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貧困でも病気でも死ねない地獄。人生100年時代と生涯現役の最凶タッグが日本人を襲う
鈴木傾城
2019年11月21日お金の悩み、ニュース
人生100年時代に向かう中、社会保障費の増大や高齢者の生活保護受給者の増加が止まらなくなる問題に対して、社会はどのように対処するのか。実はもう答えは出ている。その答えは「高齢者にはギリギリまでずっと働いてもらう」というものだ。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
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プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。
長生きすればするほど貧困へ。生活保護受給者の半数近くは高齢者
「病人を死なせない」方向に発達した
すでに日本においては、65歳以上の「高齢者」の人口は3,300万人を超えている。そして、2015年から80代以上の人口は1,000万人超えとなった。この割合はもっと増えていくことが分かっている。
日本人は世界でも有数の長寿国家である。しかし、長寿化しているのは日本人だけではない。先進国はどこの国も日本と同じように長寿化している。
もう人生は80年ではなく「100年」なのである。
『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略』を記したリンダ・グラットン氏とアンドリュー・スコット氏は、先進国において2007年生まれ以後の2人に1人は100歳を超えて生きる時代になると予測した。
災害は巨大化しているし、戦争は大量殺戮を効率的に行えるようになっているし、食環境の悪化で健康は悪化しやすくなっている。病気は人類から消えてなくなっているわけではない。
それでも人類が長生きできているのは、先進国においては生存環境が良くなっていることもある。そして何よりも医学が「病気を完治させる」以上に、「病人を死なせない」方向に発達しているからである。
私たちが重篤な病気になったとする。医者は私たちを完治させられなくても、生かせ続けるのだ。どんなに健康で壮健な人であっても、加齢に伴って健康は少しずつ消えていく。身体のあちこちが壊れていく。
身体が壊れた状態でも、生存に適した先進国の環境と高度なヘルスケアの手にかかると、かなりの長生きができるようになる。
逆に言うと、私たちは健康を失っても、「延々と生き続けなければならない時代」に入っているとも言える。
「健康寿命」を失っても生き続ける
寿命には、通常の「寿命」とは別に、もうひとつの概念を持った寿命がある。それが「健康寿命」である。健康寿命とはウィキペディアによるとこのように定義されている。
健康寿命とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと
出典:Wikipedia
たとえば、深刻な病気にかかったり寝たきりになったりして自立した生活ができる生存期間が終わったら、その後は継続的な医療・介護に依存しながら天命を全うするまで生き続けなければならない。
Next: 長生きは地獄? 病気になって動けなくても、さらに寿命は延びていく…
病気になって動けなくても、さらに寿命は延びていく
その期間は短ければ短ければいいと普通は思うのだが、人間の人生はそんな都合良くできていないので、たとえば60代でもう身体がボロボロになって以後は介護に依存して生きることになる人もいる。
糖尿病や認知症や心臓疾患や癌は誰もなりたいと思ってなるわけではない。なりたくなくても「なってしまう」ものなのだ。それが50代や60代で発症したとしても、それでその人を責めることは誰にもできない。それは自己責任ではない。
