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「武蔵小杉ざまあ」「ホームレス受け入れ拒否」に見る深刻な日本社会の分断
2019年10月25日(金)17時00分
真鍋 厚(評論家、著述家) ※東洋経済オンラインより転載
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東京側から多摩川を挟んで武蔵小杉を臨むと、河川敷には大量の流木が流れ着いていた(10月16日16時台、撮影:東洋経済オンライン編集部)
<貧富の差以前に「同じ人」でなくなっている>
台風19号がもたらした各地の水害。全容はまだ明らかになっていない。堤防決壊は7県59河川に達したが(10月16日現在)、未確認の地域もあるため今後も被害は拡大しそうだ。
東京をはじめとする大都市圏でも、近年に例のない浸水被害がもたらされた。多摩川の氾濫は誰もが予想していなかったことだろう。
東京都世田谷区の東急電鉄「二子玉川駅」付近の多摩川では、堤防の整備していない場所から川の水があふれ出し、住宅街へと流れ込んで膝の辺りまで冠水した。川の反対側の神奈川県川崎市では、水没したマンションの住人が死亡している。大田区田園調布でも浸水被害が発生。また、多摩川最大の支流とされる秋川では堤防が決壊した。
今回とりわけ世相を最もよく表していたのは、人気エリアとして知られる武蔵小杉における大規模な浸水被害と、それをソーシャルメディア上やネット掲示板などであざ笑う風潮だ。
SNSで「武蔵小杉ざまあ」との投稿が
JRや東急線などが走る神奈川県川崎市の武蔵小杉駅の東側は、再開発によってタワーマンションや大型商業施設が立ち並び、比較的裕福な子育てファミリー世帯が多い。浸水被害によるタワマンの停電や断水が盛んに報道されるようになると、Twitterなどのソーシャルメディアでは、「流行りにのって武蔵小杉に住み始めた子連れ家族ざまあです」「武蔵小杉のタワマン買った人ざまあが見れたからよかった」などの投稿が相次いだ。
また15日朝の通勤ラッシュの時間帯には、武蔵小杉駅の電源設備が浸水により故障したことから、エスカレーターやエレベーターなどが使用不能となり、数百メートルに及ぶ長蛇の列ができた。このような事態の悪化をも揶揄(やゆ)する者が少なくなかった。
なぜここまで特定の地域の被災者を叩くのか。
ノンフィクション作家のレベッカ・ソルニットは、地震などの自然災害で犠牲者が生じるなど、非常事態に直面した社会では、人々の善意が呼び覚まされ、相互扶助的な共同体が出現すると述べた。
次のページ非常事態は個人の自主性や社会的な役割が試される
「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す」――そして、このような一時的な現象を「災害ユートピア」と名付けた。そこには、共同性そのものが成り立ちにくくなっている現状への批判が込められていた。
近年の歴史は民営化の歴史だとも読めるが、それは経済のみならず、社会の民営化でもあった。市場戦略とマスコミが人々の想像力を私生活や私的な満足に振り向け、市民は消費者と定義し直され、社会的なものへの参加が低下した結果、共同体や個々人のもつ政治力は弱まり、民衆の感情や満足を表す言葉さえ消えつつある。
"フリーアソシエーション(自由に誰とでも係わり合いになれる権利や能力)"とはよく言ったもので、それでは深い人間関係はできない。代わりにわたしたちはマスコミや宣伝により、互いを怖がり、社会生活を危険で面倒なものだと見なし、安全が確保された場所に住んで、電子機器でコミュニケーションを取り、情報を人からではなくマスコミから得るよううながされる。
だが、災害が起きると、人々は集まる。この集まりを暴徒と見なして恐れる人もいるが、多くの人はパラダイスに近い市民社会の体験としていとおしく思う。(『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』高月園子訳、亜紀書房)
避難所のホームレス受け入れ拒否の波紋
これはいわば非常事態をきっかけにして、個人の自主性や社会的な役割が試される場であり、実際に「潜在能力」を発揮して救助や支援に奔走する人々が出てくる。
