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世界中で台頭するポピュリスト権威主義者
個人独裁、似非民主制を隠れ蓑にして跋扈――マーティン・ウルフ
2019.1.28(月) Financial Times
(英フィナンシャル・タイムズ紙 2019年1月23日付)
米政府閉鎖、一時解除 トランプ氏が民主党に譲歩
米首都ワシントンのホワイトハウスで政府閉鎖について発表するドナルド・トランプ大統領(2019年1月25日撮影)。(c)SMIALOWSKI / AFP〔AFPBB News〕
権威主義が勢いを増している。それも比較的貧しい国々のみならず、豊かな国々でも台頭している。
とりわけ重要なのは、リベラルな民主主義を20世紀の間ずっと守り、推進してきた米国もそこに含まれていることだ。
ドナルド・トランプ大統領は、権威主義者に育つ可能性を秘めたポピュリストの典型例だ。同氏は自由に権力を振るうことができる地位を目指している。
その望みは、米国の制度機構によって阻止されるかもしれないが、それでもその脅威は明白であるように思える。
この権威主義の復活は、どう解釈するべきなのか。足元ではどのような形を取っているのか。権威主義の台頭について、エリート層にはどんな責任があるのだろうか――。
これらは、西側諸国が向き合わなければならない問いの中でもトップクラスの重要性を帯びている。
我々がこれにどう答えるかによって、世界のあり方が変わる。
もし西側諸国が、おびただしい量の血を流して守ってきたその大義を捨ててしまったら、他の国々がその大義に信を置くことなど望むべくもない。
西側はこの世界を、中国の習近平国家主席やロシアのウラジーミル・プーチン大統領、そしてこの2人と同様な世界観を持つ人々の手に渡してしまうことになる。
米ミシガン州立大学のエリカ・フランツ氏は、『Authoritarianism: What Everyone Needs to Know(権威主義:すべての人が知っておくべきこと)』と題した小著で、現代の権威主義者の振る舞い方を克明に解き明かしている。
これによれば、ポイントは2つある。
第1のポイントは、現代において権威主義的な政治体制が生まれる最も一般的なパターンは、民主主義を内側から食い破ることだ。
ジガバチの幼虫が、宿主のクモを食べて大きくなるようなイメージだ。現代では、民主主義体制が倒れるケースの40%近くがこのパターンだという。
第2のポイントは、そのようにして新たに生まれる権威主義体制の多くは、フランツ氏が「独裁の最も危険な形態」と呼ぶもの、つまり個人支配(または崇拝される個人による支配)の形を取るということだ。
2000年から2010年の間に独裁体制に変わった民主主義体制のうち、75%がこれに当てはまるという。
プーチン氏のロシア、ウゴ・チャベスが君臨したベネズエラ、レジェップ・タイイップ・エルドアン氏の率いるトルコなどがその好例だ。
ここで重要なのは、「権威主義的」とは何を意味するのかという問いだ。
その答えはズバリ、民主制の不在だ。そして、民主制とは、誰が権力を握るかを自由かつ公正な選挙を通じて決める仕組みのことだ。
従って国家は、意見の自由な表明、自由なメディア、選挙法の公正な施行、成人全員の参政権、政治的な競争相手が必要な資源を手に入れる権利などを認めなければならない。
今日では、選挙が政権に正統性を付与している。そのため権威主義体制の多くは「似非(えせ)民主制」を行っているが、それは真の民主制とは違う。
そのような国々の選挙は一種の芝居でしかない。政治指導者が自らの敗北を容認しないことを誰もが知っているからだ。
そのような体制は、民主制とは「少し異なる」では済まない。全く別種の生き物だ。
歴史をひもとくと、権威主義体制の数は1980年にピークに達してから急減し、2000年代の半ばに底を打った。だが、それ以降は、民主制が少しずつ後退している。
またフランツ教授が指摘しているように、権威主義体制はもはや発展途上国特有の現象ではなく、「現在、独裁制に転じる瀬戸際にあるように見える民主主義国の多くは、欧州に存在する」。
権威主義体制の形態にも際だった変化が見られる。中国の一党独裁国家はまれだ。軍事独裁体制の数は急減した。
だが、似非民主制の個人独裁は逆に増えている。
こうした個人独裁にはいくつか特徴がある。
独裁者が信頼している少数の側近がグループを形成していること、権力のあるポストには自分に忠実な人物を充てること、一族の登用、新しい政治運動の立ち上げ、自分の決断を正当化するための国民投票の利用、政治指導者に忠実な国家保安機関の新設、などがその主なところだ。
