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昭和天皇とダブルファンタジー  昭和天皇の戦争責任と「言葉のアヤ」発言の論理 (朝日新聞社 論座)
http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/276.html
投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 4 月 30 日 18:36:32: PfxDcIHABfKGo isyYYouHkeg
 


昭和天皇とダブルファンタジー 
昭和天皇の戦争責任と「言葉のアヤ」発言の論理
 
菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師
論座 2019年04月30日 より無料公開部分を以下転載。 

1https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_1.jpeg
1988年4月、87歳の誕生日に=提供・宮内庁
 

連載 昭和天皇とダブルファンタジー

■天皇のリアリズム
 
 昭和天皇とマッカーサーの会談は回を重ねていった。日本国憲法施行から3日目、1947(昭和22)年5月6日に開催された第4回会見では、「象徴」になったばかりの天皇がマッカーサーに向かって自らの外交・軍事方針を強く主張したという。豊下楢彦は、通訳・奥村勝三のメモを見た松井明の記録に基づき、憲法第9条をめぐって両者が活発な議論を交わしたと述べている。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_2.JPEG
1945年9月、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥を訪問した昭和天皇=撮影・GHQ写真班
 
 天皇は、完全に軍備を撤廃するには、国連恃(だの)みでは心もとないこと、米国による安全保障が不可欠と述べた。対してマッカーサーは、軍備をいっさい持たないことが日本にとって最大の安全保障であり、将来の国連強化に期待すべしと説いた。しかし、天皇は納得しない。マッカーサーは天皇のリアリズムの前に屈し、半ば折れるように防衛協力を約束している。
 
 こうした天皇のアメリカ傾斜が、長期の米軍駐留を認める「沖縄メッセージ」(1947/昭和22年)、そして1952(昭和27)年の講和条約と安全保障条約・行政協定へつながっていったことは比較的よく知られている。

 今、これら「天皇外交」の詳細を論じる余力はないが、ひとつつけ加えておきたいのは、リアリズムとは二つ以上の戦略を常に作動可能な状態に保つことだという下世話な命題である。天皇はそうした戦略の実相によく通じていた。戦時中の一元化された「国体」に沈黙を守った天皇が、戦後は封印を破ったように、平和と復興を語り、津々浦々を巡ったのは、天皇の日本とマッカーサーのアメリカという二元的な戦略空間の中でなら、聖なる無頓着が許されると判断したからだろう。

■因縁深い肉親の死と、消えた「天皇退位」の可能性
 
 1951(昭和26)年5月、貞明皇后が大宮御所で急死した。モンペをはいて、奉仕団の人々への挨拶に出たところだったという。享年66歳、死因は狭心症だった。知らせを受けて、高松宮や三笠宮ら、療養中の秩父宮を除く兄弟はすぐに駆けつけたが、昭和天皇は連絡がうまくつかなかったのか、かなり遅れて到着したもようである。

 天皇はこの年、亡くなった「母」をいくつかの歌に詠んでいる。

母宮のめででみましし薯畑ことしの夏はいかにかあるらむ
あつき日にこもりてふとも母宮のそのの畑をおもひうかべつ

 一時は近づくことさえ怖れた強烈な人物を「母」と呼ぶことができるようになったのは、敗戦後のことである。その母が自らつくった畑を思いやる息子の、安堵にも似た哀悼が穏やかな調べをつくり出している。「母に嫌われる子」の悲哀を知った日はすでに遠くへ去ろうとしていた。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_3.JPEG
秩父宮雍仁(やすひと)親王の逝去に、鵠沼の別邸へ駆けつけた昭和天皇と香淳皇后。左後ろは高松宮=1953年1月
 
 1953(昭和28)年1月には、秩父宮も亡くなった。享年50歳。1940(昭和15)年に肺結核と診断され、翌年より静岡県御殿場で療養生活を送っていたが、死の前年には神奈川県藤沢市の鵠沼別邸に移っていた。秩父宮は、亡くなる前に、自身の病理解剖と無宗教の葬儀と火葬を望んだ。いずれも皇族の死において前例のないことだったが、天皇は承諾した。兄は、発病から13年間、一度も弟を見舞うことはなかった。歌を詠んだのは、40日後の2月12日だった。
 
鉢の梅その香もきよくにほへどもわが弟のすがたは見えず

 二人の因縁深い肉親の死をはさんで、1952(昭和27)年11月には、皇太子明仁の成年式と立太子礼が行われ、皇太子が次代の天皇であることが明確になった。またその前日には、翌年行われるエリザベス女王の戴冠式に天皇の名代として出席することも発表された。メディアは皇太子を「日本のホープ」と呼び、戦後復興のうねりと共に、ロイヤルファミリーの世代交代が進んでいくことを寿いだ。

