの間に263個もの勲章が授与されている。春秋の叙勲の外国人枠とは別で公表されることもない。 なぜだろうか。 内閣府賞勲局は、生存者に対する叙勲制度が復活した1964年以後、在日米軍幹部に授与した勲章の数を263個と回答した。このうち、過去5年分については、名前と官職、叙勲の種類と年月を明らかにした。これ以前に授与した人物は「事務作業が膨大で短時間での集計が不可能」と、今回は公表しなかった。同局によると過去5年で勲章を受けた在日米軍幹部は18人。内訳は旭日大綬章が2人、旭日重光車が6人、旭日中綬章が10人。いずれも在日米陸海軍や横須賀、佐世保の基地司令官らだった。 叙勲とはどのような制度か。旭日章と瑞宝章は、ともに功労の程度によって6段階に分かれる=表参照。最上位の旭日大綬章と瑞宝大綬章よりもさらに優れた功労の場合は、大勲位菊花章や桐花大綬章が授与される。いずれも国家や公共への功労が授与の対象となり、同局は「大まかに言えば、国会議員など公選職を含めた民間人が受けるのが旭日章で、公務員を中心に受けるのが瑞宝章に当たる」と説明する。勲章の歴史をたどると、明治政府が1875年に「勲章従軍記章制定ノ件」を公布。これが現在の旭日章の基となった。 その後、菊花章、瑞宝章、文化勲章も相次いで制定。外国人を対象とした制度も1888年に内則で定めた。春と秋の年2回の叙勲では、授与者の氏名がすベて公表されるが、問題はここに含まれる以外の外国人受勲者は公表されていない点だ。非公表の外国人受勲者がいる理由について、同局は「外国人叙勲には、国賓や駐日大便が離任する際に授与する儀礼的なものと、わが国との友好増進に貢献があった外国人に実施するケースがある。後者の場合、来日や離日の機会に勲章を授与することがあり、春秋とは別に個別に実施してきた。個別の叙勲は公表の対象としていなかった」と説明する。 日本人の受勲者が掲載される官報でも、外国人は対象外とされる。結果として、これほどたくさんの勲章が在日米軍幹部に授与されていた事実を、大部分の日本人は知らされなかった。同局は「外国人の受勲者は内閣の閣議決定なので、公表できない事項ではない。しかし個別の受勲者についてはその都度問い合わせてもらうしかない」としゃくし定規に話すばかりだ。 ニッポンジン・ジェノサイド貢献軍人&調教師__の方々。 勲一等旭日大綬章ほか___ジャパン調教者・受賞者一覧
●カーチス・エマーソン・ルメイ ( 米空軍参謀総長・日本民間人大殺戮首謀者・軍需産業戦争屋 ) ●チャード・リー・アーミテージ ( 米元国務副長官・軍需産業戦争屋 ) ●ラムズフェルド ( 米元国務副長官・デマ大量破壊兵器イラク破壊首謀者・軍需産業戦争屋 ) ●ジョセフ・ナイ ( 日本人調教・理論構築屋 ) 。
もう、ぼちぼち・・・目覚めないと。 。
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