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「令和」の消費増税はマクロ政策の失敗で混迷した「平成」の二の舞
https://diamond.jp/articles/-/200883
2019.5.2 高橋洋一:嘉悦大学教授 ダイヤモンド・オンライン
5月1日から新元号「令和」に改元され、30年と5ヵ月続いた「平成」が終わった。
「平成」は、どういう時代だったのか。
財務省(大蔵省)にいた筆者の視点から振り返ると、その時々の局面で、財政や金融政策が間違った処方をしたことで、バブルやその後のデフレに象徴される日本経済の混迷をより大きくした感が強い。
「平成デフレ」の引き金は
日銀の金融引き締め
バブル景気に沸く1989年、改元により平成元年になったが、平成の最初の経済エポックといえば、消費税創設だ。
当時の大蔵省にとっての重要事項のひとつも、消費税の導入だった。
この消費増税がバブル崩壊にどのような影響を与えたのか。
1989年の消費税創設(税率3%)がバブル経済の崩壊のきっかけになったのかといえば、まったく違う。
4月に消費税が導入されても、経済は好調そのものでバブルは加速すらしていた。
その当時の大蔵省の対応はかなりまともであり、消費税創設を前に、所得税減税などを先行して行い、その上で、物品税の廃止も行っている。
「増減税中立」の税制改正にしたことで、消費税創設でも経済への悪影響はまったくといっていいほどなかったのだ。
財政状況も、バブル景気により税収が増えたことで改善しており、1989年の赤字国債発行額はわずか2000億円。90年には赤字国債依存から脱却し、95年に赤字国債の発行を再開するまで、赤字国債の発行は基本的になかった。
財政状況が良好だったので、所得税減税や物品税廃止などをする余裕があり、消費増税の経済への悪影響は避けられたのだ。
一方で、ひどかったのは日銀である。
当時の三重野日銀総裁は、バブルつぶしと称して、不必要かつ過剰な金融引き締めを行った。「平成の鬼平」とマスコミから持ち上げられたが、急激な金融引き締めはバブルをつぶすばかりか、実体経済もつぶした。
バブルは、株価と地価が異常に値上がりしたもので、一般物価の上昇率は3%にも達していなかった。
この失敗は、当時、もし今のような「2%インフレ目標」があったらという思考実験をしてみればわかる。
インフレ率が高くなっていなかったので、金融引き締めはまったく不要だったはずだ。
それなのに日銀官僚は間違えないという“無謬性(むびゅうせい)神話”があるために、この金融引き締めは正しいものとして考えられ、その後も平成時代の最後、黒田総裁の異次元緩和に転換するまで、日銀は引き締め基調が継続した。
筆者はそれが、「平成デフレ」の引き金であり、デフレが長引いている元凶だと考えている。
「接待汚職」の大蔵省は
「お家大事」を優先
バブルの当時、大蔵省はどうしていたのか。大蔵省のバブル対応はまともだったと考えている。
異常な株価や地価の上昇は、税制などの法規制の抜け穴があって、それを利用した銀行・証券会社の異常な経営姿勢が原因だったことは、筆者も自分の行政経験からそう思っている。
当時の大蔵省は銀行や証券会社の経営姿勢を正す指導を行っており、正しい行政だったと思う。
だが一方で、バブル崩壊後は、大蔵省は巨額の不良債権を抱えた金融機関の救済や、大蔵省自らの不祥事対応で手一杯だったので、とても日銀の政策を考えている余裕はなかったのではないか。
多くの金融機関の経営が破綻する戦後初めての金融危機という未曽有の事態になり、救済や不良債権処理のために税金投入が不可避になったが、それとともに、金融機関と大蔵省との癒着も社会問題になった。
その一例が、98年の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だ。
大蔵省官僚らが金融機関から、こうした低俗な接待まで受けていたことが発覚した。護送船団行政のもとで、金融機関への規制や権限を背景に、官僚の世界が腐敗していたことを示す象徴的な出来事と言えるだろう。