糖尿病は生活習慣病なので自己責任と考える人もいるのだが、実は糖尿病も貧困が原因で起きているものであるという認識も少しずつ広がってきている。
【関連】日本の貧困層は飢えずに太る。糖尿病患者の半数以上が年収200万円未満の衝撃=鈴木傾城
問題は、どんなに早く健康寿命を失ったとしても、現代の医学は「病気の進行を抑えながら生かし続ける」ことができるので、そこからもさらに寿命が延びていくことである。
中には延々と介護を受けたまま食べて寝るだけで、何のために生きているのか分からないような人もいる。その度合いがどうであれ健康寿命を失って生きていると、誰でもそのような局面になる。
時には、「長生きできることは幸せだ」と思えないこともあるはずだ。長生きすることによって家族にも迷惑をかけると深刻に捉え、精神的にも追い込まれて「早く死にたい」と考える人もいる。
長生きするほど老後資金は足りなくなる
折しも年金制度は徐々に危うくなってきている。日本は高齢者が増えると同時に子供が減っているので、賦課方式の年金は現役世代に耐えられないほど重いものになりつつある。
そこで日本政府は「老後は2,000万円の貯金が必要」と言い出したのだが、ほとんどの世帯はそんなに持っていないし、貯めることもできないので「どういうことなのだ」と高齢層は政府を激しく批判した。
選挙で票を入れるのは若年層ではなく高齢層なので、高齢層の怒りに敏感な政府はすぐに「2,000万円貯めろ」を引っ込めたのだが、実際問題として「年金では食べていけない」というのは誰もが知っていることだ。
老後のための貯金は、長生きすればするほど足りなくなっていくのだが、人間は長生き「してしまう」時代になったのである。
Next: 長生きすると貧困へ。生活保護受給者の半数近くは高齢者
生活保護受給者の半数近くは高齢者
貯金も足りず、年金も足りず、さらに健康寿命も失って長生きするというのはどういう状態になるということか。
言うまでもなく、長生きすればするほど貧困に落ちていくということである。長生きし過ぎると、ほとんどの人は困窮の度を増していくことになる。
それを裏付けるのが生活保護受給者の内訳だ。現在、生活保護受給者の半数近くは「高齢者」である。
【関連】100歳まで病気でも貧困でも「生かされる」地獄、生活保護の半数以上が高齢者=鈴木傾城
高齢者は歳がいけばいくほど働けなくなる。いくら健康であっても年齢と共に身体は言うことを効かなくなるし、必ず寿命よりも前に健康寿命が消えるのだから、高齢層が困窮していっても不思議ではない。
そう考えると、人生100年時代になって「長生きできるから良かった」と単純に喜べない現象であることが分かるはずだ。「経済的に困窮して貧困の中で幸せに生きられるのか?」と問われれば、誰もが「ノー」と言うしかない。
カネを使わなくても幸せに生きられると言っても、医療や介護は「タダ(無料)」ではない。諸経費は必ず貯金を食い潰していく。
カネのために奴隷のように酷使される未来
今後、人生100年時代に向かう中で、社会保障費の増大や高齢者の生活保護受給者の増加が止まらなくなる問題に対して、社会はどのように対処するのか。
実はもう答えは出ている。その答えは「高齢者にはギリギリまでずっと働いてもらう」というものだ。
「本当に動けなくなるまで働く」「死ぬ一歩手前まで働く」というのが、人生100年時代の高齢者に課せられた義務になる。それを前向きな言葉で言ったのが「生涯現役」である。
「最近の高齢者は元気だ」「高齢でも立派に働ける」とよく言われるが、いくら高齢者が元気だと言っても、高齢者はどうあがいても若年層と同じような働き方はできないし、そんな気力も体力も健康も持ち合わせていない。
Next: 「生涯現役」は呪いの言葉か。日本人の老後はますます過酷になっていく
日本は生涯現役「強制」社会へ
昔の高齢者に比べたら確かに現代の高齢者は健康かもしれないが、それでも加齢による衰えは確実に起きている。しかし「生涯現役」が強制される。
