http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/714.html
Tweet |
いつまで続く? イギリスの「EU離脱」迷走劇
「大国幻想」にとらわれたポピュリズムが招く直接民主主義の末路
2019.3.16(土) 舛添 要一
英議会、EU離脱延期を可決 協定案は再採決へ
英ロンドンの首相官邸から出るテリーザ・メイ首相(2019年3月14日撮影)。(c)ISABEL INFANTES / AFP〔AFPBB News〕
(舛添要一:国際政治学者)
EU離脱に関するメイ首相の提案をめぐって、今週は、イギリス下院で、3月12日、13日、14日と三日連続で審議、採決が行われた。
まず、政府が提案したEU離脱協定案が採決にかけられ、賛成242票、反対391票で否決された。149票もの大差である。メイ首相は、前日の11日にEUのユンケル委員長と会談し、アイルランド国境問題について法的拘束力を持つ打開策を講じることで合意したが、その甲斐もなく議会で承認されなかった。
終わりが見えぬ「決められない政治」
2カ月前の1月15日の採決では、メイ首相の提案するEU離脱案が、202票対432票で否決されており、そのときよりも差は縮まったが、保守党内の離脱派の反対は覆らなかった。その背景には、コックス法務長官が、「政府提案だとイギリスがEUの関税同盟から抜けられない可能性がまだ残る」という見解を表明したことがある。政府の一員でありながら、「法の支配」の原則を守ったこの説明で、保守党の強硬派は反対に回ったという。
2度目の否決で、3月29日までにEUと合意した形で離脱する可能性はなくなった。
13日には、議会は、「合意なき離脱」を回避することを、賛成321票、反対278票で支持することに決した。しかし、投票前に、政府案に対して、期限を設けずに今後一切「合意なき離脱」は行わない旨の修正が行われた。
メイ首相は、「合意なき離脱」が現実のものとなる可能性を残し、それをいわば「脅し」材料として、政府案を承認させる戦略であったが、この手も使えなくなったのである。これだといつまでも延期となり、EUからすれば、「いつまで待てばよいのか」という苛立ちが募ることになる。いかなる離脱案であれ、EU側の承認が必要であり、イギリスだけの自由で決められるものではないからである。
メイ首相も、「延期が長引けば、5月のヨーロッパ議会選挙にイギリスも参加せざるをえなくなる」と、離脱強硬派に再考を求めている。欧州議会選挙もまた一つの節目となろうが、「決められない政治」はいつまで続くのであろうか。
英議会、EU離脱案を再び否決
英議会前でデモを行う英国の欧州連合(EU)離脱に反対する人々(2019年3月12日撮影)。(c)Tolga AKMEN / AFP 〔AFPBB News〕
14日には、離脱を6月30日まで延期するかどうかの採決が行われた。EU離脱延期案は413票対202票の賛成多数で可決された。この延期には、EUとの間でメイ首相がまとめた離脱協定案を3月20日までに可決することが条件として付されている。しかし、これまで2回否決された協定案が3度目に可決されるかどうかは不明である。
今回の採決で、反対票の93%の188票は与党・保守党の議員であり、バークレイ離脱担当大臣ら閣僚の多くや保守党幹部も反対票を投じている。またEU側は、延期理由の明確な説明を求めているし、延期にはEU27カ国の承認が必要である。
状況はまだ混沌としていると言ってよい。
「独立独歩路線」を待ち受ける茨道
このイギリスの迷走劇を巡っては、国際政治の観点からも民主主義論の視点からも、様々な論点が浮かび上がってくる。今回はその問題点を論じてみたい。
第一は、パックス・ブリタニカは70年前に終わったのに、イギリス人がいつまでもそれが続いているかのような幻想を抱いているのではないか、ということである。
18世紀初頭にイギリスは、オランダを抑えて、7つの海を支配する覇権国となった。「世界一の大国」イギリスが支配する世界秩序をパックス・ブリタニカと呼ぶが、それは、第二次世界大戦終了まで約250年間続く。その後を襲ったのがアメリカで、今はパックス・アメリカーナの時代である。
19世紀半ばに、ドイツやイタリアが統一すると、イギリスは欧州大陸諸国間の調整役を任じてきた。第一次大戦後、ドイツに対して寛大な政策をとったのは、対独強硬派のフランスとのバランスをとるためである。ヒトラーに対して宥和政策を展開したのもそうであり、ナチスをボルシェヴィキのソ連に対する防護壁として利用したのである。この政策がヒトラーを増長させ、第二次世界大戦へとつながるのであるが、バランサーとしての強大なイギリスの力がよく理解できる。