 そしてこの年、天皇の退位という「もうひとつの可能性」が消えた。

 「退位」への意向は敗戦後、3度示されたと言われている。1度目は連合軍の進駐直後。木戸幸一内大臣に対し、自身の退位によって戦争責任者の引き渡しを避けえないかと相談したという記録がある。木戸はこれに反対している。2度目は、1948(昭和23)年10月から11月にかけて、東京裁判の判決の前後である。宮中・政府内でも退位問題は頻繁に論議されたが、次第に沈静化した。退位によって高松宮や貞明皇后が浮上する可能性を天皇が警戒したためともいわれる。

 3度目が講和条約の発効した1952(昭和27)年4月28日だった。天皇は吉田茂首相にその意向をもらしたが、吉田はとりあわなかった。また退位に代えて皇祖皇宗と国民に対する「謝罪」の言葉を述べるという案もあったようだが、吉田はこれにも反対した。

 以後、天皇が「退位」について語ることはなかった。
 
■「転向」をやり遂げた昭和天皇とファミリー
 
 昭和天皇は1950年代の半ばには、自ら思い描いた「安定軌道」を手に入れたように見える。憲法による身分保証と米国による安全保障によって、天皇がもっとも重視していた皇統の維持・継続の道が確保されたからだ。
 
 占領の全期間にわたって、天皇はこの至上命題のためにあらゆる努力を惜しまなかった。上に述べたように、その努力はときに果敢なリアリストの相貌を天皇に与えた。彼が影響力を行使した相手はマッカーサーや吉田茂だけではない。驚くべきことに、講和条約が日程に上った1950(昭和25)年、天皇はその二人を“バイパスして”ワシントンに直接つながるパイプさえ模索していた。
 
 トルーマン大統領から対日講和問題の担当を命ぜられたダレスは、6月に来日すると、のらりくらりと再軍備問題をはぐらかす吉田に呆れ、激怒した。これを知って天皇の危機感は募った。吉田に講和や安全保障の問題を任せておくわけにはいかない。対米交渉の最強の切り札である基地の提供は日本から持ち出すべきカードである――この意向は、宮中の側近と米国ジャーナリストを通じてダレスに届いた。サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約のセットは、ここをひとつの起点としてデザインされていったのである。
 
 惨めな敗戦を乗り越え、天皇制が戦後に生き残ったのは、天皇とそのファミリーがみごとな「転向」をやり遂げたからだ、と私は考えている。鶴見俊輔をまた引けば、「敗戦は、日本人全体にとって普遍的な転向体験をもたらした」(久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』、1956)が、天皇はその先陣を切って、「転向」こそ「国体」の生命力となることを示した。
 
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019043000002_4.JPEG
新憲法公布記念の祝賀都民大会で、群衆に囲まれて歓呼に応える昭和天皇と香淳皇后=1946年11月3日、皇居前広場
 
 天皇はまず民主主義を受け入れた。1946(昭和21)年11月3日、日本国憲法公布記念式典の勅語で、戦争放棄・世界平和・人権尊重・民主主義の実現に向け、「国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたい」と宣言した。
 
 もうひとつの未遂の「転向」は ・・・ログインして読む
(残り:約3725文字/本文:約6589文字)
 
 

連載 昭和天皇とダブルファンタジー
1 1945年のツーショット――勝者と敗者の表情 2019年01月15日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019011500006.html
2 昭和天皇はマッカーサーに戦争責任を認めたのか? 2019年01月23日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019012300004.html
3 「東条にだまされた。しかし…」という天皇の論理 2019年02月05日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019020400005.html
4 「昭和天皇の力になる」マッカーサーへの眼差し 2019年02月15日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019021400008.html
5 昭和天皇の巡幸が巻き起こした熱狂 2019年02月18日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019021800006.html
6 見える天皇と見えない司令官の密かな共演 2019年02月25日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019022500005.html
7 昭和天皇はどこから来たか――日露戦後と乃木希典 2019年03月18日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019031800005.html
8 昭和天皇の欧州への親近感と大正デモクラシー 2019年04月05日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019040500004.html
9 昭和天皇がヒドロゾアと粘菌にのめりこんだ理由 2019年04月09日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019040900005.html
10 昭和天皇と母との不仲、弟たちとの対立関係 2019年04月11日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019041100008.html
11 昭和天皇の根拠なき「逆接のメッセージ」 2019年04月29日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019042500015.html  

