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ナウシカの“腐海”が親の家に出現する日
介護には「虫」との戦いという一面も
松浦 晋也
ノンフィクション作家
2019年2月21日
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全5491文字
2018年の夏、私が住む実家は、Gの襲来に悩まされた。
いきなり文字面を見るのも嫌な人もいるかと思うので、Gと書いたが、ゴキブリのことである。
ゴキブリにも天敵がいる。日本においてもっとも身近な天敵はアシダカグモだ。網を張らずにそこらを歩き回って昆虫を捕食するクモである。
この家にはここ数年、1匹のアシダカグモが同居していた。
かなり大きなクモなので、廊下や台所で出会うとぎょっとする。しかし、ゴキの天敵なのだからあわてて殺虫剤を噴射してはいけない。「やあ、こんにちは」と声に出してあいさつし、そっとその場を離れるようにしていた。母を介護している間中、室内でゴキブリを見ることは希であったが(なかったとは言わない)、それは彼(あるいは彼女?)が住み着いていたおかげだったのだろうと思っている。
ところが、2018年の夏は、一度もこのアシダカグモを見かけることがなかった。調べるとアシダカグモの寿命は長くて5年ということなので、ああ、どこかで天寿を全うしたかと思っていたら、ちらちらとゴキブリを見かけるようになった。
これはいけない。対G装備を充実させる。部屋の各所にゴキブリ取りを仕掛け、手元に殺虫剤を常備して、いつGが出てもも吹きかけられるようにする。
『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』
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そのうちに妙なことに気が付いた。ゴキブリは普通、台所や排水口の近く(排水溝をつたって家屋に侵入する)、生ゴミのゴミ箱近辺などに出現するものだ。ところが、この夏はどうしたことか、家の各所にまんべんなく出現するのである。こんなことは今までなかった。いったいどうしたというのだろうか。
色々考えるうちに、私は40年近く昔の体験を思いだした。
これは母方の祖父母にまつわるゴキブリの思い出である。旧い記憶ゆえ、思い違いも多々あるだろう。大筋、こんな体験をしたという程度に思っていただきたい。
夏の思い出が詰まった祖父母の家
私の母方の祖父母は、茨城県土浦市の平屋の旧い日本家屋に住んでいた。祖父は海軍兵学校を出た元海軍軍人。祖母は筑波山の麓の大地主の末娘だった。家は私が子供の時点で築70年超と言っていたから、明治時代の建築だったのだろう。薄い杉板の外装で隙間風の入るような家だった。もとは海軍の下士官向け住宅だったとのことで、どういう経緯かは知らないが敗戦時に手に入れたものらしかった。祖母は「お父さんは士官だったのに、こんなボロい下士官の家に住まねばならないなんて」と孫の私にまでこぼしていた。
が、私にとってはそのボロ屋がノスタルジーの対象である。それなりに広い庭があり、几帳面にして器用な祖父はそこに葡萄棚を作って葡萄を栽培し、芝生を張って丹精していた。
次ページ荒れる庭、台所、そして
夏になると葡萄を狙ってコガネムシが葡萄棚に集まってくる。朝起きると、祖父は葡萄の幹を蹴飛ばす。すると夜のうちに集まってきたコガネムシがぱらぱらとぶどう棚から落ちてくる。そのコガネムシを踏んで潰すのが、幼稚園入園前、幼かった自分の残酷な娯楽であった。
記憶にないぐらいの幼時から、高校を出るまで、私は夏になるとその家で過ごし、祖父・祖母と沢山の思い出を作ったのだった。
そんな状況が変化したのは、1980年。高校を出た私が浪人していた夏のことだった。
どうもお母さんがおかしい――当時40代だった母が、祖母の異変に気が付いたのである。
歳を取ってなにもかもめんどくさくなって家事を放棄しているというような話だった。言っていることが何かおかしい、とも。
老人性認知症という病気の存在を一躍有名にした有吉佐和子の小説『恍惚の人』は1972年に出版されていたから、我々は「ひょっとしておばあちゃん、惚けたか」と疑った。当時は認知症という言葉はない。痴呆症という残酷な病名であった。
荒れる庭、台所、そして
祖父母と母が当時電話でどんなやりとりをしたか、私は知らない。ともあれ、様子を見てこいということになって夏休み中の私と弟が土浦に派遣された。
