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(回答先: たとえ干されようとも いだてん俳優、覚悟の政治発言(朝日新聞) 投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 7 月 14 日 15:36:11)
ファシズムは楽しい?
集団行動の危険な魅力を考える
時事オピニオン 2018/10/19
田野大輔(甲南大学文学部教授)
「民主主義」の「敵」として、世界中で警戒されている「ファシズム」。善悪を問うならば、圧倒的多数の人間が「悪」と答えるだろう。
だが社会の中で生きる以上、誰もが一度は参加した経験のある「集団行動」は、いとも簡単にファシズムに結びつく危険性をはらんでいる。
あなたの中に、あるいは周囲に、ファシズムの芽が潜んではいないだろうか? 甲南大学で「ファシズムの体験学習」講義を続ける田野大輔教授に、集団行動の魅力と危険について話をうかがった。
■世界中で排外主義が高まるのはなぜか?
「ファシズムは楽しいか」と問われれば、多くの人は「そんなはずはない」と答えるだろう。たとえばヒトラー支配下のドイツで、ユダヤ人や反対派の人びとが受けた過酷な弾圧のことを想起すれば、それがけっして「楽しい」などといえるものではなかったことはたしかだ。
だがそうした弾圧を行った加害者たちの意識に目を向けるとどうだろう。敵や異端者を攻撃することは、彼らにとって胸踊る経験だったのではないだろうか。近年わが国で問題になっているヘイトスピーチや、欧米各国で高まっている排外主義運動の背景に迫る上でも、過激な言動をくり返す加害者たちの内面的な動機、彼らがそこに見出している「魅力」を理解することが欠かせない。
そうした考えのもと、筆者は勤務校の甲南大学で2010年から毎年「ファシズムの体験学習」という特別授業を実施してきた。その内容は簡単にいうと、教師(筆者)扮する指導者のもと独裁体制の支持者となった受講生が、敬礼や行進、糾弾といった示威運動を実践することで、ファシズムを動かす集団行動の危険性を体験的に学んでいくというものだ。
授業の具体的な内容と進行については、筆者が別の媒体に寄稿した記事(『現代ビジネス』「私が大学で『ナチスを体験する』授業を続ける理由」2018年7月8日https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56393〈外部サイトに接続します〉)を参照していただきたいが、授業に参加した学生のほとんどが驚きをもって認めるのは、大勢の仲間と一緒に行動していると気持ちがどんどん高ぶってきて、他人に危害を加えるような悪行も平気で行えるようになってしまうことだ。
だがそれにしてもなぜ、このような意識の変化が生じるのだろう。同じ制服を着て指導者の命令に従うだけで、どうして人は過激な言動に走ってしまうのか。その謎を解く鍵は、集団行動がもたらす独特の快感にある。
■集団行動の魅力
全員同じ白シャツ・ジーパンを着用してグラウンドに集まった約250名の学生が、右手を挙げて一斉に「ハイルタノ(田野万歳)!」と叫んで敬礼し、笛の音に合わせて隊列行進をくり広げる。やがてグラウンド脇のベンチに座るカップル(サクラ)を取り囲んだ彼らは、指導者の号令のもと一斉に何度も「リア充爆発しろ!」と怒号を浴びせはじめる。多くの野次馬が見守る中、拡声器の号令に煽動されたこの集団はどんどん声を強めていき、ついにカップルを退散させると、万雷の拍手をもって勝利の凱歌を上げる……。
[注]
「リア充」とは・・・「現実(リアル)の生活が充実している人」を意味するネットスラング。主に彼氏・彼女がいる人のことを指す。
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/img.imidas.jp/topics/wp-content/uploads/2018/10/16181833/L-40-255-18-10-1.png
「リア充」を糾弾する参加者たち
これは筆者が実施している「ファシズムの体験学習」の一コマである。事情を知らない部外者の目には、新興宗教か何かの狂信者の集まりのように映ったにちがいない。体験学習に参加した学生たちも、最初は恥ずかしさや気後れを感じていたようだ。だがこの異様なパフォーマンスに参加しているうちに、いつのまにか慣れてしまい、しだいに楽しい気分になってくる。
このような意識の変化は、集団行動が生み出す独特の高揚感によるところが大きい。参加者は全員で一緒に行動するにつれて、自分の存在が大きくなったように感じ、集団に所属することへの誇りや他のメンバーとの連帯感、非メンバーに対する優越感を抱くようになる。参加者のレポートにも、「大声が出せるようになった」「リア充を排除して達成感が湧いた」といった感想が多い。彼らは集団の一員となることで自我を肥大化させ、「自分たちの力を誇示したい」という感情に満たされるようになるのである。
