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東アジアの破局的な少子化と、急ぎ過ぎた近代化 日本と中国と韓国が直面する「少子化」 アジアの労働者が日本で働いてくれなくなる日 少子化が急速に進むベトナム 日本人の介護などできない?
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/392.html
投稿者 鰤 日時 2019 年 10 月 15 日 17:12:34: CYdJ4nBd/ys76 6dw
 

東アジアの破局的な少子化と、急ぎ過ぎた近代化


八日目の蝉
@yu1096
今の20歳が40歳の半分しかいないって本当にいい話だと思う。戦争でもあったのかな?

399
18:22 - 2018年11月7日
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299人がこの話題について話しています

 たぶん、このツイートはブラックジョークのつもりで書かれたものだろう。けれども私には全く冗談には思えなかった。


p_shirokuma(熊代亨)
@twit_shirokuma
「今の20歳は40歳の半分しかいない。戦争でもあったのかな?」というツイート、ジョークのつもりかもだけど、これ、実際戦争に匹敵するようなカタストロフィがあったのに気付いている人があまりいない、ってグロい状況を反映しているなぁ、と思った。

14,772
10:25 - 2018年11月8日
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p_shirokuma(熊代亨)
@twit_shirokuma
乳児死亡率の低下によって起こる第一の少子化は、それほどカタストロフではないし、アメリカやヨーロッパのベビーブームが証明しているように劇的少子化とも限らない。しかし、東アジア諸国などで今起こっているような第二の少子化は、それとは次元もメカニズムも違う。社会を滅ぼしかねない大変化だ。

107
10:27 - 2018年11月8日
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85人がこの話題について話しています


p_shirokuma(熊代亨)
@twit_shirokuma
日本、韓国、台湾あたりで起こっている少子化は、カタストロフですよ。戦争や内乱は起こっていないけれども、それらに匹敵する勢いで人が減っていく状況。だのに経済的には微温的な状況が続いているものだから、後進世代がゆでガエルになるまで平常心で行こうと皆で決め込んでいるようにもみえる。

367
10:43 - 2018年11月8日
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288人がこの話題について話しています

 憲法九条のおかげか、国民の選択の賜物か、ともかく日本は戦争を経験せずに70年以上の歳月を過ごしてきた。なお、冒頭ツイートはちょっと間違っていて、平成25年の段階で20歳は40歳の6割ぐらいで、実際に5割になっているのは新生児のほうだ(下図参照)。

 とはいえ、この凄惨な人口動態を前にすると、そういう数字の違いは誤差の範囲にみえる。子どもが第二次ベビーブーム世代の半分以下になりつつあるのは事実だし、かりに、これから合計特殊出生率が急増したとしても、これまでの減少を埋め合わせるには膨大な時間、または欧米諸国もためらうような規模の移民が必要になる。常識的に考える範囲では、日本の合計特殊出生率が急増する契機は思いつかない。

 若者が集まり続けている首都圏の合計特殊出生率が著しく低く、にもかかわらず、子育てに対する考えも、子育てを援助するインフラも未だにそれほど変わっていないのだから、どうしようもあるまい。

「たくさん死ぬ」も破局だが「ぜんぜん生まれてこない」も破局
「人口なんて減っても構わない」という人がいる。

 わからない話ではない。日本人は狭い国土にひしめくように住んでいるから、人口が減ることにはメリットもあるだろう。

 しかし今起こっているのは、そんなに生易しい人口減少ではない。

 今日の医療や社会福祉、そのほかのインフラ事業は、生産人口の急激な減少を前提としてつくられてはいない。目下、急激な少子高齢化をみすえて政権は政権なりに努力はしているだろうけれども、高齢有権者のほうがマスボリュームとしてずっと大きい現状では、少子化対策にリソースを集中できる可能性は乏しい。

 また、人口急減に適合した道徳や倫理も、私達は持ち合わせていない。社会が変わればそれに見合った道徳や倫理が必要になってくるのが世の常だが、国内外の世論はそれを許さないだろう。

 そうした難しさを思うにつけても、この少子化は、戦争による人口減少に迫るインパクトがある。

 たとえばフランスは第一次世界大戦で非常にたくさんの犠牲者を出し、労働人口の1割程度を失ったといわれている。これは当時のフランス社会にとって破局的な損失で、その悪影響は第二次世界大戦にまで色濃くあらわれていた。

 他方、日本の労働人口の減少は、 みずほ総合研究所の調査によれば、2016年〜2065年で4割減少すると推計されるものだ。第一次世界大戦に比べればタイムスパンが長く、大戦中の戦死・戦傷とは性質も異なるため、両者を同じ秤に乗せるわけにはいかない。だが、労働人口の減少がこのまま進んだ時のインパクトは計り知れず、その影響はずっしりと残り続けるだろう。

