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セブン経営陣、24時間営業を死守する「撤退できぬ病」の重症度
https://diamond.jp/articles/-/200203
2019.4.18 窪田順生:ノンフィクションライター ダイヤモンド・オンライン
内心は「もう限界だ」とわかっていても、「撤退」の決断だけは頑なに拒む――セブン経営陣は、そんな「撤退できぬ病」に冒されていないだろうか? Photo by Akiko Onodera
ローソンやファミリーマートに「24時間営業見直し」のムードが広まっている中、頑なに24時間営業継続の道を進んでいるセブン-イレブン経営陣。日本企業、ひいては旧日本軍にも蔓延していた「撤退できぬ病」に冒されているのではないだろうか。(ノンフィクションライター 窪田順生)
24時間営業にこだわらない
セイコーマートとセブンの違いとは
「24時間営業見直し」のムードが高まっている。
ローソンの竹増貞信社長は、もともとコンビニは24時間営業だったわけではなく、時代の求めに応じて始まったルールなので、社会のニーズが変われば店舗ごとに対応してもいい、という柔軟な考えを示しており、実際ローソンではこの5月、「時短営業」の店舗は計43になるという。ファミリーマートも、この6月に24時間営業見直しを視野に入れた実験を行う。約270のFCオーナー店を対象に参加を募っているという。
また、規模を抑えた「持続性重視」の経営にも注目が集まっている。
1971年、日本初のコンビニを開店させて、北海道と関東で1190店舗(2019年3月末現在)を展開するセイコーマートでは、24時間営業店舗は全体でわずか2割しかない。
大手コンビニは、オーナー店からの「チャージ」の収入が柱となるフランチャイズビジネスなので、店舗を開ければ開けるほど儲かるが、セイコーマートはほぼ直営店。商品や輸送も内製化しており、会社全体で収益を上げるビジネスモデルなので、人手不足に対応して、そこまで売上げの立たない店舗は早終いできる、というわけだ。
「24時間営業をやめたらコンビニというインフラは持続できません」と訴えるセブン-イレブンが、その名と似た響きであるにも関わらず、一向に出店しない最北端の礼文島や、奥尻島、利尻島などの離島にもセイコーマートは出店しており、今や島民になくてはならない存在となっている。
「コンビニは地域インフラ」という話と、「ドミナント戦略」や「24時間営業」は、その地域インフラ維持に実は大して関係ないということを体現するセコマから、セブンも学ぶべき点は多いのではという声も少なくないのだ。
セブン経営陣が陥っているのは
「撤退できぬ病」
では、このムーブメントの「火付け役」ともいうべき、当のセブンはどうかというと、「24時間営業死守」の構えを崩していない。
4月5日の『セブン、「24時間営業死守」の本音を見せつけた新社長の就任会見』で詳しく解説されているが、なんやかんやと理由をつけて、どうにかして「24時間営業継続」の道を模索しているのだ。
つい最近、話題になった「時短営業の実証実験」も実はその一環で、これまでも24時間営業をやめると売上げがかなり厳しくなるというデータがあり、「それを明確にするためにテストをやっている」と、永松文彦新社長も述べている。
データ主義といえば聞こえはいいが、バイトが確保できず、個人に過重労働がのしかかる「ブラック職場」になっている中でも具体的な問題解決策を示さず、ただ現行の計画を進めます、という姿勢は、現実から頑なに目を背けているようにも見える。
なぜセブンほどの立派な大企業を舵取りする頭脳明晰なリーダーたちが、こんな理解に苦しむ対応をするのか。
「単に収益が減るのが嫌なだけでしょ」「いや、売り上げが落ちればコンビニの質の高いサービスが維持できない!日本のためを考えての苦渋の決断だ!」などなど、皆さんもこの件には様々な意見があることだろう。
だが、筆者の見方はちょっと違う。日本型組織の代表的な病の一つである「撤退できぬ病」に、セブン-イレブンの幹部の皆さんが蝕まれつつあるのではないか、と心配しているのだ。
筆者は報道対策アドバイザーという仕事柄、「問題アリ」の組織を間近に見る機会がわりと多い。そこで気づいたのは、組織外の人間から見れば明らかに無謀に見える計画なのに、変更したり見直すことを頑なに拒むリーダーが、思いのほか多いということだ。この現象を個人的に「撤退できぬ病」と呼んでいる。
頭では無謀だとわかっているけれど…
なぜか撤退だけは頑なに拒む
例えば、組織外からも、中からも「無理じゃないですか」という声が上がるような無謀な話でも、聞く耳を持たずに進めようとする。
「ここまでやってきたのに、そう簡単にやめられるか」
「これまではこのやり方でうまくやってきた。無責任な外野に何を言われようとも、これを変えるつもりはない」
「先人たちが成長をさせてきたこの事業を、そういう無責任さでやめられない」
なんて感じで、断崖絶壁へと続く一本道でアクセルを深く踏み込んで、残念な結末を迎えてしまうのだ。
