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イタリア人映像作家が残した市民生活のリアリズム 追悼:ベルナルド・ベルトルッチ監督(5)『1900年』(3)「第2次世界
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投稿者 うまき 日時 2019 年 2 月 06 日 20:43:05: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

イタリア人映像作家が残した市民生活のリアリズム
追悼:ベルナルド・ベルトルッチ監督(5)『1900年』(3)「第2次世界大戦」
2019.2.6(水) 竹野 敏貴
古代ローマ遺跡、コロッセオ。『戦火のかなた』にも登場する
 昨年11月他界したベルナルド・ベルトルッチ監督の様々な作品を、これまで4回にわたってみてきた。

 今回も、前回、前々回に続き、その故郷、北イタリア、エミリア・ロマーニャでの自身の階級社会の記憶とも言える長編『1900年』(1976)で、イタリアの「過去」を感じていきたいと思う。

(この3回でイタリアの20世紀前半を概観することになる)

 とは言え、3世代にわたる長い時の物語だけに、大戦の時代の描写は少ない。それだけ、一つのシークエンスに多くの要素が凝縮されているわけである。

 今回は、第2次世界大戦中の銃後のイタリアを描いたジュゼッペ・トルナトーレ監督の『マレーナ』(2000)をもう一つの軸として、多くのイタリア人監督の助けを借りながら、イタリアの第2次世界大戦を追っていきたいと思う。

 『マレーナ』は、トルナトーレの故郷シチリアが舞台。

 前回紹介したフェデリコ・フェリーニ監督の『アマルコルド』(1973)同様、「下品」と言われそうな直接的性欲表現も交え、思春期の少年の憧れの女性への視線を通し、大戦下のイタリアを映し出している。

 映画はラジオでのベニート・ムッソリーニの宣戦布告演説から始まる。

「陸 海 空で戦う勇者よ 黒シャツのファシスト党員よ イタリア国民よ イタリア領の人々よ 機は熟した」

町民たちは熱狂し 拍手の轟音が広場を包む 

同じ日、初めてマレーナの姿に魅了された12歳の少年レナートは、ストーカーまがいの行為と妄想を繰り返しながら性的欲望を隠さぬ男と魅力に嫉妬する女の煩悩まみれの生々しい姿を目撃していくことになる・・・

 1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻、第2次世界大戦は始まった。しかし、第1次世界大戦のとき同様、イタリアは非交戦国を宣言、動向を見守っていた。

 そんななか、1940年5月に始まったドイツのフランス侵攻の勢いを見て、フランスがパリを「無防備都市」宣言した6月10日、英仏に宣戦布告する。

(「無防備都市」宣言とは、ざっくり言えば、地域単位の降伏。新たな攻撃の回避が期待される)

 フランスは降伏、傀儡たるヴィシー政権が南仏や北アフリカのモロッコ、アルジェリア、チュニジアといったフランス植民地を支配することになった。

 イタリアは、ジブラルタル、マルタ、アレクサンドリア(エジプト)を拠点に地中海でのプレゼンスでは他を圧倒していた英国と海戦を交えることになる。

 ムッソリーニ政権はその様子をおさめた戦意高揚の国策映画を撮らせた。

 負傷者を乗せる「病院船」が舞台の『白い船』(1941/日本劇場未公開)はそんな一作だが、監督を務めているのはロベルト・ロッセリーニ。

 映画史に名をとどめる「ネオレアリズモ」(イタリアン・ネオリアリズム)の巨匠の初監督作だった。

 当初はドキュメンタリーとして企画、ロッセリーニの希望が通りフィクション部分が加えられたという作品の出演者はすべて兵士や看護師といった「現場」の人間。「戦意高揚」の意図はあっても、のちの作品につながる要素は見てとれる。

 ムッソリーニは、「ローマ帝国の再来」を胸に、1940年9月、北アフリカでの戦いを始め、第1次世界大戦直前の伊土戦争で得た伊領リビア東部のキレナイカ地方から、東のエジプトへと侵攻した。

 さらに10月末、前年併合したアルバニアからギリシャにも侵攻。ところが、逆にアルバニアへ侵攻を許してしまったうえ、山岳戦は長期戦の様相。

 ドイツはバルカン半島への連合軍上陸を懸念、1941年4月、ギリシャに侵攻、5月、枢軸国が占領した。

 当初、エジプトでは優勢だったイタリアだが、英国がギリシャに援軍を送る一方で反撃を開始、逆にリビアまで攻め込まれ、1941年2月にはキレナイカ地方を占領されてしまう。