それは多くの高齢者にとって、過酷であり残酷なことである。確かに年金受給資格の「高齢者」に入る65歳を過ぎても、現役でバリバリ働きたいという高齢者もいる。70代や80代でも、働くのが好きで「仕事が生き甲斐」という人もいる。
しかし、かなりの高齢者は「もう疲れた。ゆっくり休みたい。働くのが苦痛だ」と思い、仕事から離れて静かに暮らす日々を求めているはずだ。
人生100年時代になると、この「生涯現役の強制」が行われるようになる確率が非常に高い。十分な貯金がないのであれば、「高齢者にも長く働かせる」というのが社会の回答になるからだ。
人生100年時代と生涯現役の組み合わせは、残酷な時代の幕開けでもある。
私たちは「老いてゆっくり休む」という選択肢は残っていない。このままでは、カネのために奴隷のように酷使される未来が待っている。
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仕事時間は短く生産性は高い「北欧流の休息」が幸福をつくる
藤野ゆり:清談社
国際・中国 ニュース3面鏡
2019.11.23 5:35
2019年版の世界幸福度ランキングが発表され、日本は58位と昨年よりもさらに順位を下げた。一方、例年通り上位を占めたのが1位フィンランド、2位デンマーク、3位ノルウェー、7位スウェーデンといった北欧諸国。北欧の幸福の秘密は一体どこにあるのか?(清談社 藤野ゆり)
仕事中2回のティーブレーク
15時には終業!の北欧諸国
人口は日本の10分の1にもかかわらず、GDPは世界第23位。スウェーデン人は積極的に休みながらも、生産性を落とさない Phoo:PIXTA
WHOが実施する世界幸福度ランキングで、スウェーデンやデンマーク、フィンランドなど北欧諸国が常に上位をキープしているのは有名な話。最新の「世界幸福度ランキング2019」では、2年連続でフィンランドがトップだった。
一方、日本は2015年の46位から下降線をたどり、昨年は54位、19年版では58位と、どんどん順位が下がっている。何をもって幸福とするかの定義は曖昧だが、そもそも北欧諸国は日本と比べ税金も高く、決して暮らしやすいとはいえないはずだ。
「北欧諸国は消費税が高く、スウェーデンとノルウェーは25%、フィンランドは24%です。外食や旅行などのぜいたくはなかなかできず、ブランド品は買わない人がほとんどですし、自家用車を持つのも難しい。しかし社会保障制度が整備されている北欧は、子どもの教育費や医療費が無料。老後の心配はほとんどないといってもいいかもしれません」
そう話すのは、北欧流ワークライフデザイナーとして活動する芳子ビューエル氏だ。ぜいたくや余裕のある暮らしができるわけではないが、未来には大きな不安を持たなくていい国。しかし、幸福度の高い北欧の幸せの秘密はそれだけではないはず。芳子ビューエルさんは、彼らの休息の仕方と文化にヒントがあるのではないかと話す。
「スウェーデンで生まれた『フィーカ』という休息の文化。これが、北欧人のメンタリティーのカギを握っているかもしれません」
聞き慣れない言葉だが「フィーカ」とは一体どのような状況をさすのか。
「フィーカとはスウェーデン語でコーヒーブレークの意味を持つ動詞です。フィーカは伝統文化であり、単なるブレークタイムではなく働き方や生き方など北欧人の考え方の根底につながっています」
一般的に彼らは仕事中、午前と午後の2回フィーカを楽しむうえに、仕事は15時ごろに終えて余暇を楽しむ人が多いのだという。さらにサマーバケーションは2週間から1ヵ月取得するなど、北欧人はオンとオフをきっちり分けている。
「ストックホルムでは夏の間に『フィーカバス』というものが走ります。バスの中にはテーブルと、コーヒーなどのドリンク、ちょっとしたスイーツが用意されています。移動しながらフィーカを楽しむためのバスというわけです。フィーカが生活に溶け込んでいるのです。しかもフィーカの方が断然ランチやディナーより安上がりです」
