http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/731.html
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オリンピックを私物化してきた竹田一家は、オリンピックを利権にして負ら稼ぎしてきた犯罪主集団だ。フランスの司法当局が竹田会長の不正に対して,東京五輪招請の収賄に関して捜査を開始した、
https://lite-ra.com/2019/01/post-4484.html
仏司法当局が東京五輪誘致汚職で竹田恒和JOC会長を捜査開始! ゴーンの報復じゃない、マスコミが報じなかった黒い疑惑
ついにあの問題に司法のメスが入った。本日、フランスのル・モンド紙が本日、竹田恒和・日本オリンピック委員会(JOC)会長に対し、2020年東京五輪・パラリンピック招致に絡む汚職にかかわった容疑でフランス当局が捜査を開始したと報じたのだ(一部報道では、訴訟手続きが開始されたとの情報もある)。ル・モンドによると、2018年12月10日、竹田JOC会長に対して取り調べがおこなわれたという。フランス当局は、日本が五輪招致に成功した要因であるアフリカ票の獲得が、不可解な交渉によるものとみているとされる。竹田JOC会長は取材に対し聴取に応じたことは明かしたが、汚職は否定している。
日本国内では、日産自動車のゴーン前会長逮捕への報復だという声が上がっているようだが、しかし、日本国内ではあまり報じられていないものの、海外メディアではかなり以前から東京五輪招致をめぐって賄賂疑惑が報じられてきた。
この賄賂疑惑はもともと、2016年にイギリスのガーディアン紙がスクープ。あらためて説明すると、日本の五輪招致委員会が、国際陸上競技連盟(IAAF)のラミン・ディアク元会長の息子であるパパマッサタ・ディアク氏が関係するシンガポールの会社「ブラックタイディングス社」(BT社)の口座に、招致決定前後の2013年7月と10月の2回に分けて合計約2億3000万円を振り込んでいたというもの。ディアク親子は五輪開催地の投票に強い影響力をもつ人物であり、この金が賄賂=裏金だったとの疑惑だった。
実際、ブラジル、そしてフランスの検察当局は捜査に着手、また日本の国会でも取り上げられたが、招致委員会の理事長だった竹田JOC会長らは、BT社への巨額の振り込みは正当な「コンサルタント料」だったとして疑惑を否定した。
しかし、BT社への支払いは2013年7月に9500万円、同年10月に1億3500万円と2回に分けておこなわれ、そのうち10月の支払いは IOCの総会で東京での五輪開催が決まった後のこと。どう考えてもコンサル料ではなく“招致買収活動”の成功報酬だろう。実際、2017年9月には、ガーディアン紙が「日本の五輪招致委員会からIOC関係者への送金は“買収目的の意図があった”とブラジル検察当局が結論づけた」と報じた。
そして、今回のフランス司法当局による竹田JOC会長の捜査開始の報道──。もし東京五輪の買収が決定的だったとなれば、東京五輪開催の是非にもかかわるが、問題は、メディアがどこまでこの問題を追及するか、だ。
現に、2017年9月にガーディアンがIOC関係者への送金をブラジル検察当局が買収目的の意図があったと結論づけたと報じた際も、東京新聞は掘り下げて記事にしたが、あとは共同通信、朝日新聞などがガーディアンの記事を引くかたちで短く報じたくらいだった。
いや、それ以前も、日本のマスコミは五輪裏金問題をまったく追及してこなかった。その理由のひとつは、大手広告代理店・電通の存在である。
電通といえば、招致活動から東京五輪に食い込み、招致決定後は東京五輪のマーケティング専任代理店として、あらゆるマーケティングや広告利権を一手に掌握すべく動いていたことは周知のとおりだが、この裏金問題でも中心的役割を果たしたのが電通だったのだ。
実際、竹田会長自身、「電通さんにその実績を確認しましたところ、(BT社は)十分に業務ができる、実績があるということを伺い、事務局で判断したという報告を受けています」と国会で電通の関与を証言。さらに、BT社の代表はラミン・ディアク氏が会長を務めていたIAAFの商標権の配分などを行う電通の関連会社「アスレチック・マネージメント&サービシズ」のコンサルタントだったことも判明している。
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190125-31162587-smartflash