頑固だから、独裁者だから、ということとは、ちょっと違う。組織内ではむしろ、現場からの声にもよく耳を傾けるし、調整型リーダーだったりする。しかも頭では、これがいかに無謀な話なのか薄々勘付いている。しかし、なぜか「撤退」という決断だけは、頑なに拒むのだ。
そんな「撤退できぬ病」が、暴走する組織ではちょいちょい見られる。最近では、入居者数を増やすための杜撰な効率化や納期短縮という「創業者の無謀な計画」から撤退できなかったレオパレスが典型例だ。
と言うと、「確かにそういう組織もあるが、日本型組織みたいにひとくくりにするな!」というお叱りを受けるかもしれないが、とにかく数字さえ合えば問題ナシという「員数主義」や、「指導」と言えば、「上」は「下」にどんな理不尽な仕打ちをしてもいいという「新兵いじめ」などなど、日本型組織のベースをつくった旧日本軍も、「撤退できぬ病」で破滅の道をつき進んでいる。
わかりやすいのが、「インパール作戦」である。
およそ3万人が命を落とし、世界中の戦史家から、「太平洋戦争で最も無謀」とボロカスに酷評されるこの作戦は、世間一般的には、軍国主義に取り憑かれた大本営がゴリゴリ押して進められた、というようなイメージが強いが、実態はそうではない。
大本営というエリート集団が総じて「撤退できぬ病」に蝕まれていたため、腹の中ではこれはもう無理だと思いながらも、誰一人として「撤退」を強く主張しなかった。そして、なんとなくうやむやのまま、作戦が進められてしまったのだ。
強すぎる責任感が
撤退できぬ病の根幹
そのあたりは、歴史学者・戸部良一氏の「戦争指導者としての東條英機」(防衛省 戦争史研究国際フォーラム報告書)に詳しい。
現地軍の苦境を知った大本営は、当時のビルマへ秦彦三郎参謀次長を派遣した。彼が帰国後、「作戦の前途は極めて困難である」と報告をしたところ、東條英機は「戦は最後までやってみなければわからぬ。そんな弱気でどうするか」と強気の態度を示したというが、実はこれは心の底からそう思ったわけでもなければ、確固たる信念から口に出たことでもなかった。
《この報告の場には、参謀本部・陸軍省の課長以上の幹部が同席していたので、東條としては陸軍中央が敗北主義に陥ることを憂慮したのであろう。このあと別室で2人の参謀次長だけとの協議になったとき、東條は「困ったことになった」と頭を抱えるようにして困惑していたという》(「戦争指導者としての東條英機」より)
東條英機も撤退しなくてはいけないことは頭ではわかっていたのだ。が、わかっちゃいるけどやめられなかった。重度の「撤退できぬ病」にかかっていたことがうかがえる。
では、なぜこうなってしまうのか。病の根幹は「セクショナリズム」と「強すぎる責任感」である。
秦彦三郎によると、《インパール作戦は現地軍の要求によって始まった作戦であるので、作戦中止も現地軍から申請するのが筋である》(同上)という考えが大本営にあった。一方、大本営にいた佐藤賢了は、東條英機を「独裁者でなく、その素質も備えていない」として、こう評している。
「特に責任観念が強過ぎたので、常に自己の責任におびえているような面があった」(佐藤賢了の証言 芙蓉書房)
曖昧な意思決定をしている間に
現場のダメージは広がっていく
想像してほしい。誰だって、自分ではない人たちが覚悟を持って始めたことを、簡単に「やめろ」とは言いづらいだろう。それがどんなに無謀で、どんなに悲惨な結果に終わるのかが目に見えていても、「俺らがやりたくてやるんだ、外野が口出しするな」と文句を言われたら黙るしかない。
責任感のある人間であればあるほど、無責任な発言はできないだろう。頭では、無謀な計画だということは重々承知しているものの、計画立案者や、それを遂行する現場への「遠慮」があるので、「もうやめない?」の一言が出ない。信念やビジョンからではなく、「責任のある立場」から関係各位の事情を考慮して、現状維持へ流されていくのだ。
これが「撤退できぬ病」が生まれるメカニズムだ。
全国規模の超巨大組織の「作戦」を決める、という意味では、セブン-イレブン本部は、旧日本軍の大本営とよく似ている。ならば、セブンの幹部も、大本営同様の「病」にかかってしまう恐れはないか。
FCオーナーという現場を知る者から「24時間営業という作戦の前途は、極めて困難である」という報告を受けているにもかかわらず、「そんな弱気でどうする」と檄をとばす。そこに確固たる自信や戦略があるわけではない。「24時間営業」を進めて戦果を上げてきた前任者や、組織内の24時間営業を死守すべきという勢力への「遠慮」からだ。内心、困ったことになったと頭を抱えているが、とにかく「撤退」は言い出せない。みな東條英機のように、責任感の強いリーダーだからだ。
だが、ビルマの戦局同様に、そのような曖昧な意思決定をしている間に、現場のダメージは着々と広がっている。後に歴史を振り返ってみた時に、「24時間営業死守は令和のインパール作戦だった」なんて酷評されるかもしれないのだ。セブンのリーダーたちは大本営の過ちから学び、是非「勇気ある撤退」を決断していただきたい。
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