 そして労働人口の減少とは、消費人口の減少、つまり内需の減少にも直結している。

 戦争やテロで人が大勢死ぬと、人はそれを破局と呼ぶ。自殺者が増えることを破局と呼ぶ人もいるかもしれない。それらは破局として理解しやすい。

 だが、子どもが生まれてこなくなるのも、それはそれで破局ではないか。

 すでに、街で見かける子どもの数は減っている。急激なニュータウン化に苦しんでいる一部地域をのぞけば、小学校や中学校には空っぽの教室がある。数十万〜数百万人の規模で子どもが生まれてこなくなって、数十年で数千万人の人口が減っていく。あまりにもスケールの大きいその影響は、計り知れない。

 こういった破局は、人類史のなかでもはあまり例の無かったことだ。豊かな生活・男女平等・個人の自由・民主政治といったアチーブメントを成し遂げたにもかかわらず、子どもが半減していく事態を、まだほとんどの国は経験していない。そのくせ表向きは豊かな生活が続いているものだから、この破局を破局として認識する人はあまりいない。

 本当は、不産の疫病神のようなものが国全体に、とりわけ人口集中の進む首都圏に憑りついている状態だというのに。

 みんな、この人口減少によって後進世代がゆでガエルになっていくプロセスを平常心で眺めていようと決め込んでいるのだろうか。それとも今日を生きるために明日のことや他人のことを見ないようにしているのだろうか。後進世代よりも先に死ぬから「自分は逃げ切れる」とたかをくくっているのだろうか。

 ともあれ、この破局に違いないはずの変化を破局と呼んでいる人は少ない。

乳児死亡率の低下だけでは説明できない
 よく、少子化と関連のある因子として乳児死亡率が挙げられている。

 確かに、人類史の大まかな流れを追うぶんには、乳児死亡率は少子化傾向の目安として頼りになる。乳児死亡率が低下するテクノロジー水準に到達した国では、合計特殊出生率が2前後まで下がってくる。いわゆる人口転換の第一段階がこれで、大部分のヨーロッパ社会では19世紀〜20世紀の前半にこれを経験している。

親密圏と公共圏の再編成―アジア近代からの問い (変容する親密圏・公共圏)
作者: 落合恵美子
出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
発売日: 2013/03/01
メディア: 単行本
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しかし、少子化には第二の段階がある。落合恵美子 編『親密圏と公共圏の再編成 ──アジア近代からの問い』によれば、ヨーロッパとアメリカ合衆国では1960年代から、日本では1970年代からその第二段階の少子化が起こったという。個人主義的で現代的な価値観の浸透や家族観の変化を背景として、合計特殊出生率が2以下になっていく現象だ。

 主要な欧米諸国では、この第二次人口転換は比較的緩やかに進んだ。緩やかに進んだ原因のひとつは多産な移民流入のせいでもあろうが、もうひとつは、もともと近代化が進行していて、ことがゆっくりと進んでいったこと、その時間的猶予のあいだに結婚と挙児についての結びつきがシフトチェンジできたことにもある。

 しかし日本にはこれは当てはまらない。日本はメインストリームな欧米諸国よりも急速に第二次人口転換が進み、時間的猶予が無かったためか、それとも近代化をあまりにも急速に推し進めたためか、結婚と挙児についての結びつきはあまり変化しなかった。
 ここでまた注意しなければならないことがある。ヨーロッパにおいては、婚姻年齢上昇と、生涯独身者の上昇という現象は、同棲と婚姻外の出生の増加とセットになって起きたということである。換言すれば、ヨーロッパ人は遅く結婚するとしても、結婚しないで性的関係をもったり同棲をしたりという、変容した「親密性」を生きているのである(Giddens 1992)。

 これとは対照的に、アジアにおいては同棲や婚姻外の出生の増加は見られず、この点がヨーロッパの第二次人口転換との最大の違いであると言われてきた。日本の18歳から50歳の独身者についての調査によれば、「交際している異性はいない」と回答した人の割合は、男性で52.2%、女性で44.7%であり、1990年代から僅かながら増加が見られるほどである(国立社会保障・人口問題研究所 2005)。日本での婚姻年齢と、生涯独身者の比率の上昇は「親密性の変容」からもたらされたのではなく、「親密性の欠如」を意味している。
『親密圏と公共圏の再編成 ──アジア近代からの問い』より