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休暇中はスマホもPCもオフ、仕事とプライベートは分けよう
こまめに休みをとっているにもかかわらず、スウェーデンの1人当たりのGDPはこの30年、右肩上がりの上昇カーブを描いているとビューエル氏は言う。人口は日本の10分の1にもかかわらず、世界第23位という地位を築いているのだ。積極的に休みながらも、生産性は落とさない。一体その秘訣はどこにあるのか。
「フィーカの目的は、リフレッシュとコミュニケーション。職場では社員が一緒にフィーカすることもあれば、個別で休むこともあります。職場でのフィーカの場合、おのおのがマグカップに飲み物を注ぎ『たわいもない』おしゃべりに身を投じて休みます。このたわいもないおしゃべりというのが、フィーカにおいては大事なのではないかと思っています」
こうした北欧の「コミュニケーションありきの休養」が作業効率を上げ、かつストレスを軽減させているのではないかと、ビューエルさんは仮説を立てる。
しかし、おしゃべり好きとされるスウェーデン人と日本では国民性も大きく異なる。会社の休憩時間ぐらい、1人で静かに過ごしたいと考える人が大多数なのではないだろうか。休み下手といわれる日本人にとっての上手な「フィーカ」とは、どのような方法だろう。
「逆に日本人はコミュニケーションをうまくシャットアウトできると、より心が休まると思います。たとえば休暇中はスマホを見ない時間を設け、仕事関連の電話やメールは完全にオフにしてみる。北欧の人たちは基本的にしっかりお休みを取るので、休暇中は基本的にどんなことがあっても仕事の電話には出ませんし、メールは自動返信。休暇とは完全に『オフ』を楽しみ、プライベートと切り離しているんです」
日本では休暇中にもかかわらず会社のメールをチェックし、時にはPCを開いてバケーション先でもお構いなしに作業をする人が少なくないはずだ。ワークライフバランスを意識するようになったとはいえ、それでもやはり休日も仕事のことが気になり休んだ気になれない…とこぼす人は少なくない。北欧人が仕事とプライベートを潔く分けられるのは一体なぜなのか?
「それは日本文化の中にある『空気を読む』とか『常識』という、ある種暗黙の了解的風習やそれにまつわるプレッシャーがないからだと思うんです。多くの情報やトレンドが海外からリアルタイムで流れ込んでくる状況にあっても、なかなかそれを手放しで受け入れられないつらさが日本社会にはあります。北欧では若者の間でもパーティーの前に全員のスマホを没収して、どんなに携帯が鳴っても出ない、というルールを設けている人々がいます。今一緒にいる人とのリアルな時間を楽しむためです。休暇だってそうできたら一番いいですよね。スマホの登場によって私たちは24時間会社とつながれるようになってしまった。そのことが、義理堅い日本人の息苦しさにさらに拍車をかけているのかもしれません」
私たちの「フィーカ」はスマホを手放し、目の前の人間関係や景色を、画面ではなく肉眼を通して楽しめるようになったときに始まるのかもしれない。
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久賀谷 亮
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幸福度世界1位のデンマークより、日本のほうが恵まれている
石黒 浩
https://diamond.jp/articles/-/221409?page=2
今どきアラフォー男性の家族愛、「妻子より仕事」からどれだけ変わった?
武藤弘樹:フリーライター
ライフ・社会 井の中の宴 武藤弘樹
2019.11.23 5:30
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令和のアラフォー男性の家族観は?
