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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190705-00065654-gendaibiz-pol&p=1
7/5(金) 7:30配信
写真:現代ビジネス
参議院選挙を前に、政治学者・中島岳志氏が『自民党 価値とリスクのマトリクス』(スタンド・ブックス)を上梓した。今、自民党の本質はどこにあるのか? ライター・武田砂鉄氏との対談前編では、自民党政治家の言葉を深く読み解いた。後編は『ViVi』と自民党のコラボの話題からノンフィクションが成立しない時代というトピックまで――。
安倍首相は空虚…? 徹底分析で見えた「意外な実像」
(構成:山本ぽてと、写真:杉山和行)
中島氏は『自民党』で政治家の発言を徹底的に分析し「実像」に迫った
建設的な議論になる手前で
武田:実は今日、『ViVi』(※)のコピーをもってきました。
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※2019年6月10日、講談社の女性誌『ViVi』がWEB上で自民党の広告記事を掲載したことが話題になった。この対談は6月12日に行われた。
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中島:さすがです。
武田:現代ビジネスは講談社の媒体ですから、避けるべきではないと思いまして。講談社は今回の広告について「政治的な背景や意図はまったくございません」とコメントを発表した。実に奇妙なコメントです。政党と組んだ広告企画には、政治的な背景と意図があります。「違法じゃないのだから、野党もやればいい」との意見もありますが、支配的な権力と潤沢な資金を持っている与党が、こうして女性誌とタッグを組んだ事実は、「ならば他党もやればいいのに」との意見で終わらせられることではない。
加えて、モデルの口から語られたのは「外国の方やお年寄りにもっともっと親切な対応をすべき」「他人の価値観を理解し、尊敬し合えることができたらどんなにいいだろう」といった、自民党が進めている政治とは逆行する内容でした。彼女たちの言葉に党として応答することはせずに、「#自民党2019」を最後にくっつけるだけ。この気持ち悪さを放置し、慣れてしまってはいけない。
中島:このような広告的な手法は、『ViVi』に始まったことではありません。少し前には、菅官房長官を「令和おじさん」と呼ぶようなイメージ作りもありました。甘利明をゆるキャラにしようとしたことも。さらに遡れば、安保法制の時にお母さんと子どもの絵を使って、印象操作をした。同じことが連綿と続いています。広告的な手法によって政治が行われ、実際に政治が動いている状況です。
武田:『自民党』の本についての対談相手に、こうして、自分のような、ジャンルを問わずにあれこれ書いているライターが引っ張りだされるのが今っぽいと思っています。
『ViVi』の広告のような「よさげ」な感じを読み解く作業って、政治学者が政治を、憲法学者が憲法を、というように専門家が出てくる段階にない。建設的に政策を問う以前に、まずは彼らが作り上げる空気・雰囲気を掴まないといけない。そんなことばかりが続きます。
中島:武田さんのようなお仕事と双方向であるべきだと思っています。政治思想的な議論ではなく、広告的な仕掛けをしてくる政治家に対して、政治学者である僕になにが出来るのか。政治思想で語れないなら、政治家の発言を根掘り葉掘り調べて、「理論」ではなく「実像」に迫ってみる。この人はなにを実現したい人なのか。そもそも実現したいことがあるのか。ないのであれば、将来なにをしそうか。政治家が書いた本だけではなく、インタビュー、選挙区の地元紙、業界団体の雑誌まで徹底的に読み『自民党』を書きました。
文献を集めるのは、学者の得意な仕事です。言葉を保存し、実像に迫る。これが広告的手法に対抗できる、ひとつの方法だと思っています。
「胸に刻む」ってなにするの?
