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暴言で辞職も得票率7割で再選 泉房穂明石市長が語る市民愛 注目の人 直撃インタビュー
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/254539
2019/05/27 日刊ゲンダイ 明石市長の泉房穂氏(C)日刊ゲンダイ 「火をつけて捕まってこい」と、道路の拡幅工事の立ち退き交渉にあたった職員を叱責。「パワハラ市長」とバッシングを受け、今年2月、辞職に追い込まれた。ところが、子育て中の母親たちの反応は違った。出直し選挙への立候補を求め、約5000人の署名を集めたのだ。3月の市長選では、7割の得票率で当選。「未来は自分たちで選ぶということを、この署名活動を通じて強く感じました。本当に立ち上がってくれてありがとうございました」と感謝された。 ◇ ◇ ◇ ――暴言が報道された時の率直な感想は。 最初に公開された1分ほどのテープで「火をつけてこい」と言っています。死亡事故が起きた危険な交差点で、立ち退きをお願いするのに「いつまでかかっとるんや」「下に任さず、責任ある立場の人間が行け」「無理やったら自分が行くから」と言った記憶しかなく、「火をつけてこい」は激高した状況で口走ったと思った。聞いた人がどういう印象を持つかぐらいは分かったので、大変なことが起こる、自分の発した言葉である以上、責任を負うことになるというのが正直な気持ちでした。 ――その後、もうひとつの音声テープが公開され、全内容が明らかになり、擁護する声も上がり始めた。 1月29日朝、自宅でゴミを出そうとしたらいきなりカメラに撮られ、そこからはメディアの対応で精いっぱいでした。内容を把握していない状態でしたが、NHKもトップニュースでしたから、辞職以外はない。元マスコミですので、辞めるまで追いかけられるのは分かっていましたから。 ■1ヵ月以上の引きこもり生活 ――メディアは連日、大々的に報じた。 新聞、週刊誌、テレビのワイドショーの格好の対象になり、辞職した翌日から明石から1時間ほど離れた場所のマンションの一室で、カーテンを閉め切ってこもる生活を送りました。食事を買おうとマスクをしてコンビニに行ったら、「明石市長ですね」ってすぐにバレました。その後も引きこもり生活が続き、さすがにしんどくなって帽子とマスク姿で大阪の天王寺動物園に出掛けた。オッチャンたちに紛れ込めば大丈夫ではないかと思ったのです。シマウマとキリンの前でベンチに座り、マスクを外した瞬間、オッチャンたちから「明石市長やないか」と握手攻めにあい、「おまえ、男や」と抱きつかれた。やっぱり人前には出られないと思い、再びマンションに戻りました。1カ月以上引きこもっていましたので、何が起こっているか分からない。情報はネットで仕入れていましたが、賛否両論あると言われても悪口の方が気になる。叩かれ方はもの凄くて、政治家というより、人としてこれからどうすればいいか考えていました。 ――それでも明石市民は報道に惑わされずに、状況を客観的に見極めました。 市民が言ってくれたのは、「戻ってきてくれてありがとう」「分かっている」の2つです。明石市民とマスコミのズレは大きくて、特に子育て層の熱烈な応援には驚きました。共働きの女性が「負けないで」と言ってガッツポーズをしてくれたり、立候補しただけで市民から「ありがとう」と言ってもらえるなんて思わなかった。罵声を浴び、殴り掛かられることも覚悟していました。選挙が始まって町に出ると、罵声はゼロで次々市民が握手を求めて寄ってきてびっくりでした。 ――3年前から第2子以降の保育料を無償化したり、子育て環境を充実させたことが評価されたのですね。 中学校の給食も始めました。駅前の子育て施設も利用料無料で、絵本も借り放題です。経済的負担の少ない子育てができ、6年連続で人口が増え、出生率も4年連続で増加した。駅前の人出も3年前に比べ7割増えました。「辞めてすぐに出馬するなんて反省がない。せめて1期待て」という批判もありましたが、市民は「4年も待てない」と怒ってくれた。選挙中、お腹の大きいお母さんが近寄ってきて、「明石は赤ちゃんが産める町だから引っ越してきたのに、今さら戻れません。無責任です。責任を取ってください」と詰め寄られました。