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長周新聞 2019年7月24日
■次の衆院選に向け動き出す
参院選が終わり「自公過半数」として政治構造には何ら変化がなかったかのような澄ました空気のなかで、またぞろ安倍政府が「次は改憲」などといい始めている。今回の選挙はれいわ新選組の台頭が物語っているように、旧態依然とした政治構造に風穴があき、潮目が変わる瞬間となったことを強く印象付けるものとなった。選挙結果は何をあらわしているのか、議席数だけでは推し量ることのできない変化について、記者座談会で分析してみた。
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A まず結果をどう評価するかだが、大手メディアを見ていると「自公改選過半数」「与党勝利改選過半数」「首相 改憲議論を加速 “審判下った”」等等、まるで自民党が勝ったかのようなとりあげ方に終始している。自民党としては改選議席67から当選者は57と10議席減らしている。参議院の245議席のうち113議席へと減り、単独過半数割れに逆戻りした。比例票は前回16年の参院選から240万票減。全有権者に占める絶対得票率は16・7%。第二次安倍政権発足後の最低だ。これらは明らかに自民敗北といえる数字だ。さらに公明党の瓦解状況も顕著で、比例票は16年の前回参院選では757万票あったのが653万票と100万票も減っている。それで自公に維新を足しても改憲勢力として必要な3分の2(164議席)にも達しなかったのに、なにが「改憲議論を加速」かだ。安倍晋三の精神勝利法(阿Q正伝)的思考に引きずりこまれているかのようだ。
にわかに「国民民主が改憲に前向きで安倍自民党と手を握る」という話もとり沙汰されているが、それはそれで欺瞞的な姿を自己暴露し、次の衆院選で審判が下されるだけだ。選挙が終われば、あとは永田町の合従連衡(がっしょうれんこう)の論理だけで物事を動かせるというなら、これほど有権者や国民を愚弄した話はない。
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2019年参議院選挙の結果
B 立憲民主が8議席増やして改選前の24議席から32議席に増やしたのも特徴だ。そして、無所属とはいうものの野党共闘などによって自民現職を撃破した候補者たちも複数が当選を果たした。滋賀県の嘉田元知事であったり、秋田県の寺田静、山形県の芳賀道也、岩手県の横沢高徳、新潟県の打越さく良、大分県の安達澄、沖縄県の高良鉄美などがそうで、いわゆる野党系は議席を増やした。沖縄はさすがというか、オール沖縄の盤石な力を見せつけた。立憲所属ながら消費税廃止を訴えた宮城県の石垣のりこ、格闘家からの転身となった立憲の須藤元気など、新鮮な政治家も幾人かが選挙を勝ち抜いて登場した。今後の政治活動が注目されるのではないか。「自公過半数」は確かに事実ではあるが、大手紙はこの選挙で起こった変化や特徴を覆い隠すような表現として、主見出しやそで見出しまで含めて紙面を構成している印象だ。極めて巧妙な形で。
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自民党の絶対得票率の推移
C 何といってもこの選挙で台風の目になったのは、山本太郎が立ち上げたれいわ新選組だ。街頭から地べたを這うようにして旋風を起こした。選挙戦略としても相当にキレている印象で、街頭演説で引きつけていく力は洗練されていた。よく政治家は選挙を通じて街頭で鍛えられるというが、一つ一つの言葉への反応や空気を捉え、聴衆と向き合っていくなかであのスタイルが確立されたのだろう。他の候補者にしても不条理な政治によって苦しんできた各分野の当事者たちの演説は、気持ちも含めて伝わってくるものがあった。見事なたたかいぶりだった。街頭演説はどこでも大群衆が集まって、他の政党には真似できないほどの動員力を誇っていた。現場の空気からして自民党が組織動員で集めるのとはまるで異なっていた。熱気が違うし、「太郎頑張れ!」の思いを持った一般の人人が、老若男女を問わずに演説に聴き入っていた。みんなが本気なのだ。