祖父母の家に着くと、異変は明らかだった。庭が荒れていたのである。丹精してきた芝生には雑草がはびこり、芝も伸び放題。一部はゼニゴケが浸食していた。我々は、実際に雑草を抜き、庭を管理していたのは祖父ではなく祖母だったかと気がついた。
が、予想に反して、祖母の口調はいつも通りだった。
「なに、心配しているって? 自分はなんともないわよ」と。
庭の状況に不安を感じつつ、私はその口調でとりあえずの安心を得た。
が、確かに異変は進行していたのである。着いたその晩だったか、それともその次の日だったか、祖母が面倒がって夕食を作ろうとしないので、私と弟は台所に入った。古くて板張りの台所は、明らかに手入れが行き届いていなかった。あまりはっきりと覚えていないのだが、洗わないままの食器が流しに突っ込んであったはずである。不穏な雰囲気の中、我々は米でも炊こうかと、流しの下の棚に入れてあった米びつを開けた。
次ページ祖母、動かず
ここからの数秒ははっきり記憶に焼き付いている。
まず米びつの底の米が目についた。最初は気がつかなかった。あまりに異様なので脳が認識するまで時間がかかったのだと思う。
米の上にゴキブリがいた。それも何匹も何匹も。我々が米びつを開けたので慌てて逃げようとし、何匹ものゴキブリの脚の動きで米がざらっと流れて崩れた。「赤く大きなゴキブリ」と記憶しているのだが、あまりの衝撃で大きく見えたのだろう。実際はごく一般的な、小柄で赤いチャバネゴキブリだったのだと思う。米びつの中には、唐辛子成分の虫除けも入っていたのだが、ゴキブリの生命力の前に、唐辛子は無力らしかった。
「うわっ」と叫んで、「こんな米、おじいちゃんに食わせていたのか!」と思ったのは覚えているが、さてその後どう行動したのか。かなり記憶が混乱している。「もったいない」と抗議する祖母を制止して、米びつの中の米を捨てたはずだ。所構わず台所で殺虫剤を噴射したような覚えもあるが、事実か思い違いか、いまひとつはっきりしない。とにかく、私と弟は錯乱状態でゴキブリ退治をした。これは間違いない。
確か、電話で母に連絡し、翌日だったかに母がやってきて大片付けをしたと記憶している。しかし、老人2人で住む以上、今後もこのような問題が発生することは、明らかであった。
祖母、動かず
このままではまずい、と母とその兄弟が騒ぎだした。もう土浦の隙間風の入るボロ屋に老夫婦2人を置いておくわけにはいかない。家と土地を売り、子ども達がすぐ行ける場所の、老人ホームに入るべき、となった。もともと転勤の多い海軍の軍人であった祖父は、さほど老人ホーム入りに忌避感はなかった。
ところが、肝心要の祖母が頑として言うことを聞かなかった。私は、切々と転居を勧める手紙を祖母に書いて送ったが、返事はなかった。ただ、その手紙は祖父が保管していて、祖父の死後、私の手元に戻って来た。孫からの手紙はそれなりに老夫婦の心に響くものがあったのだ、と思いたい。
今なら理解できる。大地主の家に生まれた祖母は、筑波山の麓の実家に強い愛着を持っていた。当時は国鉄常磐線の土浦駅から筑波鉄道筑波線(1987年に廃止)が走っていて、祖母の故郷へは鉄道一本で行くことができた。
祖母は故郷から離れたくなかったのである。
次ページその豆殻の正体は
結局この問題は大変悲しいことに、翌1981年の春に、祖母が脳梗塞で急逝したことで解決した。これもまた後からの知恵なのだが、おそらく前年から祖母は脳の血管に問題を抱えていたのだろう。時折様子がおかしくなるというのは小さな血栓が脳の血管につまっては、また流されるということを繰り返していたのではなかろうか。1981年3月、私は倒れる直前の祖母と2人で、祖母の故郷への小旅行をしているのだが、その時の祖母は、まったく頭脳明晰で様々な子供の頃の思い出を語ってくれたのであった。
祖母亡き後、祖父は土浦の家を売って、私の実家近くの老人ホームに入居した。海軍兵学校は、生徒に徹底して規則正しい生活習慣を叩き込んでいた。狭い船上で自分を律して健康に生活ができるようにするためである。十代で身につけた習慣は、八十代も半ばを過ぎた祖父の中にも生きていた。老人ホームに入居してから5年間、90歳近くになるまで祖父は規則正しく自分を律して一人の生活を謳歌した。
変化が現れたのは1985年から1986年にかけての冬である。祖父の生活態度が崩れ始めた。年も押し迫ったある日、私が訪問すると、「疲れた」といって祖父は寝ていた。もしやと思い熱を測ると発熱している。部屋は埃っぽく、散らかり放題になっていたので、私は掃除を始めた。
ふと私は、なにかのかけらが床に散らばっているのに気が付いた。茶色いかけらは最初、酒のつまみとして売っているハナ豆の殻かと思った。が、様子がおかしい。
その豆殻の正体は