だが、ここで誤解してはならないのは、「地域のつながりらしきもの」が辛うじて残っていることが前提条件になることだ。つまり、普段から没交渉で住民同士が居住地をただ同じくしているだけでは「災害ユートピア」は立ち上がりにくいのである。
東京都台東区が避難所を訪れたホームレスの男性2人に対し、その受け入れを拒否したことがその後のネット上での"賛否"を含めて波紋を呼んでいるが、このような議論が湧き起こること自体が「社会の分断」が加速度的に進んでいることを如実に示している。もはや支援の手を差し伸べ、助けるべき「同じ人」としては映ってはいないのだ。
次のページ隣人の損得に敏感な「クレーマー」
ソルニットのいう「社会の民営化」を背景にした「社会の分断」が行き着くところまで行けば、身近な人間関係のネットワークが脆弱なゆえに助け合いが困難になることから、電力システムや上下水道などのライフラインの寸断が「万人に対する万人の闘争」状態に直結しやすくなる。台風前日の買い溜めなどの物資の奪い合いはその始まりに過ぎない。この場合、ソルニットのいう「暴徒」は、正確には被災地における油断のならない「競争相手」であり、隣人の損得に敏感な「クレーマー」である。
「災害ディストピア」が浮かび上がった
これは、被災によってもはびこる「災害ディストピア」である。
武蔵小杉の惨状について一部の人々が、「あそこはハイソっぽくてムカついてたからざまあだわ」とあざ笑うことは、構図としてはあまりにもわかりやすくて飛び付きたくなるかもしれない(某タワマンの管理組合の通常総会のレポートで「勝ち組」を自称していたことが、ネットの掲示板で嘲笑の対象になっていたことが象徴的だろう)。
だが、事態の本質は、貧富の差以前に当然のように「同じ人」ではなく「鼻持ちならないニューリッチ」という「別人種」、他者を「不愉快な種族」と決め付けていることにある。これが「ムサコのタワマン族」「ホームレス」というレッテル貼りに共通する心理なのである。
しかしながら、このような言動は「社会の分断」にブレーキをかけない限り、自然災害が起こるごとに「分断のレベル」に応じて噴出することは避けられない。ましてや同じ地域でも被災の程度に「雲泥の差」があるケースが増えている昨今、ますます「災害ディストピア」と呼べるコミュニケーションに拍車がかかることになるだろう。
そして、「災害ディストピア」に関連してもう1つ付け加えておきたいのは、少なくない人々が自然災害に「世直し」的な機能を見出しているところだ。
次のページ「終末観」と「長者没落譚」のブレンド
武蔵小杉について「セレブの町気どりで調子に乗ってるから天罰が下った」と評している書き込みが典型だ。これはある種の「終末観」と「長者没落譚」(富裕者の転落話)を都合よくブレンドしたものだと思われ、「二極化する日本社会」を"正常な秩序"に回復する「天の采配」を期待しているとも取れるのである。
民俗学者の宮田登は、「三代続く長者なし」という諺の背後にある「原初的要因として火難・水難が指摘されている」という(『終末観の民俗学』ちくま学芸文庫)。「社会の分断」がこれらの思考に絡め取られるのはまずいだろう。
ここで絶対に忘れてはならないのは、ソルニットが述べているように、どのような災害が振りかかろうとも、結局は日常生活が取り戻されるということである。そして、日常生活こそが本来わたしたちが共同性を紡がなければならない機会であり、それがなければ災害時の危機管理もおぼつかない。
「誰もが被災者になりうる」のに
地球温暖化の影響により、集中豪雨や超大型台風などのこれまで経験のなかったような異常気象が、今後ますます起こりうる可能性は各方面で指摘されている。要は、従来のように過去の降雨量のデータを参考に堤防などを整備したところで、豪雨による氾濫や堤防決壊などのリスクに対処できない可能性が高まるということだ。
「誰もが被災者になりうる」――そんな未曾有の時代に突入しているにもかかわらず、自然の猛威にさらされる被災地を他人事として眺め、いざそれが自分事になると「寄る辺ない」世界にいることに気付く。これがわたしたちの偽らざる"現在地"かもしれない。
※当記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13263.php
『上級国民/下級国民』があぶり出す、現実に進行する「残酷な分断」
「上級国民」と「下級国民」に分断された社会に希望はあるのか?