 ドイツは、エルヴィン・ロンメルを司令官としたドイツアフリカ軍団を送りこんだ。

 のちに「砂漠の狐」の異名をとることになる「名将」の反撃で、キレナイカ地方の北アフリカ一と言われる良港をもつトブルクを包囲。しかし、攻略にまでは至らなかった。

 対する英軍も反攻作戦が成功せず、ここから、トブルクをめぐる戦いを中心に、北アフリカでは一進一退の攻防が繰り広げられていくことになる。

 そうしたなか、1941年6月、突如、ドイツがソ連に侵攻。ムッソリーニもその東部戦線への派兵を決定する。

 ドイツの空軍力が地中海から東部戦線へとシフトしたことも影響、キレナイカ地方は英軍に再度奪取されるが、ロンメルの反攻で、1942年6月、トブルクを制圧。

 しかし、英軍が新たにエジプトでの防衛線としたアレクサンドリア西方のエル・アラメインでは攻め切れなかった。

 英軍は、新たにバーナード・モントゴメリーを司令官にすえ、反撃に出た。

 『炎の戦線 エル・アラメイン』(2002)は、そんな戦いのなか、前線の最南部で、神に見捨てられたかのような絶望的な時を送るイタリア兵たちの物語。

1942年10月 セッラは前線に配属された
着任早々 砲撃を受け肉体が跡形もなく消えてしまう様を目撃する

昼はうだる暑さ、夜は凍える
終始銃撃戦というわけではないが 渇きや赤痢という大敵もいる

ロンメルが退却を開始した
中隊も撤退し、新たな防衛線を開けとの指令

車もなく砂漠の中を30キロ先まで徒歩移動する中隊
途中出会った独軍の車には無視され、イタリア兵の乗るトラックは満員

そしてさらに100キロ先まで移動することに・・・

 北アフリカ戦線は、独軍ロンメル、英軍モントゴメリー、米軍パットンという個性豊かな司令官たちを中心に、その戦略、葛藤を多くの映画や書籍が扱っている。

 しかし、「足手まとい」とさえ言われる「弱い」イタリア軍の「駒」、なかでも戦術の端役にも出てこない「捨て駒」感の強い兵士たちのあきらめとさえ言える「レアリズモ」がこの作品にはある。

 主人公セッラは、「アレクサンドリアはすぐ制圧される」との政府のプロパガンダに乗せられるように、「臆病者扱いは嫌です」と言い、入隊した学生志願兵だった。

 一方、『靴みがき』(1946)『自転車泥棒』(1948)などネオレアリズモの中心的存在の一人ヴィットリオ・デ・シーカ監督が1970年に発表した『ひまわり』では、主人公ジョヴァンナと恋仲になり結婚したアントニオが、軍役逃れに臆面もなく詐病を画策、しかし、見破られてしまう。

「懲役刑がいやなら、ロシア戦線へ行くことだな」

アントニオは、予定されていた北アフリカではなく、東部戦線に配属されることになった
そして消息不明・・・

ジョヴァンナは情報を探した
そしてようやくアントニオと一緒だったという復員兵と遭遇

男はポツリポツリと記憶を語り始める

「1月のドン川 あの寒さ。そして敗北。何とか逃げなくては」

「四方から攻めてくるロシア兵。あれこそ本当の地獄。雪、氷、風、渇きと飢え」

そしてアントニオは脱落したのだった・・・

 1942年夏、東部戦線の長期化をにらみ、枢軸軍はソ連南部の資源地帯へと攻勢をかけた。

 イタリア軍はドン川沿いに部隊を展開。ヴォルガ川西岸のスターリングラードでの戦いが泥沼化すると、ドン川を守っていたドイツ軍部隊も次第に引き抜かれ、防衛の主体は他の枢軸国に。

 そこをソ連軍が大攻勢、イタリアも多数の犠牲を出した。

 1942年7月、フランクリン・D・ルーズベルトとウィンストン・チャーチルがワシントンで会談、欧州反攻の第一歩として、北アフリカ侵攻を決定。

 「トーチ作戦」と名づけられたその作戦で、11月8日、米英軍はモロッコのカサブランカ、アルジェリアのオランとアルジェから上陸、抵抗するヴィシー仏軍と停戦が成立すると、チュニジアへと向かった。

