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起業、失敗の後 「破滅」と「再起」を分けるのは
起業失敗で借金7000万、あわや「生命保険で返済を……」
古川 湧
日経ビジネス 記者
2019年4月8日
全2806文字
一度でも失敗すると、信用も資産も家族も失うと考えられている起業。近年は起業環境も変わり、日経ビジネス4月8日号「起業、失敗の後」では、事業に失敗しても簡単には破滅しないという結論に達した。しかし、破滅まではなくとも、無傷ではいられない。26歳で脱サラ起業した借金玉氏(芸名)は、借金返済のために自殺を考えていたという。
あわや「生命保険で返済を……」
「これだけの額の借金を返すことは僕にはできない。せめてもの償いに自殺して、生命保険の死亡保障の5000万円で報いるしかない」。2016年冬、借金玉氏は極限状態に追い詰められていた。
飲食業と貿易業を営んでいた同氏は、雇用した従業員の裏切りにあい、窮地に立たされた。今でこそ文筆業で生計を立てるが、同氏は廃業直前に鬱病を発症。自ら命を絶って合計7000万円の借金を返済しようとすら考えていた。
起業に失敗した借金玉氏は、自殺を考えるまでに追い込まれた
一般的に、起業家は高い志を持って事業に挑むケースが多い。しかし、借金玉氏が起業したのは、比較的ネガティブな理由からだった。
大学を卒業後、大手金融機関に就職した同氏が任された仕事は事務作業だった。「とにかく細かい作業が苦手で集中力が続かない」という借金玉氏は、業務時間中に居眠りすることもしばしば。営業のような人と交渉する仕事は得意だったが、重要な書類を紛失したり、約束を忘れたりとミスも目立った。
実は借金玉氏は学生時代にADHD(注意欠如・多動性障害)と診断されていた。タスクの整理や、場の雰囲気を感じ取ることを昔から難しいと感じており、医師から診断された時は「これが自分の人生が上手くいかなかった理由か」とむしろ納得したという。
こうした背景から職場になじむことができず、入社からわずか3カ月後には周囲から「仕事ができない」とレッテルを貼られてしまう。必要な情報を回してもらえないなど、業務の遂行が難しくなっていった。「会社員として働き続けていくのはもう無理だ」。仕事上の人間関係に悩んでいた借金玉氏が起業を決意したのは、就職して2年目の2012年のことだった。
選んだ事業は飲食店経営だ。もともと飲食業界でのアルバイト経験が長く、料理を作ることが得意。「アーティスティックな高級レストランバーにしたい」と構想を練っての起業だった。
「飲食店経営は修羅の道」とも言われるが、借金玉氏には勝算があった。競合他店と差異化できるだけの内装を実現する資金を拠出してくれるエンジェル投資家A氏がいたのだ。不動産経営で財を築いたA氏は、借金玉氏のアイデアと熱意に共感し、3000万円を個人的に用立ててくれた。
この他、地方銀行から4000万円の融資を受けて、合計7000万円の資金を調達した借金玉氏は、高級感あふれる内装にとにかくこだわった店舗を都内に構えた。調理技術を活かして自身は社長兼コックに転身。従業員を雇って数人体制の小規模店舗でスタートした。
調理技術とセンスを生かして、当初は経営が上手くいった(写真=PIXTA)
出だしは好調だった。決して大きくない店舗ながらも、流行に乗ったメニューを取り揃えたことからメディアの取材が相次ぎ、予約の電話が押し寄せた。右肩上がりに成長を続け、毎月350万〜400万円を売り上げるまでになる。
「コンセプトは正しかった」と確信を得た借金玉氏は、ここで多店舗展開へのアクセルを踏む。2店舗目は、扱う商品をそのままに、より小規模の立ち飲みスタイルに切り替えた。6坪の物件を借りたため家賃は8万円に抑えられ、店舗スタッフも2名で済んだ。月の売上は130万円程度だったが、利益率は最初の店舗よりも高かったという。さらに、3店舗目として同様の立ち飲みスタイルのバーを構え、全体での売上高は月700万円になった。
次ページ現場を離れ事態が急変
飲食店経営が順調に進む中、次に挑戦したのが貿易事業。運営していたレストランバーでは珍しい食材やお酒を扱っていたこともあり、原価は高かった。借金玉氏には「生産から流通、顧客への提供まで全てを抑える」という目標があり、その達成を目指しての事業展開だ。仕入れ原価を下げながら、販売も同時に進め、利益を上げるという目算だった。