武田:安倍首相の著作リストをみると、「大きく出たな!」と思わせるタイトルが並んでいます。『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』『美しい国』『この国を守る決意』などなど。この書籍のタイトルの方向性は、日頃、彼の口から聞こえてくる言葉の性質を表している。「大きく出たな!」と感じることがほとんどです。
中島:大きな言葉しかない人ですよね。だから広告的なものと親和性が高い。
武田:なぜこんなに論拠のない大きな言葉を連呼することができるのか。彼の言葉をその都度検証しなければ、その存在自体が空疎なまま膨らんでいく。
自著『日本の気配』で分析しましたが、彼は「胸に刻む」という言葉を好んで使います。とにかく胸に刻むんです。胸に刻むって、なにかを実行する言葉ではありません。誰でも言えます。今、自分が、「中島さんの言葉を胸に刻みました」と言う。ここから何かの行動が起きるわけでもない。でも力強く繰り返し「胸に刻む」と言うと、なにかやってくれるんじゃないかと期待が生じる。極めて便利な言葉です。この手の言葉を許していくと、スケールは大きくなるけれども、実務としてなにかが行われるわけではない状態が続くことになる。
かつて、この政権のことを「『THE虎舞竜』内閣」と書いたことがあります。虎舞竜は「ロード」という曲を14章まで作り、一体、いつこの「ロード」が終わるのかわからない状態が続く。安倍もいまだに「この道しかない」や「道半ば」と言い、この道がどこまで続くかわからない。「ロード」がどこまでも延びていくんです。
でも、「この道しかない」と言うと、少なくない人が「この道しかないのか」と思ってしまう。その時に「えっ、この道って、どの道なんですか?」「舗装しないと、この道路通れなくないですか?」といちいちツッコまないと、「この道」が「道半ば」のまま用意され続ける。
こうやって現政権について原稿を書く時、ある程度茶化しながら書こうと思っても、あとで読み返すと「ヤバい、正しいことしか書いていない」と驚く。皮肉が効かずにたちまち正論になってしまうほど、あちらが次々と異物を提示してくる。
中島:そうなんですよ。政治のことを扱うと、今はものすごく正論を吐かざるを得なくなっている。
武田:「正論ばっか言ってんじゃねー」と批判されるのですが、えっ、正論って言っちゃいけないの? と思うこともあります。
「麻生節」と言うメディア、「アマリです……」を許さない有権者
武田:自民党の人たちは、あらゆる事案が起きたときに、事案に向き合うのではなく「どう早めに忘れさせるか」を考えていますよね。統計不正の件も、ゴールデンウィークの10連休でうやむやにしようとした。実際に私たちは、それで忘れてしまったわけです。
かつて、安保法制の際も、シルバーウィークを挟んで忘れさせようとしてきた。「そんなんで忘れると思うなよ!」と怒っていましたが、本当に忘れてしまった。こういった、彼らのとっての成功体験が続いている。
失言や暴言が出ると、まずメディアが問題視します。すると必ず支持者が「一部を切り取るな」という言葉をぶつけて、次に当人が「真意ではなかった」と言い出す。明らかに薄められない発言であっても、強引に薄めようする。で、なぜか今、自由気ままに薄めることが可能になっている状況にある。
中島:麻生氏の「老後2000万円」発言も、時間が経てば、忘れ去られてしまうでしょうね。そうして選挙戦に入り、論点の違うことを言い続ける……それで乗りろうとしています。
武田:メディアは、麻生氏の暴言に食らいついて批判し続けるわけではなく「麻生節」と書いてしまうわけです。彼の言葉がいかに不適切なものであったのかを検証しなければいけないのに、「節」や「キャラ」に変換してしまう。つまり、「いつもの麻生さんが出ちゃった。ダメな人だな。でも、もう、仕方ないよね」という反応。麻生氏からしたら「しめしめ、『麻生節』だなんて、自分のキャラで消費してくれた」と喜んでいるはず。
今回の「老後2000万円」の件でさえ、「麻生節」と言われるようになるかもしれない。その時に、いつまでしぶとく「麻生さんおかしいですよ」と言い続けられるか。忘れ去られないためには、中島さんの本のように、言葉の意味を考え、保存して、ほじくり返し続けないといけません。
中島:この本で取り上げた政治家に何人か会ったのですが、やはりちょっとイヤな顔をしていました。過去のそんなところまで、ほじられるのかと。過去の発言の矛盾を指摘されるので、政治家からするとイヤですよね。でもやっぱり僕たちはイヤがることをやらないといけない。野党の国会質問でも、表面的にラリーをするのではなく、過去の表現を徹底的に洗って、「これは誰の言葉ですか」と聞きながら攻めていくと崩れやすいのではないか。
武田:そうですね。安倍首相がその昔に書いた本には、沖縄の基地軽減のこともきっちりと書いている。「もう何年も前から基地軽減って書いてましたよね。変わっていませんね。それどころか……」と問うべきです。
今はむしろ、メディアより有権者のほうがチェック機能を果たしているのではないかと思う時があります。甘利明氏がTwitterを始め、芸人のヒロシのネタをまねて、「アマリです……」とつぶやく動画をアップしました。それに対してTwitter上では「その前にすることがあるのでは」「説明責任を果たせ」と金銭授受疑惑へのツッコミが続いた。あの件、忘れていませんからね、と繰り返し告げるのは効果的な方法だと思います。
現代ビジネス
安倍政権について何を書いても「正論」になってしまうという現実
「政治家を見るときには、この人はどこに欲望があるのかを考えます」(中島氏)
極秘インタビューよりも本人に迫れる?