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四谷本部事務所には期間中、名前を記帳してビルの中で作業をしたボランティアスタッフだけでも3700人にのぼったという。会社帰りにサラリーマンが手伝いに来たり、無数の人人が彼らを押し上げようと自分にできることを通じて支えていた。政治に期待できるものがなにもないなかで、一つの光明のように捉えられていた。困っている国民を幸せにするために政治がある−−。これは本来なら当たり前の話なのに、現実には権力者や金持ちのためだけに政治が機能し、国権の最高機関である立法府が一部の者の飼い犬に成り下がっている。そんなのおかしいじゃないか! と野良犬上等で声を上げ始めた。
D ネット上では注目されていたものの、それだけでは上滑りする恐さもある。だからリアルに人と人がつながっていくことを意識していた。公選はがきを送ったり、実際の得票につないでいく努力を重ねた結果、立ち上げから3カ月にして国政政党としての要件を軽軽とクリアし、次期衆院選への有利な基盤をつくった。1議席でも2議席でもいい。今回の選挙はとにかく分厚い壁に穴を開けたことに意味がある。そして次の衆院選には100人規模を擁立し、さらにその次の参院選など含めて本気で政権をとりに行こうと動き出している。寄付は4億円を突破し、その後も増え続けている。政党交付金もないゼロからの旅立ちに対して3万人以上がおカネを出して支え、みんなで国政政党を立ち上げるところまでいった。すごい力だ。山本太郎の求心力もすごいが、本気でやろう! という要求が鬱積していたからこその爆発力だと思う。
何らかの旗やスローガンを振り回して「オレがすごい! みんなついてこい!」みたいなのをいくつも見てきたが、独りよがりで誰もついていかないケースがままある。笑えないが右にも左にも実に多い。自惚れと幻想の世界を彷徨って自己の承認欲求を満たし、他者にマウントをかけて大喜びするのを生きがいにしていたが、気付いたら年老いて、社会の片隅で少数派として身を寄せ合っていた−−とか。そうではなくて、小難しいカバチ(屁理屈)を垂れるわけでなく、みんなに届く言葉でもって、みんなのためにたたかうんだという嘘偽りのない姿勢に共感があった。誰のために政治をするのか、誰のために自分たちは行動を開始したのか−−。みんなのためなのだ。これは理屈ではなく性根の話だ。
このれいわ新選組旋風を黙殺して何が報道かと思う。彼らは明らかに地殻変動を起こしていた。その目撃者として読者や視聴者にあるがままを伝えられないというのは、ジャーナリズム失格でもあるが、同時に可哀想だなという思いしかない。開票を見守っているれいわ新選組の会場にもたくさんのメディアが来て取材していたが、「あなたたちはなぜ報道しなかったのか」と逆質問を浴びて困っていた。現場の記者たちに罪はないが、大手メディアは統一司令部の指示でもあるのかと思うほど黙殺に徹していた。
選挙期間中は地上波、あるいは大手紙にとりあげることで旋風に風を送ってはならないという明確な意志を持っていたようだ。そして開票後になって恥ずかし気もなく「台風の目でしたね!」などと声をかける。ずるい黙殺や問題のすり替えはお家芸なのだ。
C 山本太郎及びれいわ新選組の面面はなにを発信しているのか、本紙でも丁寧に演説内容を紹介してきたので重複は避けるが、読者のなかでも「山本太郎、いいこといってるじゃないか」「これまであまり良い印象がなかったが、実際の演説内容を読んで見方が変わった」という意見も多かった。あるいは大西つねき氏の演説も随分注目されていた。経済問題への関心は高いが、動画を見るだけだと右から左に流れてしまいがち。文字だと何度も頭を整理しながら考えられるという側面もあったようだ。
A 困難な状況に置かれた国民のために本気でたたかう政党になるんだという気迫が世論を動かしていった。その本気度が既存政党との明確な違いであったし、他の野党の存在感が霞むほど目立っていた。野党側からは自分たちの基盤を食われると文句が出ていたが、れいわ新選組としてはそのような小さな枠のなかで支持者を奪い合うというちんけな話ではなく、「われわれは最も可能性のある選挙に行かない5割に支持を広げに行く」という戦略だった。そして実際に、これまで選挙に行ったことがない層も含めて初めの一歩を動かした。
