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G7で2番目に高い日本の相対的貧困率。そこで何が起きている?
松本 健太郎
株式会社デコム データサイエンティスト
2019年11月19日
3 62%全4790文字
公的統計データなどを基に語られる“事実”はうのみにしてよいのか? 一般に“常識“と思われていることは、本当に正しいのか? 気鋭のデータサイエンティストがそうした視点で統計データを分析・検証する。結論として示される数字だけではなく、その数字がどのように算出されたかに目を向けて、真実を明らかにしていく。
※文中にある各種資料へのリンクは外部のサイトへ移動します
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日本は、貧困国でしょうか。
「貧困」と聞いて大勢の人がイメージするのは、アフリカの貧困国のように、極端に背が低くガリガリに痩せ細った子どもたちの姿かもしれません。しかしGDP規模が米国、中国に次ぐ第3位の日本において、そのような光景を目の当たりにすればそれは「事件」です。
そうした貧困は「絶対的貧困」と呼ばれ、世界銀行では「1日1.90米ドル(約200円)未満で生活する人々」と定義されています。2015年には全世界で約7.36億人いると試算されています。
米国に次いで高い日本の「相対的貧困率」
貧困にはもう1種類、「相対的貧困」と呼ばれる指標があります。その国の文化・生活水準と比較して困窮した状態を指し、具体的には「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」と定義されています。
日本の相対的貧困率は、12年は16.1%、16年は15.7%もありました。約6人に1人は「相対的貧困」なのです。「OECD経済審査報告書(2017年)」には、国別の相対的貧困率が掲載されています。日米欧主要7カ国(G7)のうち、日本は米国に次いで2番目に高い比率になっています。
日本の相対的貧困率はG7の中で米国に次いで高い
出典:OECD (2017g)、OECD Income Distribution (データベース)
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「昔はもっと貧しかった」と主張される方もいます。では、ご自身の学生時代を江戸時代と比較して「あなたは昔に比べて裕福だった」と言われたら、どのような気分になるでしょうか。それと一緒で、成長を続ける現代において昔との比較は意味がありません。
相対的貧困とは、あくまで相対的なものであり、概念であり、目で見えにくい。だからこそあまり注目を集めず、今も苦しんでいる人たちがいます。ちなみに国立社会保障・人口問題研究所が17年7月に実施した「生活と支え合いに関する調査」によれば、「ひとり親世帯(二世代)」の約36%が食料の困窮経験について「あった」と回答しています。
食料の困窮経験が「あった」世帯の比率
出典:内閣府の子供の貧困対策「子供の貧困に関する現状」
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持続可能な社会を目指すなら、相対的貧困は低い方が良いといわれています。実際、SDGs(持続可能な開発目標)では、「目標1」として「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」と掲げるだけでなく、「目標10」に「各国内および各国間の不平等を是正する」と掲げ、相対的貧困層の減少を訴えています。
それは、なぜでしょうか?
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「相対的貧困層」は若者、老人、ひとり親の家庭に多い
まず、相対的貧困層とはどのような人たちが多いかを調べてみます。
貧困に関する研究の第一人者である阿部彩先生の「貧困統計ホームページ」に、詳細な分析結果が掲載されています。
出典:阿部彩(2018)「日本の相対的貧困率の動態:2012から2015年」科学研究費助成事業(科学研究費補助金)(基盤研究(B))「『貧困学』のフロンティアを構築する研究」報告書
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この結果から、主に10代後半〜20代前半の若者と70代以上の高齢者の相対的貧困率が高いと分かります。70代後半の女性の4人に1人が相対的貧困というのは、なかなか衝撃的な結果です。
少し違った角度で見てみましょう。20〜64歳における世帯構造別・男女別の相対的貧困率は以下の通りです。
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出典:阿部彩(2018)「日本の相対的貧困率の動態:2012から2015年」科学研究費助成事業(科学研究費補助金)(基盤研究(B))「『貧困学』のフロンティアを構築する研究」報告書
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母子・父子家庭を意味する「ひとり親と未婚子のみ」の相対的貧困率が他世帯構造と比べて高いと分かります。もちろん、その家庭で暮らす子どもも「相対的貧困」に含まれます。
子どもの貧困率(子ども全体に占める貧困線に満たない子どもの割合)は「平成28年国民生活基礎調査」によると13.9%、実に7人に1人の子どもが貧困だと分かりました。ひとり親の場合、貧困率は50%を超えます。
10代後半〜20代前半の若者、70代以上の老人、そして母子・父子家庭(子ども含む)。この3つの層に、相対的貧困が多くいると言えるでしょう。
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「相対的貧困」家庭の子どもは相対的貧困に陥りやすくなる
20歳未満の若者・子どもが、相対的貧困の場合、それはどのような影響を及ぼすでしょうか?