社会からの批判が強まり、大蔵省は財政部門と金融行政部門を分離させられるという、省始まって以来の「危機」を迎えた。
その状況では、大蔵省は「お家」が一番大事であり、バブル崩壊後の日本経済のことを考えている余裕はなかったのだろう。
97年4月の消費増税は間違い
経済の実態を考えず
その後、日本は、90年代半ばからいわゆるデフレ経済に陥った。
日銀はバブルつぶしの性急な金融引き締めの間違いを自覚しないまま、金融引き締めは継続された。
名目金利は低水準だったので、金融引き締めを多くの人が意識しなかったのだが、インフレ率がマイナスになることは、古今東西を見渡しても例がほぼ皆無である。
インフレ率がマイナスなので、名目金利は低くても実質金利は高く、経済成長は望めない状態だった。
そういう状況の時に、大蔵省がとんでもない間違いをしたのが、1997年4月の税率3%から5%への消費増税だ。
デフレ経済突入時に消費増税である。これは日本経済を奈落の底に突き落とした。なぜ起きたのか。
大蔵省は、時の首相や政権、与党の黒子役として、政権運営などを陰で切り盛りする一方、歳出抑制や増税など政治家の嫌がる政策も実現させる「政治巧者」である。
1993年8月、非自民の細川連立政権が成立した。連立政党の思惑が違うなどで政治的に不安定だったが、大蔵省は政権の中枢に食い込み、消費増税を仕掛けた。
1994年2月の国民福祉税騒動だ。これはうまくいかず、細川政権の命取りになった。
同年4月に羽田内閣になったが、短命で6月に退陣し、社会党と自民党連立の村山政権になった。
ここでも大蔵省は消費増税を仕掛け、ついに税率を3%から5%に引き上げる増税法案を11月に成立させた。
1996年11月、自民党と社会党の連立で誕生した橋本政権は、村山政権の時に決まった消費増税を1997年4月から実施した。
だが、1997年以降明らかに、それ以前に比べても景気は停滞したが、大蔵省はそれを消費増税のためとは決して認めなかった。
今でも「定説」になっているのは、当時起きたアジア金融危機が日本経済の低迷の原因だというものだ。
アジア金融危機は、タイから韓国などへと波及した。震源地のタイや韓国は確かに経済成長が急減速したが、その後の回復は早かった。
だが、日本は震源地でもないのに経済が低迷し、その後も低迷したままだった。これは日本の景気が国内要因で低迷したことを示しており、その原因は消費増税以外には考えられない、と筆者は考えている。
リーマンショックで再び失敗
緩和遅れ「超円高」招く
その後、金融危機などもあって、1999年度に税収は97年度と比べて、所得税収と法人税収の合計額が6兆5000億円もの税収減となり、失業者数は300万人を超えた。
その後、「聖域なき構造改革」を掲げた小泉政権で、郵政民営化や規制緩和などが行われ、景気も米国のITバブルなど、海外の好況に引っ張られるように回復、「いざなみ景気」とも呼ばれた。
当時、構造改革の成果といわれたが、実はその裏で金融緩和をしていたのはあまり知られていない。経済の好調で急速に財政再建も進んだ。
だが、2008年9月のリーマンショックで、新たな危機が世界を襲い、日本経済も再び奈落の底に突き落とされた。
この時もマクロ政策の失敗が、事態を深刻化させた。
金融緩和と積極財政が求められたが、日銀も財務省もできなかった。まるで、両者がともにバブル後の対応を誤ったのと同じ光景を、ほぼ20年後に再び見ることになり、情けなかった。
リーマンショックからほどなく誕生したのが民主党鳩山政権だった。戦後初の本格的な政権交代に、国民は大いに期待した。
経済環境も、リーマンショック後の「最悪」からのスタートなので、放っておいても最悪よりは悪くならないという、政権交代の成果を示す絶好の環境だった。
これについて、「死んだネコでもたたきつければ跳ね返る」と、欧米でもよく言われる表現がある。
実際、鳩山政権で経済は最悪時よりマシになったが、回復のペースは芳しくなかった。日銀が信じがたい行動をとったからだ。