現場を離れ事態が急変
だが、ここから暗雲が垂れ込める。問題が発覚したのは現場を離れてから1年後のこと。帰国すると、順調だったはずの飲食店経営が傾いていた。原因は、現場監督を任せていた社員の横領と職務放棄。売上げの抜き取りに始まり、アルバイト社員へのハラスメント行為も確認された。稼ぎ時であるはずの金曜日の夜に勝手に休業していることもあり、顧客満足度は低下。借金玉氏が輸入した食材は他店に横流しされていたという。
従業員の裏切りにあったことで、借金玉氏は鬱病を発症。また、貿易事業も販路を築けず収益は黒字にならなかった。経営は悪化の一途を遂げ、資金が底を突いたのが起業から4年後のことだった。
こうして死を覚悟した借金玉氏。布団から起き上がることができず、精神科への通院もままならなくなった。「こんな状態で合計7000万という大金はとても返せない」。そう感じた同氏の脳裏に走ったのが、生命保険の死亡保障の5000万円で一部を返済する計画だった。
窮地を救ってくれたのは、最初に資金を用立ててくれたA氏だ。「お前が死んでも俺は得をしないし、生命保険で返すなんて情けない真似はするな。早く次のプランを考えろ」と厳しい励ましの言葉を投げかけてくれたという。
こうしてはいられないと奮起した借金玉氏は、時間をかけて通院を再開。鬱病の症状が落ち着いてから、「同じ廃業をするにしても、1円でも多く借金を返したい」と考え直し、残った資産の売却に奔走した。幸いにも店にブランド力があったことと、固定客がいたことで資産として価値があり、想定していたよりも高い値段で売却をすることに成功。懸念だった地方銀行の4000万円も、店舗の売却金とA氏からの追加の融資で賄うことが出来た。
その後、借金玉氏は非正規の営業職や文筆業で生計を立てながら、少しずつ投資家に返済しようとした。元々小説家になる夢があり、学生時代も執筆活動をしていたためだ。実際に、自身の体験談を綴った書籍『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』を上梓すると、思わぬヒットにつながり、「これでようやく返済のめどが立った」と安堵した。
しかし、肝心のA氏は借金玉氏を作家としてではなく起業家として評価していたこともあり、「本物の起業家になって10億にして返せ。お前に対する長期投資はまだ終わっていない」と突き返してきたという。A氏の熱意に打たれた借金玉氏は文筆業を続ける傍ら、次の起業を目指している。「あくまで起業家として、また新事業にチャレンジしたい」と語る同氏の顔には、自殺を考えるような悲壮感はなかった。
日経ビジネスの4月8日号特集「起業、失敗の後」では、事業を起こしたものの挫折した人の証言から、現代版起業の現実を探った。
Chaty
契約社員兼個人事業主の兼業主婦
知人がやはり仕事で大変という事もあり、ゆくゆくは自分も仕事を辞めていくつもりで副業として人を使って飲食を始めようとしていました。
でも知人のコンサルの方が飲食と入札で決まる仕事のコンサルティングは請けないと仰る位に厳しい業界である事、人を使うのは本当に大変な事、投入した金額を失う覚悟が必要な事を話していたら、結局止める事にしたと言われました。
人を使っての起業は本当に大変だと改めて思いました。
何にしろ、立ち直られて本当に良かったですね。
2019/04/08 07:01:305返信いいね!
たう
アイデアマン,乃至純粋な起業家としては優れていると感じます。
ただ,最初に就職したときの事務作業が苦手という部分や,失敗の経緯を見ますと,継続させる事は不得意なのでは。どんな業務であれ,継続作業は多くの事務作業に支えられていますから。
起業してある程度育ったら事業売却というスタイルが良さそうに思えます。
2019/04/08 09:04:245返信いいね!
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2019.04.08(閲覧中)
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