「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」に、家庭の「社会経済的背景(SES)」と小学6年生、中学3年生の学力の関係を分析した結果が掲載されています。
※社会経済的背景(Socio-Economic-Status、SES):子どもたちの育つ家庭環境の諸要素(特に保護者の学歴・年収・職業など)のこと。ただし固定的な定義があるわけでなく、調査によって定義や分類に使われるデータは異なる
この調査では、家庭の社会経済的背景(SES)を「Lowest」「Lower middle」「Upper middle」「Highest」の4階層に分け、それぞれの家庭収入、父親の学歴、母親の学歴について以下のようにまとめています。
出典:文部科学省「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」
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この中では、Lowestが相対的貧困層に比較的近いのではないかと考えます。
家庭の社会経済的背景(SES)別の小学校6年生の平均正答率は、以下のようになっています。棒グラフは平均正答率、丸い円が変動係数(標準偏差を平均値で割った値で高いほど正答率にばらつきがある)を意味しています。
小学6年生におけるSES別の平均正答率と変動係数
出典:文部科学省「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」
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どの科目も、家庭の社会経済的背景(SES)が高いほど平均正答率が高まり、変動係数は低くなるという結果でした。では、中学校3年生の平均正答率も見てみましょう。
中学3年生におけるSES別の平均正答率と変動係数
出典:文部科学省「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」
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同じような結果を示しました。家庭の社会経済的背景(SES)が平均正答率と何らかの関係があるとうかがわせます。
もっとも、この結果だけでは「両親の学歴が低い・年収が低いから、子どものテストの点数も悪くなる」と言えません。なぜならLowestの変動係数が相対的に見て高いということは、高い学力水準を持つ生徒もいると言えるからです。あくまで「平均正答率の平均値が低い」だけしか分かりません。
ただ、平均正答率の平均値が低ければ、大学に入学せず就職したり、職場でも単純労働に従事したりするなど、その後の生涯収入に影響を及ぼす可能性があります。
次ページ捕捉率の把握を目的とした継続的な統計データは無い
09年公表と、少し古いデータになりますが、東京大学の大学経営・政策研究センター「高校生の進路と親の年収の関連について」によると、両親の年収別の高校卒業後の進路は以下の通りでした。年収が高まるほど大学に進学するか浪人する比率が高まり、かつ就職する率が低くなります。
両親年収別の高校卒業後の進路
出典:東京大学 大学経営・政策研究センター「高校生の進路と親の年収の関連について」
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また、19年に発表された内閣府の子供の貧困対策「子供の貧困に関する現状」によると、子どもの大学(専修学校等含む)進学率の推移は、ひとり親家庭、生活保護世帯など金銭的な問題が考えられる世帯は、全世帯に比べて相対的に低い結果となりました。
子どもの大学(専修学校等含む)進学率の推移
出典:内閣府「子供の貧困に関する現状」
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本人が自らの意志で「大学に行かない」と選んだならともかく、「大学に行けない」と言わざるを得なかった。「学ぶ環境」が無く、適切に学業を修められなかった。これこそが貧困が与える影響でしょう。その結果、その家庭に生まれた子どもも相対的貧困に陥りやすくなる。結果、貧困は連鎖し、再生産されてしまう。
これこそが「持続可能性が無い社会」なのでしょう。こうした状況を「学ばないおまえが悪い」と斬って捨てるほどの自己責任論者にはなれません。このような状況を放っておいてよいはずがありません。
捕捉率の把握を目的とした継続的な統計データは無い
貧困から抜け出すための手段の1つは生活保護です。しかし日本は海外に比べて捕捉率(生活保護を利用する資格がある人のうち実際に利用している人の割合)が低いといわれています。
日本弁護士連合会(日弁連)が作成したリーフレットでは、日本の捕捉率は15.3〜18%としています。一方でドイツは64.6%、フランスは91.6%と高水準とされています。しかし少なくとも日本の数値は推測であり、真の実態は不明です。実は、捕捉率の把握を目的とした継続的な統計データは無いのです。
旧民主党政権下の10年4月に、厚生労働省に「ナショナルミニマム研究会」が開催され、初めて生活保護の捕捉率の推計が公表されました。ただし「国民生活基礎調査」(07年)を用いた類推です。ちなみに、政権交代の影響か以降の捕捉率は公表されていません。
生活保護を受給するには、「収入要件」や「貯蓄要件」(貯蓄残高が生活保護基準の1カ月分未満)のほかに、「就労要件」(働けるか否か)、家族による扶養義務者の有無(家族の中で扶養してくれる人がいるか否か)など、さまざまな要件をクリアする必要があります。これらのうち後者2つは「国民生活基礎調査」からは分かりません。
次ページ貧困率が下がると捕捉率も下がる不思議
研究会の資料によると、所得が生活保護の「収入要件」より低い低所得世帯は、全4802万世帯中597万世帯(12.4%)でした。
一方、「貯蓄が保護基準の1カ月未満で住宅ローン無し」という生活保護の「貯蓄要件」に当てはまる世代は229万世帯(4.8%)となりました。
当時の生活保護世帯は108万世帯ですから、所得要件のみで判定すると、捕捉率は15.3%(108万人/108万人+597万人)となります。資産要件のみで判定した捕捉率は32.1%(108万人/108万人+229万人)となります。これではいろいろな要件を加味した実際の捕捉率は分かりません。
貧困率が下がると捕捉率も下がる不思議
そんな中で、学術研究の一環として就業構造基本調査の「オーダーメード集計」を用いて、都道府県別の貧困率、ワーキングプア率、子どもの貧困率、生活保護の捕捉率を集計した論文を発表されたのが山形大学の戸室健作准教授です。
※「オーダーメード集計」:既存の統計調査で得られた調査票データを活用して、調査実施機関等が申し出者からの委託を受けて、そのオーダーに基づいた新たな統計を集計・作成し、提供するもの
論文によると、全国の捕捉率(所得のみ)は92年14.9%、97年13.1%、02年11.6%、07年14.3%、12年15.5%と推移しています。10%台前半で推移というデータは日弁連が作成したリーフレットともだいたい合っています。
論文の中に掲載された都道府県別の貧困率と捕捉率で散布図を作製すると意外なことが分かります。
都道府県別の貧困率と捕捉率の散布図
出典:山形大学戸室健作「都道府県別の貧困率、ワーキングプア率、子どもの貧困率、捕捉率の検討」より松本が2012年の数字を使い作製
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都道府県別に見て、貧困率も捕捉率もこんなに散らばっています。貧困率が高くてもしっかり捕捉している大阪に対して、ほぼ同じ貧困率なのに捕捉できていない宮崎。この差はいったいどこにあるのでしょう?
