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「矛先を「本土」にすり替えるな
コラム狙撃兵2019年2月28日
沖縄県民投票は43万票をこえる圧倒的多数の県民が、辺野古新基地建設にNOを突きつけるものとなった。下地幹郎や東京に巣くっている売国政治家がいかなる負け惜しみをのべようと、この重みは揺るがない。結果を受けて、25日の県議会では玉城デニー知事が「早期に国外移転を進めることが最良の手段の一つになりうる」とのべ、日米両政府に工事中止と国外移転を求めていくことを表明した。民主党の鳩山政府が「最低でも県外」と叫び、翁長知事が「県外・国外移転」と叫んでいたところから、さらに踏み込んで「国外移転」を強調したことの意味は大きい。すなわち「沖縄から出て行ってくれ」という意志であり、「辺野古もいらない。普天間基地もアメリカに持って帰ってくれ」という沖縄県民の率直な思いを代弁したものにほかならないからだ。同時にそれは、沖縄と本土との分断の壁を乗り越える「最良の手段の一つ」でもあると思う。
辺野古新基地建設を巡っては、とかく「普天間か? 辺野古か?」、あるいは「沖縄か? 本土か?」といった対立構図に持ち込み、アメリカに従属して米軍基地がどこかに置かれなければ気が済まない前提で、同じ県民同士、国民同士を分断して争わせる欺瞞的な世論誘導が貫かれてきた。横暴なる占領支配を続けてきたアメリカの存在はいつの間にかスッと表舞台から消え去り、気が付いたら「辺野古vs普天間」「沖縄vs本土」でどっちが蹂躙されなければならないか、痛まなければならないかを争い、時として感情を伴いながら対決すべき相手がねじ曲げられてきた。
嘉手納と並んで極東最大の米軍基地を抱える山口県民として笑えないのは、そうした延長線上で「沖縄の痛みを分かち合う」などといい始めたのが、岩国でも米軍に飼い慣らされた基地推進勢力であり、それこそ安倍晋三を自民党県連レベルで支える岸派、佐藤派のDNAを引き継ぐ連中だったことだ。岩国の福田市長が名護市長と面会し、「痛みを分かち合う」救世主のようにメディアで持ち上げられる光景は、頓珍漢も甚だしいものがあった。岸信介の地盤を継いだ吹田ナ(元自治大臣)の秘書出身の市長であり、国会議員時代には清和会に所属していた男が、名護の味方、沖縄の味方というのである。こうなると沖縄にとっても敵と味方はぐちゃぐちゃになり、団結すべき「本土」の味方、すなわち同じように基地支配で蹂躙されている住民が敵になり、たたかっているはずの基地隷属派が味方になるという本末転倒である。90年代からこの方、全国的視線が辺野古に釘付けになる一方で、岩国では「痛みを分かち合う」をフル活用して基地の巨大化、地下開発も含めた要塞化と街の大改造をやってのけ、愛宕山も飛び地として接収していったのである。
住民投票の結果を受けて、「次は本土が考える番」などと恥ずかし気もなく書き連ねる大手紙もあった。考えるべきは日米両政府であり、沖縄県民を蹂躙する日米両政府と本土の一般国民を同列に置いて矛先を「本土」などとすり替えて憎悪を煽る、敵をすり替えるのは悪質である。「本土」が沖縄に基地を押しつけているのではなく、歴史的経過からしても米軍が沖縄戦で虐殺したうえに銃剣とブルドーザーで奪って勝手に占領し、今日に至っていることを曖昧にするわけにはいかない。岩国や全国津々浦々に配置されている米軍基地とて同じである。
アメリカの庇護のもとで沖縄をいたぶる統治機構と一般国民とは明確に区別し、全国団結の力を強めることこそ、日米の為政者がもっとも恐れる事態であることは疑いない。「本土」の人々が敵ではないことは、オール沖縄が呼び掛けた運動資金のカンパ額(本土側から寄せられた額)だけ見ても歴然としているのである。 武蔵坊五郎」
https://www.chosyu-journal.jp/column/11007
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