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「日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」への反響を受け、もう一つカラクリを解き明かす
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2019/09/post-79.php
2019年09月10日(火)15時00分 経済ニュースの文脈を読む 加谷珪一 ニューズウィーク
厳しい現実に正面から対峙することこそが国を愛する心ではないだろうか bee32-iStock
<「日本が後進国」という内容に衝撃を受けた方は少なくない。なぜなら、日本は1人当たりGDPが主要国トップになったこともあり、メディアではこの部分が肯定的に大きく取り上げられる。しかしその一方で、労働生産性は最下位だ。その理由から見える、日本の課題とは>
前回、「日本はもはや後進国であることを認める勇気を持とう」という記事を書いたところ、多くの反響をいただいた。日本の労働生産性は主要先進国中、最下位という状況が50年以上続いており、世界における日本の輸出シェアが高かったのも実は1980年代だけである。こうした現実を考えると、日本は「昔から貧しかった」と考えた方が、状況をより適切に把握できるという内容だが、この表現には疑問を持った方も多いかもしれない。
【参考記事】日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう
労働生産性は豊かさを示す代表的な指標のひとつであり、これがずっと最下位なのは事実だが、一方で日本の1人当たりGDP(国内総生産)は主要国でトップになったこともある。1人当たりGDPが主要国トップなのに、なぜ労働生産性は最下位なのだろうか。今回はこのカラクリについて解説したい。
■付加価値と労働時間と社員数で生産性は決まる
労働生産性は、企業が生み出した付加価値を労働時間と労働者数で割って求められる。マクロ的にこの指標を取り扱う際には、付加価値の総和であるGDPを用いることが多い。数式の分子がGDP、分母が労働時間と労働者数の積なので、GDPが多ければ多いほど生産性は向上し、労働時間が長く労働者数が多いほど生産性は低下する。つまり、儲かるビジネスをできるだけ少ない社員数で、そして短時間でこなせば生産性は向上するという話だ。
逆に言えば、日本の労働生産性が著しく低い理由は、儲かるビジネスができていないか、労働時間が長すぎるか、社員数が多すぎるのかのいずれかである。現実には上記3つのすべてが該当している。薄利多売のビジネスが多く、企業が生み出す付加価値が小さくなっており、しかも大人数で長時間残業しながら業務を行っているので、生産性は上がりようがない。
日本は戦後、焼け野原の状態から産業を立ち上げたが、1960年代前半までは、日本メーカーの製品は「安かろう悪かろう」と言われ、低品質の代名詞だった。今の若い人にはピンとこないかもしれないが、今から20年くらい前の中国製品を想像してもらえばイメージが湧きやすいだろう。
しかし、日本企業の技術が進歩したことで、1960年代後半からは欧米企業に近い水準の製品を出せるようになってきた。日本人の賃金が安かったこともあり、日本メーカーの製品は「低価格で高品質」というイメージに変わり、市場シェアを拡大していった(これは今の韓国製品に近いイメージだろう)。1980年代には物作り大国であるドイツと肩を並べるまでに輸出シェアを拡大したが、そこがピークとなり、その後はシェアを一貫して落とし続け、現在に至っている。
【参考記事】本気で考える、日本の労働生産性はなぜ万年ビリなのか?
■1人あたりGDPが急上昇した原因はプラザ合意による過剰な円高
本来であれば、日本企業の競争力が拡大した1980年代に、薄利多売をやめ、高付加価値の製品に特化する先進国型の産業構造に転換すべきであったが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉に酔いしれ、こうした努力を怠ってしまったのが最大の敗因である。
その結果、1980年代には一時的に労働生産性が向上し、欧米各国の豊かさに近づいたものの、再び貧しかった時代に逆戻りしようとしている。一方で、日本の1人当たりGDPは1980年代後半に急上昇を開始し、1989年には全世界で2位になったこともある(図上)。
生産性では遠く各国に及ばないにもかかわらず、なぜ1人当たりGDPだけが主要国でトップになったのだろうか。そのカラクリは為替レートの計算方法にある。
1人当たりGDPを各国で比較する場合には、通貨が異なるため、ドルに換算するのが基本ルールとなっている。つまり為替市場で自国通貨が上昇すると、1人あたりのGDPはその分だけ上昇する仕組みになっているのだ。1980年代から90年代の前半にかけて、日本の1人あたりGDPが大きく上昇したのは、急激に進んだ円高が原因である。
米国は日本企業の競争力強化に警戒感を抱き、日本円の切り上げを強く要請。1985年のプラザ合意をきっかけに、為替市場では怒濤の円高が進み、わずか10年間で、1ドル=250円台から80円台まで、日本円は一気に3倍に高騰した。これは実体経済を無視した市場の暴走であり、当然のことながら、名目為替レートを用いて計算する1人当たりGDPを急上昇させた。この時代、日本の1人あたりGDPが世界2位になった理由は、ほぼすべてが為替要因といってよい。
■大国であることを前提にした戦略は見直しが必要
労働生産性もドルに換算して比較するのが基本だが、こちらの計算については、実体経済や現実の生活実感に近い、購買力平価の為替レートを用いることになっている。購買力平価の為替レートは、一物一価の原則を基本に、どのくらいの購買力があるのかという視点で算出された為替レートである。
為替市場ではプラザ合意によって急激な円高が進んだものの、購買力平価の為替レートは、物価の変動がそれほど大きくなったことから、ゆっくりと円高が進むだけであった。このため、日本の労働生産性が過剰に高く算出されることはなく、ずっと最下位のまま推移してきた。
ちなみに、購買力平価の為替レートを使って1人当たりGDPを計算すると、1990年代に上昇が見られるものの、労働生産性と同様、日本の順位は基本的に低いままである(図下)。やはり日本経済というものは、戦後、貧しい状況からスタートし、1980〜90年代に欧米水準に近づいたものの、再び、貧しい状況に戻りつつあるというのが現実と考えた方がよさそうである。
【参考記事】「戦後最長の景気拡大」について議論しても無意味である理由
■日本製のパソコンは本当に競争力があったのか?
産業競争力という面でも、日本は昔から傑出した技術大国だったわけではない。
筆者の大学の専攻は原子核工学だったが、専門課程に進み、本格的に原子炉物理学など学び始めた時、日本の得意分野であるとされていた原子力技術についても、重要な部分はすべて米国によって確立されているという現実を知り、少しばかりショックを受けた記憶がある。
ITについても同様である。1980年代、一世を風靡したPC-8800シリーズ、PC-9800シリーズといったパソコン製品は、製造こそ日本で行われていたが、パソコンの中枢部であるCPUの基本設計は米インテル社が、パソコン全体については米IBM社が行ったものである。日本メーカーはこれを流用して製品を製造していたに過ぎない。
当初、日本メーカーは日本語環境で差別化できるとしていたが、パソコンの性能が向上するにつれて、ソフトウェアで日本語を処理できるようになり、日本メーカーは完全に敗北した(ちなみにインテルがCPUの基本技術を開発するにあたっては、渡米してインテルに採用された日本人技術者が大きな役割を果たしている。個人の才能を企業や国家に生かせない日本の欠点も昔から同じである)。
厳しい現実だが、正しい戦略を立てるためには、現状を正しく認識することが重要である。日本がこれ以上、貧しい国にならないためには、大国であることを前提とした企業戦略や国家戦略をゼロから見直す必要があるだろう。
【参考記事】トヨタのディーラー網見直しから見えてくる日本経済の新しい姿
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