 エル・アラメインでの敗戦とトーチ作戦で、枢軸軍は東西から連合軍の挟み撃ちに遭う危機にあった。

 ヒトラーはチュニジアに兵と物資を送った。

 古代ローマがポエニ戦争を戦った相手カルタゴ、その遺跡が今も残るチュニジアが北アフリカ戦線最後の戦場となった。

 エジプト、リビアを放棄、2200キロもの距離を敗走したロンメルは、1943年2月、チュニジアに到着。その先制攻撃で停滞していた前線は動いた。しかしすぐ押し戻されてしまう。

 ヒトラーはロンメルを司令官から解任、ベルリンに呼び戻した。

 その理由ははっきりしないが、スターリングラードの戦いで、大物フリードリヒ・パウルスが自決せず投降しており、ロンメルも・・・との懸念があったのかもしれない。

「チュニジアでの戦いでガフサを占領」

「伊独両空軍は猛威を発揮 低空爆撃と機銃掃射をかさね 敵部隊と車両を壊滅」

 『1900年』では、ラジオが北アフリカ戦線の様子を伝えるなか、農場管理人アッティラが家族と食事をしている。

 20世紀の始まる1901年の同じ日に同じ農場で生まれた農場主の孫アルフレードと農夫の孫オルモもいまや中年。

 オルモはコミュニストとなり、アルフレードは基本リベラルだがファシズムにも階級制にも煮え切らない態度を取り続けている。

 そんな夫に失望し酒浸りの妻アーダ、ファシストの象徴のような農場管理人アッティラを加え物語は展開する。

 場面は農場へと移り、トラクターが導入され、馬が売られていくなか、アッティラはオルモに卑劣な言葉を浴びせかける

「馬を買うなら御者も必要だろう」
「お前だ。オルモ」

とオルモも「売ろう」とする

怒り アッティラに馬糞を投げつける農民たち
オルモは農場を去り その話を聞いたアーダも去る

オルモの部屋を黒シャツの面々と破壊するアッティラをアルフレードはついにクビにするが、アーダはすでにいない・・・

雨の中、農民をいたぶるアッティラと黒シャツのファシストたち
農民とファシストの問答が始まる

「神はいるのか」
「いない」

「ムッソリーニはいるのか」
「そんな奴いない」

「アッティラ、お前もいないぞ」
虫けらのように農民を殺すファシストたち・・・

 やがてムッソリーニに訪れる「失脚」という運命と、続くナチスドイツとの「団結」での最後の残虐なあがきを暗示するシークエンスである。

 チュニジアでの戦いはその後も続いたが、連合軍の豊富な物資力を前に、支配地域は狭まる一方。次々と拠点を失い、5月13日、降伏。北アフリカ戦線は消滅した。

 降伏して捕虜となった枢軸軍は27万人。スターリングラードでの捕虜数の3倍だった。エル・アラメイン、スターリングラード、2つの戦いは、大戦の流れの変わる分水嶺となり、枢軸国は敗戦への道を進んでいくことになる。

マレーナの夫は式を挙げて2週間で出征していた
その夫が 北アフリカで戦死したとの報

男たちは色欲あらわにマレーナに群がり
女たちは「下品」とさらなる嫌悪の情を隠さない

南部一帯へ繰り広げられた連合軍の空爆で町は破壊され
マレーナの父も犠牲となった

それでも町民は仕事を与えず生活手段もないマレーナは
ドイツ兵だらけとなった町で体を売り生計を立てるようになる

 軍施設や港湾施設、飛行場、駅などの破壊のため、1943年5月、シチリアでも米空軍による爆撃が激化、多くの市民が犠牲となった。それは、次なる連合軍の「作戦」の準備でもあった。

 北アフリカを制した連合軍は、早期の欧州上陸を目指し、1943年7月10日、「ハスキー作戦」を実行、シチリア島に上陸した。

 一方、イタリア国内でもファシズム体制への批判が高まっていた。敗戦による王政廃止を王党派は恐れた。軍内部休戦派とファシスト党穏健派も結びつき、ムッソリーニ更迭の動きは進んだ。

