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「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」から、『厭戦庶民』の32号と33号が届いた。小さなパンフだが、とても面白い。充実している。肩肘張らないつぶやきもあれば、肩肘張った論文もある。石川逸子さんの詩もあり、みごとな替え歌もあり、言葉遊びもある。肩書を「弁護士・平和委員会代表理事」として内藤功さんも書いている。多くは、神奈川県内の活動家、それも元気溢れる高齢の方の発言集。
この会は、名物活動家・信太正道さんが主宰していた。元特攻隊員だったが出撃寸前に敗戦となって命ながらえた方。戦後は海上保安庁職員、海上自衛隊、航空自衛隊をへて日航機長となった。徹底した非戦論者で、9条改憲阻止の信念と活動に揺るぎがなかった。
信太さんは2015年11月10日に亡くなられたが、その遺志を継ぐ人々が「戦争屋にだまされない」とする、「厭戦庶民の会」の活動を続けているのだ。ひとりの人の熱意が、その人の死後にも他の人に受け継がれる好例。
この会の会則は、9か条ある。その第9条が、以下のとおりである。
「(不戦の誓い) 私たちは、戦争を放棄し、軍備および交戦権を認めません」
「改憲的護憲論」には反対を明確にしたうえ、反アベ政権の運動においては、そういう人とも批判的に共闘を、という学習会の報告もなされている。
時節柄、天皇や天皇制、元号に関わる論稿が多い。象徴天皇制を厳しく指弾する意見もある。こんな記事が目を惹いた。
「私は天皇制は勿論、天皇の存在そのものに絶対反対なのです。」という立場を明確にした方の、かなり長い論文の次の一部分。
「戦直後、当時の共産党を中心に、天皇制打倒が叫ばれた。
しかし、そこには天皇制の捉え方について、二つの意見があ
った。
一つは、徳田球一書記長のとらえ方=天皇とは、どう言い
繕っても、排他的民族主義・侵略性の思想を秘めた国のトッ
プである。今こそ(この敗戦という大転換期に)即これを無
くさないかぎり、いかなる共和的民主国家も出来得ない。と
いうもの。
今一つは、野坂参三に代表されるとらえ方=天皇には二つ
の側面がある。一つは絶対的天皇制権力機構であり、他方は
宗教的側面である。天皇制権力機構は即廃絶すべきであるが、
他の天皇の宗教的側面は国民が天皇を慕っているのだから、
今、それをも即打倒というべきでなく、後の、国民投票によ
るべきだ。
そして結果的に・・・いろんな経緯はあるとしても日本の新憲
法に、この野坂泰三氏の思想が取り入れられた。天皇の制度
権力機構は廃止する。しかし日本国の象徴として天皇を残す。
である。」
「天皇制の忌まわしさにおいて、その独裁的権力機構と、そ
の宗教的といえる精神的なもの象徴天皇制とどちらが恐ろし
いか、私に言わせれば後者です。」
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そして、紹介したいのが、疎開世代の「戦争体験」。
美空ひばり「一本の鉛筆」と
「日米安保闘争」
私の「厭戦」の原点です
長谷川徑弘(84歳)
毎年5月の「平和のための戦争展inよこはま」に「美空ひ
ぱり〜一本の鉛筆」の展示を担当して久しくなります。
◇
これには、私が「太平洋戦争」下、横浜から箱根に集団疎開
していた時に、母親が「粗末な便箋に鉛筆書きの手紙」を毎月
1通出してくれた思い出があるからです。
今年(2019年)6月24日は美空ひぱり没後30年です。
新聞・TVなどで、回顧番組があるでしょうが、「一本の鉛
筆」の紹介があるかどうか。若い人たちには、「ひぱり」が、
忘れられてきているかも、気がかりです。
◇
「一本の鉛筆」のメロディも歌詞も、淡々としていますが、
共に彼女の心情をこめた最高のものです。メロディは低音域
でゆったりした3拍子。
歌詞には
「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」
「一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと私は書く」
「一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く」
「人間の命と書く」
「ザラ紙」は「わら半紙=上質紙に対して下等紙」の事。
◇
こうした歌詞が、私が疎開先で受け取った母からの「便箋
に鉛筆書き」の手紙とダプルのです。
その母は、5・29横浜大空襲の後の6月9日、産後の体
を壊して他界。赤子も後を追う。私と妹は集団疎開先に居て、
母の死に顔を見られなかった。
「母を返して」。
こんな事も。戦後、親戚預けになった弟2人が、他人様
への気苦労人生でか、数年前に病み他界。今、残りは、年
長組の兄・私・妹の3人。人生が逆さまになった。
◇
「戦争体験者」は、「戦争体験」を語り続けなければなり
ません。「過去」の先に「現在と未来」があるから。
ひばりさんは、横浜大空襲の前、4月16日の磯子地区
の“はみ出し爆撃”で被災して。
◇
私の住まいの玄関脇に「一本の鉛筆〜ひばり」の手製ボ
ード、メーデーなどには手製プラカードを抱えて出かけま
す。どこかで見かけたら、私です。
私のもう一つの。“厭戦”は、「日米安保条約」です。
@1952年「旧安保」(「起ちあがれ(安保破棄の歌)」、
A1960年「新安保」(子ども遊び「アンポハンタイ」/
6・23全国統一行動)、
B1970年「10年固定期限終了・安保廃棄6・23集
会各地で盛り上がる」。
◇
この後、「安保闘争」は影が薄くなって、はや50年・
半世紀になろうとしています。
私は、「諸悪の根源・日米安保条約」と指摘する畑田重夫
先生(95歳)からいただいた「生涯学習・生涯青春」の
直筆色紙を、机前に貼りつけ、がんぱっています。今、84歳。
今、このような無数の先輩たちが、「改憲阻止」「安倍ヤメロ」の運動の先頭にいる。
(2019年6月25日)
http://article9.jp/wordpress/?p=12862
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