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●正義とは、システムであり秩序である。通常は、従来の秩序を維持する事が正義である。しかし従来の秩序を壊し改変する事が正義となる場合がある。
●新しい秩序が正義となるのは、その判断基準として次の不等式が成り立つ場合である。
【 旧秩序の齎す幸福総量 + 秩序変更に伴う流血と破壊の総量 < 新秩序の齎す幸福総量 】
●例えばコンピュータ・システムが多様なように、多様な正義が併存する場合がある。
2つの正義が衝突する時には、システム間の存廃もしくは統合による止揚が起こる。
その衝突の正否、結果の正否についても、前述の不等式に当てはめ判断されるべきである。
表題に掲げた問いに対し自ら答えるなら、概ね上記のような事だと思う。
人々が、共同体の営みの中に何らかの継続的なルールや秩序を見出した時に、そこに共同体の正義が発生する。
古今東西、人々は正義を巡って争い合って来た。小は家庭のルールについて等であり、大は世界覇権を巡る争いである。
今日、日本の内政に目を向ければ、少子高齢化、低成長、財政逼迫で、旧来のシステムが立ち行かかなくなり、自助に舵を切るか、公助共助に舵を切るか、またそれらをどのような時間軸でどう組み合わせて行くかが問われている。
LGBT問題では、同性婚を認めて行くべきか、その場合に人口動態、社会構造にどういう影響を及ぼすか等が問われている。
中東問題については、イスラエル、イスラム教シーア派、スンニー派等の間で、各者がどのような妥協をして地域秩序が成り立たせるかかが問われている。
中国の民主化については、30年前の天安門事件の正否、また今後更なる経済成長、強国化の果てに民主化を求めるのか、民主化を先にするのか、その速度をどうするかが問われている。
米中覇権戦争については、米国が中国を屈した方が良い世界が訪れるのか、逆に中国が米国を屈した方が良いのかが問われている。
ここで冒頭に掲げた不等式を補い、そこで使った「幸福総量」を更に数式化すれば、
【 幸福総量 = 受益者の数 × 個々の幸福度 × 幸福の質 × 持続年数 】と言う辺りか。
ヘーゲルが「ミネルヴァのフクロウは、タ暮れに飛び立つ」と書いたように、秩序の改変や衝突が起きる場合には、何が正義であるかは後付けで結果を見た上でないと確定し難い。また、「個々の幸福度」とは何をもってそうするのか? 等と問うて行けばキリがない。
しかし、内外共に変化の激しい時代に於いて、多少なりとも言論を致す者は特に、正義が那辺に在るかを常に自身に問うて行かねばならぬだろう。
佐藤総研 http://blog.livedoor.jp/ksato123/
- (確定稿) Re: 正義とは何か? 佐藤鴻全 2019/7/27 19:34:42
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