れいわ事務所に詰めていた電話対応スタッフ曰く、「比例票はどう書いたらいいのか?」「投票所の前まで来たのですが、どうしたらいいのですか?」「山本太郎と書けばいいのですか? れいわ新選組と書けばいいのですか?」など投票の仕方を尋ねる問い合わせが相当数あったという。つまり、選挙に行ったことがないが行ってみようと思った人たちの反応だ。
全体としては異様なる低投票率だったなかで、どれだけの人人を動かせたのかは未知数だが、比例で228万票、うち山本太郎の個人得票だけでも99万票という驚異的な数字を叩き出した。99万票を得て落選というのもすごい話というか、選挙制度の歪(いびつ)さを映し出してもいるが、そのような選挙制度をあざ笑っているようにも見える。むしろ山本太郎が自分の議席にこだわっていないところが潔い。結果的に、本命であろう次の衆院選で再び本人自身が暴れられる。その他の仲間とともに。そして必然的に「太郎を国会へ!」の力がより強く動くことになる。おおいに大暴れして欲しいと思う。
■国民のための政治へ 選挙行かぬ5割が鍵
D 異様な低投票率が物語っているように、5割が選挙に行かず「無関心層」などといわれている。政治不信がすごいことになっている。無関心というより、政治や選挙と切り離れた分断された層のようにも見える。この国の選挙は5割が棄権するなかで17%の自民党(今回の選挙では16%台に突入)、公明党をあわせても支持率24〜25%の勢力が国会の大半の議席を独占し、好き勝手する状況が続いている。選挙に行かない5割にアクセスした政治勢力こそがもっとも伸びしろがあり、1割でも2割でも動かしたときには巨大な山が動く。3割の支持を得たときには、自公政権など吹っ飛ぶ。そして新しい政治勢力が台頭していくことができる。この巨大な山登り? 山崩し? の端緒を切り開いて、一歩を踏み出したところに価値がある。参院選で示された支持基盤を2倍にも3倍にも、いやもっとスケール大きく捉えながら拡大していけば流れは変わる。潮目が変わると、それまでとは真反対に激流となって動き出す。一つの突破口をつくった意義は大きい。
C 低投票率のおかげで国会の圧倒的議席を総なめにでき、寝た子を起こさない選挙によって政権与党の座が確保される。情けない話ではあるが、一強などといいながら低投票率に味をしめている。これは自民党の足腰がかつてなく弱まっているなかで一つの戦法になっている。劇場型で世論を目くらましして票をかっさらっていくか、あるいは無風状態にして、しれっと選挙を済ませてしまうかの二刀流をくり返している。なぜか? それほどまでに自民党が弱体化してしまっているからだ。しかし、そうはいっても大企業や組織の動員票で17%(今回の選挙では16%台に突入)はかつかつ組織しており、これをこえるものがいない限り一強は続く。従って、今の政治構造を土台からひっくり返したいという場合、政治勢力としては万年野党で飯を食って行ければいいというような怠慢では話にならず、選挙に行かない5割とつながっていくことにしか未来はない。そこに遠慮や忖度なしで思い切り挑戦し始めている。つまり、まだまだ伸びしろがあるということだ。
A 自公に対抗して結集軸として存在する政治勢力がいないなかで、現状では野党が細細と分散して自民党が楽勝を決め込んでいる。政権交代が起き得るような状況の選挙ではなく、おおよその結果はこんなものだろうというのが余計にでも幻滅させ、有権者を投票所から遠ざけている。5割の有権者から見て、政治に期待が持てないという意識は現実にあるわけで、それを「無関心なのがけしからん」と敵視したところで始まらない。期待を抱かせ、心の底から応援したいと思える政治勢力が選択肢として存在していないのだ。
よく「野党がだらしない」と書くと怒って文句をつけてくる人もいるが、与党がむちゃくちゃであると同時に、野党も馴れ合いと予定調和で出来上がっているではないか。法案が通過する際の「私たち反対してます」アピールの茶番でも、申し訳ないが嘘くささしか感じないし、学芸会みたいなものだ。そのように本気でないことが見透かされている。投げ与えられた議会制民主主義は既に壊死している。れいわ新選組の台頭は、そこを乗りこえて「本気でたたかう」ことへの共感が大きいことを示しているのではないか。
