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2019年4月5日 堀内 勉 :HONZ
『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』
1日3時間だけ働く人の新しい時代を生きる思考法
結論はアインシュタインの
言葉に集約
『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』 山口揚平著 プレジデント社刊 1620円(税込)
著者の山口揚平氏は、軽井沢と東京に居を構えながら一日3時間だけ働くというおだやかな暮らしを実践しているコンサルタントであり、またこれからのあるべき社会の未来を提示する思想家でもある。
HONZの紹介としては若干遅ればせながらという感じだが、各方面で余りに評判が良いのでとにかく読んでみたところ、期待をはるかに上回る内容だった。
本書『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』の結論は、冒頭に出てくるアルバート・アインシュタインの次の言葉に集約されている。
「あらゆる問題はそれが起こったことと同じ次元で解決することはできない。」
例えば、お金の問題はそれ自体について悩んでも解決することはない。それよりひとつ上の次元、つまり人生という視点からお金を捉え直した時に初めて、自分が直面する問題の解決の糸口が見えてくるのである。
20世紀までがハードディスク(情報、知識)の時代だったとすれば、 これからはCPU(思考力、想像力)が主役になる時代である。ピーター・ドラッカーは、20世紀にお金を生むのは知識だと指摘したが、現在では、知識は誰にでも手に入れることができ、もはやそれ自体がお金を生み出すことはない。むしろ、情報量が増えれば増えるほど人は思考しなくなるのであって、著者はこれを「思考と情報のパラドクス」と呼んでいる。
「思考」とは「意識を自由に動かす」ことであり、「考える」とは「概念の海に意識を漂わせ、情報と知識を分離・結合させ、整理する」ことである。むやみに情報を取り入れてしまうと、意識はそれらの情報と結合して「固定観念」になってしまう。
情報はスポンジのように人の意識を吸い尽くす毒でもあり、情報に意識がとらわれると、頭が固くなってしまう。常識に挑戦し、発明や発見を行う人に共通するのは「考える」ことであり、決して知識や情報量の多さではない。
今やAI(人工知能)やロボットの台頭によって、我々人間は何をすれば良いのか、人間の本源的な価値はどこにあるのかが問われる時代になっている。20世紀型の効率化や画一化の世界を前提にするのであれば、AIは人間よりはるかに優れている。あるべき姿と現状を理解し、そのギャップを問題として把握して、それを細分化された要素に分解しながらゴールを目指せば良いからである。
これに対して、21世紀型の問題は「あるべき姿と現状のギャップ」にあるのではなく、人々が矛盾する課題の両立を望んでいる「対立の状態」にある。そして、一見矛盾するAとBの概念を両立させるためには、上位概念Cの発見が必要になってくる。それが、冒頭で引用したアインシュタインの言葉の意味なのである。
そうした中で、著者は考えること“のみ”を職業の中心に据えている人を「ブレイン・アスリート」と呼んでいる。本当に賢い人というのは頭が柔らかく、意識が自由である。情報に意識が絡め取られておらず、ニュートラルな状態にあるからこそ、自由に意識を漂わせ、前提を疑い、問いを改めることができるのである。そして、情報の流れに逆らい、自分の頭を使って常識に立ち向かおうとする意思と努力が、日々凝り固まる固定観念への抵抗力となる。そうした訓練を通じて「意識を自由にコントロール」できるようになることが、ブレイン・アスリートの目指すゴールなのである。
信用主義経済を
突き詰めていくと?
このように、本書の前半では、「考えるとは何か?」についての考察が行われており、更に後半では、深く考えることを通して著者が到達したこれからの社会のあるべき姿、即ち、貨幣を中心とした今の資本主義社会が、「信用」に基づく「信用主義経済」に移行していく必然性とその道筋が示されている。
信用主義経済を突き詰めていくと、人間関係に介在する中間物としてのお金は必要なくなっていく。なぜなら、ここで皆が求めるのは、他者からの「承認」とそこから生まれる「つながり」であり、こうした社会的欲求とお金という中間物はトレードオフの関係にあるからである。人と人との関係性が主役である時代においては、本当の価値とは人とのつながりやそれをつむぐストーリーそのものであり、貨幣という数字で処理した瞬間に、その価値は消滅してしまう。従って、信用主義経済の中で、人々の社会的欲求が高まれば高まるほど、結果としてお金が使われる機会は減っていくことになり、お金は次第に経済活動のツールではなくなっていく。
著者に言わせれば、自分が「自分」だと思っているものは、実は自分を取り巻く「世界」や「環境」のことである。ほとんどの人は、自分とは肉体とその周りの意識の一部、つまり「五感を中心としたセンサーが認識できる極めて限定的な領域」のことだと信じているが、著者に言わせれば、それは間違いである。そして、人の「幸せ」とは「一体性」のことであり、人と心がつながっている時にこそ、幸福を感じられるというのである。
新しい時代の
生き方の指南書