写真はイメージです Photo:PIXTA
「家族を顧みずに仕事をする父」が美談として語られたのはもうはるか昔、昭和時代の話。昭和を経て令和のパパたちは今、どのような家族観を抱いているのだろう。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)
変わる家族愛の形
過渡期に育まれた価値観
アメリカの映画を観ていると、“アメリカにおける理想のパパ像”を体現したような人物が登場するのをよく目にする。彼らは家族を愛し、家族を何よりも優先し、家族を守るために命を賭して戦いそして勝利する。こうしたステレオタイプなパパはメジャーな映画ほど登場する確率が高く、それがアメリカのパパ像全てというわけではなかろうが、アメリカ国内では多数から概ね好意を持って受け入れられていると推測される。
一方、日本のパパ像だが、これは昭和から令和にかけて大きく変わってきている。昭和のパパ像は“会社に忠誠を尽くし家族を養っていく”が典型だったが、ここに“家族サービスすればなおよし”と加点要素が追加され、段々と“会社より家族・プライベートを重視すべし”という風潮になってきた。
平成を経て令和の現在では“家族サービス”という言葉すら、もはや死語に近づいてきている感がある。使うと周りの反感を買う可能性が高くなってきているのである。勤め人とはいえ家族に尽くすのが当然なのだから、その当然なる奉仕にわざわざ“家族サービス”なんて呼び名を用いる必要はない、むしろ当然なる奉仕を美化し大義ぶっているこの語は男性の旧態依然たる傲慢さすら感じさせる――とこういうわけである。
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「時間はなくても子どもと関わりたい」
現在アラフォーとなる世代の男性は生まれこそ昭和だが、昭和の価値観どっぷりというわけではない。昭和で育ちながら平成・令和連合世代の台頭を肌で感じる過渡期真っ只中で生きてきた世代であり、個々人の価値観を聞いてみると時代の流れそのものを映し出しているようで面白い。令和のアラフォー夫がそれぞれの家族愛について語る。
仕事が忙しいパパの場合
「時間はなくても子どもと関わりたい」
家族との関わり方は仕事の忙しさによってある程度決定される。仕事に忙殺されれば必然的に家族と過ごす時間が減っていく。仕事が忙しいパパの家族愛とは。
Aさん(39歳)は一児の父で、子は幼稚園児である。仕事については「昔の気風を残した、ややブラック的な職場」らしい。幼少の頃は「仕事人間で、団塊の世代を体現したような亭主関白な父」(Aさん談)を見て育ったためか、「自分もなんとなくそういう父親像でいいのだ」と考えていた。
しかし妻から「もっと子どもに目を向けろ」と猛反発を受け、一時期深刻に対立したが、わが子へのかわいさに触れるなどするうちに徐々に自らの姿勢を振り返るようになって、今は父とは違った、“父よりかは家族をもうちょっと大切にするパパ像”を目指しているそうである。
「『家族が大事』とは照れがあるのでなかなか言えませんが。大事なことは確かです。
Facebookで知人が家族と過ごしている様子などを目にした折は『俺ももっと家族と過ごす時間を増やしたいな』と思わされることがあります。仕事がブラック気味だから、かえって家族への欲求が強まっているというか。
もしホワイトな職場だったとしたら、今度は父親としてどう立ちまわればいいかわからなくなってしまうと思うので、現在は仕事がブラック的であることに助けられている部分も少しあります。
自分が目にしてきた父親像でない父親像は、なかなかイメージできないので目指すのが難しいです。父に比べれば自分は格段に子どもに甘く、子どもとよく遊んでいると思いますが。そもそも理想の父親像についてなんて普通に親になるだけだと考える機会なんかなくて、自分の場合は妻と対立していた折にたまたまそういうことを振り返ることがあったわけで。
だから“家族への愛情について”と聞かれると、自分はフワフワしていますが、子どもはかわいいし妻も同様に大切だなと。あと親は責任重大なポジションなので、子どもが成人するまでは金銭的に不自由させないことと、夫婦で協力して子どもにしかるべき愛情を与えていくことが義務なのかなと思います」(Aさん)
まさに過渡期の人という感じである。それまで自分の血肉として疑いもなかった常識だったがどうやらアップデートする必要があることがわかってきた。Aさんなりの葛藤があったと推測されるが、新しい概念を自分の中に取り込んで、Aさんは常識バージョン2を構築しつつある。