そうした高揚感は、実は私たちが身近に経験しているものである。運動会の集団体操や入場行進、サッカーの試合の応援、夏祭りの神輿巡行や盆踊りなどに参加して、えもいわれぬ興奮を覚えた経験は誰にでもあるはずだ。文化人類学や民俗学が明らかにしてきたように、人は遊びや祭りなどの非日常的なイベントに参加し、日頃抑えている欲求を発散することで、高揚感や爽快感、他者との一体感を得て、社会生活を営む活力を維持している。
この種の集団行動はいつの時代にもどんな場所にも存在するもので、普通は一時的な興奮を呼び起こすにとどまり、差別やヘイトといった加害行動と結びつくことはめったにない。それが危険なファシズムへと変貌するのは、集団を統率する権威と結びついたときである。
■集団行動がファシズムに変わるとき
集団行動が権威と結びつくと、どんな変化が生じるのか。まず生じるのは、責任感の麻痺である。体験学習の参加者は、指導者の命令に従い、他のメンバーに同調して行動しているうちに、自分の行動に責任を感じなくなり、敵に怒号を浴びせるという攻撃的な行動にも平気になってしまう。「指導者から指示されたから」「みんなもやっているから」という理由で、彼らは個人としての判断を停止し、指導者の意志の「道具」として行動するようになる。
スタンフォード監獄実験やミルグラム実験の結果が示しているように、権威への服従は人びとを「道具的状態」に陥れ、自分の行動の結果に責任を感じなくさせる働きをもっている。そこではどんなに過激な行動に出ようとも、上からの命令なので自分の責任が問われることはない。逆説的なことに、権威に従属することによって人は行動に伴う責任から解放され、社会的な制約から「自由」に行動できるようになるのである。
[注]
「スタンフォード監獄実験」とは・・・1971年、アメリカの心理学者フィリップ・ジンバルドーが行った実験。スタンフォード大学の地下実験室を模擬的な刑務所に仕立て、公募した被験者を看守役と囚人役に分けて、それぞれの役割を演じさせた。6日間で中止されたこの実験によって、看守役が囚人役に対して自発的に暴力をふるうようになることがわかったが、最近になって看守役に対する演技指導などが指摘されたことで、実験結果には疑義も出ている。
「ミルグラム実験」とは・・・アイヒマン実験とも呼ばれる。1961年、アメリカの心理学者スタンリー・ミルグラムがイェール大学で行った実験。公募した被験者を教師役とした上で、生徒役が問題を間違えるたびに段階的に強まる電気ショックを与えるよう指示した(実際には電流は流れておらず、生徒役は苦しむ演技をするサクラだった)。実験結果は、約2/3の教師役=被験者が致死的な電気ショックを与えたというものだった。
しかもこうした治外法権的な状況がいったん成立すると、これを維持・強化しようとする動きが服従者の側から自発的に出てくる。それは人びとが自分の行動の責任を指導者にゆだね、その命令を遂行することにのみ責任を感じはじめるという、状況的義務への拘束が生じるためである。
体験学習の参加者も、指導者の命令に従って敵を糾弾するという行動を自分たちの義務のように感じはじめ、やがて真剣に取り組むようになる。この糾弾行動がロールプレイにすぎず、敵役のカップルがサクラであることは参加者も承知のはずだが、何度も怒号を浴びせているうちに、その声はしだいに熱をおびてくる。
「リア充が憎らしく思えた」「声を出さない人に苛立った」といった感想が示すように、彼らは自分たちの行動を正当なことと見なし、内面的・情緒的な関与を強めていく。芝居とわかっている行動であっても、人びとの「義憤」を駆り立てる危険な力を発揮しうるのだ。
こうして敵対者は容赦なく攻撃すべき「悪」となり、これを攻撃する行動は「正義」となる。自分は権威=善の側に立ち、その後ろ盾のもとで悪に正義の鉄槌を下すという意識なので、攻撃をためらわせる内面的な抑制は働かない。
それどころか、この「義挙」の前に立ちはだかるいかなる制約も正義を阻む脅威と見なされ、「自衛」のためにさらなる暴力の行使がもとめられることになる。
敵や異端者への攻撃の中で、参加者は自分の抑圧された攻撃衝動を発散できるだけでなく、正義の執行者としての自己肯定感や万能感も得ることができる。そこに認めることができるのは、暴力が歯止めを失って過激化していく負のスパイラルである。
■日本に見られるファシズムの萌芽
このようなファシズムの危険な感化力は、私たちにも無縁のものではない。近年わが国では在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチやヘイトデモが大きな社会問題になっているが、民族的出自の異なる人びとへの憎悪や敵意を煽る加害者たちの差別的・排外主義的言動が、権威と結びついた集団行動の過激化のパターンをなぞっていることは明らかだ。