  欧米諸国では、結婚と挙児とはイコールではなくなり、挙児は、同棲をはじめとする「親密さによる結びつき」によって代替されるようにもなった。そうできたのは、近代化による意識変化の最先端だったからでもあろうし、近代化の本場だったからでもあろうし、変わっていくための時間が十分にあったからでもあろう。

 対して、日本では結婚以外で子どもをもうける割合はあまり増えていない。「できちゃった婚」こそ増えているが、これとて、子どもがいること=結婚すること・家族を構成すること という意識が根強く残っていることを反映しているようにみえる。

 「欧米諸国にならえ」と簡単に言う人もいるが、日本が近代化するために与えられた時間は、あまりにも短かった。乳児死亡率が低下したことによる第一次人口転換と、個人主義的で現代的な価値観の浸透にともなう第二次人口転換の間の猶予時間が日本には少ししか与えられなかったため、ひとびとの結婚観や価値観まで欧米風にシフトチェンジするには、時間が足りなかった。

 こうした歴史的経緯の違い・意識や社会構成の近代化にかけられた猶予期間の違いは、欧米諸国と日本との違いを考えるうえで不可欠のものだと思う。
それでも日本はマシなほう »

シロクマ(はてなid;p_shirokuma)
• 2019年01月07日 17:50
東アジアの破局的な少子化と、急ぎ過ぎた近代化について
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八日目の蝉@yu1096

今の20歳が40歳の半分しかいないって本当にいい話だと思う。戦争でもあったのかな?

399
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 たぶん、このツイートはブラックジョークのつもりで書かれたものだろう。けれども私には全く冗談には思えなかった。


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乳児死亡率の低下によって起こる第一の少子化は、それほどカタストロフではないし、アメリカやヨーロッパのベビーブームが証明しているように劇的少子化とも限らない。しかし、東アジア諸国などで今起こっているような第二の少子化は、それとは次元もメカニズムも違う。社会を滅ぼしかねない大変化だ。

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p_shirokuma(熊代亨)@twit_shirokuma

日本、韓国、台湾あたりで起こっている少子化は、カタストロフですよ。戦争や内乱は起こっていないけれども、それらに匹敵する勢いで人が減っていく状況。だのに経済的には微温的な状況が続いているものだから、後進世代がゆでガエルになるまで平常心で行こうと皆で決め込んでいるようにもみえる。

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 憲法九条のおかげか、国民の選択の賜物か、ともかく日本は戦争を経験せずに70年以上の歳月を過ごしてきた。なお、冒頭ツイートはちょっと間違っていて、平成25年の段階で20歳は40歳の6割ぐらいで、実際に5割になっているのは新生児のほうだ(下図参照)。


https://static.blogos.com/media/img/144747/raw.jpg

 とはいえ、この凄惨な人口動態を前にすると、そういう数字の違いは誤差の範囲にみえる。子どもが第二次ベビーブーム世代の半分以下になりつつあるのは事実だし、かりに、これから合計特殊出生率が急増したとしても、これまでの減少を埋め合わせるには膨大な時間、または欧米諸国もためらうような規模の移民が必要になる。常識的に考える範囲では、日本の合計特殊出生率が急増する契機は思いつかない。

 若者が集まり続けている首都圏の合計特殊出生率が著しく低く、にもかかわらず、子育てに対する考えも、子育てを援助するインフラも未だにそれほど変わっていないのだから、どうしようもあるまい。
「たくさん死ぬ」も破局だが「ぜんぜん生まれてこない」も破局
「人口なんて減っても構わない」という人がいる。

 わからない話ではない。日本人は狭い国土にひしめくように住んでいるから、人口が減ることにはメリットもあるだろう。

 しかし今起こっているのは、そんなに生易しい人口減少ではない。

 今日の医療や社会福祉、そのほかのインフラ事業は、生産人口の急激な減少を前提としてつくられてはいない。目下、急激な少子高齢化をみすえて政権は政権なりに努力はしているだろうけれども、高齢有権者のほうがマスボリュームとしてずっと大きい現状では、少子化対策にリソースを集中できる可能性は乏しい。

 また、人口急減に適合した道徳や倫理も、私達は持ち合わせていない。社会が変わればそれに見合った道徳や倫理が必要になってくるのが世の常だが、国内外の世論はそれを許さないだろう。

 そうした難しさを思うにつけても、この少子化は、戦争による人口減少に迫るインパクトがある。

 たとえばフランスは第一次世界大戦で非常にたくさんの犠牲者を出し、労働人口の1割程度を失ったといわれている。これは当時のフランス社会にとって破局的な損失で、その悪影響は第二次世界大戦にまで色濃くあらわれていた。

