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未来は中国のものだとは限らない
高所得国の仲間入りは至難の業――マーティン・ウルフ
2019.1.7(月) Financial Times
(FT.com 2019年1月1日付)
中国、70年ぶりに人口減少 「人口動態上の危機」 専門家
中国、70年ぶりに人口減少 「人口動態上の危機」 専門家。写真は中国・重慶の乳幼児看護施設でマッサージを受ける赤ん坊(2016年12月15日撮影、資料写真)。(c)AFP〔AFPBB News〕
近い過去をもとに将来を類推することは、やめなければならない。
中国はこの40年間で、文字通り目を見張る発展を遂げてきた。その一方で、冷戦に勝利した後の西側陣営と自由民主主義は、ともによろめいてしまっている。
我々はこれを踏まえ、今後数十年間は専制的な中国が世界を支配する大国になるのは確実だと結論づけるべきなのだろうか。
筆者の答えは「ノー」だ。未来が中国のものになる可能性はあるものの、確実だとは言い切れない。
1980年代に広まった、日本が「ナンバーワン」になるとの見方は大間違いだった。
1956年には、旧ソビエト連邦の共産党第一書記ニキータ・フルシチョフが西側諸国に「おまえたちを埋めてやる!」と言い放った。これも全くの間違いだった。
日本と旧ソ連の事例は、しばしば繰り返される3つの過ちを浮き彫りにする。
まず、近い過去をもとに将来を類推すること、次に高度経済成長の時代はいつまでも続くと思い込むこと、そして政治経済の競争がもたらす利益よりも中央集権体制での指示がもたらす利益の方を誇張することだ。
長期的には、中央集権体制が硬直的で非常にもろいものになってしまいがちであるのに対し、競争が行われる体制は柔軟性を発揮して自己再生を遂げることが多いのだ。
現在、政治経済においてかつてないほど激しい競争が繰り広げられているのは中国と米国の間でだ。
これを受け、例えば2040年までには中国の経済規模が米国のそれをはるかに上回り、インド経済ははるかに小さな規模にとどまるとの見方が広まっている。
しかし、この見方が間違いである可能性はないのだろうか。
独立系の調査会社キャピタル・エコノミクスは、間違っている可能性が「ある」と見ており、中国が傑出した発展を遂げる時代は意外に早く終わりを迎えるかもしれないと論じている。
この見方が間違っており、中国がさらに発展する可能性については、説得力のある主張が2つある。
1つは、中国には生産性のレベルについて先進国との差をさらに詰めていく潜在力が大いにあるというもの。もう1つは、高度経済成長の時代を持続させる能力は実証済みだというものだ。
潜在力も能力もないと断言するには勇気がいるが、キャピタル・エコノミクスは「グローバル経済長期見通し」という報告書の中で、その勇気を持つべきだと論じている。
1980年代の日本がそうだったように、超高水準の投資と急速な債務の積み上げを併存させると、経済は急激な減速に対してもろくなる。
そして、これらを併存させる政策は、中国が2008年の世界金融危機以降に高度成長を継続してきた要因にほかならない。
重要なことに、2017年に国内総生産(GDP)の44%を占めた中国の投資率は、持続不能なほど高い。中国は2008年の危機の後、この並外れた投資率によって需要と供給の成長を維持した。
ところが、現在の中国の人口1人当たりの公的資本ストックは、人口1人当たりの所得が今の中国と同程度だった頃の日本の水準をすでに大きく上回っている。
都市部での世帯形成の伸び悩みは、新たに建設しなければならない住宅の数が減ることを意味している。意外なことではないが、投資のリターンは急落している。
要するに、投資主導の経済成長は近々終わるに違いないのだ。
中国はその巨大さゆえに、輸出主導の経済成長においても比較的早く壁に突き当たっている。高成長を遂げた他の東アジア諸国のケースに比べると、人口1人当たりの所得が低いレベルで停滞を余儀なくされている。
米国との貿易戦争はこの現実を際立たせている。
中国は、生産年齢人口も減少している。債務が急増していることも考え合わせれば、高度経済成長を維持することは至難の業だろう。
将来の需要は、大衆消費者市場の台頭次第となる。
一方、供給力を伸ばすには、イノベーション(技術革新)の指標の1つである「全要素生産性(TFP)」の伸び率を大幅に高めることが必要になる。
ところが2017年のデータによれば、個人消費はGDPの39%を占めるにすぎない。需要主導の経済を目指すのであれば、貯蓄率を急低下させる一方でGDPに占める家計所得の割合を大幅に高めなければならない。
どちらの達成も容易ではない。
しかし最も高い(特に、必要とされる生産性の伸びの急上昇にとっての)ハードルは、政治システムが専制主義的な方向に進んでいることだ。
中国はこの15年間、1998年から2003年にかけて首相を務めた朱鎔基氏が導入した改革の恩恵を享受してきた。
それ以降、これに匹敵する改革は行われていない。今日においても、融資は依然、国有企業に優先的に割り当てられているうえに、民間の大企業に対する国家の影響力は増大している。
これでは、仮に明らかな金融危機が回避されても、資源配分に歪みが生じてイノベーションや経済発展のペースも鈍ってしまうだろう。
要するに中国は、高度成長を成し遂げた他の東アジア諸国の成功を再現し、短期間で高所得国になることに失敗する公算が大きい。
実際、中国が高所得国になることは、他の東アジア諸国よりもはるかに難しいとみて間違いない。
経済における歪みが非常に大きいうえに、グローバル経済の環境も今後はかなり不利なものになっていくからだ。
一方、ロボット工学と人工知能(AI)の台頭は西側諸国、とりわけ米国の生産性向上に再び火をつけるかもしれない、とキャピタル・エコノミクスは論じている。
楽観的になりたい向きは、ドナルド・トランプ氏の不適格さと悪意を経験したことがよい薬になることも願うだろう。
トランプ氏の筋金入りの支持者は少数派だ。多数派の、うんざりしている人々が勝つ公算は大きく、米国が必要としている経済競争力と社会的関心への見直しが行われることになるはずだ。
米国に次いで興味深いのは、相対的な地位が緩やかに低下する運命にあると思われる欧州ではなく、近い将来に世界最大の人口を擁することになるインドである。
インドは現在、中国よりもはるかに貧しいが、それゆえに急速な経済成長を実現する潜在力は大いにある。
キャピタル・エコノミクスでは、2040年まで年率5〜7%の成長を遂げると予想している。
この水準の成長は少なくとも考えられないことではない。事業を営む能力は高く、貯蓄率も十分に高いからだ。
政策面ではかなりの改革が必要になるだろうが、インドの政界はこのところ、経済のパフォーマンスにますます目を向けるようになっている。
それで成功が保証されるわけではないが、可能性は高まるはずだ。
自由民主主義を支持する人々は、失望はしても自暴自棄になってはいけない。1990年代から2000年代初めにかけての「一極構造の時代」の多幸感とおごりは大きな間違いだった。
しかし、専制政治の勝利は、避けられないものでは決してない。
民主主義国家が栄えうるのと同様に、専制主義国家も失敗しうる。
中国は巨大な経済的困難に直面している。民主主義国は自らの過ちに学び、政治と政策の建て直しに注力しなければならない。
By Martin Wolf
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