大きな経済ショックへの対応策は、まずは大胆な金融緩和だ。
実際に、欧米の中央銀行はリーマンショック直後、猛烈な金融緩和を行った。
その結果、通貨量も大きく増加した。その時、日本銀行の動きは鈍かった。
その結果、円は猛烈に高くなった。円が他国通貨に比べて相対的に少なくなったので、その価値が高くなったのだ。
リーマンショック自体からは、日本は欧米に比べて大きなダメージを受けなかったにもかかわらず、円の「独歩高」で、日本の輸出企業が打撃を受けることになり、日本経済を急降下させた。
これは、典型的な政策対応ミスだった。財政政策では鳩山政権でもそこそこ予算規模を継続したのでまずまずだったが、円高が全てをぶち壊した。
民主党政権のもとでは、その後の東日本大震災も相まって、日本経済は再び苦境に立たされた。
雇用の改善もできずに期待外れで、東日本大震災があったとしても、復興増税は古今東西を問わず「悪政」だ。
選挙のマニフェストにはなかった消費増税路線に急転換したことも、普天間基地の県外移転を言った「普天間の迷走」とともに、政権交替は間違いだったと国民に思わせることになったのではないか。
「平成」の歴史に学べば
「令和」元年の消費増税は撤回を
「平成」の最後に登場した第二次安倍政権は、アベノミクスで、金融緩和と積極財政で民主党政権時代の「悪夢」は振り払った。
なにより雇用が改善したのはいいことだ。若い世代の就職環境は格段に良くなったので、安倍政権は若い世代の支持率が高い。
ただし、税率を8%にした2014年4月の消費増税は失敗だ。
これで景気の腰を折ったにもかかわらず、内閣府はいまだに消費増税による景気後退を認めていないのは、まずい。
消費税は、平成になってから4ヵ月後に3%で導入されたが、97年4月の3%から5%の増税と14年4月の8%への増税は失敗だ。そのために平成時代はデフレを脱却できないままだった。
新元号に沸くのはいいが、我々を待ち構えるのは10月の増税だ。
8%から10%への消費増税が予定されているが、「令和」になってから5ヵ月後である。
日銀短観によると、景気は今年に入り減退気味ともいう。新しい時代に向けて、財務省がすべきことは何か。
「令和」の時代が平成デフレの二の舞にならないにならないようにするためには、消費増税の撤回が必要である。これこそが、財務省が歴史に学んで、いますべきことだ。
(嘉悦大学教授 高橋洋一)
「令和」の消費増税はマクロ政策の失敗で混迷した「平成」の二の舞 | 高橋洋一の俗論を撃つ! | ダイヤモンド・オンライン https://t.co/FSKnXyiis6>>97年4月の3%から5%の増税と14年4月の8%への増税は失敗だ。そのために平成時代はデフレを脱却できないままだった
— リュート (@ryouto00) 2019年5月2日
「令和」の消費増税はマクロ政策の失敗で混迷した「平成」の二の舞。
— hide@相互フォロー100% (@sasasa797979) 2019年5月2日
消費増税の撤回が必要である。これこそが、財務省が歴史に学んで、いますべきことだhttps://t.co/gGMceiZ1RS
元号が変わっただけで浮かれてる
— 猪又万太郎 (@mujyaki7) 2019年5月1日
場合じゃねぇだろうよぅ
国民生活の良し悪しは政治に依って
左右されんだよ
このどさくさで議員共の大罪を忘れんなぁ
「令和」の消費増税はマクロ政策の失敗で混迷した「平成」の二の舞 | 高橋洋一の俗論を撃つ! | ダイヤモンド・オンライン https://t.co/tma76t170P
「令和」の消費増税はマクロ政策の失敗で混迷した「平成」の二の舞 https://t.co/8flX4mHTYA ←←←←←官僚も日銀も 相当にウマシカだと言われてる(笑) その通りだと思う。今は 過去から続く不景気のまま‼️ #followmejp #消費税 #景気
— 良心的オッサンです (@gdotspade) 2019年5月1日
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