「日本社会は上級国民によって支配されている」
「自分たち下級国民は一方的に搾取されている」
今年になってネットで一気に広まった上級国民/下級国民という言葉。
多くの新語が生まれては消えていくなかで、なぜこの言葉が受け入れられているのでしょうか。
それは、まさしく社会が「上級/下級」に分断されていることに、みんな薄々気づいているからに他なりません。
本書の著者は、ベストセラー「言ってはいけない」シリーズの人気作家・橘玲氏。
豊富なエビデンスをもとに、バブル崩壊後、平成の労働市場がどのようにして大量の「下級国民」を生み出したのかを解き明かしながら、
‹‹平成が「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)」を守るための30年だったとするならば、令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための20年になる以外にありません。››(本書より)
と断言します。
‹‹地域社会化・リベラル化・グローバル化の巨大な潮流のなかで、現代社会は、国や歴史・文化、宗教などのちがいにかかわらず、ますますよく似てきました。なぜなら、すべてのひとが同じ目標――よりゆたかに、より自分らしく、より自由に、より幸福に――を共有しているからです。
「後期近代」になって人類史にはじめて登場したこの価値観は、今後もますます強まって私たちの生活や人生を支配することになるでしょう。
その結果、欧米や日本などの先進国を中心に、社会の主流層(マジョリティ)が「上級」と「下級」に分断される現象が起こるようになりました。アメリカではグローバル化にともなって白人中流層が崩壊し、日本では1990年代後半からの「就職氷河期」によって若い男性の雇用が破壊され、中高年のひきこもり(8050問題)が深刻化するなど、国によって「分断」の現れ方は異なりますが、その行きつくところは同じです。
このような未来をどのように生き延びていけばいいのか。››(本書「あとがき」より)
令和の時代に確実にやって来る残酷な未来=\―「下級国民」は共同体からも性愛からも排除される一方で、それらを独占するのは少数の「上級国民」――。
この分断社会に希望はないのでしょうか。
著者は「社会的に解決できない問題も、個人的に解決することは可能」だといいます。
そのためには、いまこの社会でなにが起きていて、これからどのような世界がやってくるのか、知っておくことが重要なのです。
「近代の行きつく果て」を予測するための一冊!
こちらは本書の内容の一部です。
■ ひきこもりは100万人ではなく500万人?
■ 中高年ホワイトカラーの失業はわずか5万人
■ 不都合なことはすべて若者の責任
■ 専業主婦願望と早婚傾向
■ 教育の本質は「格差拡大装置」
■ 若い女性の「エロス資本」
■ 「持てる」ことと「モテる」こと
■ 現代社会は「事実上の一夫多妻」
■ 「結婚がつらい」男たち
■ 世界を揺るがす「上級/下級」の分断
■ 「絶望死」する白人たち
■ 「新上流階級」が集まる都市
■ 「新下流階級」がふきだまる町
■ ヤンキーとエリート
■ お金は分配できても性愛は分配できない
■ 「技術」と「魔術」が区別できない世界
小学館新書
『上級国民/下級国民』
著/橘 玲
★こちらもオススメ!
・このままでは日本は年収250万円の「衰退途上国」に堕ちる!『令和日本・再生計画』
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・いじめ≠ヘ人間に必要な「機能」?『まんがでわかる ヒトは「いじめ」をやめられない』
・世界を見渡せば反日国家≠探すほうが難しい!『親日を巡る旅 世界で見つけた「日本よ、ありがとう」』
・稼げる大人になるにはどうしたらいい?『学校で学べない お金のこと』
https://www.shogakukan.co.jp/news/223631
薄々気づいていた、「上級国民」が日本を支配する現実。もはや止まらない分断化の原因は?