こうした著者のユニークな発想は、主体と客体というような二項対立的な見方を斥ける禅の世界観に通じるものであり、また、最近特にアメリカではやりのマインドフルネスや、更にグローバルに共有されつつある、地球全体の持続可能性を考える国連のSDGs(SustAInable Development Goals:持続可能な開発目標)の問題意識ともつながるものだと思う。
このように、本書は「考えるとは何か?」から始まり、来るべき未来の社会までをも展望する、新しい時代の生き方の指南書である。著者の考え方や生き方を正しく理解し、それを実際の行動に移せる人はそう多くはないかも知れないが、これからの時代を生き抜く術を学ぶために、特に、若い人には是非一度読んでもらいたい。
(HONZ 堀内 勉)
https://diamond.jp/articles/-/198883
2019.04.05
誘いを断る口実に「時間がない」はもうやめよう
グラント・ドネリー :オハイオ州立大学助教授
同僚とのランチから冠婚葬祭への出席まで、友人・知人から何かしらの誘いを受ける機会はあるだろう。声をかけてくれたこと自体は嬉しい反面、ただでさえ貴重な時間やお金を投じることには躊躇する。そんな経験はないだろうか。そうした誘いを断る口実に「時間がない」と伝えるシーンはよく見られるが、筆者の研究によると、それは誘った側の親近感を著しく低下させるという事実が示された。
昨春、私は友人からセーブ・ザ・デート(正式な招待状を送る前に、式の日程を通知するプレ招待状)を受け取った。パリで挙げる結婚式に招待されたのだ。
友人の幸せを喜んだ一方で、2つの大きな心配が湧き上がった。パリへの旅行は、多額の出費が必要になるうえ、限られた休暇のほとんどをつぎ込むことになるということである。
結婚式には出席しないことに決めた。だが、それを友人にどのように打ち明ければよいか悩んだ。
ただ「出席できない」とだけ伝えようか。それとも、「パリまで行くだけの時間もお金もない」と打ち明けようか。友人の気持ちを傷つけたり、彼女との友情を大切に思っていないという印象を与えたりしないためには、何が最善策なのだろうか。
友人や同僚から招待される社交イベントには通常、時間か金、またはその両方を投資する必要がある。したがって、こうした招待に応じられない場合は、時間と金は格好の口実となる。だが、相手がその言い訳をどのように受け止めるか、それによって相手との関係がどのような影響を受けるかについて、研究からわかっていることは驚くほど少ない。
そこで、これらの影響を調査すべく、私は同僚のアシュレイ・ウィランズ、マイケル・ノートン、そしてアン・ウィルソンと共同で研究に着手した。具体的には、ツイッターの会話データを分析し、3つの室内実験を実施した。その結果、「十分な時間がない」という口実は関係を傷つけるおそれがあるのに対し、「十分なお金がない」という口実は、関係を深めるのに役立つ可能性があることが判明した。
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「時間がない」と言われると親近感が顕著に低下する
口実に対し、人はどのように反応するか
私の研究ではまず、ツイッターユーザー間の会話を分析した。2018年の1週間、私は特定のユーザーに宛てられた「お金がない」あるいは「時間がない」というフレーズを記載したツイートを抽出した。
その結果、データセットとして合計2310件のツイートが集まった。その内訳は、時間に限りがあることに関するツイートのほうが、僅差で半数を上回った。
ツイートを受信したユーザーの反応として考えられる1つの方法は、そのツイートに「いいね」と付けることだ。私の分析結果によれば、時間がないことに関するツイートに「いいね」が付く確率は、お金がないことに関するツイートよりも著しく低かった。フォロワーの数やツイッターの利用頻度など他の要因をコントロールしても、この影響が確認された。
上記の結果から、限られた金と時間に関して聞いた反応は、話題が金であるか、時間であるかによって異なるという、初期の証拠が得られた。だが、ツイッターでの会話は面識がなく、見知らぬ人同士でも成立する。それでは、友人や同僚との間ではどうなるのか。
これを検証するために、327組の結婚直前のカップルをサンプルに採用した。米国在住で、結婚式を予定しており、すでに招待状を出したカップルだ。
この実験参加者たちに「十分なお金がない」あるいは「十分な時間がない」という理由で、出席を断った招待客が何人いたかを尋ねた。参加者の回答を平均すると、誘いを断る口実として金を挙げていた事例が2件、時間を挙げていたのが2件で、どちらの口実も同じ頻度で使われていることが示唆された(他の理由を書く人もいた)。
金または時間を理由に、直近で誘いを断ってきた相手への親近感についても、上記のカップルに尋ねた。断られた前後で親近感に変化が生じるかを知りたかったのだ。
参加者の回答によれば、欠席通知を受け取る前、どの招待客に対しても同じくらい親近感を抱いていたが、知らせを受けた後は、限られた金を理由に挙げた招待客よりも、限られた時間を理由に挙げた招待客への親近感が著しく低下したという。
時間がないことを口実に何かを断れば、断った当人への親近感がなぜ低下するのか。これを検証するために、300人の働く成人をサンプルに採用し、「友人を外食に誘ったが、断られた」状況を想定するよう指示した。