B 民主党が大裏切りをして下野し、野田が自爆解散によって大政奉還して第二次安倍政府が6年続いた。民主党になろうが自民党になろうが、どの政党が与党になっても財界とアメリカの犬みたいな政治が実行され、原発政策、TPP、米軍基地問題、消費税増税などどれをとっても国民が苦しむ方向で事が動いていく。売国政治が止まらない。誰のために政治が実行されているのか? 現状では誰が見ても財界や米国のためであり、国民のためではない。
その結果、例えば21世紀のこの時代に、子ども食堂が全国で爆発的に広まるほど、ご飯が食えない子どもたちが増え続けている。貧困だからだ。「北朝鮮は核開発にお金を注ぎ込んで国民を飢えさせている」などというが、北の3代目ならぬこちらの3代目・安倍晋三も大差ないではないか。トランプから武器ばかり買わされて、この国の子どもたちは飢えている。下関のある子ども食堂に行くと、2〜3日なにも食べられずに辛抱していて、カレーライスを3杯もおかわりする子どもがいた。子どもたちがお腹をすかせているような状況は、その社会を形づくってきた大人たちは恥じないといけない話だ。世が世であるだけに、地域で皆の力によって支え合って生きていこうとしているが、国民を飢えさせないのは政治の責任だ。貧困社会というが、みんながカネがなくて貧しいのと同時に、カネのある者の精神世界も貧しい。
A 誰のために政治が機能しているか? 問題は単純だ。国民生活に思いが至らない者が国民のことなどお構いなしに政治を司っているのだ。同じように大手メディアはなぜれいわ新選組を黙殺したか? スポンサーである大企業を擁護して広告収入を得るためであり、国民に真実を伝えるという本来の任務を放棄して、食うために黙殺する。その取捨選択の基準はビジネスだ。れいわ新選組のような勢力が拡大して政権奪取でもすれば、スポンサーである大企業は困るので、飼い主である大企業や財界の安寧が損なわれないように、現状の政治構造が犯されないように機能する。誰のためにメディアが機能しているか? これも単純だ。恐らく次の衆院選でも黙殺に徹することは間違いない。しかし、そんなことは百も承知のうえで、岩盤にドリルで穴を開けていくほかない。小さな穴はあいたわけで、あとはみんなでゴリゴリこじ開けていく感じだろうか。いずれにしても今回の選挙では政党要件を満たした時点で勝利といえるわけで、次の衆院選は俄然面白みを帯びてきた。みんなして薪をくべて炎上させていけば、巨大な松明になって暗闇を照らし出せるかもしれない。
B 今回のれいわ新選組のたたかいを支えるために、実は本紙からも複数名の記者が東京に出向き、20日間近く四谷事務所でボランティアスタッフとして参加してきた。これは応援するとかの話ではなく、みんなにとって自分自身のたたかいだという思いで参戦してきた。小倉や広島での山本太郎本人の演説で本気さと気概を感じ、これは同じ時代を生きる20〜40代として本気でいっしょにたたかわないといけない、日本社会にとっての分水嶺だと思ったからだ。くたびれた政治状況に渇を入れ、泥まみれで立ち上がっていく彼らに全力で援護射撃しなければと思ったのが動機だ。
金銭的には無理できないなか、可能な限り負担を少なくするべく東京滞在中の住まいを世話して頂いたり、読者の皆様からの物心両面の支援に支えられて実現できた。この場をかりて感謝申し上げたい。そしてより発信力を強めるよう努力もして、煽り続けていきたいと思う。大手メディアのように大企業や権力に迎合せず、飼い慣らされずに野良犬上等で自由に書き続けていくし、なにより志を同じくする者としておおいに連帯して、次の衆院選で爆発力が生み出せるよう頑張っていきたい。あの2議席は反撃の狼煙(のろし)みたいなもので、誰もなにも満足していない。もっと大きい事を見据えて、挑戦は始まったばかりなのだ。
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