東京五輪招致をめぐり、フランス司法当局が本格的な捜査を始め、竹田恆和会長(71)に贈賄疑惑が浮上。竹田氏が理事長を務めた五輪招致委員会が、2013年にシンガポールの会社に約2億3000万円を支払った件だ。
「同社は、国際オリンピック委員会委員だったディアク氏の息子に近く、ディアク親子は五輪開催地の投票に影響力がありました。カネの一部がディアク氏側に渡ったという贈賄疑惑です」(社会部記者)1月15日には、竹田会長が会見をおこなったが、報道陣に質疑応答の時間を設けず、みずからの声明だけを発表して場を去った。
竹田氏は明治天皇のひ孫。日本の旧皇族・竹田宮恒徳王の三男として生まれ、今上天皇とは、「はとこ」の関係にある。1972年ミュンヘン、1976年モントリオールの両五輪に、馬術代表として出場。その後、日本選手団コーチ、監督などを務め、2001年からJOC会長に君臨する。だが、選手として出場した2つの五輪の間に事故を起こしていた。
〈五輪馬術代表の竹田選手女性はね死なす〉。1974年10月23日付の読売新聞夕刊の見出しである。こう報じている。〈会社員(22)は、茨城国体馬術競技東京都代表、竹田恆和選手(26)の乗用車にはねられ、頭を強く打って……〉
この記事中の「竹田選手」こそ、竹田会長その人である。また、竹田会長を知る会社経営者は、竹田会長の私生活についてこう話す。「馬術選手時代に都内の大病院のお嬢さんと結婚をしました。だけど、離婚して、現在の夫人とは再婚です」再婚については、あるJOC関係者が詳しい。
「再婚したのは、大河ドラマ『いだてん』にも登場する、岩田幸彰さんという1964年の東京五輪招致に尽力した方の、娘さん。増上寺での岩田さんの葬儀のとき、竹田さんにその令嬢がくっついていたから、怪しいなぁと。そのころから、前の奥さんとの関係が冷えていたからね」
五輪とはつくづく縁が深い竹田氏だが、こんな話もある。前出のJOC現役幹部が語った。「竹田会長が視察や会議で国内外に出張する際は、自身が経営する旅行代理店に発注させ、カネが落ちるようにしていたという。また、70歳定年を引き上げて、2020年まで在任する決議をするつもりです」(※JOCはいずれも否定)
最後は竹田氏が変えた「歴史」について。竹田氏がJOC会長になると、会長職に報酬が支払われることになった。
「JOCにはカネをもらわないという高潔性があった。手弁当でスポーツ界に尽くすという歴史だったけど、竹田さんから変わった。竹田さんの報酬は1500万円ほどになった」(前出・JOC関係者) プリンスにいま、疑いの目が集まっている。
(週刊FLASH 2019年2月5日号)
竹田恆和会長の父親の竹田恒徳は帝国陸軍の将軍として、フィリッピンでは山下財宝秘匿の現場責任者として、洞窟に埋めた黄金を隠す作業を指揮して、洞窟を爆破して大量の日本兵と土木技術者を爆破し、洞窟の中生き埋めにした暗い過去を持ち、中国戦線でも虐殺行為に関係したことで知られている。だが、戦後になると日本オリンピック組織委員会に陣取り、急皇族として五輪利権を手に入れ手、戦前の犯罪行為を隠蔽し続け、その利権を息子竹田恆和が引き継いで来た。
https://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/0c8bf2736c793069a8568eabb8bcf113
スターリング・シーグレイブ、ペギー・シーグレイブ共著
二〇〇三年発行、Verso出版
序 生き埋めにされた
第二次世界大戦が終結する数ヶ月前、フィリピンにおいて、山下奉文将軍はルソンの山々で遅延活動を闘っていた。一方、日本の皇室の皇子たちは未来にそなえて準備していた。彼らは略奪した金の延べ棒と、また別の盗んだ財宝を近くの洞穴やトンネルの中に隠すことに忙しかった。それらは後に発見される運命ではあったのだが。これらは数千年にわたり集積されたアジアの十二の国々の財産であった。日本陸軍に付属した専門家集団は組織的に、宝庫、銀行、工場、個人の家、質屋、画廊を空っぽにした。そして一般人からも奪った。一方、日本のトップの強盗たちはアジアの地下社会と暗黒経済から略奪した。この点では、日本はナチより遙かに徹底していた。それはあたかも、東南アジアを巨大な掃除機で吸い取っていったかのようだった。略奪品のほとんどは韓国を通る大陸経由で日本に届けられた。残りは海上輸送であったが、一九四三年初期に合衆国の潜水艦による海上封鎖が完全になってからは、海上輸送ができなくなった。そこで、財宝を隠すことが決定的に重要になった。