 他方、日本の労働人口の減少は、 みずほ総合研究所の調査によれば、2016年〜2065年で4割減少すると推計されるものだ。第一次世界大戦に比べればタイムスパンが長く、大戦中の戦死・戦傷とは性質も異なるため、両者を同じ秤に乗せるわけにはいかない。だが、労働人口の減少がこのまま進んだ時のインパクトは計り知れず、その影響はずっしりと残り続けるだろう。

 そして労働人口の減少とは、消費人口の減少、つまり内需の減少にも直結している。

 戦争やテロで人が大勢死ぬと、人はそれを破局と呼ぶ。自殺者が増えることを破局と呼ぶ人もいるかもしれない。それらは破局として理解しやすい。

 だが、子どもが生まれてこなくなるのも、それはそれで破局ではないか。

 すでに、街で見かける子どもの数は減っている。急激なニュータウン化に苦しんでいる一部地域をのぞけば、小学校や中学校には空っぽの教室がある。数十万〜数百万人の規模で子どもが生まれてこなくなって、数十年で数千万人の人口が減っていく。あまりにもスケールの大きいその影響は、計り知れない。

 こういった破局は、人類史のなかでもはあまり例の無かったことだ。豊かな生活・男女平等・個人の自由・民主政治といったアチーブメントを成し遂げたにもかかわらず、子どもが半減していく事態を、まだほとんどの国は経験していない。そのくせ表向きは豊かな生活が続いているものだから、この破局を破局として認識する人はあまりいない。

 本当は、不産の疫病神のようなものが国全体に、とりわけ人口集中の進む首都圏に憑りついている状態だというのに。

 みんな、この人口減少によって後進世代がゆでガエルになっていくプロセスを平常心で眺めていようと決め込んでいるのだろうか。それとも今日を生きるために明日のことや他人のことを見ないようにしているのだろうか。後進世代よりも先に死ぬから「自分は逃げ切れる」とたかをくくっているのだろうか。

 ともあれ、この破局に違いないはずの変化を破局と呼んでいる人は少ない。
乳児死亡率の低下だけでは説明できない
 よく、少子化と関連のある因子として乳児死亡率が挙げられている。

 確かに、人類史の大まかな流れを追うぶんには、乳児死亡率は少子化傾向の目安として頼りになる。乳児死亡率が低下するテクノロジー水準に到達した国では、合計特殊出生率が2前後まで下がってくる。いわゆる人口転換の第一段階がこれで、大部分のヨーロッパ社会では19世紀〜20世紀の前半にこれを経験している。
親密圏と公共圏の再編成―アジア近代からの問い (変容する親密圏・公共圏)
作者: 落合恵美子
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しかし、少子化には第二の段階がある。落合恵美子 編『親密圏と公共圏の再編成 ──アジア近代からの問い』によれば、ヨーロッパとアメリカ合衆国では1960年代から、日本では1970年代からその第二段階の少子化が起こったという。個人主義的で現代的な価値観の浸透や家族観の変化を背景として、合計特殊出生率が2以下になっていく現象だ。

 主要な欧米諸国では、この第二次人口転換は比較的緩やかに進んだ。緩やかに進んだ原因のひとつは多産な移民流入のせいでもあろうが、もうひとつは、もともと近代化が進行していて、ことがゆっくりと進んでいったこと、その時間的猶予のあいだに結婚と挙児についての結びつきがシフトチェンジできたことにもある。

 しかし日本にはこれは当てはまらない。日本はメインストリームな欧米諸国よりも急速に第二次人口転換が進み、時間的猶予が無かったためか、それとも近代化をあまりにも急速に推し進めたためか、結婚と挙児についての結びつきはあまり変化しなかった。
 ここでまた注意しなければならないことがある。ヨーロッパにおいては、婚姻年齢上昇と、生涯独身者の上昇という現象は、同棲と婚姻外の出生の増加とセットになって起きたということである。換言すれば、ヨーロッパ人は遅く結婚するとしても、結婚しないで性的関係をもったり同棲をしたりという、変容した「親密性」を生きているのである(Giddens 1992)。

 これとは対照的に、アジアにおいては同棲や婚姻外の出生の増加は見られず、この点がヨーロッパの第二次人口転換との最大の違いであると言われてきた。日本の18歳から50歳の独身者についての調査によれば、「交際している異性はいない」と回答した人の割合は、男性で52.2%、女性で44.7%であり、1990年代から僅かながら増加が見られるほどである(国立社会保障・人口問題研究所 2005)。日本での婚姻年齢と、生涯独身者の比率の上昇は「親密性の変容」からもたらされたのではなく、「親密性の欠如」を意味している。
『親密圏と公共圏の再編成 ──アジア近代からの問い』より
  欧米諸国では、結婚と挙児とはイコールではなくなり、挙児は、同棲をはじめとする「親密さによる結びつき」によって代替されるようにもなった。そうできたのは、近代化による意識変化の最先端だったからでもあろうし、近代化の本場だったからでもあろうし、変わっていくための時間が十分にあったからでもあろう。