それが市民にとって、生活リアリティーなんです。 ■メッセージを読んで出馬を決意 ――子育て支援の施策が5000人の署名につながった。 署名活動をネットで初めて知った時は、「一体、誰が」と思った。面識もない赤ちゃんを抱えたお母さんたちがネットでつながり、集めてくれた。ただ、自分が辞職したことにともなって行われる選挙に出馬したらさすがに叩かれるのは分かっていましたし、出られないと思っていた。小学生の息子は学校で、「火をつけるぞ」と追いかけ回され、家族も反対でした。でも署名を受け取らないわけにはいきません。署名には、「市長が代わって保育料が有料になったら、人生設計ができない」「やりかけたことを続けてもらわないと、暮らしが変わってしまう」というメッセージがびっしり添えられていた。それを読んであらためて2つの「責任」を感じました。ひとつは1年半前、権限のある立場の市長が職員に対して行った言動の責任です。選挙の結果がどうであれ、自分の発言が消えるわけではないので、責任を負い続けなければなりません。もうひとつは市民と交わした、やりかけたことをやり続ける約束を明石市で成し遂げる責任です。批判は承知で、市民がここまで思ってくれているのであれば、何とかしたいと強く感じ、出馬を決意しました。 ――得票率は70・44%で出口調査では30代の9割の支持を集め、初めて投票に行った若者も多くいた。 期日前投票では、駅前の投票所でベビーカーを押す女性たちが1時間近く待って投票してくれました。選挙に行ったことがない娘さんが「お母さん、選挙に行ってよ」と声を掛けてくれた。政治というのは影響力の大きい、特定の有力者の声が反映されがちですが、本当のマジョリティーはサイレントで、そういう市民は市役所に来ませんし、市長と話す機会もありません。そんな人たちの顔を思い浮かべながら、施策を打ち出し、市民へのラブレターのつもりで広報誌に思いを込めて伝え続けていたら、その思いが市民に届いていた。前回、前々回の5万票を上回る8万票の支持をいただいた。これだけ叩かれたにもかかわらず、これまで投票に行かなかった層を含め、自ら大切な一票の行使をしてくれた。普通の市民が私を押し上げてくれた。民主主義の尊さ、可能性を感じました。 辞任会見で謝罪する泉市長(C)共同通信社
――歴史的、全国的に見ても珍しい現象ではないか。 言い過ぎるといけない立場ですが、たしかにそうかもしれません。子育て世代が牽引して市長を選ぶなんて日が来るとは思いもしませんでした。私は20歳の頃から、日本はあまりにも子供に冷たく、子供を親任せにして親の持ち物的な扱いをするから、貧困や虐待の原因に、つながっていると考えていた。社会全体で子供を育てていくようにしたいと思い、市長になりました。今や子供に関する予算は昔の2倍、子供を担当する職員数は昔の3倍で、明石はまさに子供の町です。それを市民が理解し、応援してくれるようになったことがなによりうれしいです。 ――今回の一件で自分の中で何が変わったか。 もともと、「明石ラブ」だったんですが、それに加えて「市民ラブ」「民主主義ラブ」です。市民との絆が一層深まり、クサいけど民主主義は凄いと思いました。かつて明石の友人が合コンで出身地を聞かれ、「(隣の)神戸」と言ったのを聞いて本当に腹が立った。自分の住んでいる地域を卑下したり、隠したりせず、胸を張れる町、誇れる町にするのが、私にとって重要なテーマでした。それが私のせいで、「明石」の名前を口にできない状況をつくってしまった。「明石」と答えただけで、「あの市長の」と言われてしまう。そうした事態を招いた責任を痛感しています。市民が全国どこへ行っても「どちらからですか」と聞かれ、「明石です」と胸を張って言える町にするのが、自分のしたことに対する償いでもあり、責任でもあるとあらためて思い返した。愛するこの町のために愛する市民とともに、これからもベストを尽くしてやれることをやっていきたい。 (聞き手=滝口豊/日刊ゲンダイ) ▽いずみ・ふさほ 1963年、明石市生まれ。明石西高、東大教育学部卒後、NHKに入局。弁護士を経て、2003年、衆院選に旧民主党公認で兵庫2区から立候補して比例復活を果たし、1期務めた。11年の明石市長選で初当選。現在3期目。
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