武田:少し前、山口敬之『総理』(幻冬舎)という本が話題になりました。読んでみると、その中身を要約すれば「オレ、政権の中枢とめっちゃ仲良し」です。安倍さんにこんなことを頼まれて、麻生さんに言付けしたんだよ、などと。それってジャーナリズムでもなんでもない。
でも、「めっちゃ仲良し」というのが、一部の物書きの誇りになってしまった。事物に対して評価するためには、距離があってしかるべきです。「めっちゃ仲良し」が格付けのように機能している状況を考え直さなければいけません。
中島:そうなんです。極秘インタビューをしないと、対象に近づけないわけではない。政治家の書いたものや発言を読んでいくと「私は選挙区に安倍さんを連れてきましたよ」と地元の業界紙にアピールしたり、当選するためにリップサービスをしたりしている。政治家のイヤらしい部分がわかり、実像も見えてきます。世の中に活字として出ているものを、徹底的に読み込んでいけば、本人以上に本人に迫れるところがある。
武田:自分はナンシー関が好きなんです。ナンシー関は芸能人になるべく会わないようにしていたと言います。テレビの前にいて、テレビの前で思ったことを書き、批評として際立ったものになっていた。いま芸能人について書かれているものを読むと、「楽屋ではああいうことを言っていた」「あの芸人さんはあの人と仲良くて、よく飲みにいっているらしい」という事情通のテキストが目立つ。
自分も芸能人についてよく書きますが、そんな楽屋事情はどうでもいい。テレビの前で見ていて、なぜ一瞬目が泳いだのか、なぜあの時だけ無表情だったのか、なぜ誰それとは会話しなかったのか、テレビを見ているだけでたくさんの情報があります。仲良くならなくても、彼らの喋っているインタビューや本から、抽出できるものは沢山あるんです。
政治の世界でも全く同じことが言える。「オレは麻生さんや安倍さんと近いから」と書き始めるものより、彼らがテキストとしてなにを残したのか、テレビでどういう振る舞いをしたのか、そこに迫っていくほうが彼らの輪郭をきめ細やかに抽出できるんじゃないか。でもいま、それをやると「知らないくせに言うな」となってしまう。距離の近いほうが偉い、そういう人が書いた分析だから正しい、という価値観が優先されてしまう。
中島:テキストだけでも、豊饒な情報があります。では、テキストからなにを読み解けばいいのか。私はこの人のどこに欲望があるのかを考えます。
政治家はとても面倒な仕事です。ほとんど休みがなく、週末には選挙区に帰って宴会に参加し、有力者に酒を注いで回る。陳情もたくさんやってきます。どう考えても、進んでやりたいとは思えないですよね。それでもやりたいと思うのは、名誉欲以外になにがあるのか。政治家を見るときには、この人はどこに欲望があるのかを考えます。その欲望が、強みになることもあれば、暴走することもある。
例えば元官房長官の野中広務氏(1925〜2018年)は、幼い時から差別されてきた自身の経験があった。なぜ政治家をやっているのかが自明だった人でした。問題を解決するためには、汚い手も使う。それでもハンセン病の元患者さんのような社会的弱者の人たちには優しかった。そういった部分から「何のために政治家をやっている人なのか」をつかむことができる。
現代の政治家と立ち上がらない物語
中島:でも率直に言うと、今の政治家にはそんな背景が薄くなっている気がします。
武田:過去の政治家のノンフィクションを振り返ると、立花隆「田中角栄研究」(1974年)や、岩瀬達哉『われ万死に値す―ドキュメント竹下登』(1999年、新潮社)など、政治家1人についてまるごと1冊で語るものがありましたよね。
一方で中島さんの今回の本では1冊に政治家9人分が収録されていますが、正直なところ「もうこれで十分だな」と感じました。今は1人につき1冊も必要ない。彼らについて重厚に書こうとする人もいないし、読みたい人もなかなかいない。2〜30年前なら9冊必要だったのに、いまは1冊で十分になってしまったのが、時代を象徴していると思います。
中島:魚住昭『野中広務 差別と権力』(講談社)を読んでも、野中氏の出自である部落の問題に触れ、彼の芯をたどることができますよね。でも今の政治家では、書けないのだと思います。書いても読ませるものにならない。読ませるものになるためには、その人が矛盾を変えていて葛藤したり、差別されたりした歴史や出自があるとか、物語が必要ですよね。でも今の政治家にはほとんどないですよね。
武田:ないですよね。
中島:だから昔のようなノンフィクションは成立しなくなっている。政治家についての重厚なノンフィクションは、最近ほとんど書かれていません。
武田:佐野眞一氏が橋下徹氏を書いた、「ハシシタ・奴の本性」(2012年『週刊朝日』に掲載)はその差別的な表現が原因となり1回で連載が終わりましたが、そのまま続けていたらどうなったのか。今までのやり方で、ルーツを探り、彼と接してきた人を洗い出し……という手法で人物を追おうとしても、濃密な考察が出てきたのだろうかと。だからこそ、初期設定であんな失敗をした可能性もある。
一方で佐野氏の孫正義評伝『あんぽん』(2012年、小学館)は広く読まれたわけです。孫正義氏がどんなルーツを持っていたのかを取材していくうちに、壮大な物語が立ち上がってくる。このように物語が立ち上がってくる政治家は少ないのではないかと。
中島:そう考えると「ハシシタ」の打ち切りは、佐野眞一的ノンフィクションの終焉を象徴するような事件だったのかもしれません。
武田:人物を探求するという手法で、今の政治家をターゲットにすることに無理があるのでしょう。今年、講談社ノンフィクション賞が「本田靖春ノンフィクション賞」という名称に変わるそうです。その一方で、昨年、講談社の刊行物で売れに売れたのはケント・ギルバート氏の本であり、今年は、『ViVi』が自民党とコラボ広告を出した。かつて本田靖春氏が出した時評集『今の世の中どうなってるの』(文藝春秋)に「自民党を信任した人たちに問う」とのタイトルのコラムがあり、そこには「生活保守主義もよいけれど、あなた方はそれと引き換えに、危険な賭けに荷担しているのです。そうは思いませんか」とありました。どう受け止めるのでしょう。
イヤな奴になるしかない!