 対して、日本では結婚以外で子どもをもうける割合はあまり増えていない。「できちゃった婚」こそ増えているが、これとて、子どもがいること=結婚すること・家族を構成すること という意識が根強く残っていることを反映しているようにみえる。

 「欧米諸国にならえ」と簡単に言う人もいるが、日本が近代化するために与えられた時間は、あまりにも短かった。乳児死亡率が低下したことによる第一次人口転換と、個人主義的で現代的な価値観の浸透にともなう第二次人口転換の間の猶予時間が日本には少ししか与えられなかったため、ひとびとの結婚観や価値観まで欧米風にシフトチェンジするには、時間が足りなかった。

 こうした歴史的経緯の違い・意識や社会構成の近代化にかけられた猶予期間の違いは、欧米諸国と日本との違いを考えるうえで不可欠のものだと思う。
それでも日本はマシなほう »
それでも日本はマシなほう
 さて、こうした破局は日本だけのものではない。


https://static.blogos.com/media/img/144748/raw.jpg

 上掲の図が示しているとおり、アジア諸国は日本よりも早いスピードで、もっとシビアな破局に突き進んでいる。韓国、香港、台湾あたりの合計特殊出生率は、国家や民族の存亡にかかわる水準である。

 シンガポールの合計特殊出生率もなかなか低い。強権的なこの国は、第二次世界大戦以降は人口抑制計画を続け、ことの重大さに気づいた1980年代以降は人口増加のための政策を推し進めたが、それでも合計特殊出生率は1.25となっている(googleによれば、2016年の段階では1.20とますます低下している)。強権的な国が強力に政策を推し進めてさえ、この人口減少の"病"は簡単には覆せないことを、シンガポールは証明しているようにみえる。


lakehill@lakehill

「景気を悪くしてロスジェネを蔑ろにしたから少子化が進んだ」的ま意見がバズっているけど、日本も他の先進国並みのGDP成長率を達成していても少子化を克服できなかったと思う。まあ合計特殊出生率がもうちょっとだけ上がった可能性はあるけど

75
14:43 - 2019年1月5日
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50人がこの話題について話しています


 シンガポールの例を踏まえるなら、たとえ日本の「失われた20年」がもっとマシだったとしても、当時の政権がもっと少子化対策に力を入れていたとしても、結局、ある程度の少子化は不可避だったのではという気がしてくる。

 上の表では比較的出生率の高いタイも、間もなく日本に追いつき、追い抜くだろう。なぜなら、タイは今まさに急速な近代化が進んでおり、と同時に首都バンコクへの人口流入が続いているからである。このバンコクの合計特殊出生率が東京以上に酷い。東京が日本じゅうから血を吸い上げることで繁栄を謳歌しているのと同じく、バンコクもまたタイじゅうから血を吸い上げながら繁栄し、そしてタイ全体の合計特殊出生率を引き下げている。

 日本で起こっている以上にはげしい少子化が、もっと早いスピードでアジアの新興国で起こっているわけだ。

 さきほど、日本では急速に近代化が進んだと書いたが、それでも、日本には近代化がゆったりとした一時代があった。
 もしも我々が二つの段階の出生率低下期の中間の、出生率が人口置換水準に安定していた時期を「近代の黄金時代」と呼ぶのなら、その時期の長さは、ヨーロッパとアメリカでは50年であり、日本では20年であり、東アジアの残りの地域ではほとんど存在しない。日本以外のアジア社会では、安定した近代を経験しなかった。そこでは突然に、また一気に後期の、あるいは第二の近代に飛び込んだのである。
『親密圏と公共圏の再編成 ──アジア近代からの問い』より
 日本もある程度そうだが、東アジアの新興国は、しゃにむに近代化と経済発展を追いかけてきた。その努力によって大変なスピードで欧米諸国に追いついたが、まさに大変なスピードだったがゆえに、価値観や結婚観や諸々の習俗なども含めて、いろいろなものが置き去りにされたままになってしまった。

 その結果、ゆっくりと時間をかけて近代化を成し遂げた欧米諸国にはあった、近代化に即した価値観や結婚観の変化を推し進めるだけの時間的猶予はなく、変化にみあった新しい価値観や結婚観、ライフスタイルを人々の間に浸透させることはできなかった。おそらく、タイもこの轍を踏むことになるだろう。