また、貧困率が低いと、捕捉率が低くなる傾向にあるのも気になります。捕捉率は「生活保護が必要な世帯に保護が行きわたっているか」を表す指標なので、本来はこの2つの指標は無相関になってもおかしくありません。それなのに、貧困率が低いと補足率が低くなる(貧困なのにそう見なされていない人が多くなる)のはなぜでしょうか。貧困率が低いことに安住して、捕捉率を高める自治体の努力がおろそかになるなら問題です。予算をかけて早急に改善すべきではないでしょうか。
さらにいえば、「どこに住んでいるか」によって捕捉率が異なるなら、所得だけでなく場所ですら「貧困を生む要因」になりかねません。「私は〇〇県だったから生活保護ももらえず貧しい人生を過ごす羽目になった」なんて、絶対にあってはならないことです。
数字を見えないままにしておくと、あるはずの現実も無いことになってしまいます。それが生活保護を巡る現状です。貧困の実態は3年に1回の国民生活基礎調査(厚生労働省)と、5年に1回の全国消費実態調査(総務省)のデータを加工しないと分からないのが現状です。こうした状況でよいのでしょうか? これは、行政を動かす政治家の仕事です。
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私のように法人を経営し、年金カットされるのがバカバカしいので、家族を役員にして家族年収はそのままに、私の年収を下げたものはこの方の言う貧困層になるんでしょうねえ。統計は嘘をつく。ただ、ジニ係数が悪化している実感はあるね。
2019/11/20 05:35:331返信いいね!
佐々木進
完治しない複数慢性病持ち療養中
なんと貧しい国でしょう。早急に記事中にある通りの対策が必要です。
2019/11/20 05:47:582返信いいね!
やらかしまん
江戸時代、結構裕福な生活を送っていたらしい
とくに江戸城下の街では世界でも有数の文明的生活を送っていたとの事
今の時代と相対的に比較すると下手をすると裕福な生活となる可能性もある
2019/11/20 06:51:53
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00067/111200016/?P=5&mds
革新的理論の礎となった「貧困の経済学」デュフロ教授に連なる貧困研究の歴史
澤田 康幸
2019年10月18日
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全8377文字
スウェーデン王立アカデミーは14日、2019年のノーベル経済学賞を米マサチューセッツ工科大学(MIT)のアビジッド・バナジー教授(インド出身)、共同研究者であり妻である同エスター・デュフロ教授(フランス・パリ出身)、そしてマイケル・クレーマー米ハーバード大学教授(米国出身)の3氏に授与すると発表した。貧困削減に貢献する経済学とは、どのようなものだろうか。2013年6月17日に日経ビジネスオンラインに掲載した、元東京大学教授の澤田康幸アジア開発銀行チーフエコノミストによる貧困研究の歴史とその展開に関する解説を再掲載する。関連して、本稿に登場するダロン・アセモグル米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授へのインタビューも同時に再掲載する。
「貧乏」というと、自分には縁遠い話と感じる読者がいるかもしれない。たとえば、1984年のバブル初期に発売され、ベストセラーとなった渡辺和博の「金魂巻」を覚えている読者も多いであろう。「マルキン」・「マルビ」というラベルで医者のような職業でもビンボーがいる「驚き」を描き、一世を風靡した。
だが、日本における「格差社会」「生活保護受給者の増大」は、まさに貧困問題の現れである。特に貧困高齢者の健康状態は劣悪だ。他方、日本の子供の貧困率も経済協力開発機構(OECD)諸国の中ではより深刻なグループに属している。そして、貧困が世代を超えて再生産されている可能性も大いにある。こうした日本の「貧乏」の問題が、失われた20年に特有の問題かといえば、そうでもなさそうだ。貧困の問題は、長らく日本の経済学の中心的な課題だった。
大正時代に日本で紹介された経済学の貧困研究
例えば代表的なマルクス経済学者だった京都帝国大学(現・京都大学)の河上肇教授は1916年(大正5年)の9月から約3か月間、大阪朝日新聞の一般読者向けに「貧乏物語」を連載している。これは恐らく、日本で初めて本格的に経済学的な貧困研究を紹介した作品だろう。
この「貧乏物語」の、特に上編と中編を読んで感心することが4つある。第1に、全体として実証主義を貫いている点だ。主に当時のイギリスにおける貧困研究が、データと共に手際よく紹介されている。貧困問題の実証研究がイギリスから始まっていることが分かると同時に、こうしたエビデンスに基づく議論は、「マル経」を感じさせない。