彼らにとって、在日韓国・朝鮮人とこれを支援する人びとは「反日勢力」であり、日本で不当な特権を享受しながら破壊工作を行う「売国奴」である。それゆえ、これを差別・攻撃することは「正義」であり、「日本のため」の正当防衛であるということになる。
たとえば、朝鮮学校への補助金交付をもとめた各地の弁護士会の声明をきっかけに、複数の弁護士に対して大量の懲戒請求が寄せられた事件(『朝日新聞』「ブログ信じ大量懲戒請求『日本のためと思い込んでいた』」2018年6月23日https://www.asahi.com/articles/ASL5X6609L5XUTIL04P.html〈外部サイトに接続します〉)を見てみよう。あるブログの呼びかけに応じて懲戒請求を行なった人物が、弁護士から損害賠償をもとめられた後になって「日本のためになると思い込んでいた」と反省の弁を述べたのは、いかにも特徴的だ。
この人物を行動へと突き動かしたのは、「日本を守らねばならない」という使命感であり、「反日勢力」の脅威に対する危機意識である。だがそこには、自分の行動とその目的に対する責任ある判断が欠けている。
そうした人びとにとっては、敵対者の脅威が現実に存在しているか、これに対する自分の行動が適切かは問題とならない。重要なのは、自分がどれだけ怒りを感じ、使命感を呼び覚まされたかである。それゆえ、彼らの思想・信条をいくら究明したところで、過激な行動に走る理由を十分に理解することはできない。
差別的な言動をくり返す加害者たちの内面的な動機に迫る上ではむしろ、彼らがそうした活動の中で感じる解放感、自分の感情を何の制約も受けずに表現できる「自由」の経験に注目することが必要だろう。
「日本」というマジョリティの権威を笠に着ながら、数の力で社会的少数派や反対派に攻撃を仕掛けるという行動は、権威への服従がもたらす「責任からの解放」の産物である。彼らはこれによって存分に自分の欲求を満たしながら、堂々と正義の執行者を演じることができる。その何物にも代えがたい快感にこそ、ファシズムの危険な魅力があるといってよい。
■ファシズムに飲み込まれないためには
ファシズムが「悪」であり、民主主義社会の基本的価値と相容れないことは、今日では誰もが知っている。ヒトラー率いるナチスがユダヤ人や反対派を弾圧し、戦争とホロコーストに突き進んでいった歴史を、私たちはくり返し学んできたはずだ。だがそれが遠い過去の出来事にとどまるならば、いま「義憤」に駆られて「自衛」に走ろうとする人びとを押しとどめることはできない。
ファシズムを悪なるものとして否定するだけでは、多くの人びとがその魅力に惹きつけられ、歓呼・賛同しながら侵略と犯罪に加担していった歴史の教訓をいかすことにはならない。それどころか、臭い物に蓋をするような生半可な教育は、人びとを無免疫のまま危険にさらすことにもつながる。「ファシズムの体験学習」の狙いも、若い世代に適切な形で集団行動の危険に触れさせ、それに対する対処の仕方を考えさせることにある。
これまで9回実施した体験学習では、受講生の参加意欲は非常に高く、授業の狙いを的確に理解して、集団行動の効果に対する認識を深めているようだ。「自分たちと異なる人を排斥したくなる気持ちが理解できた」「中学・高校まで制服を着ていたことが怖くなった」などと感想を書いた学生もいる。
ただしこうした危険な授業を実施する上では、アフターフォローに細心の注意を払う必要がある。何よりも重要なのは、受講生が自らの体験をファシズムの危険性に対する認識につなげることができるよう、的確なデブリーフィング(被験者への説明)を行うことである。本記事もまた、そうした取り組みの一環といってよい。
「ファシズムの体験学習」から得られる最も大きな教訓は、ファシズムが上からの強制性と下からの自発性の結びつきによって生じる「責任からの解放」の産物だということである。指導者の指示に従ってさえいれば、自分の行動に責任を負わずにすむ。その解放感に流されて、思慮なく過激な行動に走ってしまう。表向きは上からの命令に従っているが、実際は自分の欲求を満たすことが動機となっているからだ。そうした下からの自発的な行動をすくい上げ、「無責任の連鎖」として社会全体に拡大していく運動が、ファシズムにほかならない。
この単純だが危険なメカニズムは、いくぶん形を変えながら社会のいたるところに遍在している。学校でのいじめから新興宗教による洗脳、さらには街頭でのヘイトデモにいたるまで、思想の左右を超えた集団行動の危険性を、私たちはあらためて認識する必要がある。世界中で排外主義やナショナリズムの嵐が吹き荒れている今日、ファシズムの危険な魅力に対処する必要はますます高まっている。大勢の人びとが熱狂に駆られて「正義の暴走」に向かったとき、これに抗うことができるかが一人一人に問われているのである。
https://imidas.jp/jijikaitai/l-40-255-18-10-g746
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