 日本も東アジアの新興国も、かつては近代化や経済発展を旗印に、つまり、欧米諸国のようになることを目標としてきた。ほかのアジアやアフリカの途上国も同様だろう。しかし、急激な近代化とは、いったいどういうものだろうか? 急激に近代化し、経済発展を遂げた国々がたどり着いた破局的な人口減少を目の当たりにした時、ゆっくり時間をかけてたくさんの植民地を蚕食し、そういった土台のうえに先進的な思想と国家体制をかためていった国々を、表層的かつ短期的に模倣したツケは高いものではなかったかと、私は思わざるを得ない。

 実のところ、アジア新興国の近代化と経済発展とは、潜在的な出生率も含めた人口ボーナスのすべてをなげうって行われた、代償を伴った経済発展プロセスではなかったのだろうか。

 欧米諸国の繁栄や思想は、なにかと「後進国」の模範とみなされやすい。それは仕方のないことだとしても、国際社会は、「後進国」にかつての欧米諸国が辿ったのと同一の発展プロセスや歴史的手続きを授けてはくれない。たとえば植民地から収奪し続けながら長い時間を過ごし、そうした状況のもとで民主主義や個人主義を洗練させていくような発展プロセスなど、望むべくもない。

 さりとて、韓国や台湾や日本のような一足飛びの発展は、国と民族の根幹を蝕み、やがては人々の生活にも影を落とすであろう急激な人口減少を招いてしまう。だとしたら、どうすれば良かったのだろうか?

 この文章で参照させていただいた『親密圏と公共圏の再編成』は全体としては落ち着いた筆致の書籍だが、それだけに、以下のようなセンテンスを見つけた時には私はうろたえてしまった。
 しかし、どちらのタイプ*1の家族主義も、持続可能な社会システムを建設することに失敗したということでは、違いはなさそうである。日本における純正な家族主義は変貌する世界に対する柔軟性と適応力を圧殺し、他の東アジア社会における自由主義的家族主義は、経済的に不利な人々に対する無慈悲な社会的排除を結果として生み出した。近い将来、他の東アジア社会が今日の日本と同じように高齢化するまでに、革命的でダイナミックな政策革新を実施できないならば、東アジアの社会的再生産はまさに不可能になるだろう。
(同書P94より)
 つまり、よほど革命的な改革ができない限りは、日本も含めた東アジアの国々は社会的再生産ができない=社会としては終わっていく。

 この、大規模な破局に対する根本的な処方箋は、欧米諸国には存在しない。もちろん各論的な部分では参考にもなろうけれども、ゆっくりと近代化を成し遂げた欧米諸国と、急激な近代化を余儀なくされた国々には大きな相違があり、まさにそれがこの破局の背景として無視できないことを思えば、これは、東アジア諸国がみずから処方箋を作り出していくしかないものなのだろう。

 果たして、そのようなことが日本や韓国や台湾に可能だろうか?

 どうあれ、なるようにしかならず、処方箋を見出せなかった国や地域は急速に衰退し、混乱していくだけのことではあるが。
________________________________________
*1:引用者注:日本の家族主義も他の東アジア諸国の家族主義も
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日本と中国と韓国が直面する「少子化」、特に深刻なのは

サーチナ2019年10月2日 10:12
日本と中国と韓国が直面する「少子化」、特に深刻なのは・・・=中国メディア
中国メディアは、日中韓の出生率について分析する記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)(サーチナ)
 韓国・ソウル新聞が先月発表したところによると、2018年の韓国の合計特殊出生率は0.98人と、出生率1人未満になったことが分かった。出生率の低さは日本と中国でも問題となっているが、中国メディアの今日頭条は27日、日中韓の出生率について分析する記事を掲載した。

 韓国の2017年の合計特殊出生率は1.05人だったが、今回初めて1人台を割り、統計以来最低の数字を記録したことになる。人口維持には2.1人が必要とされ、超少子化基準の1.3人という数字から見ても、かなりの低水準であることが分かる。

 記事は、1.42人だった日本と比べると、「日本は恋愛も結婚も出産もしない低欲望社会だと毎日言われているが、韓国ほどではなかった」と指摘。合計特殊出生率に関して言うと、2005年に1.26人の最低記録を出した後はわずかながら上昇もしており、「欲望は上昇している」と分析した。

 一方の中国の合計特殊出生率は1.48人と、数字だけでみれば3カ国の間では最も高い数字を示している。しかし「出生率の右肩下がりぶりでは世界一」で、韓国どころか世界でもこれほど急激に低下している国はないという。昨年の出生率だけを見れば韓国が最も厳しいように見えるが、一人っ子政策を緩和させたにもかかわらず少子化が加速している中国は、もしかしたら日本や韓国以上に危機的状況なのかもしれない。