第2に、貧乏線(現代では「貧困線」と呼ぶのが普通である)やローレンツ曲線(原文では「ロレンズ氏の曲線」と呼んでいる)といった、現代社会で貧困・所得不平等を計測するうえでの基本概念が、諸外国のデータと共に解説されていることである。とはいえ、「日本のことはよるべき正確な調査が無いからしばらくおくも」とも書いており、当時は貧困に関する議論を展開できる十分な世帯調査・マイクロデータが、日本になかったことも分かる。
第3に、イギリス・ブラッドフォード市で実施された、貧しい児童を対象とした学校給食支給実験による、児童の体重の変化を研究した結果が紹介されていることだ。小規模の実験結果を受けて大規模な政策介入をするという、貧困対策の政策プログラム評価手続きともいうべき議論を、大正時代に既に紹介しているのである。
最後に特筆すべき点は、ある時点における貧乏線以下の人口比率という「静学的」な議論だけでなく、時間軸を考慮した貧困研究も紹介していることだ。特に、「おもたるかせぎ人は毎日規則正しく働いていながらただその賃銭が少ないため」という形で、貧乏人比率が半分以上にのぼっていたイギリス・ヨーク市の研究結果を紹介し、「はたらけどなおわが生活楽にならざり」というのが貧困の特徴であることを議論している。これは、現代風にいえば貧困動態(POVERTY DYNAMICS)研究における「慢性的貧困(CHRONIC POVERTY)」の問題である。
次ページ金字塔となった国際半乾燥熱帯作物研究所の調査
こうした貧困の研究は、過去に流行の波が何度か訪れた。貧困(貧乏)研究の第1人者である米ジョージタウン大学のマーティン・ラバリオン教授は、GOOGLE BOOKSの膨大なデータを基にした研究で、「貧困」言説には、18世紀後半と20世紀後半以降に2つの流行の波があったことを発見している。(*1)このうち「第2の波」については、1970年代における「人間の基本的ニーズ(BHN)論」に源流を遡ることができる。さらに90年代後半以降、「貧困」削減重視の潮流が、とりわけ発展途上国の国際開発協力の分野で顕著となってきた。
過去20年の動きとして特筆すべき点は、国際連合や世界銀行などの国際機関やG7(G8)を主体として、実務レベルで貧困削減に向けた様々な具体的な目標を設定し、取り組むようになったことだろう。(*2)こうした「貧困削減」の潮流が、最終的には2000年9月の国連ミレニアムサミットで国連加盟国の支持を得て採択された「ミレニアム開発目標(MILLENNIUM DEVELOPMENT GOALS: MDGS)」として、数値目標へと結実した。
*1 RAVALLION, MARTIN (2011), “THE TWO POVERTY ENLIGHTENMENTS,” POLICY RESEARCH WORKING PAPER 5549, WORLD BANK.
*2 具体的な試みとしては、例えば、OECDの開発援助委員会(DAC)が1996年に採択した「新開発戦略」や、1999年6月の 世界銀行・IMF 総会で採択された貧困削減戦略書(PRSP)が重要である。
MDGSは、2000年の国連ミレニアム総会で採択された決議である「ミレニアム宣言(55/2)」を具体化したもので、8つの目標からなる。2015年までにそれぞれの分野において達成すべき具体的な数値目標が明記されている。MDGSには、第1目標として「極度の貧困と飢餓の撲滅」が含まれ、「1人1日1ドル以下の人口の割合を1990年から2015年にかけて半減すること」を数値目標の「ターゲット1」としている。MDGSの最終年が近づいたことで、近年、貧困をめぐる「ポスト2015年開発目標」に向けた学術・政策面での議論が活発になっている。
貧困線以下の人口比率、つまり貧困人口比率で貧乏の程度を把握するという考え方の背後にも、ノーベル賞経済学者、アマルティア・セン教授の「公理アプローチ」に基づいた「望ましい貧困指標」の導出や、アンソニー・アトキンソン教授が生み出した、「確率優位 (STOCHASTIC DOMINANCE)」の概念による特定の貧困線によらない貧困の把握手法など、注目すべき理論的な発展が礎にある。しかし、貧困言説の「第2の波」が訪れたのは、おそらく貧困の実態把握が目覚ましく進歩したことが大きいだろう。質の高いマイクロデータが、先進国だけでなく多くの途上国でも得られるようになり、貧困問題に関するエビデンス(科学的証拠)の蓄積が進んだのだ。
金字塔となった国際半乾燥熱帯作物研究所の調査
ICRISAT-VLSの調査対象となっている村の風景
