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望月衣塑子『安倍晋三大研究』から
http://blog.tatsuru.com/2019/05/28_0558.html
2019-05-28 mardi 内田樹の研究室
東京新聞の望月衣塑子さんと特別取材班による『安倍晋三大研究』(KKベストセラーズ)の中で望月さんと対談をしている。その中の私の発言の一部を「予告編」として掲載する。 今回のトランプ来日の「異例の接待」に安倍政権の従属的本質が露呈したが、その仕組みについても私見を述べている。 安倍さんがつく嘘には、「シナリオがある嘘」と「シナリオのない嘘」の二つがあるみたいですね。とっさに口を衝いて出た「シナリオがない嘘」から始まって、「シナリオのある嘘」へと移ってゆく。 もろもろ不祥事のきっかけは、首相の意図せざる失言です。「それは言ってはダメ」ということを不用意に洩らしてしまう。その場で自分を大きく見せようとしたり、相手の主張を頭ごなしに否定するために「言わなくてもいいこと」を口走ってしまう。その点については自制心のない人だと思います。「その点についてはさきほどは間違ったことを申し上げました。お詫びします」とちょっと頭を下げれば済むことなのに、頑強に誤まったことを拒否する。 性格的に自分の非を認めることがよほど嫌なんでしょうね。だから、明らかに間違ったことを言った場合でも、「そんなことは言っていない」「それは皆さんの解釈が間違っている」と強弁する。「立法府の長です」なんていう言い間違いは、国会で平身低頭して謝らないと許されない言い間違えですけれど、これについても絶対に謝らなかったですね。間違いを認めず、勝手に議事録を改竄した。 「立法府の長」とか「私や妻が関係していれば」発言がその典型ですけれど、不用意なことをつい口走ってしまう。その失敗を糊塗するために、官僚が走り回って、つじつまを合わせて、もともと言ったことが「嘘ではないこと」にする。首相の不作為の「言い損ない」がまずあって、それをとりつくろうために官僚たちが「シナリオのある嘘」を仕込む。第二の嘘には間違いなく「シナリオライター」がいると思います。誰か「嘘の指南役」がいて、「こういうステートメントでないと、前言との整合性がとれないから、これ以外のことは言ってダメです」というシナリオを誰かが書いている。(...) こういう違法行為で最終的に罪に問われるのは、実行犯である官僚たちなわけですよね。政治家はあくまで「私は知らない。そんな指示を出した覚えはない」と言い張る。それに、官僚たちにしても、たしかに具体的な指示を聞いたわけではないんです。上の人間に皆まで言わせず、その意向を察知して、「万事心得ておりますから、お任せください」と胸を叩くようなタイプでないと出世できない。だから、「忖度」というのは政治家と官僚が「阿吽の呼吸」で仕事をしている限り、原理的にはなくなることはないと思います。 (...) 首相の「とにかく非を認めるのが嫌だ」という頑なさは常軌を逸していると思います。でも、人は失敗を認めないと、誤りの修正ができない。失敗を認めない人は同じ失敗を繰り返す。過去の失敗だけでなく、これから取り組む政治課題についても、自分の能力が足りないから「できない」ということ言いたくない。だから、「できもしない空約束」をつい口走ってしまう。人格的な脆弱性においてここまで未成熟な為政者をこれまで戦後日本にはいたことがない。このような為政者の登場を日本の政治プロセスは経験したことがないし、予測してもいなかった。だから、そういう人間が万一出て来た場合に、どうやってこの為政者がもたらす災厄を最小化するかという技術の蓄積がない。 アメリカは、その点がすぐれていると思います。デモクラシーというのは、つねに「国民的な人気があるけれど、あきらかに知性や徳性に問題がある人物」を大統領に選んでしまうリスクを抱えている。アメリカでは、建国の父たちが、憲法制定時点からそのリスクを考慮して、統治システムを設計した。「問題の多い人物がたまたま大統領になっても、統治機構が機能し続けられる」ようにシステムが作られている。 『アメリカのデモクラシー』を書いたアレクシス・ド・トクヴィルがアメリカを訪れたときの大統領はアンドリュー・ジャクソンでした。トクヴィルはジャクソンに面会して、このように凡庸で資質を欠いた人物をアメリカ人が二度も大統領に選んだことに驚いていますけれど、同時に、このような愚鈍な人物が大統領であっても統治機構が揺るがないアメリカのデモクラシーの危機耐性の強さに対して称賛の言葉を書き記していました。 いまでもそうだと思います。ドナルド・トランプは知性においても徳性においてもアメリカの指導者として適切な人物とは思えませんけれど、とにかくそれでもアメリカのシステムは何とか崩れずに機能している。議会や裁判所やメディアが大統領の暴走を抑止しているからです。 アメリカ人は政治に大切なものとして「レジリエンス(復元力)」ということをよく挙げますけれど、たしかに、ある方向に逸脱した政治の方向を補正する復元力の強さにおいては、世界でもアメリカは卓越していると思います。そして、いまの日本の政治過程にいま一番欠けているのは、それだと思います。復元力がない。 日本の場合、明治維新以後は元老たちが総理大臣を選んできました。非民主的なやり方でしたけれど、「国民的人気はあるけれど、まったく政治的能力のない人間」が登用されるというリスクは回避された。戦後の保守党政治でも、「長老たち」の眼鏡にかなう人物でなければ首相の地位にはつけなかった。でも、そういう「スクリーニング」の仕組みはもう今の自民党では機能してないですね。(...) 彼の生育環境がどうであったか、どのようなトラウマを抱えていたのか、そういったことを心理学的に分析することは安倍政治を理解するためには、いずれ必要になると思います。