 そして、7月25日、「クーデター」決行。

 ファシストだった『暗殺の森』(1970)の主人公マルチェロは、ローマの自宅で繰り返し伝えられるラジオの速報を聞いている。

「国王陛下はムッソリーニ閣下を更迭されました」

「後任の政府主席として首相内相にピエトロ・バドリオ元帥が任命されました」

「独裁制の崩壊を見る」と妻に告げ 街へ出ていくマルチェロ

そこでは市民たちが破壊したムッソリーニ像を引きずりまわしている・・・

 自らの「ノーマル」ではない過去から、「ノーマル」になりたい、と、ファシストとなったマルチェロ個人の戦いの物語は、この日で終わる。

(→「ポピュリズムの蔓延る今見るべき初期の傑作」で詳述)

 しかし、イタリアの第2次世界大戦は終わったわけではなかった。

 『1900年』が冒頭でみせた「解放の日」まで、さらに1年半以上の月日が必要となるのである。

 バドリオ政権は、表面上、戦争続行姿勢を見せていた。しかし、水面下では連合国と休戦交渉。

 不審な動きを察知していたヒトラーは、「占領」を考えていた。

 9月8日、イタリア王国が休戦協定を発表すると、すぐさまドイツ軍は北部中部に進駐。

 国王と新政権の閣僚、軍王党派などは、ローマを捨て、南部の連合軍占領地域に避難。講和に応じ、10月、ドイツに宣戦布告した。

 一方、解任後ホテルに幽閉されていたムッソリーニは、9月12日、ドイツ国防軍特殊部隊に救出され、ヒトラーと会談ののち、建国された「イタリア社会共和国(RSI)」で「独裁体制」を復活させる。

 しかし、それは実質ドイツの傀儡。北部中部は「ナチファシズム」の「共和国」支配となった。

 ここからイタリアは「内戦」の苦難にも晒されていくことになる。

ドイツ軍が去り、米軍がやってきたシチリアで、歓喜に湧く町民たち

「恥知らずに罰をくだすのよ」

「ドイツ兵と寝た女」マレーナは女たちに広場へと引きずり出され
髪を切られ、リンチにかけられる

町民は誰ひとり助けようとしない
悲しく見つめるレナート・・・

 連合軍のシチリア侵攻にはマフィアが力となった「逸話」がよく語られる。

 シチリアに生まれ、幼少時渡米、米国で50年の禁固刑で服役中だった「民衆の敵ナンバー1」ラッキー・ルチアーノが、何かしら「米軍に協力」したことは事実らしく、軍の上陸に先んじてシチリアにいた、との話もある。

 しかし、実際のところ詳細は分かっていない。だが、そうする理由は十分にあった。

 ファシスト政権下、「犯罪組織」は徹底的に取り締まられ、多くが壊滅状態。なかでもマフィアには厳しく対応していたのである。

 そんなルチアーノが、戦後、麻薬王として君臨、謎の死を遂げるまでを描く、フランチェスコ・ロージ監督の『コーザ・ノストラ』(1970)の描写は、「ネオレアリズモの正統な後継者」とも言われたロージらしく、その視線は容赦ない。