こうしたストロングマン(強権的指導者)の特徴の一つは、ポピュリストとしてスタートを切ることだ。
ポピュリストは、ひとたび特別な権限を手に入れると、この国の問題を解決できるのは自分だけだと主張する。従来型のエリートは腐敗しており能力もないと決めつける。
そして、専門家や裁判官、メディアを信用してはならない、有権者が信用すべきは、国民の意思を体現している生身の政治指導者の直観だと言い張る。
こうした議論は「国民の敵」の抑圧を正当化することにもなり、純粋な民主制の実施を不可能にしてしまう。
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、ポピュリズムから独裁制に至る道を歩んでいる。
ハンガリーのオルバン・ビクトル首相も同様だ。オルバン氏の言う「非リベラルな民主主義」は、権威主義の遠回しな表現でしかない。
もしブラジルのジャイル・ボルソナロ大統領がこの道をたどらなければ、筆者は驚くだろう。
米国のトランプ氏は確かに右派のポピュリストであり、権威主義的な面もある。だが、同氏は米国の制度機構に包囲されている。
とはいえ、制度というものは、それを運営する人々の質と同程度の質しか持ち得ないのが常であり、運営者の多くは権威主義を可能にしている。
今日見受けられる権威主義と、イタリアやドイツで20世紀の初めや半ばに見られたファシスト政党のそれとの間には、重要な違いが存在する。
今日の権威主義は、熱心に参加することよりも黙って従うことを要求してくる。また、即座に野蛮な振る舞いに出るのではなく、巧みにごまかそうとする。
マーティン・ガリー氏が著書『The Revolt of the Public and the Crisis of Authority in the New Millennium(新世紀における大衆の反乱と権威の危機)』で示唆しているように、この変化は古いマスメディアの凋落と一部関係している。
新しいメディアは、プロパガンダのメッセージを流布させる能力では旧いメディアよりもはるかに劣るが、疑いの気持ちを拡散させることには長けている。
新しいメディアは専門家、エリート、そして「オールドメディア」の権威を破壊することによって、恨みの気持ちを利用したり真実という概念を蝕んだりすることが巧みな、政治におけるアントレプレナー(起業家の意)の台頭に道を開いているのだ。
幸いなことに、これまでのところ、巧みな言葉で他人を自分に従わせようとするハーメルンの笛吹きのような人物が、所得水準が高く民主主義も根付いていた国を権威主義体制に変えてしまう事態には至っていない。
米国の中間選挙で示されたように、民主制という仕組みは生き残っている。
それでも、権威主義的な傾向を備えたポピュリストが権力を握りそうになっている国は少なくない。
これについては、既存の政財界のエリートたちの不手際――大多数の人々の運命に無関心なことや、欲は人一倍あるが能力は乏しいことなど、欧米での予想外の金融危機で露呈された欠点――にかなり大きな責任がある。
上に立つ人々の振る舞いについて冷笑的な態度を取るようになってしまった人々の間では、息をするのと同じくらい簡単に嘘をつける冷笑的な政治家がのしていく。
そうした政治家を支持する人は、その新しい指導者が難問に対する答えを持っていると思っているかもしれないし、思っていないかもしれない。
だが、旧来の指導者が答えを持っていないことは確信している。
フランスのエマニュエル・マクロン大統領が厳しい状況に陥っていることは、この強い力学がなお健在であることを示している。
しかし、新たな権威主義者たちは解決策をもたらしてくれない。
プーチン政権下のロシアは経済的衰退が続いている。トランプ氏が掲げた「米国を再び偉大にする」との公約は詐欺だ。
これらの指導者は独立した制度や機関を蝕むことによって最終的には国をより貧しくするだろうし、国民の自由も縮小させてしまうだろう。
法の支配が行われている民主主義国に幸運にも住んでいる人は、民主主義がよりよく機能するように尽力しなければならない。
今日においては難しい課題だが、民主制という政治システムを無傷で――理想的には、もっと良いものにして――後世に伝えていくためには、そうするしかない。
ダボス会議に出るような人々には、これが自分の明確な責務だということを、ぜひ心してもらいたい。
By Martin Wolf
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55320
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