でも、問題は彼の独特のふるまいを説明することではなくて、嘘をつくことに心理的抵抗のない人物、明らかな失敗であっても決しておのれの非を認めない人物が久しく総理大臣の職位にあって、次第に独裁的な権限を有するに至っていることを座視している日本の有権者たちのふるまいを説明することの方です。いったい何を根拠に、それほど無防備で楽観的にしていられるのか。僕にはこちらの方が理解が難しい。どうして、彼のような人物が政治家になれ、政党の中で累進を遂げ、ついに独裁的な権限をふるうに至ったのか、それを可能にした日本の統治機構と有権者の意識の方に関心がある。 これは安倍晋三という政治家個人の問題ではなくて、日本のデモクラシーの制度の問題だからです。この六年間、ずっと政権批判をしてきましたけれど、最終的に、安倍晋三という個人を分析してもあまり意味がないというのが僕の得た結論です。彼を「余人を以ては代え難い」統治者だと見なしている多くの日本人がいるわけですけれど、そのような判断がいったいどういう理路をたどって成立するのか、その方に僕は興味がある。安倍さんはいずれどこかの時点で首相の地位を去る。でも、彼を独裁的な権力者にして担ぎ上げた政治体制と国民意識がそのあとも手つかずで残るなら、いずれ第二第三の安倍晋三が出てくることを防ぐ手立てがない。(...) 彼を担いでいるのは「対米従属マシーン」という政官財学術メディアを巻き込んだ巨大なシステムです。彼らは日本の国益よりアメリカの国益を優先的に配慮することによって、アメリカから「属国の代官」として認証されて、その地位を保全されている。清朝末期にいた「買弁」と機能的には同質のものです。 ただ、清末の買弁が自分たちは「悪いこと」をしているという犯意があったのに対して、日本の対米従属マシーンのメンバーたちにはその意識がありません。彼らは「アメリカの国益を優先的に配慮することが、日本の国益を最大化することだ」ということを本気で信じているか、あるいは信じているふりをしている。だから、主観的には罪の意識はないのです。日本のために、国土と国民を守るためにアメリカに従属していることのどこが悪い、と自分を正当化することができる。 もともとこの仕組みは「対米従属を通じての対米自立」というきわめてトリッキーな戦後日本の国家戦略の産物だったわけです。最終目的はあくまで「対米自立」だった。吉田茂の時代から田中角栄の時代まで、サンフランシスコ講和条約から、沖縄返還まで、その軸はぶれていないと思います。 でも、安倍政権では、もう「対米自立」は国家目標としては掲げられていない。「対米従属という手段」がどこかで自己目的化した。対米従属マシーンのメンバーであることによって国内での高い地位と高額の収入を約束されている限り、彼らにしてみたら、対米従属はエンドレスで続いて欲しい「ステイタス・クオ」であるわけです。 ふつうの国の統治者は自国益を最優先するけれど、安倍政権は自国益よりもアメリカの国益のほうを優先する。日本国民から吸い上げた税金をアメリカの軍隊や企業にどんどん注ぎ込む。日本の国内産業の保護育成を犠牲にしても、アメリカの企業のために市場を開放する。アメリカの国際政策はどんな不細工なものでももろ手を挙げて賛成する。世界を見渡してみても、これほどアメリカにとって便利な政府は存在しない。だから大事にして当然です。(...) アメリカにとって、安倍晋三というのは一面ではきわめて好都合な政治家だけれども、危険な政治家でもある。集団的自衛権を発動して、アメリカの海外派兵の「二軍」として働くこと、アメリカ製の武器をどんどん買ってくれること、巨額の「ホスト・ネーション・サポート」予算で米軍基地を維持拡充してくれることなどは米軍にとっては大変好ましいことでしょうけれど、そういう日本の「軍事優先」がどこかで節度を超えて、軍事上のフリーハンドを要求するようになると、それはアメリカにとっては東アジアに新たなリスク・ファクターが出現することを意味する。 もし、改憲が「アメリカから押し付けられた憲法」を否定するだけでなく、アメリカの統治原理そのものを否定することを意味するとしたら、ホワイトハウスもいい顔はしないでしょう。その点では、アメリカは必ずしも一枚岩ではない。日本を実質的に支配しているのは「アメリカ」というより、端的に米軍とそれにつらなる軍産複合体です。対米従属といいますけれど、実質的には日米合同委員会を通じて日本をコントロールしているのは米政府ではなく在日米軍です。そして、米軍の意向は必ずしもアメリカ人すべての意向ではない。当たり前です。現に、『ニューヨークタイムズ』のようなリベラル系のメディアは一貫して安倍内閣のナショナリズムや改憲志向や慰安婦問題への取り組みを批判してきた。 改憲で日本が平和主義を捨てることを望んでいる隣国はアジアにはいません。改憲を強行すれば、当然中国韓国はじめてアジア諸国との外交関係は緊張する。そのようにして西太平洋の地政学的安定を損なうことをおそらく多くのアメリカ人は望んでいない。 アメリカからすれば「いまで十分」ということだと思います。平和主義国家としては桁外れの防衛予算を組んで、アメリカ製の兵器を買ってくれている。これ以上好戦的な国になってもらうことはない。アメリカの本音は、「日本は黙ってアメリカの言うことを聞いていればよい」ということに尽くされると思います。 僕たちは忘れがちですけれど、アメリカにとって日本は太平洋戦争で二九万人のアメリカ兵を殺した国です。日本では『鬼畜米英』はもう死語ですけれど、『リメンバー・パールハーバー』は今でもアメリカでは感情喚起力のあるスローガンです。日本は属国だけれど、かつての敵国なのです。属国として厳しい支配下においているのは、ほんとうのところはこの「おべっかつかい」を信用していないからです。この感情的な非対称を日本人は忘れているんじゃないですか。
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