 この話題は中国人の強い関心を引いたようで、多くのコメントが寄せられている。例えば「出産は女性にとって代償が大きすぎる」、「子どもを産んで育てるのは費用がかかりすぎる。誰が産む勇気があるというのだ?」など、中国でも出産を望まない人が増えている様子がうかがえた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)


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アジアの労働者が日本で働いてくれなくなる日 少子化が急速に進むベトナム 
2019.10.15(火)川島 博之
アジア・オセアニア
ベトナム・ホーチミンの夜景
ギャラリーページへ
(川島 博之:ベトナム・ビングループ、Martial Research & Management 主席経済顧問)
 ベトナムは「労働研修生」などという言葉と共に思い浮かぶ国である。現在、日本に滞在するベトナム人は約33万人。その数は中国、韓国についで多く、近年急速に増加している。
 ベトナム人は真面目でよく働くと言われて、日本での評判は概して良い。多くが大乗仏教徒であり、日本での生活において宗教的な違和感が少ない。イスラム教徒が多いインドネシアなどとは異なり、食事についても特段の注意を払う必要がない。
 そんなベトナムの人口構成はどうなっているのだろう。今回はベトナムの人口について調べてみた。
TFR(合計特殊出生率)が急速に低下
 ベトナムの人口は現在9700万人。2040年に1億800万人になるとされる(国連人口予測)。まだ増えてはいるが、その増加率は急速に低下している。
 図1に日本とベトナムにおけるTFR(合計特殊出生率)の推移を示す。1970年頃にベトナムでは1人の女性が6人から7人の子供を産んでいた。しかし、図に示すように2015〜2020年は2.06にまで低下した。

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図1 ベトナムと日本のTRF(合計特殊出生率)
2020年以降は中位推計(出典:国連人口予測)
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変化するベトナム人の価値観

 なぜ、TFRがこのように急速に低下したのであろうか。1つの理由として1988年に導入した「二人っ子政策」がある。人口爆発を危惧したベトナム政府は人口抑制政策をとった。しかし、中国でもそうであったが、人口抑制政策を始める前にTFRは減少し始めていた。
 図1には参考のためにタイのTFRについても示した。二人っ子政策を行わなかったタイでも、TFRはベトナムに似た形で低下している。タイの2015〜2020年のTFRは1.53である。同時期の日本は1.37だから、タイでは日本並みに少子化が進行している。
 ベトナムのTFRはタイほど低下することなく2.0程度で底を打ったように見える。この傾向を受けて、国連はベトナムのTFRは今後も2.0程度で推移するとしている。
変化するベトナム人の価値観
 だが、ベトナムのTFRは本当に底を打ったのだろうか。
 ベトナムでは二人っ子政策は廃止された。そもそもベトナムの二人っ子政策は、公務員が3人目の子供をつくると左遷や減給の対象になる程度で、法的な拘束力はなかった。これまでのところベトナム人は概して早婚で、家族を大事にする伝統があるために、結婚してすぐに子供をつくっていた。しかし、当地に滞在していると、そのような傾向がこれからも続くとは限らないと感じる。
 中国で一人っ子政策を緩和してもTFRが向上しないように、ベトナムでも経済発展に伴って、TFRが今より低下する可能性が高い。それはハノイやホーチミンなど大都市で働く高学歴の女性がなかなか結婚しないケースが増えてきているからだ。
 アジアはコメを作ってきた。コメ作には多くの労働力を必要とする。そんな農村では労働力や後継を確保する必要があったために、「女は早く結婚して、子供をたくさん持つことが幸せ」との考えが支配的であった。20世紀に入って農村でも衛生状況が改善され、医療が普及すると、幼児死亡率が減少した。これが人口爆発を招いた。
 しかし、そんなアジアの国でも経済発展が始まると社会は大きく変貌する。人口の都市への移動が始まる。若い女性が働き場所を求めて都市部に移り始める。そうなるとTFRは急速に低下する。これはわが国では年号が昭和になった頃に始まった現象である。ベトナムでも同様の現象が生じている。

ますます減少する若年層

 このように考えると、ベトナムのTFRが今後も2.0付近で推移する保証はどこにもない。ベトナムもタイや日本と同様に少子化に悩む日が、遠からず訪れる。
ますます減少する若年層
 図2に2020年におけるベトナムの人口構成を示す。ベトナムの人口構成はちょっと変な形をしている。これは1986年に始まった「ドイモイ」と呼ばれる経済改革が1990年代に入って軌道に乗り、若者が都市に移動し始めたからである。その結果、1990年代生まれが少ない。