1952年国連本部 イタリア代表が米国代表に食ってかかっている

「マフィアたちをイタリアへ送り返したのはアメリカ人ですよ」

「彼らは連合軍についてシチリアに上陸したんです。そしてイタリア半島を進んで行った。ナポリ、ミラノ、ジェノヴァ、米軍と一緒にね」

「おたくの将軍にきいてみたらどうですか?」

「シチリアの町の町長にどうしてピッツィーニやルッソのようなマフィアのボスが任命されたのか」

「ポレッティ大佐がナポリ軍の軍政官だった当時、なぜ、ヴィトー・ジェノヴェーゼを右腕に選んだのか」

「彼が有力なギャングだと知っていたからです」

場面は移り1944年のナポリ スイングジャズ流れる米軍将校クラブ

ポレッティ大佐がジェノヴェーゼに「忠言」する
「闇市は禁止だ。違反には罰則だ。そう布告しろ」

倉庫で「横流し」したジェノヴェーゼが 高級オープンカーに大佐を乗せる

「司法官と銀行頭取の推薦状が山ほどあります」
「この車気に入りました? あなたのものです」

 ナポリ近郊に生まれ、ルチアーノ一家の幹部となり、1936年米国からイタリアへと逃亡してきたジェノヴェーゼは、ムッソリーニに取り入りうまくやっていた。

 そして、その失脚後は、米国に乗り換え、米軍司令部の公式通訳となり、軍需品の横流しで稼いだ。

 多くの士官がマフィアを通じ私腹を肥やし、マフィアも多くの恩恵を受けた。

 7月19日に続き、8月13日にも連合軍の空爆を受けたローマは、翌14日、「無防備都市」を宣言した。

 しかし、イタリア王国が休戦協定を発表した翌日、同盟相手だったドイツ軍が占領。そんななか、自らの目で見たことをフィルムにおさめようと極秘に企画、解放とともに製作が開始されたのがロッセリーニ監督の『無防備都市』(1945)。

 フィクションではあるが、プロットにはモデルがあり、その現場で撮影するなど、新しい表現としてのリアリズム(ネオレアリズモ)があった。

 戦時の人間の生の姿が感じ取れる誰もが認める映画史上の名作は、『白い船』などの「習作」を経て、市民目線のイタリアを冷徹に映し出した。

 1944年6月4日、ようやくローマが陥落。それはノルマンディー上陸作戦の2日前のことだった。

 その頃、北部中部では、イタリア社会共和国の「ナチファシズム」支配があった。

 そこには「従順」なファシストと「抵抗」するパルチザンという構図があり、よく知るお隣さんが敵になってしまう内戦に市民は直面していた。

 タヴィアーニ兄弟は『サン★ロレンツォの夜』(1982)で、当時6歳だった少女チェチリアの記憶として、その様子を語っている。

村人はおびえていた
印をつけられた家は爆破されるというのだ

ドイツ軍は人々を一か所に集めろ それ以外の者は殺す という
村人は聖堂に集まることになった

しかしガルヴァーノはドイツ人を信用せず、同じ思いの村人を連れ、近くにいるはずの米軍を探しにいくことにした

8月10日は「サンロレンツォの夜」流れ星が願いをかなえるという言い伝えがあるが、その日は誰もそのことを思い出さなかった

翌朝 用足しに行ったチェチリアは米兵に会った
しかし大人たちを連れていくともういない

そこにファシストがやって来た。顔見知りもいた
ファシストと村人が銃撃戦となった

チェチリアの目の前で人々が次々と死んでいく・・・

 1944年8月11日、トスカーナの古都フィレンツェは陥落した。

 トスカーナは前々回コラムで『グッドモーニング・バビロン!』(1987)も紹介したタヴィアーニ兄弟の故郷。1944年まで、その小さな町サン・ミニアートに住んでいた。

 舞台となる村のモデルはそのサン・ミニアート。登場人物にもモデルがいて、村の破壊も故郷で起きたこと。ここにも「レアリズモ」、ベルトルッチがよく口にした「シネマ・ヴェリテ」の要素がある。

 タヴィアーニ兄弟は移り住んだピサで初めて映画と出会い、映画作家を目指そうと思ったという。そのきっかけとなった作品がロッセリーニの『戦火のかなた』(1946)。

 上陸した連合軍同様、シチリア、ナポリ、ローマ、と北に向かいながら、市民を襲う悲劇を6つのエピソードで描くネオレアリズモの傑作である。

 それぞれのエピソードで実写映像のイントロに続きフィクションが展開するその作品の第4エピソードも、『サン★ロレンツォの夜』同様、トスカーナの44年夏を舞台としたパルチザンの悲劇だった。

 『戦火のかなた』は、さらに、戦いが激しさを増す山間部の教会の信仰をめぐる第5エピソードをはさみ、北部を流れるポー川のデルタ地帯を舞台とした最終エピソードとなる。

 そこでは、捕虜となったパルチザンが、ジュネーブ条約の適用外とされ、手足を縛られ、川に突き落とされ処刑される悲劇が描かれ、最後にナレーションが締める。

「1944年冬のこと。数か月後、イタリアは連合軍によってドイツから解放される」

 そんなデルタ地帯からそう遠くはないであろう『1900年』のアルフレードの農場の1945年4月25日「解放の日」。5時間をこえる長編は、その冒頭にもあったシーンに戻り、ひとつの「決着」がつけられる。