参加者の一部には、友人が多忙を口実にした(「ごめん、時間がないんだ」)と知らせ、他の参加者には、友人が手元資金を口実にした(「ごめん、お金がないんだ」)と知らせ、別の参加者には理由をいっさい伝えなかった。
それから、参加者たちにこう尋ねた。「対応を聞いたあと、友人への親近感に変化はあったか」「友人にはよい口実があると信頼し、信じるか」。また、次の質問もした。「一般的に、時間と金の使い方をどの程度コントロールできると考えるか」
参加者が友人に抱いている親近感は、口実をまったく知らされない場合と比較して、時間を口実にした場合は低下した一方、金を口実にした場合は著しく親近感が増すことが判明した。金の口実は、時間の口実や口実がいっさいない場合よりもはるかに信頼に値すると、参加者は感じていた。その理由は1つには、口実として挙げている状況に対して、友人が個人的にコントロールできる可能性が相対的に低いと、参加者が考えているからだった。
人は一般的に、「時間は比較的コントロールしやすいはずだから、本当にしたいことであれば、何としてもそれをする時間を取れるはずだ」と考えるようだ。したがって、相手が時間のないことを口実にする場合は、その口実に不信感を抱く可能性が高まり、これが結局のところ、相手への親近感に影響を及ぼすのだ。
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言い訳をしているほうは意外なほど無自覚である
そんなことは、直観的にわかりそうなものだと思うだろう。だが面白いことに、言い訳をしている最中は、人は往々にしてこれを自覚していない。時間がしばしば口実に使われるのは、そのためかもしれない。4番目の実験では、人は「時間が限られていると伝えれば、実際よりも信頼できると思ってもらえ、また実際よりも好意的に受け止められる」と考えていることが判明した。
この実験では、慈善団体への寄付について、808人の参加者に会話をしてもらった。参加者の半数には話す側になってもらい、残り半数には聞く側に回ってもらった。話す側の参加者のうち、半数には「もっと時間があれば、慈善団体に寄付するのですが」と伝えるように、残りの半数には「もっとお金があれば、慈善団体に寄付するのですが」と伝えるように依頼した。
その後、聞く側の参加者が、一連のタスクを2人の間でどのように分担すべきかを決定した(ちなみに、タスクには難しいものもあれば、容易なものもあった)。その結果、金の口実を聞いた参加者は、時間の口実を聞いた参加者よりも、相手に比較的容易なタスクを割り当てることがわかった。
この違いは、「金の口実のほうが、個人的にコントロールできる余地が少なく、より信頼に値する」と聞く側の参加者が感じていたからだ。ところが、言い訳をした側の参加者は、これらの違いを予見していなかった。
時間と金という、人生で極めて希少かつ貴重なリソースの2つを効果的に管理したければ、物事に対して「ノー」と言えることが必要だ。だが良好な関係を維持したければ、適切な方法でそうする必要がある。
私の研究結果によれば、十分な時間がないことを理由に誘いを断る場合、相手が察知する内容は「大切にされていない」ということだ。このため、断った人への親近感が低下し、もしかすると将来その人を助けようとする意志さえ低下するかもしれない。
したがって、(真実であると仮定しての話だが)十分な金がないことを伝えるほうが、賢明なのかもしれない。というのも、そうすれば、2人の関係をどれくらい大切にしているかについて、相手から疑われる可能性が低くなるからだ。それどころか、正直で信頼できると見なされ、その結果、よりポジティブな感情と善意が生まれる。
もちろん、(コミュニケーションの相手が部下である場合など)金の口実が不適切になりうる状況がある。このような場合について、別の実験を実施した(参加人数は300人)。すると、「エネルギーがない」を断る口実にするほうが、「時間がない」よりも効果的であることが判明した。なぜなら、エネルギーのほうが、時間よりもコントロールできる余地が少ないと受け止められるからだ。
友人の結婚式への招待を断らなければならなかったとき、私は結局、パリまで旅行するだけの時間がないと返信した。その後も2人の関係は良好だったが、ちょうどこの研究をして証拠を集めていた時期だったこともあり、私は結婚式に関する最新情報を尋ねようと、友人にひんぱんに電話をかけたり、メールを送ったりすることを怠らなかった。
時間がないために、誘いを断ることが必要なときも確かにある。だが、関係を回復するには特別な心遣いが必要になると自覚することが重要だ。しかも、それを実行するための時間を見つけたいと思うかもしれない。
HBR.ORG原文:Why “I Don’t Have Time” Is a Bad Way to Decline an Invitation, March 06, 2019.
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グラント・ドネリー(Grant Donnelly)
オハイオ州立大学助教授。マーケティングを担当。同大学サステナビリティ・インスティテュートのファカルティ・アフィリエイトでもある。2018年にハーバード・ビジネス・スクールで経営学博士号を取得。
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