突如私は、それが完全に乾ききったゴキブリの死骸であることに気が付いた。自分か祖父かが気が付かずに踏みつけ、砕いたかけらだったのである。冬の低湿度と暖房のために、ゴキブリの死骸がミイラ化していたのだった。
あわてて、ゴキブリの好みそうな部屋の隅、家具の裏などを調べる。何匹かの干からびたゴキブリの死骸が見つかった。が、それだけではなかった。
窓際のカーテンを拡げると、裏側には何か黒い物体が一杯付着していた。私はその物体についての知識を持っていた。ゴキブリの卵――卵鞘だった。カーテンの裏側は、ゴキブリの卵で一杯だったのである。
ゴキブリは暖かく、湿った狭い場所に卵鞘を産み付ける。恐らく祖父は雨が降った時に、うっかり窓を開けていて、カーテンを濡らしてしまい、そのまま放置したのだろう。日光が当たれば雨は蒸発し、狭くて湿って暖かい、ゴキブリにとっては最高の住居が完成する。ゴキブリたちはシャングリラを得たとばかりに集まり、次世代の希望を託した卵をカーテンに産み付けたのであろう。しかし、冬の乾燥がじきにカーテンを乾かしてしまい、彼らの次の世代を干からびさせてしまったらしかった。
この時も私は母に連絡し、母がカーテンを洗濯したはずである。祖父の様子は、明らかに今で言う認知症の初期症状だった。それから5年間、祖父は要介護の生活を送り、1991年に95歳の天寿を全うしたのだった。
次ページあなたはナウシカの腐海(の前段階)に住んでいるのかも
あなたはナウシカの腐海(の前段階)に住んでいるのかも
なぜここまで、40年近く昔のゴキブリの話を延々としてきたのか。
年老いると、身の回りの片付けがおっくうになる。おっくうになると最初に手入れが放棄されるのは庭だ。庭が荒れるのは、老いの危険信号である。
次に来るのが部屋の掃除の放棄だ。部屋の場合は掃除を放棄すると、やっかいな侵入者がやってくる。虫である。
孤独死のまま、遺体が放置されると、腐敗が始まり、蠅が卵を産み付けてウジが湧くというのはよく聞く話だろう。が、実際にはそれよりもずっと以前に、別の虫がやってくる。その代表がゴキブリである。
今、虫と書いたが、やってくるのは三体節・六本脚の昆虫だけではない。掃除を怠れば自分の体から剥落した皮膚やフケなどを目当てに、ダニもやってくる。ダニが繁殖すれば、ダニを食べる別のダニや昆虫もやってくる。掃除なしで住み続ける屋内は、自然の摂理に従って「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督:1984年)が描くところの腐海のような生態系が支配する場所となるのである。
歳を取っていなくても、「面倒臭い」と部屋の掃除を怠っているあなた。あなたは実は腐海に住んでいるのだ。そして、もっと片付けが面倒になる老年期に入った時、あなたの部屋がどうなるか――今から少しでも想像力を働かせておいたほうがいい。老いは一面でゴキブリのような虫との戦いであり、認知症の発症は家庭内対虫戦争における決定的敗北への第一歩なのである。
ゴキブリを周囲に撒くことなく生活できる技術を
さて、ここで、2018年夏の次々とゴキブリが現れる我が家に話を戻そう。なぜ、いままでは現れなかったゴキブリが、この家に出現するようになったのか。
実は、我が家の周囲も高齢化が進み、老夫婦だけというような家が目立つようになっている。もしかして、そんな家で清掃や生ゴミの片付けが不十分ということが起きて、ゴキブリが繁殖しているとしたら、そして時折一念発起した住人が片付けを行うと、生活の場を失ったゴキブリが新天地を求めて散っていくならば――我が家の各所でまんべんなく、ゴキブリが出現した理由を説明できる。
もちろんこれが真実だとは断言できない。なによりもそんな慎ましく生活している老夫婦の世帯に「お宅ではゴキブリって出ますか。どんな感じですか」などと失礼な質問をできるはずもない。
だが、この問題は放置してよいものではないだろう。自分が老いた時、ひょっとすると周囲のご家庭にゴキブリを振りまく加害者となってしまう可能性があるわけだから。歳を取っても、体が衰えても、家を清潔に保つ技術的手段の開発は、今や喫緊の課題といえるのではなかろうか。
Raiseの「“みんなの”介護生活奮戦記」では、介護に関連する悩み、不安などを引き続き募集しております。川内さんも参戦してくださいますので、今回の記事のご感想も合わせ、みなさんの声をお聞かせください。後に続くたくさんの方々に、貴重な体験や方法論を共有し、役立てていきましょう。現在、「[議論]介護の不安、悩みを吐き出してみませんか?」で議論しています。(担当編集Y)
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R
Ph.D.