農民たちが叫ぶ「スターリンの名のもとに集まれ 黒シャツを殺せ」

アッティラとレジーナは捕らえられた

「残虐な時代とは俺のことさ。ファシスト、男、野獣、奴隷、クソ野郎・・・」

「罪」を告白したアッティラは処刑された

少年に捕らえられていたアルフレードも「人民裁判」を受ける
アルフレードは主張する「僕は誰も痛めつけていない」

オルモは反論する「地主はみなそう言う。犯罪者をかばい。コミュニストを投獄」

「ファシストは突然現れたか? いや 地主が種をまき育てあげたのだ」

「ファシストを使いカネ儲け、儲けたカネで戦争を始め、俺たちを送り込んだ。アフリカ ロシア・・・」

「地主は死刑だ」と農民たち
オルモは宣言する「人民の声だ お前は死刑だ」

そして続ける「皆喜べ 地主は死んだ 地主はもういない 」
「疲れた」と座り込むアルフレード

わけが分からない様子の農民たち。なかの一人が言う
「俺たちにとってはもう死人だ」

オルモも語る
「地主は死んだ しかしアルフレードを殺してはいけない」

「地主が死んだ生き証人だからだ」と農民の一人

そしてやってきた「国民解放委員会」に農民たちは武器をすべて差し出す・・・

 連合軍の進撃とパルチザンの蜂起で、4月25日、「共和国」は崩壊。ムッソリーニは、27日、拘束され、法的裏づけのない略式裁判を経て、パルチザンに射殺された。

 『1900年』の人民裁判描写については、公開当時、共産党から抗議があったという。

皆が去ったあと、アルフレードはオルモに言う
「地主は生きてるよ」

じゃれ合うようにやり合う2人

画面かわり「いま」の2人

やはりじゃれ合うように喧嘩をしている

そしてアルフレードは子供の頃やったのと同じように鉄道の線路に横たわる・・・

 製作当時の「いま」1976年のアルフレードとオルモの姿から、さらなる物語を期待する者は少なくなかった。

 「20世紀」(原題)と題する作品だけに、ベルトルッチ自身、たびたびその「第3部」について口にしていた。

 1981年、『ある愚か者の悲劇』(日本劇場未公開)を撮ったときも、そうした考えがあっての一作とも語っていた。正統な「第3部」への意欲については、その後もたびたび語っている。

 ナショナリズム、ポピュリズム、移民、テロ、EU・・・、いま、若い頃のベルトルッチだったら料理したであろう題材が山ほどある。

 ベルトルッチは『革命前夜』(1964)で、主人公に対し、「ロッセリーニなしでは生きられないぞ」と映画マニアに言わせた。

 今回、5回にわたってベルトルッチ作品をみていくなかで、ヴィスコンティ、オルミ、タヴィアーニ、フェリーニ、スコラ、ロージ、デ・シーカ、そして、ロッセリーニ、と、多くの「先輩」映画作家の助けを借りた。

 そうした今は亡きイタリアの巨匠たちに共通しているのは、「ネオレアリズモ」そのものでなくとも、自らの出自、経験をベースに、祖先の、故郷の、母国の、歴史を、文化を、深く探っていること。

 単なるドキュメンタリーとも、フィクションとも、ジャーナリズムとも違う「レアリズモ(リアリズム)」をもって。

 ヒロイズムや陳腐なエンターテインメントの虚飾を排し、性欲も愛欲も妬みも物欲も優越感も、欲にまみれた普通の人々の姿を、時代の空気そのものに、後世に伝えようという映画作家としての意志がある。

 そして、トルナトーレのような次の世代の作品にもその資質は受け継がれている。とは言えそのトルナトーレも既に60代。

 イタリア映画界の巨匠たちの功績に敬意を表するとともに、その遺産を受け継ぐ若い世代の次なる「不朽の名作」の出現を期待したい。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(1390) マレーナ (1391) 白い船 (1392) 炎の戦線
(1393) ひまわり (1394) コーザ・ノストラ (1395) 無防備都市
(1396) サン★ロレンツォの夜 (1397) 戦火のかなた
マレーナ
1390.マレーナ Malena 2000年イタリア映画