社会 2019/9/10
『上級国民/下級国民』(橘玲/小学館)
2019年4月、東京・池袋で87歳の男性が暴走運転で死亡事故を起こした。この事故の報道に何かひっかかるものを感じた人は多いだろう。罪のない母子を死亡させたのに男性が逮捕されないのはなぜなのか。特にネットでは「元高級官僚という“上級国民”だから特別扱いされているのでは」といった憶測が飛び交い、「日本は一部の上級国民に支配され、下級国民は搾取されている」というような恨み節が聞かれるようになった。
そもそも「上級」「下級」とは何を指しているのだろうか。『上級国民/下級国民』(橘玲/小学館)は、現代社会のデータをひもときながら、分断と格差が広がる日本のこれまでとこれからをクリアに見通す1冊だ。
■守られてきた団塊の世代と見捨てられた若い世代
日本において「上級/下級」のように対比されやすいもののひとつが、雇用における「正規/非正規」だろう。一般的には、平成初期のバブル崩壊を境に企業がリストラを行いはじめ、そこに小泉政権の改革に影響を受けた雇用破壊で正社員が減り、非正規雇用が増えてきたとされている。
この推移ははたして事実なのだろうか。本書で示されている日本の労働市場のデータによると、1992(平成4)年から2007(平成19)年にかけて、非正規雇用の比率は全体の5%→12%と7ポイント上がっているのに対して、正社員の比率は49%→46%と、3ポイントの下げ幅にとどまっている。正社員よりも減っているのは、実は自営業で、11%→7%と4ポイント下がっている。
また、増えている「非正規」の多くは20代男性だという。社会の変化で自営業が減っていく中では、これまでのように親の稼業を継ぐこともままならない。景気が悪化していく一方で、それまでの「正社員」、とりわけ団塊の世代と呼ばれる中高年の雇用を守るために、若者の雇用が打撃を受け非正規化が進んだ、というのが著者の見立てである。不景気のしわ寄せが、未来を担うはずの若者に来てしまったのだ。
■分断化は止まらない。その原因は――
本書は、このような分断や格差の広がりは、日本だけでなく、欧米など海外でも進んでいると説く。雇用形態や人種・宗教問題、さらに企業文化などの背景の違いはありながら、なぜ同じように分断が進んでいるのだろうか。
進んできた「能力主義」や、テクノロジーの進化によってヒト、モノ、カネが自由に行き来できるようになった「グローバル化」、そして同じくテクノロジーの進化で手に入れた豊かさからくる「知識社会」において、「人びとは“知能の差”で分断される」というのが著者の見解だ。
分断と格差が広がっていく中で、私たちはどのように生き抜いていけばよいのだろうか。本書ではそのヒントも述べられている。たとえば、専門知識を身につけることで知識社会に最適化した人材になるということや、ツイッターやインスタグラムなどのSNSでたくさんのフォロワーを集め、その「評判資本」をマネタイズしていくというアイデアだ。
厳しい現実を目の前に突き付けられる一方で、本書から得るヒントには未来に向けた一筋の希望も見出せる。ぜひ「自分の」未来を描くきっかけとして、本書を開いてみてはいかがだろうか。
文=水野さちえ
https://ddnavi.com/review/563692/a/
災害での死者数は、なぜ女性の方が多いのか
2019年10月23日(水)13時30分
舞田敏彦(教育社会学者)
全国自治体の防災対策を検討する地域防災会議のメンバーは圧倒的に男性が多い(写真は台風19号に備えて長野で開設された避難所) Kim Kyung-Hoon-REUTERS
<地域の防災計画の策定にもっと女性が参画しなければ、女性が「災害弱者」となる現状は改善しない>
今月台風19号が猛威を振るい、各地に甚大な被害をもたらした。死者数は83人と報じられている(10月21日時点)。年齢では高齢者が多いと見られ、体力が弱って避難がままならず、スマホ等での情報収集にも慣れていないことが要因になっているのだろう。