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図2 2020年のベトナム(縦軸5歳刻み、横軸の単位は1000人)
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 しかし1980年代に生まれた人が多かったために、団塊ジュニアとも言える現在0歳から10歳に相当する層が多い。今後は親となる世代が減少することから、新生児の数も減少する。それは図3に示す2040年の人口構成を見るとよく分かる。ベトナムも日本のように団塊世代と団塊ジュニアが出現する。

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図3 2040年のベトナム(中位推計による予測)
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 これはTFRが中位推計で推移することを前提にしているが(注:推計は高位、中位、低位のそれぞれのパターンで推移することを想定して行う)、これまで述べたように、今後TFRは、より低下する可能性が高い。その結果、0歳から20歳の層は、この図に見られる以上に減少するだろう。

日本人の介護などできない?

アジアから日本に来る労働者はいなくなる?

 1990年代からベトナムでは順調な経済成長が続いている。現在の1人当たりGDPは2700ドル程度とされているが、推定法に問題があったとして現在校訂中である。新たに公表されるGDPは3000ドルを超えると言われる。
 現在のベトナムは1970年頃の日本に相当しよう。そこら中で土木工事が行われている。このような状態が続けば、2030年頃には1人当たりのGDPは1万ドル近辺になろう。それは現在のマレーシアの水準であり、先進国の入り口に差し掛かるといっても良い。
 ここで考えなければならないのは、日本の労働者の受け入れ政策である。一昔前には韓国から大勢の人が働きに来ていた。しかし、現在では飲み屋やコンビニで韓国人を見かけることはなくなった。いつしか中国人に変わり、その中国人も現在減少している。それは急速に経済が成長しているからであり、ベトナムについても韓国や中国と同じことが言えよう。
 文化が似ているアジアから労働者を受け入れることができる時間は、あと20年ほどと考えていた方がよい。早ければ10年後には、「日本に来てほしい」と言ってもアジアから日本に来る労働者はいなくなってしまう。ここには示さなかったが、インドネシアなどもベトナムとそれほど変わらない状況にあるからだ。
 アジアの人に日本語を覚えてもらって、介護の手伝いをしてほしい。だが、それは虫のいい話である。あと10年もすればベトナムをはじめとするアジアの国々は少子高齢化社会の入り口に立つ。そうなれば日本の老人の世話をする余裕などなくなる。
 どうも、この頃の日本の政策は国家100年の計を考える視点に欠ける。10年程度しか有効でない政策ばかり考えている。目先のことしか考えられない。それは日本社会が本当に老い始めたからなのかも知れない。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57899


 

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コメント
1. 2019年10月15日 17:29:12 : OO6Zlan35k : L3FGSWVCZWxFS3c=[239] 報告

この手の根本的に考え違いをしている人々が多いようだが

今の世界人口は、完全に持続可能性を超え、地球生態系を道連れにした自滅モードに入っている


だから、人口密集地域であるアジアで人口減へと転換することは

様々な環境問題や地域紛争などの悪化の抑止を可能にし、

人類だけでなく地球全体にとって必要不可欠な過程と言える

(もちろん、地球外惑星系と核融合エネルギーを利用できるまで人類文明が発展すれば話は別ではあるが、その可能性は現時点では限りなくゼロだし、
長期的に見て、何の改良もされない愚かな人類が宇宙に進出していくことは非常に有害だから、実現しない方が良いだろう)


>労働人口の減少がこのまま進んだ時のインパクトは計り知れず、その影響はずっしりと残り続ける
>労働人口の減少とは、消費人口の減少、つまり内需の減少にも直結
>子どもが生まれてこなくなるのも、それはそれで破局ではないか

そもそも別に子供が生まれてきていないわけではないし

生産性が上昇していけば、現在の少子化ペースが暫く続いても

ほとんど問題はない


そして、いずれ長寿者の人口制限技術や地球生態系の持続可能な利用技術が確立すれば、定常状態に戻ることになる

2. 2019年10月15日 19:21:54 : bLbVVSfKBo : Q0txSzNoeHg1TG8=[15] 報告
急激な 成長のツケ 回る今
3. 2019年10月17日 21:33:16 : xPamcg4HsM : Y0hpOUtaM2ovRkU=[1] 報告
>豊かな生活・男女平等・個人の自由・民主政治といったアチーブメントを成し遂げたにもかかわらず、子どもが半減していく事態を、

成し遂げたからこそ子供が半減する事態になったのよ。

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