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スリランカの爆破事件を実行したという武装勢力の黒幕はアメリカ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904240001/
2019.04.24 櫻井ジャーナル
スリランカで4月21日に爆破事件があり、359名以上が死亡したという。当局の発表によると、地元の武装集団、ナショナル・タウヒード・ジャマート(NTJとも表記される)に所属する7名が自爆攻撃を行ったようだ。 この武装集団の指導者と言われているモウルビ・ザフラン・ハシムはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)を支持する発言をしている人物で、ダーイッシュは自分たちが自爆攻撃を実行したと宣伝している。 このダーイッシュは様々なアル・カイダ系武装集団と同じように「ジハード」の看板を掲げる傭兵。1997年から2001年にかけてイギリスの外務大臣を務めたロビン・クックが指摘したように、アル・カイダとはCIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リストであり、組織ではない。こうした傭兵を使う侵略は1970年代終盤にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた。 ダーイッシュという名前が売り出されたのは2014年。その年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧した。その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられ、広く知られるようになったのである。 偵察衛星、無人機、通信傍受、人間によるスパイ活動といった手段を持つアメリカの軍や情報機関は事前にダーイッシュの動きを知っていたはずだが、何もしていない。黙認していたのだ。このトヨタ車はアメリカ政府がFSA(自由シリア軍)、つまりシリア侵略のために送り込まれた傭兵部隊へ提供したものだと言われている。 動きを監視していただけでなく、2012年の段階でこうした展開になることをアメリカ軍の情報機関DIAは見通し、バラク・オバマ政権に警告している。シリアで政府軍と戦っているのはアル・カイダ系のアル・ヌスラ(報告書はAQIと同じと指摘している)であり、その主力はサラフ主義者やムスリム同胞団だと指摘、オバマ大統領が言うような穏健派は存在しないとしている報告書が提出された当時のDIA局長は。マイケル・フリン中将。ダーイッシュが売り出された2014年にフリンは退役に追い込まれている。 その後、ダーイッシュは残虐性をアピール、アメリカ/NATO軍の軍事介入を誘い、アメリカ主導軍による空爆が始まる。ただ空爆のターゲットはインフラが中心で非戦闘員の犠牲が増える一方でダーイッシュは勢力を急速に拡大していった。その流れは2015年9月にロシア軍がシリア政府の要請で介入するまで続く。 シリアでダーイッシュという看板を掲げたり、アル・カイダ系武装集団を名乗ったりする勢力が敗走していた2017年5月、フィリピン南部にあるミンダナオ島のマラウィ市をダーイッシュ系だというマウテ・グループやアブ・サヤフが制圧した。 ここは以前からダーイッシュが活動している地域で、市内には500名程度の戦闘員がいると推測されていたが、アメリカ軍は活動を容認してきた。こうした事態を受け、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領はミンダナオ島に戒厳令をしく。それに対し、アメリカ大使館はフィリピン政府から要請に基づとして特殊部隊を派遣したが、ゥテルテ大統領はアメリカ側に支援を頼んでいないとしていた。 すでにジハード傭兵は中国の新疆ウイグル自治区、ミャンマーのロヒンギャが住む地域などへジハード傭兵を潜り込ませていると言われ、今後、何らかの事件が引き起こされる可能性がある。 インドネシアの場合、普通のイスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作が数十年にわたって続けられ、2016年1月には首都ジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があり、攻撃グループの5名を含む7名が死亡している。その実行グループもダーイッシュを名乗っていた。インドネシアから約700名がシリアへ入り、ダーイッシュに加わったと言われている。 1965年9月30日にインドネシアでは小集団の若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害、ジャカルタの主要箇所を占拠、その武装蜂起を鎮圧するという形でスハルトがクーデターを実行、スカルノ体制を倒すことに成功した。蜂起軍を率いていたウントゥング・シャムスリ中佐は後にスハルトとCIAが1965年10月5日にクーデターを計画していることを知り、先手を打とうとしたのだと主張している。 大統領だったスカルノは将軍殺害に関してコミュニストを非難していない。そのスカルノをアメリカ支配層は排除し、目障りな人びとの粛清を始めた。1966年3月まで30万人から100万人が殺されたと言われている。スカルノやコミュニストが仕掛けたするならば準備ができていたはずで、これほど一方的に虐殺されることはなかっただろう。CIAがスカルノを排除するために仕掛けたクーデターだと現在では信じられている。 実際、CIAは1950年代からインドネシアに対する秘密工作を進めていた。1955年の総選挙と57年の地方選挙でスカルノの国民党とインドネシア共産党が勝利、スカルノ政権は外国資産の国有化をはじめたため、危機感を持ったのだ。 スカルノのイメージを悪くさせるプロパガンダに失敗したCIAは1957年に暴力的な秘密工作を始める。この工作で沖縄はフィリピン、台湾、シンガポールと同じような訓練基地として使われ、兵站基地としても機能していている。 CIAから武器を供給された武装勢力がインドネシアで最初に蜂起したのは1958年のことで、スカルノが日本を訪問している時を狙って決行された。 反乱グループの中心は旧貴族階級と地主だが、実行部隊はスマトラ島を拠点としていたインドネシア軍の将校。CIAの爆撃機だけでなくアメリカ海軍の潜水艦の支援を受けていた。この蜂起は結局、失敗に終わるのだが、アメリカは決してあきらめない。 アメリカ支配層はインドネシア社会を研究する一方、貴族階級出身のインドネシア人をアメリカに留学させて訓練(洗脳)していく。このプロジェクトに協力した大学にはカリフォルニア大学バークレー校、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学、コーネル大学などが含まれ、「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれているようになる。こうした若者のほか、CIAの手先になったのがイスラム勢力だった。今後、インドネシアはジハード傭兵の供給源になる可能性がある。 |
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