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支配層はショー・ビジネスを人心を操る重要な道具として使っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901140001/
2019.01.15 櫻井ジャーナル
人心を操作する上でショー・ビジネスは重要な役割を果たしてきた。その影響力を西側の支配層が知ったのはベトナム戦争当時だろう。 ベトナムでテト攻勢があった1968年当時、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズやミック・ジャガー、ビートルズのジョン・レノン、ドアーズのジム・モリソン、あるいはジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなどのロック・スターも戦争に反対する意思を示していた。 こうした人々が戦争反対で連携した場合、支配層は侵略戦争の継続が困難になる可能性が高かったのだが、こうした支配層にとって幸運なことに、平和を訴えるスターたちは次々に死んでいく。 例えば、レノンやヘンドリックスにグループを結成しようと持ちかけていたというジョーンズは1969年7月にプールで死亡(殺人の目撃証言がある)、その5ヶ月後にはオルタモントで音楽フェスティバルでローリング・ストーンズ演奏中にメレディス・ハンターという若者が銃を構えながらステージに登るという出来事もあった。 1969年にはマフィアがヘンドリックスを誘拐、マネージャーになった元MI6(イギリスの対外情報局)マイク・ジェフリーが自身のマフィア人脈を使って救出したとされているが、ジェフリーが誘拐を計画したとも疑われている。ヘンドリックスを麻薬漬けにしたのはジェフリーだともいう。モリソンが変死した2ヶ月後、ヘンドリックスは問題のマネージャーを解雇、その翌日にヘンドリックスは死亡した。1970年には反戦コンサートへの参加を計画してジョプリンがヘロインの過剰摂取で死亡している。 1970年代に活動を休止していたレノンは1976年にビートルズの再結成に向けて動き始め、1980年10月にはシングル曲「スターティング・オーバー」をまた、11月には「ダブル・ファンタジー」というアルバムを発表して本格的に音楽活動を再開させた。 新曲を発表する前年、1979年12月にNATOは83年にパーシング2ミサイルをNATO加盟国に配備することを決定、核戦争を懸念する声が世界的に高まり、反戦/反核運動が盛り上がっていた。そのタイミングでレノンが復活することを支配層が恐怖したことは想像に難くない。レノンは1980年12月、マーク・チャップマンに射殺された。 モリソンは別の側面でも注目されている。父親のジョージ・ステファン・モリソンはトンキン湾事件当時、アメリカ海軍の空母ボノム・リシャールの艦長としてそのトンキン湾にいたのだ。 フランク・ザッパの父親、フランシス・ザッパが情報機関の仕事をしていたことも知られている。化学戦の専門家だったのである。 親イスラエル派として有名なトニー・ブレアはイギリスの首相になる前、1994年1月に妻のチェリー・ブースとイスラエル政府の招待で同国を訪問、帰国して2カ月後にはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、レビーはブレアの重要なスポンサーになる。 そのレビーは音楽業界で成功した実業家。1960年代から70年代にかけて興行主として活動、マグネット・レコードを創設、後に会社を売って資産を築いている。 ハリウッドや有力メディアと情報機関との関係は本ブログでも繰り返し書いてきたが、アメリカの音楽業界にも情報機関のネットワークが張り巡らされている。1977年にリリースされたイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の中に「1969年からスピリッツはない」という歌詞がある。アメリカ音楽会の状況と理解することも可能だ。 日本も似たような状況になっているだろう。 |
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