遅らばせながら投稿させていただきます。うち、ルノーのライバルのシトロエンの愛好家で、1919年6月に自動車生産開始してちょうど100年なので、そのイベントに行ってきたんです。どういう訳かイギリスのシトロエン・カークラブUKの主催だったので、英語圏のお祭りになってしまいましたが。 Citroen Centenary Event 1919 2019 UK https://www.youtube.com/watch?v=RKvl04DIRrE シトロエンが自動車生産を開始した時、既にルノーはフランス最大の自動車メーカーでした。それを生産開始初年度で最大メーカーの座を奪ったのがシトロエン。それ以来、ライバル関係はずっと続いています。シトロエンのファンにとっても、ルノーはライバルなのです。だから、今回のフィアットとの合併問題についても、関心は高いですね。 イタリアのフィアットは、07さんの言われるように、技術力不足です。1970年代に日本車が大量に西欧に流入した時、最大の被害を受けたのがイギリスのブリティッシュ・レイランド。これの次に深刻な被害を受けたのは、イタリアのフィアットでした。 イタリアのフィアットの技術は、現在の世界の自動車で主流になっている横置き前輪駆動方式の変速機配置を考え出したダンテ・ジアコーサ工学博士の業績くらいしかありませんね。エンジンと変速機を同軸線上に配置する方式です。これを最初にやったのがフィアット127。それまでは変速機をエンジンの下に抱え込むイギリスのイシゴニス方式が知られていました。 フィアットは、自らの技術力に不安があり、1960年代から単独での生き残りは無理だと考えていた。ここの経営者はアニエッリ一族でしたが、そのアニエッリ一族が1968年、フランスのシトロエンに手を出してきた。シトロエンの乗っ取りです。これにドゴール大統領は激しく反発。シトロエンの直接支配はまかりならんと、ミシュランと折半で設立した持ち株会社パルディを通じて間接支配することとなりました。 アニエッリ一族は、1970年代に生き残る自動車メーカーは世界で10社だけになると考え、生産台数は年間200万台必要だと主張しました。それでシトロエンの前輪駆動車もジアコーサ方式を採用することになり、1974年に登場したCXはフィアットと同じ横置きエンジンになっています。(註 うちが乗っています。) しかしシトロエンとフィアットの仲は悪く、1973年にフィアットはシトロエンと手を切りました。その直後に第一次石油危機が襲い、膨大な借入金で首が回らなくなっていたシトロエンは1974年4月に倒産。フランス政府が仲介に乗り出し、1974年6月にプジョーの支配下に入りました。 ●さて日産ですが、1980年代に入って登場します。フィアットのライバルだった国営アルファ・ロメオが深刻な経営危機に陥り、日産が経営再建に協力することになりました。日産は二代目パルサーにアルファ・ロメオの水平対向エンジンを搭載したアルナを共同開発し、南イタリアで共同生産することにしたのです。 ところが事業はうまくいかず、これに業を煮やしたイタリア政府は、アルファ・ロメオの売却を決定。これにフィアットが水面下で動き、イタリア政府と密室で買収を談合。これによりアルファ・ロメオはフィアットに吸収合併されたのですが、日産は膨大な投資をしていたのに、完全に蚊帳の外で陰謀が進んだのです。 日産は数百億円を投じた事業を、イタリア政府とフィアットの談合で失うことになり、完全にやられました。それ以降、フィアットを骨の髄まで恨み続けていたのです。この合併話が潰れたのも、日産の怒りがあったからではないのか。間違いなく、そう思います。 ●技術力のない自動車メーカーほど、他社との提携とか合併をやりたがりますが、フィアットはその典型例です。1969年には同じイタリア国内のランチアを買収。これでランチアは、ただの「高級フィアット」になりました。1986年にはアルファ・ロメオを買収。21世紀に入ると、アメリカのクライスラーに手を出す。このクライスラーも、技術は立ち遅れていましたね。後輪は板ばねで、エンジンは燃料噴射をなかなか採用しなかった。 あの当時、クライスラーは三菱自動車と提携していましたけど、新開発した前輪駆動小型車Kカーのエンジンまで手が回らず、2.2リッターエンジンはフィアットが製造し、2.5リッターエンジンは、三菱自動車京都製作所で製造してアメリカに輸出していました。つまり、この時からフィアットとの縁が出来ていたのです。 もしルノーとフィアットが統合していたら、三菱自動車もクライスラーとヨリを戻すことになったんですが、1970年代後半以降の提携は、三菱がクライスラーを支えるだけになってしまって、逆に足手まといになっていました。そのこともあって、フィアットが出てきた時点で、三菱はアライアンスから抜けると言っていましたから、こんな無理な統合、最初からうまくいかないのは予想していました。
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