研究史から見て最も重要だった調査の1つが「国際半乾燥熱帯作物研究所 (INTERNATIONAL CROPS RESEARCH INSTITUTE FOR THE SEMI-ARID TROPICS; ICRISAT)」(*3)による村落調査(VILLAGE LEVEL STUDIES, VLS)データである。ICRISAT-VLSデータは、10年にわたる長期の家計パネルデータで、リスク・貧困・消費や労働・農業生産・投資などミクロレベルの動学・計量経済分析を可能にした、開発経済学における「黄金のパネルデータ」ともいうべきものである。
次ページ世界全体の貧困人口把握に役立った世銀プロジェクト
ICRISATは1972年にインド・ハイデラバード郊外に設立された農業研究の国際機関で、75年から村落調査(VLS)を開始している。VLSでは、インドの半乾燥地域から6村落を抽出し、各村落から40家計を無作為抽出し、住み込み調査員(RESIDENT INVESTIGATOR)が訪れて、3-4週間ごとに継続的な調査をした。特に、3つの村の104世帯については10年間調査が続けられ、世帯パネルデータが構築された。(*4)長期のパネルデータが強みとなり、時間の経過を通じた貧困動態の分析や、リスクと貧困の関係に関する研究が深まっていく原動力の1つになった。VLSデータを用いた学位論文は世界中で100件以上に上り、数多くの一流の経済学者たちがVSLデータを解析した論文が「ECONOMETRICA」、「AMERICAN ECONOMIC REVIEW」、「JOURNAL OF POLITICAL ECONOMY」など経済学のトップジャーナルに掲載されてきた。
*3 「イクリサット」と呼んでいる。
*4 WALKER, THOMAS S. AND JAMES G RYAN (1990), VILLAGE AND HOUSEHOLD ECONOMIES IN INDIA'S SEMI-ARIDO TOPICS, JOHNS HOPKINS UNIERSITY PRESS. 近年、再調査が行われている。詳しくは、オックスフォード大学、STEFAN DERCON教授のウェブサイトを参照されたい。
例えばロバート・タウンゼンド教授による、1994年「ECONOMETICA」論文が代表例だ。この論文では、村落共同体における分け合い・助け合いの仕組みが消費の保険として有効に作用しているかどうかが厳密に検証された。(*5)また、貧困状態をみると、慢性的な貧困に置かれている世帯より、一時的な貧困状態に陥るリスクに直面している世帯のほうが数が多いことや、農村では大型の家畜が貯蓄の手段になっているものの、貧困化するリスクに直面して貯蓄としての家畜を(売却などで)「取り崩そう」とすると大きなコストを伴うこと、貧困層にとっては結婚がリスク分散の重要な手段であることなど、新たなエビデンスが次々と明らかになってきた。
ICRISATにやや遅れ、世界銀行は1980年に「家計生活水準計測調査(LIVING STANDARDS MEASUREMENT STUDY;LSMS)」プロジェクトを開始した。LSMSの目的は、世界各国の政策立案者・政策担当者が貧困問題、雇用・医療や教育の問題にしっかり取り組むことができるよう、質の高い世帯調査を実施することである。
世界全体の貧困人口把握に役立った世銀プロジェクト
LSMSでは、発展途上国における世帯調査の設計、実施、データの分析を一貫して実施する。調査活動の改善及び統計担当機関の能力向上にまで踏み込むため、生活水準を把握するために必要な調査の「質の向上」を目指すプロジェクトであるといえる。長期のパネルデータであるICRISAT‐VLSと異なり、LSMSは主に複数時点でのクロスセクションの調査である。調査設計については米プリンストン大学のアンガス・ディートン教授などが中心的な役割を果たし、この調査データもまた世界中で数多くの学術論文や博士論文・修士論文に用いられてきた。(*6)
そしてLSMSの最も重要な貢献は、LSMSにより統一された調査の枠組みが、貧困実態を国際比較するうえで極めて重要な役割を果たしたことである。ある国の1人1日1ドル以下の貧困人口比率が世界全体でどの程度に位置するのかは、LSMSなくしては把握できなかったといっても過言ではないだろう。
LSMSをはじめ、世界中の家計調査を活用した先のラバリオン教授らによる研究に基づいて、(*7)現在、貧困な生活水準の境界である「貧困線」の金額は一人一日1.25ドルということになっている(次ページの図参照)。この図から明らかなように、中国の貧困が劇的に削減された結果、東アジア太平洋地域(東アジア・東南アジア)全体の貧困人口比率が、1980年の約80%から、30年間で20%以下へと大幅に低下した。より注目すべきは、世界の最貧困地域とされてきた南アジアでも、近年貧困人口比率の低下が加速しつつあることだ。
*5 TOWNSEND, ROBERT M. (1994), ‘RISK AND INSURANCE IN VILLAGE INDIA,' ECONOMETRICA 62, 539-591.