財宝を隠すことができたら、日本が戦争で負けても、金融的には負けることにはならないのだ。この戦争がどのように解決されようとも、日本はフィリピンを維持することをずっと期待していた。皇子たちによって監督されて、百七十五の「皇室」の財宝を隠す地下室がこの島々の中に建設された。一九四五年六月初旬に、バンバングから二十マイル以内に合衆国の戦車隊が接近したとき、百七十五の地下室の主任技師たちが集められ、八番トンネルとして知られていた地下二百二十フィートの地下室で送別会が催された。そこには、壁という壁に金塊が山と積まれていた。夜が更けると、彼らはしこたま酒を飲んで、愛国歌を歌い、万歳(「長生き」)を何度も何度も大声で叫んだ。真夜中に、山下将軍と皇子たちはその地下室を抜け出た。そして、地上への連絡トンネルをダイナマイトで爆破した。技師たちは墓に入れられた。彼らは生き埋めにされたのだ。儀式的な自殺ができなかった者たちは、黄金に囲まれて徐々に窒息していっただろう。そして、その地下室群は秘密にされるだろう。数日後、皇子たちは潜水艦で日本へ逃げ帰った。そして三ヶ月後、山下将軍はアメリカ軍に包囲された。
半世紀の間、このぞっとする生き埋めの物語は知られることがなかった。隠された財宝は山下の黄金伝説として無視された。しかし、墓に入れられたのを見た一人の目撃者が、八番トンネルにわたしたちを連れて行き、個人的な話をしてくれた。戦時中、ベン・ヴァルモレスは特別な日本の皇子付きの若いフィリピン人の従者であった。この皇子はフィリピンにおけるすべての皇室の財宝を隠す場所の建設と、目録作りと、封印を担当していた。高等教育を受け、時として感傷的だったからか、この皇子は最後の場面で、ベンの命を惜しみ、ダイナマイトが爆発する直前に、ベンを八番トンネルから出した。私たちがインタビューしたとき、ベンは七十歳代半ばで健康がすぐれなかったが、一九四三年から一九四五年にかけて彼が見たことと、皇子の仲間たちの中で経験したことを何ヶ月かにわたって、私たちに話してくれた。ベンは遂に、わたしたちに彼がその皇子と関係した他の皇子たちを確認することができる決定的な手がかりを与えてくれた。
日本のアジアからの略奪は、天皇裕仁の魅力的で教養のある弟、秩父宮によって監督されていた。彼の組織は天皇のある歌に因んで「黄金の百合」(ゴールデン・リリー)と暗号で呼ばれた。より下位の皇子たちは占領地域を横切る「黄金の百合」の各地の支部の長であった。日本からの情報によって、現在の時点で、ベンの戦時中の主人は竹田宮恒徳(つねよし)皇子であったことが確認された。竹田宮恒徳は天皇裕仁の従兄弟で、明治天皇の孫であった。これを確証するために、一九八八年にわたしたちは一九三〇年代に撮られた多くの皇子たちの不明瞭な写真を用いて、ベンに「ブラインド・テスト」を行った。この写真は英国図書館東洋コレクションから得た軍服を着た皇子たちの写真だった。彼らは真珠湾の前夜に写っているように見えた。わたしたちは各々の写真に書かれた名前を除き、普通の兵隊と一緒に混ぜたのだが、ベンは即座に武田宮、裕仁の兄弟である秩父宮と三笠宮、そして年長の皇子朝香宮を間違いなく確認した。ちなみに、朝香宮は南京虐殺事件の時の日本軍の司令官だった。ベンは、彼らが目録を作り財宝の場所を封鎖する間、この皇子たちと一緒にいて、食事やお茶や煙草の世話をしたと話してくれた。ベン・ヴァルモレスは田舎の米を作る農民で、フィリピンから一度も出たことがなく、小学校以上は行ったことがない。それ故、彼が即座に皇子たちを確認したことは説得力がある。わたしたちが用意した武田宮の写真を見たとき、ベンは凍り付いた。それから、日本の民謡「さくら さくら」を低い声で口ずさみ始めた。この歌は武田宮が一人で歌っていたと、ベンは言った。
武田宮の身元の発見によって、わたしたちはより大きなパズルから、見失っていた一つの小片を得ることができた。わたしたちが日本の皇室の伝記「The Yamato Dynasty 大和朝廷」を書いていた一九四五年十月に、アメリカの諜報部員がフィリピンに日本の財宝が埋まった地下室の場所を知り、極秘に数十億ドルの価値がある黄金、プラチナ、文化的な美術品、紛失した宝石等を発見したということを知らされた。この情報がもし本当なら、合衆国政府が半世紀もの間隠してきた途轍もない国家機密の存在を暴露することになる。その掛かり合いが非常に深刻なので、わたしたちは別に調査する価値があると決定した。ここに、わたしたちが調べたことがいくつかある。
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