今のマスコミは、こぞって「汚いもの」「醜いもの」「おぞましいもの」などから目をそらすような報道ばかりをしていますが、認知症がもたらす生活の「異変」は、まさにこういったところにまず現れる、という現実を突きつけてくださり、どうもありがとうございました。
今回のコラムを読んだ人は、少しでも「その時」に対する心の準備ができたのではないかと思います。
大変参考になりました。
2019/02/21 19:08:356返信いいね!
ニャンガー
ちなみに、アシタカグモは、昆虫系の殺虫剤の効果は薄いです。
八本足なんで、ダニが一番の親戚の節足動物です。
ダニ系の殺虫剤では瞬殺されてしまいます。
2019/02/22 09:19:14返信いいね!
がんさん
一度Gさんが私と一緒に玄関から家に入ろうとしました。すぐに排除しましたが、玄関周りの花の鉢の下もGさんの住処になりやすいです。
今、家の中で見ない方は、戸建ての場合、外回り、玄関の靴箱の下、ガレージの隅、外のごみ箱、物置の下に排除用の薬剤を置くと家に入ってきません。一度試してみてください。マンションならベランダの隅もいいかも
2019/02/22 16:30:531返信いいね!
軸受
貴宅にゴキブリがでるのは、そこに餌があるから、、それ以上の理由はありません。隣家からネズミやゴキブリがやって来ることはありますが、餌がなければ居続けることは不可能です。
もちろんタタミや柱を餌としてかじることもありますが、ゴキブリだって楽に美味しいものを食べたいのです。わざわざ堅いものをかじるより、台所を漁ったりタタミに落ちた爪や皮膚、食べかすなどを食べる方がずっとましなのです。
週1で十分なので掃除しましょう。
2019/02/22 21:44:46返信いいね!
間もなく還暦
認知症の判断を、ゴキブリに結び付ける発想に感心すると共に感謝します
2019/02/25 08:04:08
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00107/00005
2019年2月25日
国や企業は守ってくれない… 介護支援、フリーランスにも当事者団体が「親孝行保険」
フリーランスの働く環境について語る平田麻莉さん=東京都中央区で
写真
家族を介護しながら働く社員の介護離職防止に努める企業が増える一方、企業に属さずフリーランスとして働く人へのセーフティーネットはまだまだ手薄だ。仕事ができなくなった場合、金銭的な支援は、資産状況が行き詰まった時に生活保護が受けられるだけ。そんな現状を受けて、自営の人たちが集まって自衛策を拡充している。
「家族が要介護となるリスクは、仕事や働き方に関係なく、誰もが背負っています」。一般社団法人「フリーランス協会」の平田麻莉代表理事(36)は、同協会が、昨年十月に取り扱いを始めた介護支援の「サポートプラン」の意義を強調する。
同協会は、業務中の対物・対人事故や納期遅れなどの賠償リスクへの備え、受注やスキルアップなどで会員をバックアップしている。年会費は一万円。
会員が働けなくなった場合には、任意加入で保険料に応じた保険金を支払う所得補償制度がある。
これに上乗せして、会員の備えを手厚くするのが「親孝行サポートプラン」。親が要介護2〜5とされた際、一時金が支払われる。要介護状態が九十日を超えて続く場合が対象となる。
保険料は、一時金として百万円が支払われるコースでは、親が満五十五〜五十九歳だと月額百二十円、満七十五〜七十九歳だと二千三百六十円。八十歳以上は加入できない。民間保険会社の保険に、同協会として団体加入することで、保険料が20%割り引かれるようにした。
本人が要介護2〜5に相当すると保険会社がみなしたときに一時金が支払われる「介護サポートプラン」もある。
申込件数などはまだまとめていないが、平田さんは「昨年八月に発表した際は、多くの感謝の声が寄せられました」と話す。
問い合わせは同協会のホームページ(「フリーランス協会」で検索)から。
写真
◆日本の政策は「会社員」前提
介護で切実に必要なのは、まず「お金」、そして「時間」だ。
会社員は年五日の介護休暇が法律で認められている。足りなければ、年九十三日間まで介護休業を取ることもできる。給与の67%が支給され、「お金と時間」への手当てがある。
一方、フリーランスにはこのような制度はない。「労働法の対象外なので、労災保険も雇用保険もない」と平田さんは言う。時間的にも、企業には拘束されないが、顧客には拘束される。言うほど「自由」ではない。
平田さんは「日本の福祉政策や労働政策は、企業に属して会社員になることを是としていた時代に作られましたが、人生百年といわれる時代になり、『定年後』も長くなりました。企業に依存した働き方では定年後に自立できず、路頭に迷うことになりかねない」と指摘する。
「そのためには、フリーランスも含めてどんな働き方をしていても保護が受けられるセーフティーネットが必要です」と強調する。
(三浦耕喜)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000094.000009232.html
介護による「共倒れ」を防ぎたい!在宅介護の限界点はどこなのか?限界点を回避するには?