*6 DEATON, ANGUS (1997), THE ANALYSIS OF HOUSEHOLD SURVEYS: A MICROECONOMETRIC APPROACH TO DEVELOPMENT POLICY, OXFORD UNIVERSITY PRESS.
*7 CHEN, SHAOHUA, AND MARTIN RAVALLION (2008), “THE DEVELOPING WORLD IS POORER THAN WE THOUGHT, BUT NO LESS SUCCESSFUL IN THE FIGHT AGAINST POVERTY,”QUARTERLY JOURNAL OF ECONOMICS, 125(4), 1577-1625.
次ページパランプール村と速水村の実績
図 世界各地域における、1人1日1.25ドル以下の生活を営む貧困人口の比率
(データ出所) Regional aggregation using 2005 PPP and $1.25/day poverty line, Data last updated: April 18, 2013, Povcal Net, World Bank.
[画像クリックで拡大表示]
パランプール村と速水村の実績
駆け足で貧困に関する調査手法の流れを紹介してきたが、ここでさらに、ICRISAT‐VLSと同時期に開始された先駆的な家計パネル調査を2つ紹介したい。1つは、イギリスの研究チームによる、インドのウッタル・プラデシュ州のパランプール(Palanpur)という村を対象とした調査である。(*8)
台風被害を受けた速水村の一コマ
これは、デリー大学の研究者による村落調査を引き継ぐ形で、1974-75年、英オックスフォード大学のクリストファー・ブリス名誉教授とロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のニコラス・スターン教授が詳細に調査したものだ。そして1983-84年・93年にスターン教授と現世界銀行のピーター・ランジョウ博士が再調査をした。その結果、20年にわたるインドの農村の個別世帯・個人の生活の変化が明らかになった。さらに2009年にも再調査され、デリー大学による当初調査からみれば約半世紀にわたり、インドの農村家計の生活動態を調査し続けているのである。これら一連の研究では、カーストの低位に属する世帯や農業労働者の世帯はさらに貧困するリスクを抱えており、そうした状況から抜け出せない「罠」に陥っていることが明らかにされている。
もう1つは、故速水佑次郎教授らを中心として精力的に進められたフィリピン・ロスバニョス近郊にある、1つの稲作農村「東ラグナ村」を対象とした40年にもわたる家計調査である。(*9)1966年の梅原弘光教授による全数調査以降、1974年から2013年までの間に、国際稲研究所(International Rice Research Institute; IRRI)との連携による18回もの家計調査が実施された。㊟IRRIは、フォード財団、ロックフェラー財団の多大な資金援助によって設立された国際機関であり、米の高収量品種開発を通じて60年代のアジアにおける「緑の革命」の中心となった。現在はICRISATなどともに国際農業研究協議グループ(CGIAR)の一角をなしている。1970年代から90年代の調査は速水教授・菊池眞夫教授が中心となり、2000年以降の5回の調査は加治佐敬教授、不破信彦教授、ジョナ・エステュディリョ教授と筆者らが中心になって実施した。
*8 例えば、[http://www2.lse.ac.uk/asiaResearchCentre/countries/india/research/palanpur.aspx]を参照のこと。
*9 例えば、[http://www.ier.hit-u.ac.jp/primced/documents/DB_Sawada-etal_Philippines_121126_revised.pdf]を参照のこと。
次ページアセモグル、デュフロの革新性とその礎
速水教授らの研究の結果、「緑の革命」による収量の増加と米価の低下により農家の所得が上昇し、貧困世帯の食糧事情が改善したことや、所得上昇に伴って教育投資が増え、世帯のみならず村全体が農業主体の経済活動から非農業主体の活動へと構造変化を遂げていった様子が鮮やかに示されている。本研究もまた、数多くの国際的な学術論文や英文書籍としてまとめられており、「速水村(Hayami’s village)」の調査として知られている。(*10)
アセモグル、デュフロの革新性とその礎
本シリーズのインタビューにも登場している米マサチューセッツ工科大学(MIT)のダロン・アセモグル教授らによるマクロレベルの政治経済発展の議論は、いわば山脈全体の生態系を把握し、貧困の背後にあるメカニズムに迫ろうとする壮大な試みだ。他方、同エスター・デュフロ教授らの研究は、最先端の技術を用いて木の生育メカニズムや木々の構成を科学的に明らかにしようとする画期的な試みである。(*11)いうまでもなく、実態の把握には森も木も見る必要があり、これらの研究は相互に補完的だ。一方で今回紹介したICRISAT-VLSなど長期の村落調査は、いわば身の回りの里山をじっと虚心坦懐に観察し、見守り続けることに似ている。ミクロ計量経済学の分析手法の進化、大量のデータ解析を可能とする計算機の機能改善、アセモグル教授やデュフロ教授らが推し進めてきたような新しい研究手法が深化してきたことも、貧困言説の「第2の波」の背景にあるのは間違いない。とはいえ、長期にわたる地道な調査から得られた知見が、こうした新しい波の原動力のひとつでもあったことは、忘れてはならない。
