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造船王国ニッポンの象徴・旧三井造船、実質解体…中国・韓国勢にまったく歯が立たず
https://biz-journal.jp/2019/11/post_130244.html
2019.11.29 文=編集部 Business Journal
三井E&SホールディングスのHPより
重厚長大の名門企業、「造船王国ニッポン」の一翼を担った造船・重機大手の三井E&Sホールディングス(以下、三井E&S、旧三井造船)が、主力のプラント設計・建設と造船の二大事業を大幅に縮小する。三井財閥の造船会社として発足した名門企業だが、中国企業や韓国企業との競争に勝てなかった。事実上の解体である。
三井E&Sはグループ全体で従業員1000人規模の配置転換・削減と、資産売却を柱とする経営再建策を打ち出した。2020年3月期の連結純利益は、5月に発表した30億円の黒字から880億円の赤字に大幅に下方修正。3年連続赤字の見通しで、赤字幅は過去最大・最悪だ。大赤字になったのは、インドネシアの火力発電所工事で約713億円の追加損失を出したため。この工事ではこれまで2度にわたり計800億円近くの損失を計上していた。関連損失の計上は3度目となる。
岡良一社長は11月11日の決算会見で「売上至上主義でリスクに目をつぶってしまった。深くおわびする」と陳謝した。業績悪化の責任を取り、田中孝雄会長兼CEO(最高経営責任者)は20年1月1日付で引責辞任する。
5月に公表済みの再建計画を見直した。船舶用エンジンや海洋ガス油田向けプラントなどに経営資源を集中させる。一方で子会社の三井E&Sプラントエンジニアリングや太陽光発電事業などを売却するほか、風力発電の建設やバイオマス発電所の国内での新設事業から撤退する。
中国や韓国企業との価格競争激化で不振が続いている造船事業では、千葉工場(千葉県市原市)で手がける大型商船の建造で新規の受注をせず、橋などをつくる鋼構造物に特化。千葉工場の用地を売ってリース契約に切り替え、債務の削減を図る。東京湾にある千葉工場のドックはこれまで積載量30万トン級クラスの超大型タンカーなどを建造し、日本の高度成長を支えた象徴的な造船所だった。今後は艦艇が主力の玉野工場(岡山県玉野市)での中小型商船に絞り込む。
赤字が続く造船事業をめぐっては、11月12日付日本経済新聞が「三菱重工業に提携を打診」と報じた。旧財閥系では、三井と住友が銀行や保険会社、建設などで提携を進めてきたが、三井と三菱の組み合わせはあまり例がない。三井E&Sと三菱重工の提携が実現すれば財閥の垣根を超えた再編となる。
■三井造船は再編に乗り遅れた
三井E&Sの前身である三井造船の歴史は1917年にさかのぼる。第1次世界大戦を契機に船舶需要が高まったことから、当初、三井物産の船舶部として発足した。37年に分離・独立したのち、42年に三井造船に社名を変更した。第2次大戦後、日本の造船業界は驚異的な成長を遂げた。1990年代半ばまで、30年あまりにわたり日本が世界の造船市場の主役を務めた。まさに「造船王国ニッポン」だった。
しかし、2000年代以降は韓国企業、10年を境に中国企業が巨大な設備を武器に安値受注で急激にシェアを伸ばした。日本勢は価格競争に敗れ、消滅の危機に瀕した。危機をバネに日本勢は再編に動く。02年、日本鋼管(現JFEホールディングス)と日立造船の造船部門が統合してユニバーサル造船が発足。13年、ユニバーサル造船とIHI(旧石川島播磨重工業)の造船子会社アイ・エイチ・アイ・マリンユナイテッドが合併してジャパン マリンユナイテッドが誕生した。
三井造船は手をこまねいていたわけではない。13年、同業大手の川崎重工業(川重)との経営統合協議を進め、巻き返しを狙った。だが、川重で統合推進派の長谷川聡社長が解任されるクーデターが起き、交渉は打ち切られた。破談した理由は、三井造船の造船専業に近い業態の将来性を、川重側が危惧したためといわれた。
17年、三菱重工が造船量日本一の今治造船と商船分野で提携した。それでも三井造船は他社との統合でなく、単独路線による生き残りを図ってきた。
■独立採算制強化が、皮肉にも解体を早めた
三井造船が創業以来最大の組織改編に踏み切った。事業本部制を解消し、18年4月1日付で純粋持ち株会社体制に移行した。三菱重工や川崎重工、IHIが海から陸や空へと業容を拡大するなか、造船を中核とした体制を維持してきた三井造船が遅まきながら動きだした。持ち株会社の名前は三井E&Sホールディングス。長年親しんできた「造船」の二文字を社名から外した。プラント事業を意味する「エンジニアリング(E)」と造船事業の「シップビルディング(S)」の頭文字を社名に冠して再出発した。
持ち株会社体制への移行は、田中孝雄社長(当時)が経営企画の担当役員時代から温めてきたアイデアだ。造船や化学プラントの不振を好調事業で補う護送船団方式を改め、各事業部門が独立採算を志向する改革だった。皮肉にも、これで各事業の遠心力が強まり、解体を早める結果を招いた。
主力に置いた「E」(エンジニアリング事業)は、インドネシアの火力発電所で大赤字を出し、プラント建設の子会社、三井E&SプラントエンジニアリングをJFEエンジニアリングに売却することで基本合意をした。「S」の造船事業は大型商船から撤退し、三菱重工との提携を目指す。
今後は船用エンジンなど機械関連事業を伸ばすほか、浮体式の原油生産貯蔵設備(FPSO)に強みを持つ子会社の三井海洋開発(東証1部上場、三井E&Sが50.1%の株式を保有)の成長を加速させ、黒字化につなげる。三井海洋開発は今年10月、オーストラリアで2000億円規模の洋上プラントを受注した。
株式市場では再建資金を調達するため、「“ドル箱”の三井海洋開発を売却するのでは」との観測が出ている。三井E&Sの事業構造の転換は同業他社に比べて2周遅れの感は否めない。
(文=編集部)
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