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親日国と言われたウズベキスタンのホテルに日章旗がない 日本外交と政治の正体
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248439
2019/03/01 日刊ゲンダイ
日本人捕虜が建築に貢献した「ナボイ劇場」(C)共同通信社
初代大使として勤務したウズベキスタンを23年ぶりに訪れた。在京ウズベキスタン大使館から、国連が主催する中央アジア諸国間の相互協力拡大のためのシンポジウムに出席してくれないか――と要請されたためだ。
首都タシケントに到着してすぐ、ナボイ劇場に向かった。確認したいことがあった。第2次大戦末期、日本兵は旧ソ連軍に拘束され、厳しい地域の労働力として使われた。一部の人はナボイ劇場の建設に従事させられた。極寒、灼熱の中でレンガを運び、建物を築いたのである。
1966年のタシケント大地震で街が壊滅的打撃を受けたにもかかわらず、ナボイ劇場は倒れなかった。「捕虜なのに日本人は凄い仕事をした」と称賛された。
赴任時、外務省の小和田次官から「政治的に日本にとって重要になるには時間がかかる。経済的結びつきも難しい。最初は文化を行ったらどうか」と助言された。そして、日本画家の平山郁夫氏を団長とする文化視察団を派遣した。
私は「ナボイ劇場は日本人の協力の象徴だ。ここに日本の最新鋭の技術を投入して欲しい」と団に依頼し、音響と照明の設備ができた。タシケント市民は大歓迎し、文化大臣が「見返りに何かしたい」と言ってきた。そこで私は「日本人捕虜が建設に貢献した」というプレートを劇場に埋めて欲しいと頼んだ。
文言案を見た当時のカリモフ大統領は「我々は日本と戦争をしていない。捕虜という言葉は不適切だ」と言い、あらためて「1945年から46年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このナボイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」との文言に替えてもらった。プレートは日本の文化無償資金協力で作られたのである。
そのプレートは今日も存在していた。今後、幾年にもわたってウズベク人は日本人捕虜がナボイ劇場を建てたことを理解し、感謝するだろう。
ウズベキスタンが独立直後、経済的に大混乱し、IMFや世銀が突き放す中、日本は輸銀(輸出入銀行)融資、円借款を実施した。尾崎元大蔵次官や故・千野財務官の決断で、故・金森久雄氏(元経産官僚)が「台湾とウズベキスタンが世界の超親日『国』だ」と評価していた。
しかし、時代は変わった。今回の訪問で、ウズベキスタン側が用意したホテルには中国や韓国など約20カ国の旗がはためいていたが、そこに日章旗はなかった。
孫崎享 外交評論家
1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。
奇跡体験!アンビリバボー 2017年4月20日 17.04.20
※24:38〜日本人捕虜がナボイ劇場を建設 再生開始位置設定済み
案内:日刊ゲンダイ「親日国と言われたウズベキスタンのホテルに日章旗がない」https://t.co/b0xqlLJonI
— 孫崎 享 (@magosaki_ukeru) 2019年3月1日
孫崎享「親日国と言われたウズベキスタンのホテルに日章旗がない」時代が変わったのか今の日本政府が信頼を失墜したのか時代が変わっただけで終わらせて良いのか。日本は急速に国際社会から信頼を失っている。 - 北海道は素敵です!! - Yahoo!ブログ https://t.co/0RDoP0j8UC
— 松本 美紀子 (@yuuta24mikiko) 2019年3月1日
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