映画監督サタジット・レイ(Satyajit Ray)の「オプの物語」という、おそらくインド史上最高の3部作映画がある。この作品の時間の流れは、小津安二郎映画のように一見ゆったりとしているが、貧乏の背後にある、人生や家族、宗教や社会の因習・政治に関する極めて強力なメッセージが込められている。
サタジット・レイと同じく、詩聖ラビンドラナート・タゴール(ノーベル文学賞を受賞した作家)ゆかりのシャンティニケタンで学んだインド人のアマルティア・セン教授は、地域全体で1人当たり食物生産が改善していたにもかかわらず300万人以上もの人々が亡くなったベンガル飢饉の原因をさぐり、その貢献もあって1998年にノーベル経済学賞を受賞した。
*10 これ以外にも、米ランド研究所がマレーシアやインドネシアで実施してきた家計パネル調査である、家庭の生活実態調査(Family Life Survey)、国際食糧政策研究所(International Food Policy Research Institute, IFPRI)がパキスタンなど世界各国で実施してきた膨大なパネル調査など注目に値する数々の調査がある。
*11 両教授の研究概要については、「2013−14年版 新しい経済の教科書」日経ビジネスを参照されたい。
冒頭でも触れたが、「飢饉」「貧困」や「貧乏」と呼ぶと何か我々日本人とはかけ離れたもののように感じるかもしれない。しかし、「貧困は別世界で起こるのではない、国や文化の違いを越えて我々の生活とは連続したものなのだ」という現実感を、サタジット・レイの映画は教えてくれる。セン教授も、「文化や社会の特殊性を越えて、我々の生活と同じように個人レベルに還元される現実の多様性を鮮やかに描いている」とレイ映画を評している。(*12)貧困の研究とは、「1人1日1ドル以下の貧困」を、レイ映画のように鮮やかに描き、その作業を通じて人々の貧乏と苦悩とを軽減する「鍵」を探す作業でもあるのだと考える。
*12 Amartya Sen (1996) “Satyajit Ray and the art of Universalism: Our Culture, Their Culture” The New Republic, April 1, 1996, p.32.
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消費増税「駆け込み需要の大小」はあまり重要でない
法人税の税収はピークを過ぎた可能性
上野 泰也
みずほ証券チーフMエコノミスト
2019年9月17日
厚生労働省が8月9日に発表した19年春闘における主要企業の妥結状況で、定期昇給を含めた賃上げ額(平均妥結額、賞与除く)は6790円(前年比マイナス243円)。賃上げ率は2.18%(同マイナス0.08ポイント)で、2年ぶりに低下した。
他の調査結果についても触れておくと、連合による第7回(最終)集計では2.07%(前年比横ばい)、日本経済新聞による最終集計では2.17%(同マイナス0.17ポイント)、日本経団連による最終集計では2.43%(同マイナス0.10ポイント)であり、連合以外はすべて前年よりも低い伸び率になった。企業業績が低迷してきている中では、「官製春闘」であっても、賃金の上昇率は鈍らざるを得なかったと言える。
また、19年夏のボーナス支給額の調査結果は、経団連による最終集計で前年同期比マイナス3.44%(2年ぶり減)、日本経済新聞による最終集計(7月1日時点)で同マイナス0.37%(7年ぶり減)である(厚生労働省による公式統計は未発表)。
このように所得環境の改善が鈍っている、あるいは止まった上に、消費者のマインドは悪化している。「老後2000万円問題」で先行き不安が強まったことも、陰に陽に影響している可能性が高い。消費動向調査で消費者態度指数(二人以上の世帯・季節調整値)は、19年8月まで実に11カ月連続の低下。内閣府の基調判断は「弱まっている」である。
消費の現場、混乱もあり得る
そうした中で、10月1日に8%から10%に消費税率が引き上げられる。軽減税率やポイント還元に対応するための売り手側の準備は小規模店舗を中心に出遅れ感が強い。10月の増税直後には、消費の現場が混乱する場面が出てくることも予想される。
耐久消費財や住宅など価格が高いものを消費税率が高くなる前に購入しようとする「駆け込み需要」については、14年4月の前回消費増税の前に比べれば総じて目立たないとするマスコミ報道が多い。
「前回、半年以上も前から駆け込み需要が発生した新車需要は盛り上がりを欠く。一方、家電製品は活気が出るなどまだら模様」(2019年8月29日付時事通信)になっており、その原因は、新車販売には政府による駆け込み需要の抑制策(10月からの税制変更)があるからだ。車種によっては、10月以降に買った方が支払う税金が安くなる場合もあるという。
その一方で、テレビ・洗濯機・スティック形掃除機といった家電には、そうした販売の平準化策がない上に、09年に家電エコポイント制度を使って購入した製品の買い替えサイクルが到来していることが追い風になっているという(19年8月29日付時事通信)。
なお、トイレットペーパーなど日用品の駆け込み購入(いわゆる買いだめ)は、消費増税直前の1カ月以内に集中して出てくる公算が大きい。百貨店などは、コートなど冬物の重衣料を増税前に買うようキャンペーンを展開するなど、少しでも前倒しの購入需要を喚起しようとしている。
