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世界遺産の町ドゥブロブニクでオランダ青年から聞く『植民地支配とグローバル格差社会』
早春のアルバニアからクロアチアまで中欧自転車&バスの旅 第5回
2019/02/10
高野凌 (定年バックパッカー)
(2018.2.24〜3.24) 28日間 総費用42万円〈航空券含む〉)
ドゥブロブニク(vladimir zakharov/gettyimages)
城塞都市ヘルツェグ・ノヴィの老夫婦
3月13日。小雨の中モンテネグロの世界遺産の城壁都市コトルから入り江の海岸沿いにアドリア海に面するヘルツェグ・ノヴィを目指す。約30キロの行程だ。たまに薄日が差すこともあったが断続的にみぞれまじりの雨模様。防寒服の上に100円ショップで購入したビニール合羽の上下を着込んだ。途中、フェリーボートで対岸に渡る。
ヘルツェグ・ノヴィはアドリア海の要衝に位置する中世から続く要塞都市だ。城壁で囲まれた旧市街は数時間歩けば見尽くせる。シーズンオフなので宿泊施設は閉鎖しているようだ。幸い、お昼時だけ開いているツーリストインフォがあった。きれいなお姉さんが数軒の休業中の民泊オーナーに電話して一泊10ユーロの部屋を確保。
民泊はオーナーが住んでいるアパートの一室だった。70歳のオジイサンと68歳のオバアサンの二人暮らし。空いている子供部屋をシーズン中だけ旅行者に貸している。娘夫婦が隣に住んでおり三人の就学前の孫が随時遊びに来るので賑やかだ。
アパートは高台にあり、リビングや居室からアドリア海の夕陽を満喫。キッチンで一緒に夕食を準備して食卓を囲み、食後はソファで団欒。老夫婦は片言の英語しか話せないが、それでも充分に二人の善意が伝わってきた。こんなに穏やかで平安な時間を過ごすことは何年ぶりだろうか。物質的には決して豊かとは言えない、むしろ質素な生活なのだが。お二人のように精神的に満たされて安らかな老後を夫婦で過ごせたらどんなに幸せであろうか。
超有名な世界遺産ドゥブロブニクの旧市街はスルー?
3月14日。ヘルツェグ・ノヴィの民泊アパートを8時に出発して20分も経たぬうちに雨となった。ヘルツェグ・ノヴィはモンテネグロの西端に位置する。10時頃モンテネグロ側から峠を越えてクロアチア側検問所を過ぎると晴れてきた。
左にアドリア海、右に岩山が連なる山脈を眺めながらの下り坂は快適そのもの。ドゥブロブニクまで14キロの標識を過ぎたころから再び雨模様に。午後1時半頃、雨の中ドゥブロブニク旧市街の入口レヴエリン要塞に到着。小1時間旧市街を散策。大聖堂、宮殿、修道院、総督邸などを外から一通り見物。観光客が多くざわざわした雰囲気である。さらにTV番組などでお馴染みのため既視感(デジャビュ)が邪魔してどうも気持ちが入らない。
インスタ映えする旅とは?