(監督)ジュゼッペ・トルナトーレ
(出演)モニカ・ベルッチ、ジュゼッペ・スルファーロ
(音楽)エンニオ・モリコーネ

 その魅力ゆえ、周囲の欲望と羨望に翻弄される女性マレーナへの少年の視線を通し、シチリアの第2次世界大戦期を描く『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)『海の上のピアニスト』(1999)などのジュゼッペ・トルナトーレ監督作。

 『007 スペクター』(2015)などのモニカ・ベルッチの出世作である。

白い船
1391.白い船 La nave bianca 1941年イタリア映画(日本劇場未公開)

(監督)ロベルト・ロッセリーニ

 第2次世界大戦に参戦したイタリアの地中海での海戦を映し出す戦意高揚映画として製作された、「病院船」を描くロベルト・ロッセリーニ監督の初監督作。

炎の戦線
1392.炎の戦線 エル・アラメイン El Alamein La linea del fuoco 2002年イタリア映画

(監督)エンツォ・モンテレオーネ
(出演)パオロ・ブリグリア、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、エミリオ・ソルフリツィ

 北アフリカ戦線激戦の前線エル・アラメインに新たに配属された学生志願兵の経験する戦争の苛酷な現実を描く異色の戦争映画。

ひまわり
1393.ひまわり I girasoli 1970年イタリア映画

(監督)ヴィットリオ・デ・シーカ
(出演)ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベーリエワ
(音楽)ヘンリー・マンシーニ

 第2次世界大戦中東部戦線で消息不明となった夫を探しスターリン後のソ連を訪れた女性と、生き延び現地で家庭を持っていた夫との物語を『昨日・今日・明日』(1963)『ああ結婚』(1964)同様、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演、ヴィットリオ・デ・シーカ監督で描く戦争の悲劇。

 ヘンリー・マンシーニのテーマ曲が世界的にヒットした。

コーザ・ノストラ
1394.コーザ・ノストラ Lucky Luciano 1973年イタリア・フランス・米国映画

(監督)フランチェスコ・ロージ
(出演)ジャン・マリア・ヴォロンテ、ロッド・スタイガー
(音楽)ピエロ・ピッチオーニ

 巨大犯罪組織「コーザ・ノストラ」の最高幹部ラッキー・ルチアーノが、50年の禁固刑服役中、米国への戦争協力で、戦後、釈放「強制送還」されたイタリアで麻薬王となり、謎の死をとげるまでの半生を『荒野の用心棒』(1964)『死刑台のメロディ』(1971)などのジャン・マリア・ヴォロンテが演じる『シシリーの黒い霧』(1962)『黒い砂漠』(1972)の社会派フランチェスコ・ロージ監督作。

無防備都市
1395.無防備都市 Roma Citta aperta 1945年イタリア映画

(監督)ロベルト・ロッセリーニ
(出演)アルド・ファブリッツィ、アンナ・マニャーニ
(音楽)レンツォ・ロッセリーニ

 イタリア王国降伏後、ドイツに占領されたローマで繰り広げられるレジスタンス活動を、解放後すぐ映像化した「ネオレアリズモ」の記念碑的作品。アンナ・マニャーニの演技が絶賛された。

サン★ロレンツォの夜
1396.サン★ロレンツォの夜 La note de San Lorenzo 1982年イタリア映画

(監督)タヴィアーニ兄弟
(出演)オメロ・アントヌッティ、マルガリータ・ロサーノ
(音楽)ニコラ・ピオヴァーニ

 第2次世界大戦後期、内戦状態となったイタリア中部で、「解放者」米軍を探しに向かう人々の姿を自らの体験をベースに『父 パードレ・パドローネ』(1977)『カオス・シチリア物語』(1984)のタヴィアーニ兄弟が描くカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞作。

戦火のかなた
1397.戦火のかなた Paisa 1946年イタリア映画

(監督)ロベルト・ロッセリーニ
(出演)マリア・ミーキ、カルメラ・サツィオ
(音楽)レンツォ・ロッセリーニ

 第2次世界大戦後期、連合軍がシチリアに上陸し、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、と、徐々に北上、解放に至るまでの人々の悲劇を6つのエピソードで描くネオレアリズモの代表作。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55393  

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コメント
1. 2019年2月07日 05:08:09 : quMKleKEOA : apQvoj4eROs[978] 報告
『暗殺の森』の原題が抜けているのだが、Prima della rivoluzioneそれともIl conformista?

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