耐久消費財などの駆け込み需要については、政府と日銀で、その規模感について温度差がある。内閣府幹部は「駆け込みが全くないとは言わないが日銀ほど出ているとは考えていない」とコメント(19年9月1日付日本経済新聞)。茂木敏充経済再生担当相は8月30日に「駆け込み需要は見られない」と明言。菅義偉官房長官は9月2日の記者会見で、この見方に同調する発言をした。
次ページ個人消費の悪化は避けられない
ここで決して見逃してはならない重要な点は、「駆け込み需要とその反動」というのは、消費増税前後の個人消費動向を見ていく上で「サブ」の問題にすぎないということである。「メイン」の問題点は、消費税の税率引き上げ分の販売価格への転嫁によって、実質所得の水準が一段と切り下がることにある。筆者は14年の前回増税時にこの点を重視した上で景気が悪くなるだろうと予想した、数少ないエコノミストの1人である。
厚生労働省の毎月勤労統計で実質賃金(物価の騰落を調整した1人当たり賃金)を見ると、「アベノミクス」開始後の円安を受けた身近な品目の値上がりで減少してきたところに、14年4月の消費増税が加わり、季節調整済指数は大きく押し下げられた<図1>。
■図1:毎月勤労統計調査 現金給与総額、実質賃金 季節調整済指数
(出所)厚生労働省
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個人消費の悪化は避けられない
今回は為替が円高に動いていることや、税率引き上げ幅が2ポイントで、かつ軽減税率も導入されることが前回とは異なる。それでも、今回の消費増税によって1ポイント程度の実質賃金の下方シフトは避けられまい。税率が2桁に乗ることによる心理的な悪影響も大いに警戒される。いずれにせよ19年度の後半に、個人消費は悪化が避けられまい。
日本の景気は昨年秋にピークをつけてすでに後退局面入りしていると、筆者はみている。業況の悪化がこれまでのところは世界経済の動向を反映しやすい製造業中心であり、非製造業はなお底堅さを残しているため、景気後退の度合い(深度)はまだ浅いと言える。だが、消費増税が実施された後は、深度がそれまでよりも厳しいものになるだろう。
最後に、景気後退説を補強する統計として、法人税の税収を取り上げたい。
筆者がチェックしている経済統計の中に、財務省が月次で公表している「租税及び印紙収入、収入額調」がある。その7月分が9月2日に発表された。
7月の一般会計分の税収・印紙収入計は6兆4442億円で、前年同月比マイナス3.4%。税目別の内訳では、所得税源泉分が3兆2440億円(同マイナス6.2%)になったが、これは大手通信会社グループの資金取引に絡んで約4000億円の還付が生じたことが主因とみられる(時事通信)。また、景気・企業収益の動向を反映しやすい法人税はわずか598億円(同マイナス43.9%)で、3月期決算企業の還付金が増えたことが主因だという(同)。
このように、7月の税収は特殊要因で押し下げられたわけだが、筆者が気になるのは、7月末時点の累計が前年同月比マイナス7.2%という大幅マイナスになっていることである。4月末時点はマイナス(還付超)、5月末時点は前年同期比マイナス15.2%、6月末時点も同マイナス15.2%で、19年度はラップの数字が一度も前年同時期を上回っていない。これは、近年にはなかった出来事である。
各月末時点の前年同期比をここ数年間について調べてみると、以下のようになる。
<16年度> 4月末 マイナス、5月末 +10.7%、6月末 +2.3%、7月末 マイナス5.1%
<17年度> 4月末 マイナス、5月末 マイナス17.2%、6月末 マイナス1.9%、7月末 +3.4%
<18年度> 4月末 マイナス、5月末 +4.6%、6月末 +6.1%、7月末 +7.3%
麻生太郎財務相は8月30日の記者会見で、「例年通り税収の伸びが決して悪いわけではありません」と述べていた。だが、実際の税収の動きは変調してきているように見える。
国内景気は18年秋に山、すでに後退局面入り
すでに述べた通り、日本の景気は18年秋に山をつけてすでに後退局面入りしていると、筆者は推測している。景気サイクルと同時並行的に動く有効求人倍率が3カ月連続で低下したことも、その傍証になる。
景気動向指数の基調判断は「悪化」から「下げ止まり」にいったん上方修正されているが、近い将来「悪化」に再び引き下げられるだろう。そうした中で、景気動向指数の遅行系列に入っている「法人税収入」(還付金を含む;内閣府が独自に算出している季節調整値)の動向も、注視すべき対象になる<図2>。
■図2:法人税収入(還付金を含む;内閣府が独自に算出している季節調整値)
(出所)内閣府
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直近の景気の谷(12年11月)から7カ月遅れの13年6月(8332億円)をボトムに、この法人税収入は増加基調をたどった。季節調整のゆがみでイレギュラーに高い数字になった月があるほか、月ごとの振れがあるわけだが、19年1月(1兆2215億円)に直近のピークをつけた可能性が出ている。その場合、18年中に景気はすでに後退局面入りしていたという筆者の見方と整合することになる。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00122/00035/?P=2&mds
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