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米軍がダーイッシュの盗んだ金塊を横取りしているとの情報
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903020000/
2019.03.03 櫻井ジャーナル
ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)がイラクやシリアで盗んだ金のインゴット約50トンをアメリカ軍が自国へ運び去ったと中東では伝えられている。その代償として戦闘員たちの安全を保証しているのだという。 アメリカが金を持ち去ったという話はこれまでにもあった。例えばウィキリークスが公表したシドニー・ブルメンソールからヒラリー・クリントンへあてた2011年4月2日付け電子メールに出てくるリビアのムアンマル・アル・カダフィ政権が保有していた143トンの金と同量の銀。(フィナンシャル・タイムズ紙によると少なくとも143.8トン)金は金貨ディナールという全アフリカ通貨に使われることになっていた。 2014年2月にアメリカはウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させたが、その際、ウクライナ政府が保有していた金のインゴットをアメリカへ秘密裏に運び去ったという噂が流れている。同年3月7日の午前2時、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスが現れ、そこから40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込まれたと言われている。その中身は金塊だというのだ。 1991年12月にクーデターで消滅したソ連の場合、消滅の直前にゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)に保管されていた金塊2000トンから3000トンが400トン程度に減っていたとも言われている。クーデター派(CIA人脈とKGBの腐敗勢力)が盗み出したというのだ。 日本軍にも金を盗んだという話が残っている。1918年に日本が革命直後のソ連へ派兵、22年まで留まっているが、そのときの話だ。この問題を最初に取り上げたのは憲政会の中野正剛で、持ち帰った金塊は1万2000キログラムに達すると考えられている。その大半は朝鮮銀行の下関支店に運ばれ、そこから大阪造幣局へ移され、またルーブル金貨は朝鮮銀行か横浜正金銀行で日本の通貨に換金されたと推測されている。 中国では財宝の略奪作戦を日本軍は実行したことがわかっている。ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、その略奪作戦「金の百合」を指揮していたのは秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳。政府や金融機関が保有していたものだけでなく、裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪、その総重量は6000トンに達したという。 こうした財宝の一部は日本へ持ち帰られたが、途中で船を使うことが困難になり、集積地だったフィリピンへ隠された。その隠し場所を聞き出すために日本軍の将兵はアメリカ軍に尋問されているが、その責任者はOSSのオフィサーだったエドワード・ランズデール。この人物は戦後、CIAの幹部として秘密工作に参加している。結局、アメリカの支配層は日本が略奪した財宝を横取りすることになる。 大戦中、ドイツも金塊を略奪している。ヨーロッパの場合、財産は銀行に集中して保管されているため、容易に盗み出せたという。これがいわゆるナチ・ゴールドだ。この金塊の多くもアメリカ支配層が横取りしている。 その一部はアルゼンチンへ運ばれたが、フアン・ドミンゴ・ペロンと結婚したエバ・ドアルテ(エビータ)はその財宝を庶民のために流用していたと言われている。エビータは1952年に33歳で死亡、弟のフアン・ドアルテは1954年に頭部を銃で撃たれて死んだ。自殺だとされている。ペロン政権は1955年に軍事クーデターで倒された。 ラテン・アメリカではヨーロッパ人が膨大な貴金属を盗み、資源を略奪した。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山だろう。18世紀までにポトシ銀山だけで15万トンが運び出されたとされているが、実態は不明。それがヨーロッパ支配層の富になっている。イギリスが通貨を支配できたのは南アフリカを侵略、金鉱山を支配できたからだ。 |
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