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東大農学部教授の鈴木氏は、JAの神学者でありネット社会では“陰謀論者”のように評する向きもあるが、筆者は同氏の考えの多くに賛同する。≪「今だけ、金だけ、自分だけ」を基準にして行動するのが「合理的」とする経済学者は合理性の意味を理解していない。恐ろしいことだ。人間はもっと幅広い要素を勘案して総合的に行動している。それが合理性である。≫あきらかに、竹中平蔵を念頭に置いて発言である。
自由貿易(グローバル資本)というものは、鈴木氏の言う通り、自分達の儲けを最大化したいという目的があるだけで、それ以上でも、それ以下でもない。それを、彼らは合理的と云いたいのだが、合理性は一面的なものではなく、社会的共同体と歩調を合わせるべきであり、共同体を置き去りにする合理的経済等と云うものは、エセ理論である。この理論がグローバル金融資本の都合に合わせた屁理屈ノーベル経済学賞の受賞のメカニズムであり、宇沢弘文やピケティのような学者が受賞することはない。
この新自由主義経済とは、自国の利益の不利益を、弱い他国に移行するか、自国の共同的組織を、既得権益集団や勢力としてばい菌扱いするわけだが、それらの集団や組織に、問題はあるにしても、弱い人間たちが、自分たちを、国家権力や、支配国の横暴から身を守るために作り上げた組織であることを忘れてはならない。また、縄文的とも思われる、集団の利益のためであれば、一定の自己犠牲は容認すると云う、社会性を帯びている。
支配国からの横暴や、国家権力からの横暴を群れて身を守ることは、人間の習性であり、人間性を重要視するなら、ごく当然の権利である。いわば、人間が持つ自然権と言えるだろう。この自然権を、グローバル資本は、自己利益拡大の為に、時の権力や御用学者を通じて、破壊する方向に動くものである。しかし、グローバル金融資本は、人類にも、国家にも、全人類的貢献をする神のような存在ではなく、一部の人間の利益に貢献する属性は、既に証明済みである。このような勢力に加担する人間も権力も、それは悪である。
農林水産業が、人間の営みの原点である事実は変えられないし、その破壊が、現在の団塊世代を生みだしたわけであり、今の日本の重大な社会問題の多くも、市場原理主義にあった。農漁村から大量の人口移動を行い、輸出産業に従事させ、農漁村の疲弊を招いた。ここに来て、この人口の大移動でも成長の壁に突き当たった権力側は、他国に工場を移転して、他国の安価な労働力を使い、その低賃金が上昇すると、次なるフロンティアを求めたのだが、当然、限界は見えていた。
*地域のフロンティアを失った金融資本は、次に豊かな国富をゆうする国の富みや国民の富を捕獲するために、その国の社会システムの破壊に舵を切っている。鈴木先生のテリトリーだけではない状況まで、我が国は金融資本に蝕まれ出した。社会共同体のコアには、地産地消と云う哲学がある。その共同体の中心に農漁業従事者がいる。多くの国民が、その従事者ではないが、その恩恵で命を繋いでいる。その意味で、農漁業の共同体に企業倫理を持ち込ませてはいけない。何を食べさせられるか判ったものではない。
日本と云う国は、特殊な特色を多く持つ国で、その有益な分に相当する欠点も抱える国家だ。このような特殊性の多い島国で、大陸的乱暴が行われれば、結果は、特色を失い、何でもない大陸の国になり、大変に失礼だが、朝鮮半島や東欧諸国同等の国になるのは必定だ。国が、なってしまうと云うことは、なかば不可逆的現象で、後戻りは、あとの祭りと認識すべきだ。鈴木教授頑張れと応援する気になってしまう。むかし、今里広記と云う財界人がいたが、日本に言っておきたいことがある。何か忘れていませんか、と。土光さんも同じことを言うだろう。
≪【鈴木宣弘・食料・農業問題 本質と裏側】
保護主義VS自由貿易=国民の利益VSオトモダチ(グローバル企業)の利益
日本は「保護主義と闘う自由貿易の旗手」かのように振舞っている。規制緩和や自由貿易を推進して国内外を規制のない「自由市場」にすれば、「対等な競争条件」で社会全体の経済利益が増大する、との見方を受け入れる人は多いように思われる。しかし、本質は、日米などのグローバル企業が「今だけ、金だけ、自分だけ」で儲けられるルールをアジアや世界に広げようとする企みである。日本企業も、アジアへの直接投資を増やして企業(経営陣と株主)利益は増えるが、現地の人は安く働かされる。国内の人々は安い賃金で働くか失業する。だから、保護主義VS自由貿易、実は、国民の利益VSオトモダチ(グローバル企業)の利益と言い換えると本質がわかりやすい。彼らと政治(by献金)、行政(by天下り)、メディア(byスポンサー料)、研究者(by研究資金)が一体化し、国民の命さえ犠牲にしてもはばからない。
本質を見抜き始めた米国民はTPPを否定した。一方、日本は「TPPゾンビ」の増殖に邁進している。実は、米国のPew Rsearch Centerの調査(2018)では、国際貿易によって国民の雇用が増える or 減るかへの回答は、増加vs減少=36%vs34% (米国)、21%vs31%(日本) と、日本人のほうが相対的に多くが貿易は失業につながる懸念を持っているのに、政治の流れはそれに逆行している。
その理由の1つは、日本では国民を守るための対抗力としての労働組合や協同組合がその力を巧妙に削がれてきたことにある。日本の最大労組は雇用者側組織に変貌し、国民の雇用が失われるTPPに賛成した。米国では最大労組のAFL-CIO (米労働総同盟・産業別労働組合会議)がTPP反対のうねりを起こす大きな原動力となったのと対照的である。
経済学においても、米国では、新自由主義経済学が「現実を説明できないし改善できない」として急速に見直されている。人間は古い経済学テキストの架空の「理論」(利己的個人)のようには行動しないことを実験で実証する「行動経済学」なども発展してきた(この分野が2017年のノーベル賞を受賞した)。この事実を米国でシカゴ学派の経済学を叩き込まれて帰ってきた日本の「信奉者」たち(無邪気に信じているタイプと意図的に企業利益のために悪用しているタイプの2通りがある)は直視すべきである。
日本の経済学者の中には、「自由貿易に反対するのは人間が『合理的』に行動していないことを意味する。人間は『合理的』でないことが社会心理学、行動経済学の最近の成果として示されている」というような言い方をする人がいるが、何をもって「合理的」とするかを勘違いしている。「今だけ、金だけ、自分だけ」を基準にして行動するのが「合理的」とする経済学者は合理性の意味を理解していない。恐ろしいことだ。人間はもっと幅広い要素を勘案して総合的に行動している。それが合理性である。
TPPは本来の自由貿易でないとノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授は言う。ただし、氏は「本来の」自由貿易は肯定する。筆者は「本来の」自由貿易も否定するというか、それをめざすべきものとは考えない。なぜなら、「本来の」自由貿易なるものは現実には存在しないからである。規制緩和や自由貿易の利益の前提となる完全雇用や完全競争は「幻想」で、必ず失業と格差、さらなる富の集中につながるからである。市場支配力のある市場での規制緩和(拮抗力の排除)はさらなる富の集中により市場を歪めるので理論的に間違っている。理論の基礎となる前提が現実には存在しない「理論」は本来の理論ではない。理論は現実を説明するために存在する。「理論」に現実を押し込めようとするのは学問ではない。「今だけ、金だけ、自分だけ」を利するだけである。
≫(JA.com:コラム・食料・農業問題 本質と裏側―鈴木宣弘・東京大学教授)
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