http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/224.html
Tweet |
ウクライナの大統領候補ふたりが同じ日に仏大統領と会談した
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904150000/
2019.04.15 櫻井ジャーナル
ウクライナのクーデター体制では4月21日に大統領を決める決選投票がある。候補者は最初の投票で30%を獲得したコメディアンのボロディミル・ゼレンスキーと現職のペトロ・ポロシェンコだ。 このふたりが4月12日にパリのエリゼ宮でフランス大統領のエマニュエル・マクロンとそれぞれ会談しているのだが、その時刻はゼレンスキーが午後3時、ポロシェンコは午後6時と3時間の違い。 マクロンはロスチャイルドの手先と見なされている。2006年から09年まで社会党に所属していたが、08年にロスチャイルド系投資銀行へ入り、200万ユーロという高額の報酬を得ていたためだ。 フランソワ・オランドが大統領だった時代には政府の要職に就いている。つまり2012年から14年にかけて大統領府副事務総長、14年から16年にかけては経済産業デジタル大臣を務めたのだ。 マクロンはイスラエル支持を隠していない。反シオニズムを人種差別として取り締まると宣言、フランスを含むヨーロッパで展開されてきたシスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動を許さないということだ。 ゼレンスキーの番組を放送しているテレビ局のオーナーであるイゴール・コロモイスキーはオリガルヒのひとりで、ウクライナ、イスラエル、キプロスの国籍を保有している人物。多重国籍が禁止されている国で三重国籍を持っている。その国籍のひとつがイスラエルだということからも推測できるように、親イスラエル(シオニスト)でもある。そのコロモイスキーの下で働いているゼレンスキーも親イスラエルだと推測できるが、詳しいことは不明だ。 前にも書いたことだが、ポロシェンコは国立キエフ大学で後にジョージア大統領に就任するミハイル・サーカシビリと友人になっている。 サーカシビリは1994年にアメリカのコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通い、卒業後にはニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働く。そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。 ポロシェンコはチョコレート王、あるいはチョコレート・マフィアと呼ばれているオリガルヒだが、政治と無縁だったわけではない。 ウクライナでは2004年11月に大統領選挙が実施され、ロシアとの関係を重視するビクトル・ヤヌコビッチが当選、そのヤヌコビッチを排除するためにアメリカ支配層はクーデターを行う。そして大統領になったのはビクトル・ユシチェンコ。いわゆるオレンジ革命だ。 そのオレンジ革命が始まる前年、ポロシェンコはユシチェンコと一緒にひとりの女性に会っている。ウクライナのネオ・ナチが信奉しているのはステファン・バンデラ。その側近のひとりだったヤロスラフ・ステツコの妻、スラバ・ステツコだ。 バンデラが率いていた組織はOUN-Bと呼ばれているが、この組織は1943年11月に「反ボルシェビキ戦線」を設立、この組織は大戦後の46年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)へ発展、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。 |
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。