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独と米との対立が強まる中、トランプ大統領は独の米軍のうち9500名を削減
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202006090000/
2020.06.10 櫻井ジャーナル
ドイツには3万4500名のアメリカ軍が駐留しているが、そのうち9500名を削減するようにドナルド・トランプ大統領は命じたという。それに対し、ポーランド政府はドイツから引き揚げるアメリカ軍を受け入れる用意があると表明した。
アメリカとドイツとの間ではアメリカ軍の駐留経費の問題で揉めていたが、そうした軍事分野だけでなく、ロシアからEUへバルト海経由で天然ガスを運ぶためのパイプライン建設を巡っても対立している。
このパイプラインはノード・ストリームと呼ばれ、2012年に最初のものは稼働している。そのパイプラインに並行してノード・ストリーム2を建設することでロシアやEUの会社は2015年に合意。それに対し、ポーランドはこの計画を妨害するが、ドイツやロシアはプロジェクトを推進してきた。フィンランド、スウェーデン、デンマークもパイプラインの通過を認めている。
ノード・ストリーム2の建設でロシアとEUの合意した年が2015年ということは興味深い。その前年の2月、バラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを成功させ、傀儡体制の樹立に成功している。その時にアメリカは実行部隊としてネオ・ナチを利用、その際のスキャンダルにジョー・バイデン前副大統領、そして息子のハンター・バイデンの名前が挙がっている。
アメリカ側はウクライナを支配することでEUとロシアを分断、ロシアが黒海艦隊の拠点として使ってきたクリミアのセバストポリを制圧しようとしたのだろうが、クリミアの制圧には失敗した。ロシアとウクライナは1997年に条約を結び、基地の使用と2万5000名までのロシア兵駐留が認められていた。クーデター当時、クリミアに駐留していたロシア軍は1万6000名。クーデター後、西側の政府やメディアはこの部隊をロシア軍が侵略した証拠だと宣伝、それを真に受けた人も少なくない。
クリミアの制圧に失敗した最大の理由は、クリミアを含むウクライナの東部や南部はクーデターで倒されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領の基盤だったことにある。オデッサでは反クーデターの市民が惨殺され、ウクライナ東部では市民とキエフのクーデター軍が戦闘になっている。
このクーデターの前、アメリカはポーランドなどでネオ・ナチを訓練しているが、このポーランドは第2次世界大戦の前からアングロ・サクソン系の勢力から大きな影響を受けていた。ノード・ストリームの件でもポーランドの背後にはアメリカが存在している。
そのアメリカはプロジェクトに参加している会社へ強い圧力を加えているが、ロシアは2020年の終わりから21年の第1四半期に完成させるとしている。
EUとロシアとの関係を断ち切ろうとしているのはオバマ大統領やトランプ大統領だけではない。議会も立場は同じで、最近ではテッド・クルズ上院議員やジーン・シャヒーン上院議員は制裁の拡大を目論んでいると伝えられている。
EU、特にドイツがロシアと手を組むことをアメリカやイギリスは恐れている。これは第1次世界大戦の前からの話だ。ロシアとドイツを戦わせたいイギリスはロシアの産業資本家や有力貴族と手を組んで戦争へと導こうとしたが、その前に立ちはだかったのが戦争に反対する皇后やグレゴリー・ラスプーチンという修道士。その背後には大地主がいた。
結局、ロシアはドイツと戦争を始めることになるが、その直前、ラスプーチンは銃撃されて入院を余儀なくされている。退院したのは開戦後の8月。その年の12月にラスプーチンは射殺された。暗殺はフェリックス・ユスポフを中心とする貴族グループが実行したとされている。
イギリス政府は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を中心とする情報機関のチームをロシアへ送り込んでいる。そのチームの中で特に注目されているのがステファン・アリーとオズワルド・レイナー。アリーの父親はユスポフの家庭教師のひとりで、アリー自身はモスクワにあったユスポフの宮殿で生まれている。レイナーはオックスフォード大学時代からユスポフの親友だった。このチームがユスポフと接触していることは運転士の業務記録などに残っている。
ラスプーチンが排除されて間もない3月に「二月革命」があり、事実上、資本家が実権を握る。つまり戦争は継続されることになったのだが、それに対抗する形でドイツは即時停戦を主張していたボルシェビキに目をつける。そこでドイツはレーニンを含むボルシェビキの幹部32名を「封印列車」でロシアへ運んだのである。結局、11月の「十月革命」でボルシェビキの体制になった。
そうした経緯があるため、ドイツとソ連との関係は悪くない時期が続く。両国の関係を破壊したのはアドルフ・ヒトラーだ。第2次世界大戦でドイツ軍はソ連へ攻め込むが、スターリングラードでの戦闘で大敗、その直後からウォール街の大物、つまりアレン・ダレスたちとナチスの幹部は接触を始めている。
ダレスを含むアメリカの反コミュニスト勢力はナチスの高官やファシストの大物をラテン・アメリカへ逃亡させ、匿い、雇う工作を実行した。ドイツの技術力を得るため、科学者やエンジニアを雇う工作も別立てで行った。
ドイツが降伏した直後、イギリスのウィンストン・チャーチル首相の命令でソ連に対する奇襲攻撃の作戦が作成される。アンシンカブル作戦だが、これは参謀本部の反対で実行されなかった。そしてチャーチルは下野。その翌年の3月に彼は冷戦の開幕を告げ、1947年にはソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領に働きかけてほしいとスタイルズ・ブリッジス米上院議員に頼んでいる。
そして1949年にNATOは創設された。その母体になったのは1948年に作られたACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)。これはアメリカやイギリスがヨーロッパを支配する目的で設立された組織で、イギリスのウィンストン・チャーチルやアメリカのアレン・ダレスたちが参加していた。
NATOの非公然組織として破壊工作部隊が編成されたこともわかっている。中でもイタリアのグラディオは有名。1960年代から80年頃までクーデター計画や極左グループを装った爆破事件を繰り返していた。
詳細は割愛するが、NATOが組織された目的はソ連軍の侵攻に備えるというより、ヨーロッパを支配することの比重が大きかった。ドイツにナチスのネットワークが残され、ソ連消滅後にNATOが解体されなかったのは当然なのだが、ここにきてドイツなどのアメリカからの離反が止まらない。アメリカの力に頼った政策が裏目に出ている。
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