男性より女性の死者が多いのは、多くの災害でみられる普遍則だ。2004年のスマトラ沖地震の死者を、インドネシアのアチェという村で調査したところ、女性は男性の3倍で死者の8割が女性だった地区もあるという(大倉瑶子「女性の死者が8割を占めたケースも。災害の死者に女性が多い背景とは」BUSINESS INSIDER、2019年9月1日)。
その要因として、女性や女の子は木登りや水泳に慣れておらず、サバイバルの手段が男性に比して劣っていた、また家族の面倒をみていて逃げ遅れた、ということが挙げられている。災害の死者数の性差は偶然ではなく、社会の文化・慣習、ジェンダーの問題も含んでいる。
ここまで極端ではないにせよ、日本でも同じデータがある。1995年の阪神・淡路大震災の死者は男性が2713人、女性が3980人だった。2011年の東日本大震災の死者は男性7360人、女性8363人でこちらも女性の方が多い。
高齢者に女性が多いためと思われるかもしれないが、実際にはそうではない。<表1>は、性別・年齢層別の死者数を整理したものだ。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/2019/10/23/0a98c89c41bb92749fe7f7e8fa83115b2f7113c7.jpg
ほとんどの年齢層で、男性より女性の死者が多い。右端の女性比率をみると50%超が多くなっている(赤字)。
生産年齢層の死者が「男性<女性」となっていることはベース人口の性差では説明がつかない。震災発生時に在宅率が高く、家の下敷きになったり、育児や介護をしていて逃げようにも逃げれなかった――。そんなケースが男性より女性で多かったと推測される。
次のページ避難所は危険でストレスが多い?
避難所を忌避する女性が多かったことも考えられる。先日の台風19号の際、ツイッター上で「プライバシーがなく、雑魚寝の避難所には行きたくない」「レイプ被害と隣り合わせ」といった書き込みが散見された。女性と思われる投稿者によるものだ。2016年の熊本地震の避難所で、10代の少女がレイプ被害に遭う事件が実際に起きている。
女性からすれば、公設の避難所は危険であると同時にストレスが多い場所でもある。女性用トイレは男性用の3倍必要というのが国際標準だが、これを満たす避難所はほぼ皆無だ。更衣や入浴等の気苦労も多い。生理用品等のニーズも、男性の運営責任者には言い出しにくい。
災害時の避難所生活のニーズには性差があり、それに応えるには、防災・減災行政に携わる人に女性が増える必要がある。各自治体には、地域防災計画の策定・実施を担う地域防災会議が置かれているが、委員の女性比率は低い。都道府県・市町村会議の委員は全国で4万8397人いるが、うち女性は4275人、8.8%でしかない(2018年4月1日時点)。地域差もあり、47都道府県の数値を高い順に並べると<表2>のようになる。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/2019/10/23/data191023-chart02.jpg
最も高い鳥取県でも18.9%で2割にも及ばない。女性がほんの数パーセントしかおらず、避難所の運営方針も含めた防災計画の策定が、ほぼ男性だけで行われている県もある。これでは被災者のニーズの性差を反映した計画の立案は難しい。
災害の直接的・間接的な影響で命を落とす比率には性差があり、それは偶然ではなくジェンダーの問題による部分が大きい。命のジェンダー差はデータではっきりと分かる。防災・減災の政策の立案に際しては、ジェンダーの視点が欠かせない。
求められるのは、政策を決めるプロセスに関わる女性を増やすことだ。普段から、偏狭な性役割分業をなくしておくことも必要だ。避難所の共同生活の炊事・洗濯等は、もっぱら女性が担わされているという現状もある。学校等での防災訓練の際には、性別での役割分担をしないように注意することも必要だろう。
<資料:内閣府『男女共同参画白書』(2012年版)、
内閣府『防災白書』(2019年版)>
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13240_3.php
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