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コメント
1. ひでしゃん[2147] gtCCxYK1guGC8Q 2019年4月30日 20:47:14 : hjTsd0XdN2 : cjBvbUFUQmVNSUE=[43] 報告
昭和天皇は都合よく立ち回る無責任な信用できない人物だったという評価しか出来ないのでは?
米軍駐留を強く希望したのは日本国内の民主化が進み血統主義差別の象徴としての
天皇制 について廃止の気運が行動に出たときに武力で制圧して貰う腹積もりだったようだ
ここで天皇本人の人権に配慮し本人の意識の如何に関わらず天皇制は廃止すべきだ
そして伊勢神宮の宮司などに
現在の天皇の役回りはドイツを参考に大統領制を設け行うことに
とにかく国民を欺き天皇制を悪用する勢力が台頭する危険性が高まっている現代において国民の総意で廃止に向け進めていくべきだ
2. しんのすけ99[395] grWC8YLMgreCrzk5 2019年5月01日 03:37:23 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[157] 報告
昭和天皇が 平和を望んでいたというのは、各種文献や資料からも 明確な事実として認識できる事である

が しかし それでも 昭和天皇にも極めて大きな戦争責任がある という事に まったく揺るぎはない
軍部の馬鹿息子たちが 暴走したせいであっても、それを止める事の出来た唯一の存在が天皇だからである

親に食わせたい一心で 泥棒を働いてきた息子に、心を鬼にしてでも ぶん殴ってでも諭すのが本当の親で
「子供を本気で叱らなかった親」 に相当する責任は ある意味で重大である


具体的な事例を挙げよう

平成天皇が言及した 「満州事変に始まるあの戦争を」 という言葉にあるように
軍部の暴走の原点がこの自作自演の謀略に始まる満州事変 これを画策して中心人物となったのが石原莞爾
この石原が 満州事変の中心人物である事を 昭和天皇は百も承知していた

※ 天皇の了解なくして軍を出動させる これは当時で言えば 統帥権干犯にあたる行為である ※

それなのに石原は 満州事変の後 処罰されるどころか 旧陸軍の中枢とまで言われた陸軍参謀本部へ栄転している
当時 天皇は、軍の主要な人事には必ず目を通していた 石原莞爾を栄転させる人事に 天皇が不快感を示せば
立ちどころに覆されるのは当然の帰結だったはずである

つまり 結果として 石原を 認めた事になる

この後 石原に続く若手将校達に 「結果的に領土をぶんどってくれば 陛下は喜んで下さる」 という認識を
持たせてしまった事は間違いなく 後に シナ事変の拡大を抑え込もうと関東軍の上層部へ乗り込んできて
不拡大方針を説くべく持論展開をした 参謀本部の石原莞爾は、当時の関東軍参謀だった武藤章(のちの軍務局長)
から、「我々は 満州事変における 石原閣下の行動を 模範としているのです」 こう言われて絶句し
すごすごと引き上げ、日中戦争は拡大の一方となり 泥沼化する事となる

そして 「中国への侵略をやめよ」 という ハルノートを突き付けられる結末が待っているのである。

3. 2019年5月01日 06:49:06 : bAK9Jc2YdA : UE5TdnJ3cVBiWWc=[1] 報告
>2
お前は兵器でウソをつくから何書いても読む気にならん。

[スレ主【肝話窮題】による初期非表示理由]:他のコメント者、投稿者への文句を書いてあるだけのコメント(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
4. 2019年5月01日 06:53:37 : bAK9Jc2YdA : UE5TdnJ3cVBiWWc=[2] 報告
鹿を馬と言い張るウソツキ名誉ユダヤ人のしんのすけ99が語る内容なんてユダヤ人の懐を温めるために捻じ曲げられた論に決まってるだろ。

バカがいばる時代の次はウソつきがいばる時代か? カンベンしてくれよ。

日本のために氏ね。

[スレ主【肝話窮題】による初期非表示理由]:他のコメント者、投稿者への文句を書いてあるだけのコメント(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

5. 2019年5月01日 10:05:06 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[750] 報告
「天皇制には反対」革命のために暴力は必要!中核派の活動家が生出演|AbemaPrime 4/26放送|平日よる9時〜【アベマTV】
.
AbemaTV【アベマTV】公式
2019/04/27 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=MPhAPgr3hnk

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