Bさん(37歳)は3児の父で、長子はもう中学生になる。しかしBさんは周りに滅多に子どもの話をしない。Bさんとそれなりに仲のいい人でも「Bさんの子どもの顔を知らない」という人が結構いるそうである。自慢と報告を兼ねて、あるいは雑談のちょっとした延長で、誰かに自分の子どもの写真を見せる……巷でよく見られる一般的な光景だが、Bさんはこれをほとんどしたことがないそうである。理由は「恥ずかしいから」。
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「家族は大切」
「自慢するようなものでもないし、見せた相手にお愛想言わせるぐらいには気を遣わせるし。子どもの写真を人に見せるのは好きではない。
そもそも“僕が父親である”というのがなんとなくいまだに恥ずかしい。いつの間にか父親になったが、はたして僕は本当にきちんと父親できているのか。仕事が忙しく平日は子どもが寝てから帰宅、週末も家でゆっくりできる日は少ない。
僕は子どものころ、父があまり家にいなくて、たまに顔を合わせる父がなんとなく疎ましかった。父が立派だったのだと気づいたのは僕が社会人になってから。きっと僕の子どもも、昔の僕のように父親に対して感じるところはあると思う」(Bさん)
自らの体験を振り返って子どもの胸中を推し量る、忙しく働くパパのひとつの姿である。また父親歴10年超であるにもかかわらず、いまだに「自分は父親としての務めを果たしているのか」と自問自答しているあたり、非常に内省的な性格であることがうかがわれる。
しかし「子どもはかわいいか」の質問に対しては「かわいい」と即答した。
「仕事がどれだけ忙しくても子どもの行事には参加することと、子どもとの約束を破らないことの2つを自分に課している。最低限ギリギリのラインは決して割らないようにして子どもとは関わっていたい。
僕自身の場合のように、子どもが大きくなってから『お父さんはちゃんと父親やってきたのだな』と思ってくれればいいと考えているので、今はよくわからないながら、仕事して子どもを養い、子どもと関わってがんばりたい」
アメリカ的風情のあるパパの場合
「家族は大切」
家族を大切に思っていたとしても、アメリカ的に「家族は本当に大切。家族最高!」とあけっぴろげなテンションの人はそういない。AさんとBさんはまさしくその例で、日本男性的な恥じらいの上で、令和のパパなりの愛情を垣間見せていた。
一方、Cさん(36歳)は女児2人の父で、家族愛の示し方がだいぶアメリカナイズされている。それが3年間のアメリカへの留学経験のためか、本人のひょうきんなキャラのためかはわからないが、「家族マジ大事」と韻を踏んでわざわざ公言するので、仲のいい知人からは「うそくさい」「なんかむかつく」といじられていた。週末はほぼ家族と過ごし、たまのDIYが趣味の模範的マイホームパパ(この言葉も死語になるかもしれない)である。
「うちは女性が多いので、パパはやっぱり男性1人で旗色が悪い。ここで僕がパパとして立場を確立するためには彼女らに気に入られることが最善だなと。
子どもを見ていると母親の影響力は本当に強くて、妻が好きなもの・嫌いなものを、不思議なくらい子どもも同じように真似する。妻は大切だが、対子ども向けに『より妻に気に入られていた方がやりやすい』というのはあります。
仕事は人間関係に恵まれていて、仲のいい人もたくさんいる。けれども、やはり自分が一番心安らげるのは家族といる時。大切にしなきゃ罰が当たります。家族とはいえ他人なので、決して甘えずきちんと向き合っていく必要はありますが」(Cさん)
家族という紐帯は強靭である。好きでも嫌いでも、どんな形でもつながってしまうのが家族で、信頼し合える関係が築ければ最上の安心を得られる場所となる。しかし家族ならではの人間関係の難しさもあるから、うまくいかないと家庭は結構な地獄となる。Cさんのように「甘えず、相手を尊重する」といった考えを自律して持つのは、家庭を地獄にしないために有効なひとつの方策であろう。
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「親の背中を見て育て」
Dさん(38歳)はいかにも現代風なスタイルで仕事と向き合っている。どれだけ仕事が残っていようと決して残業はせず、どれだけ緊急性を要する電話でも勤務時間外の着信には決して応答しない。