旧市街の出口近くでバスを待っていた東京から来たというOL二人組と遭遇。二人は学生時代からの友人で現在は別々の職場にいる。今回は2週間の休暇を取得して中欧諸国を自由旅行で周遊中。
二人とも“なかなかの美形”であり、スマホで撮った写真を見せてくれた。世界遺産を背景にインスタ映えするのは間違いない。スマホには絶景や名所旧跡や名物料理などの素敵なフォトが無数に蓄積されていた。
彼女たちと話していて“めっちゃ”羨ましく思った。キラキラと輝いていて、目の前の事象をめいっぱい楽しんで。彼女たちには“旅を楽しむ”何か特別の能力(または才能?)がある。上手く表現できないが謙虚、素直、好奇心というような特性である。
「若くて美人ならば何をしても楽しいはず」と考える人もいるかもしれないが、実際に旅をしていると“若くて美人でも旅を楽しんでいない”ように見える人が国籍人種を問わず意外に多いことに驚く。
オジサン自身は意識して虚心坦懐・好奇心旺盛を心掛けるようにしている。年寄りが威張って仏頂面して旅行していたら、自分も楽しくないし誰にも相手にされない。
欧米ではフツウのギャップイヤーとは
東京のOL二人組と別れてからホステル探しに没頭。五軒のゲストハウスを順番に訪ねたが全て閉鎖中。途中でオランダ青年ベセル君22歳と遭遇。彼はテントを携行しており適当な場所を見つけてテント泊する計画だった。
ベセルは大学で建築学を専攻。卒業後1年間をギャップイヤー(gap year)として海外放浪中。ちなみに欧米社会では高校や大学を卒業してから進学・就職する前に一年間長期旅行をする若者が多い。これをギャップイヤーといって社会的にも認知されている。
日本と異なりギャップイヤーを取っても就職で不利となることはない。むしろ見聞を広める有意義な期間と見做されている。
ヒッチハイクでユーラシア大陸横断、現代の“さまよえるオランダ人”
午後4時頃に世界遺産の旧市街から10キロも離れた新市街の家族経営のゲストハウスにチェックイン。キッチンで夕食を準備していると偶然ベセルもチェックインしてきた。風雨が激しくテント泊を断念したという。
その後派遣社員のチヒロ嬢、日本近現代政治史専攻の大学生ワタル君もチェックインしてきたので四人で夕食を作りテーブルを囲んだ。
ベセルによると彼のお姉さんが2年前に単独自転車でオランダ→トルコ→イラン→トルクメニスタン→ウズベキスタン→カザフスタン→中国→モンゴルとユーラシア大陸を横断して最後はシベリア鉄道で帰国という大冒険をした。ベセルもヒッチハイクとテント泊でユーラシア大陸横断を目指していた。
オランダ人はどうして背が高いのか?
ベセルはオランダ人の常として190センチの長身で金髪碧眼である。なぜオランダ人はみんな背が高いのか。
ベセルによるとオランダ人は元々それほど背が高くなかったという。17世紀以降インドネシアなどの海外植民地を獲得して生活水準と食糧事情が向上。毎日の食事の栄養価が飛躍的に向上した結果現代のように高身長になったとのこと。
ちなみに日本人も江戸時代は食料供給の制約から人口も身長も伸びなかった。代々徳川将軍の位牌が岡崎市の大樹寺で公開されている。各将軍の死亡時の身長と同じ高さに位牌を作成したというが、「暴れん坊将軍」で知られる吉宗でも155センチ程度である。
日露戦争時の大日本帝国海軍の水兵の平均身長は152センチくらい、第二次世界大戦時の陸軍の徴兵検査の平均身長が160センチ超。現代の20代男子が凡そ171センチであるから約150年間の食生活向上で平均身長が20センチ伸びたことになる。そんな日本の事例をベセルに紹介したら大いに納得していた。
植民地支配とグローバル資本主義は同罪なのか?
欧米人と話していると18〜20世紀の欧米列強による植民地支配については肯定も否定もせず客観的に歴史的事実として受けとめるという態度がフツウである。さらにはマルクス史観で説明されるように先進資本主義国家間による市場獲得競争という“歴史の必然”という論理を持ち出す御仁もいる。
ところがベセルはオランダの植民地支配や強奪貿易の歴史を「恥じるべき歴史」と批判した。さらにベセルは歴史の暗黒部分を率直に認めることが、現代の国際社会を考えるうえで必須と強調した。
「経済のグローバル化により100人に満たない大富豪が世界の富の半分を支配している。19世紀や20世紀の植民地支配よりも深刻かつ広範囲に非人道的な貧富の格差が超スピードで進んでいる」と指摘した。
確かに日米欧韓という先進国では中産階級の減少、富の集中と貧困層の増大という共通の現象が進行中という分析をよく目にする。中進国や途上国に関する具体的な統計数字は不詳であるが、おそらく貧富の格差拡大は更に深刻なのであろう。
ギリギリの予算でヒッチハイクを続けるベセルはローアングルの視点からグローバル資本主義の席捲による超格差社会という近未来を憂いていた。
⇒第6回につづく
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15313
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