しかし、第一次世界大戦も第二次世界大戦も、イギリスが勝利できたのは、アメリカの参戦のおかげであり、1945年以来、世界の覇権国はアメリカに移っている。イギリスが、欧州大陸を、まして世界を支配する時代は終わっているのである。さすがに今は欧州大陸のバランサーの役割を担うつもりはないだろうが、欧州大陸と手を切って独立独歩で生きていくというEU離脱強硬派の態度は、19世紀のパックス・ブリタニカ時代の「栄光ある孤立(Splendid Isolation)」政策を思い出させる。しかし、21世紀は最早そういう時代ではないのである。
「戦争なき世界の構築」が欧州統合のそもそもの理念
第二に、なぜ第二次大戦後にヨーロッパの統合が推し進められ、現在のEUにまで至ったのかということである。それは、「二度と戦争のない世界を作ろう」という崇高な理想に基づいたものなのである。
普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と近代の戦争は、フランスとドイツの争いであった。したがって、戦争の原因となった資源(鉄と石炭)の獲得競争を終わらせるため、ヨーロッパ全体で資源管理を行おうという発想が出てきたのである。
そこで、まず設立されたのが欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)や原子力共同体(EURATOM)である。次いで、市場を統合し、EECという経済共同体に発展し、その後、通貨の統合にまで至ったのだ。加盟国も増加し、イギリスは1973年に加盟している。統合の度合いも深まっていった。こうしてEUの今日があるのである。今や、かつての敵同士、フランスとドイツが協調してEUを支える状況になっている。
第二次大戦までは、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアというヨーロッパの大国が世界に対して大きな発言権を持っていた。しかし、第二次大戦後は、アメリカとソ連、そして今はアメリカと中国という大国に対して、ヨーロッパが団結しなければ重みを持たない。欧州統合は、国際社会における地位という観点から重要な意味を持つのである。欧州大陸から孤立したイギリスでは、世界で枢要な役割を果たせない。
しかも経済がグローバル化した今日、イギリスにある自動車工場が、世界各地、とりわけ欧州大陸から部品を調達しているように、EUから離脱して関税を課すことは大きなマイナスをもたらす。「合意なき離脱」に備えて、企業がイギリスから撤退しているのは当然である。
第三の問題点は、民主主義の行方である。今のイギリスの混乱の発端は、2016年に行われたEUからの離脱についての国民投票にある。2015年12月の世論調査ではEU残留派が過半数で、残留派のキャメロン首相は安心して国民投票に踏み切った。ところが蓋を開けてみれば結果は離脱派の勝利。ブレグジット(Brexit)が決定づけられた。
代議制(間接)民主主義の国で、国民投票や住民投票といった直接民主主義的手法を採ることの是非は議論されねばならない。三権分立の国、アメリカの大統領選は、いわば国民投票であり、トランプのような人物でも選ばれてしまう。モンテスキューやルソーの理想が体現されたとはいえ、問題が多いのは今のアメリカを見ればよく分かる。
その点で、イギリスや日本のような議院内閣制は、国民が議員を選ぶが、首相は議員が選ぶというように、ワンクッション置いている。そのことで、直接民主主義のリスクを軽減できているのである。しかし、国民投票にはそのメリットはなく、ポピュリズムの嵐をもろに受けることになる。
国民投票にはもう一つ、単一争点主義(single issue politics)という問題もある。政治は多くの分野の問題に取り組まねばならず、政党は、政策全体をパッケージとして有権者に提示し、選挙で審判を受ける。国民投票は、単一問題を争点として国民の判断を求めるものである。現在のイギリス議会は、EU離脱協定案という単一の争点をめぐって、政党の枠を超えて賛否が分かれているのである。単一争点主義は賛否をめぐって国論を二分することにつながるが、今のイギリスがその典型である。
ポピュリズムに晒される現代社会で民主主義が生き残れるのか否か、大きな岐路に立っている。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55779
- 夢見る韓国・文政権は北朝鮮の実態を見つめ直せ 軍部が牛耳る北朝鮮〜ベトナムとの違いはどこで生まれたのか うまき 2019/3/17 21:08:50
(0)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。