中島:そもそもノンフィクションが成立しない時代ですよね。あれだけ話題になった「秋葉原通り魔事件」も僕しか書いていませんし。
武田:ノンフィクション作家ではない人間がこの事件を書いたことが、非常に現代的だとの意見も見かけました。
中島:昔のノンフィクションで描かれていたものとは違い、もっと空虚なものを書かざるを得ないんです。佐野眞一氏は人物に昭和や満州を重ねたがるけど、加藤にそんなものはない。人物を探っていっても、人物の人生観を支える重要なエピソードがない。
政治家も同様です。今の政治家は、なにか芯があって政治をやっているわけではない。ただ政治家をやっている。たぶん、丸山穂高氏を掘ってもなにもないでしょう。
武田:ないでしょうね。
中島:かつてのノンフィクションの手法からはこぼれてしまうので、違うアプローチが必要です。そんな時代に、どうやってリアリティを描くのかは難しい。僕が秋葉原事件で拾おうとしたのは「空虚」です。そして、卑小なこと。今は空虚な政治家がこの国を操っている。
武田:彼らはその空虚さに対して、コンプレックスを持っているんでしょうか。「なんも見えてこないですね」と指摘されても「うまいことやらせてもらっているんで」と答えるのでしょうか。それが怖い。コンプレックスがあるのなら、本を読んで勉強したり、人と対話を重ねたりしますよね。でも、安倍首相は年末に読書予定の本として『日本国紀』の写真をアップしたわけです。
本棚が並んでいるような場所で写真を取ったりもしないし、頑張って世界文学全集を並べるようなこともしない。でも今、本棚の前で真面目に勉強をしている政治家って、活躍させてもらえなそうですもんね。
安倍首相を礼賛してきた幻冬舎・見城徹氏の読書論『読書という荒野』を読むと、高橋和巳や中上健次に影響を受けたとある。今そちらがやっていることって、ご自身の読書体験にぶつけると矛盾が抽出されないのだろうかと思うのだけど、そんなことはどうでもよく、「この人、めちゃくちゃ本を読んでいて頭がいいな」と思われたいだけなのかもしれない。
中島:これもコスプレなんでしょうね。「リベラルアーツコスプレ」のようなもの。
武田:コスプレでもうまく立ち回って、お金が稼げて、経済を回しているのはこっちですよ、と言われたらなんて答えたらいいのでしょうか。
中島:小手先でやっていくと、大きな危機に陥ったときに大変なことになります。実際に今だって問題を先送りにしているだけで、うまくいっているわけではない。どこかでガタがくるのは目に見えている。貧困や格差に苦しんでいる人が大勢いて、この夏もクーラーのボタンを押せなくて熱中症になる。そうした現状を拡大させていることに、目が届いていないんじゃないか。
武田:来年にはオリンピックがあり、2025年には大阪万博があり、その後にリニア新幹線が開通する。政治を司る人たちが大きな主語を使うタイミングが定期的に用意されていく。貧困や格差にじっくり向き合わなくても、大きな言葉で「さぁ次のパーティーですよ!」とごまかせる状況がここ10年は続いていきます。
オリンピックの招致スローガンが「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」だと知り、ずっこけました。この意味のない言葉で、帰宅困難地域にしろ、汚染水の問題にしろ、覆われてしまった。今回は「復興五輪」なので福島のJヴィレッジから聖火リレーをスタートさせるという。ブラックジョークが夢物語として広がっていく。
言葉を書く人も、そういう空気に引っ張られていくでしょうから、いい感じのことを書く人が増えていくのでしょう。イヤになっちゃいます。それでもイヤな奴になって、言い続けていくしかないのでしょう。
(了)
現代ビジネス編集部
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