〜原 千晶さんが表紙を飾る、介護情報誌『あいらいふ』3月号 2/28(木)発行〜
株式会社ザップ 2019年2月25日 06時00分
株式会社ザップ(本社:東京都品川区 代表者:土井基史)は、介護情報誌『あいらいふ』2019年3月号を、2月28日(木)に発行いたします。
今回の表紙は、「子宮頸ガン」の罹患と再発、転移を経験した女優の原 千晶さん。ガン再発の理由、そして、苦痛を極めた闘病生活が原さんに教えてくれたことなどについてインタビューの中で語っていただきました。特集は、徹底研究「在宅介護の実際」の中編、「『在宅介護の限界点』を回避するには?」です。本人や家族の希望とは裏腹に、やがてやってくる在宅介護の限界点。「介護を受ける側もする側も、安心、安全でいられない」という限界点があるとしたら、どこなのか、限界点を回避する方法はあるのかについて考えます。
目次および注目の記事
目次
特集:徹底研究「在宅介護の実際」〈中〉 「在宅介護の限界点」を回避するには?
介護度が高まるにつれ、「在宅介護の限界点」はやってきます。では、その「在宅介護の限界点」はどこにあるのか、また、その限界点を回避するにはどうすればよいのか、在宅介護のプロである居宅のケアマネジャーや地域包括支援センターのスタッフの方々にうかがいました。
<新連載>「退院支援の現場を歩く」【特別鼎談】
入院、退院は、ご高齢の方にとって、人生の分岐点。こうした観点から始まった病院の退院支援を研究する連載企画。初回の今回は、国際医療福祉大学大学院教授の武藤正樹先生、この連載のホストとなる早稲田大学の影山康博さん、そして、本誌発行人の土井基史によるスペシャル鼎談です。「入退院支援の時代」となった退院支援の現在の課題と患者への影響について理解を深めます。
私の「介護・医療記事」の読み方㉟
「老老介護をしている高齢の方などは、初めて見るレシピをわざわざつくろうという気にはなりにくいのでは?いつも食べている料理が一番おいしいはず。」その気づきから生まれた書籍、『かみやすい 飲みこみやすい食事のくふう』。編集を担当した女子栄養大学出版部 田浦真実さんが、制作する上で注意を払った点を解説。
マイライフ・インタビュー
「子宮頸ガン」の罹患、再発、そして、転移。こうした経験から、現在、ガンの早期発見と早期治療の大切さを講演などで訴える女優の原 千晶さん。当初はガンを素直に受け入れられなかった原さんですが、再発後、つらい気持ちを受け止めて結婚してくれた旦那様と家族等の温かい言葉に救われ、前向きに闘病生活を乗り越えます。原さんが闘病生活の中でつかんだものとは…。インタビューでは、介護をしている方へのメッセージもいただきました。
本誌の無料お取り寄せは、
「あいらいふ入居相談室サイト」
https://i-life.net/
またはフリーダイヤル
0120-007-097
にて承ります。
月刊介護情報誌
『あいらいふ』編集部
【誌名】『あいらいふ 2019年3月号』
【概要】 初めて老人ホームを探すご家族様の施設選びのポイントを様々な切り口でわかりやすく解説。著名人に介護経験を語っていただくインタビュー記事他、介護に関する様々な情報を掲載。
【発行部数】6万部
【配布場所】市区役所高齢者介護担当窓口・社会福祉協議会・地域包括支援センター・居宅介護支援事業所・訪問看護ステーション・病院・薬局など1万か所
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000094.000009232.html
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