上司から「勤務時間内に処理が不可能な量の仕事を任せているつもりはないので、残業をするか、勤務時間内の仕事の効率を見直してほしい」と再三言われているが、Dさんの言い分は「努力は散々してきた。根本的に仕事の量が多いから無理」と、双方に行き違いがあるようである。先進的な考え方を実践しすぎて、傍から見ていてハラハラしてしまう人がいるが、Dさんはまさしくそんな人物である。
「仕事はあくまで生活費を稼ぐ手段に過ぎません。定時以外で自分の時間が会社に搾取されるなどあってはいけない。
家族は大切にしています。僕は子どものころ、カギっ子で寂しい思いをして育ったので、自分の子どもにはああいう思いをさせないように努力しています」(Dさん)
自分の親を見習うか反面教師とするかは場合によるであろう。Dさんのように反面教師とすると、昭和にはなかった新たなパパ像が現出することとなる。
「自分を優先するのも大事」なパパの場合
「親の背中を見て育て」
趣味でDTM(※打ち込み系の音楽。パソコンを使って1人で曲を完成させる。当世風にいうと“DAW”)を続けているEさん(43歳)は一男一女の父である。やや破天荒な性格だったが結婚してからは丸くなった。
「それまで『自分の子どもがかわいい』っていう人たちの話を散々聞いてきて『本当かよ』と思ってたけど、自分にも子どもができて『ああ、本当だ』と思った。子どもと関わる時間は積極的に作っているつもり。妻との関係も“カップル”から“父母”となり、結びつきがさらに強まった。
しかし子どもがいるからといって、自分を殺してまで子どもに奉仕するのは違うと思う。もちろん自分を殺さなくちゃいけない場面もあるけど、滅私奉公が全てではない。子育てを優先しつつ、空いた時間で親は自分のことをするべきだなと。
子どもは親が思っている以上に頭が良くて敏感だから、表面を取り繕ってもあまり意味がない。結局子どもは親の本質を見抜いて、その背中を見て育っていくので、親が自分の人生を充実させることが子育てにいい影響を与えるのではないかと考えている。子育てが趣味になっている人はそれを全うすればいい。自分の場合は趣味があるので、これに打ち込んでしっかり充実していきたい。
子どもができてからは趣味の時間が格段に減ったが、かえってそれでモチベーションが上がったぐらい」(Eさん)
家庭をないがしろにしない範疇で趣味や仕事、自分の人生に精を出すべきというこの主張は新鮮だが説得力があった。ガス抜きをして健全な精神状態で子どもと向き合った方が、子どもにいい影響があるという側面も見られる。
人付き合いが苦手なFさん(41歳)は1児の父だが、「いい時代になった」と語る。仕事は主に付き合いで忙しくしていたが、「子どもができてから付き合いを、角を立たせずに断りやすくなった」そうである。
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共通は「子どもはかわいい」
「子どもは断る時の最高の言い訳になりますね。そうやって言えば今の時代の風潮は『じゃあ仕方ない』どころか、『家族を大切するお父さん』みたいな好意的な見られ方もしてもらえるので。まあ子どもをダシに使っているのは事実ですが、付き合いに行くよりうちで子どもと楽しく遊んでいたいのも事実なのでご愛嬌ということで。
自分が父親になる実感があまりないまま父親になったので、妻ともども、子どもに日々親として成長させてもらっている感じです」(Fさん)
Fさんはあまり仕事人間ではないので、こうした立ち回りが許されるホワイトな世の中にしきりに感謝している様子であった。
このほか「しっかり家族サービスして、しっかり自分も遊ぶべし」(Gさん・41歳)や「子どもがかわいいから仕事がどれだけしんどくてもがんばろうと思える」(Hさん・44歳)といった声も聞かれたことをここに紹介しておく。
令和の家族愛のあり方は「家族を愛する」という点でややアメリカ的だが、そこに日本文化なりの“控えめさ”が加わったような按配である。こうして「家族愛について」のテーマでおおっぴらにインタビューを行えたという事実が、国内の家族愛のあり方がかつてより具体的になってきていることを示しているともいえる。
今回の回答者でほぼ全員に共通していたのは「子どもはかわいい」であった。少子化社会なので子どものありがたさがいや増している昨今である。令和の家族愛は、子どものかわいさを中心軸に据えて育まれていくのかもしれない。
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