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2019/05/16 06:36
「中通りに生きる会」(平井ふみ子代表)の男女52人(福島県福島市や郡山市、田村市などに在住)が、福島第一原発の事故で精神的損害を被ったとして東電を相手に起こした損害賠償請求訴訟で、原告や代理人弁護士が15日午後、福島県庁で記者会見を開いた。提訴前に陳述書作成に取り組んだ原告たちの闘いは5年に及び「精根尽き果てた」、「福島地裁で終わらせたい」と和解による終結を望んでいる。記者クラブで涙ながらに想いを語った原告たち。東電がそれぞれの精神的損害に向き合い、裁判所の和解案を受諾する日が来るのを心待ちにしている。
【「東電は損害に向き合わなかった」】
記者会見に臨んだ4人の原告(いずれも福島県福島市在住)は、それぞれの言葉でこの訴訟に対する想いや和解勧告への期待を口にした。
会の代表を務める平井ふみ子さんは、涙ながらに「原発事故で穏やかな生活が一変してしまいました。一瞬にして暗い洞穴に突き落とされたような想いでした」と8年間を振り返った。
「多くの悔しさや哀しみを陳述書に書き、『精神的損害は4万円では補えない』と訴えました。陳述書が完成するまで、何度も何度も手書きで書き直し、腕や手首が痛くなりました。しかし、その痛さより、放射能に翻弄される生活がみじめで悔しいのです。それなのに東電は『政府が年20mSv以下は大丈夫と言っているから大丈夫』、『政府が避難しなさいと言わないのに、なぜ一時的に逃げたのか』、『正しい知識があれば不安がる事など無い』と言い、私の哀しみや被害に向き合う事はありませんでした。傷口に塩を塗られたようでした。訴訟の準備から既に5年。私は70歳の高齢者となり、白内障も患っています。これ以上、裁判が長引く事は心身ともにつらくなって来ています。被害者の心を救うためにも、裁判所には良い和解案を出していただきたいと願っています」
立川幸恵さんは、「とにかく、東電に自分の気持ちを伝えたい。馬鹿にされた怒りをぶつけたい。陰でこそこそ文句を言うのでは無く、正式な場所で堂々と伝えて、ちゃんと記録に残したい。そんな気持ちで提訴に加わりました」と話した。
「私たちは大変な想いをして陳述書を書き、つらい事を思い出して涙を流しながら、必死に本人尋問に答えました。勇気を振り絞って、身を削る想いで、貴重な時間をたくさん使ってやってきました。でも残念なことに、私たちが伝えた気持ちに対して、東電から心のある言葉などはありませんでした。東電は私たち一人一人に向き合ってはくれなかった。私が産んだ3人の子どもたちが被曝させられ、今後ずっと、健康被害の不安を抱えていかなければいけない苦しみを伝えた事に対して、東電からの言葉は、まるでマニュアルをそのまま読んでいるかのようで、心は全く感じられなかった。本当に反省しているのなら、もっと誠心誠意のある対応をして欲しかったです。東電の態度に私はさらに傷付き、さらに怒りを覚えました。これ以上、裁判で傷つきたくない。ポジティブな意味で和解が出来るなら、そうしたいと心から思っています。東電が和解勧告を受諾すれば、私たちの想いが少しは東電に分かってもらえたと受け止める事が出来るのです」
「2011年6月に保存していた私の髪の毛からは、後に500Bq/kg弱の放射性セシウム(合算)が検出されました。これは、私が被曝をさせられた証です。庭に面した砂ぼこりも、2016年までの測定で約1万6000Bq/kg、室内で使っていた掃除機のごみは700Bq/kgありました。床掃除のぞうきんは100Bq/kg。こんな事は原発事故前には無かった事です」と語ったのは、大貫友夫さん。
「私には3人の娘がいます。原発事故当時18歳だった三女からは、ホールボディカウンターでの内部被曝検査や尿検査で放射性セシウムが検出されてしまいました。将来の健康が心配でなりません。3年前に県外に自主避難≠オてもらいました。長女は2011年に県外に母子避難しました。住宅支援の打ち切りに伴い、避難先に移住しました。今では夫も一緒に暮らしています。次女は今春、出産しました。本来であれば実家に里帰りするところですが、あきらめました。被告東電のばらまいた放射能は、古希を迎えた私から子や孫との交流を奪いました。東電に対する恨みつらみは増すばかりです。私は、昨年10月の本人尋問に力を出し尽くしました。放射能にも裁判にも、もう疲れ果てています。東電への憎悪で、今にも心は折れてしまいそうです。被告東電が私の心の苦痛を認めれば、恨みは晴れるかもしれません。和解が、私の心の復興の始まりになる事を期待しています」
植木律子さんは、会見に参加出来なかった原告の想いにも言及した。
「幼い子どもの被曝を恐れて母子で県外に避難し、心が病んでしまった原告がいます。生きがいだった家庭菜園が出来ずに、生きる希望を失った原告もいます。裁判の途中で亡くなった原告もいます。52人一人一人違う哀しみや苦しみを陳述書で訴え、本人尋問には何度も何度も練習して臨みました。皆、精根尽き果てるまで力を尽くし、もうこれ以上訴える力はありません。誠心誠意訴えたのだから、東電には誠心誠意応えて欲しかった。しかし、人としての心がみじんも感じられませんでした。裁判所が和解勧告を出し、それを東電が受諾すれば、私たちの心は救われます」
福島県庁内の記者クラブで開かれた記者会見。参加した4人の原告は、涙を拭いながらそれぞれの言葉で原発事故で一変した生活への悔しさや法廷での東電側の振る舞いへの怒り、裁判所による和解勧告への期待を口にした=福島県庁
【弁護士「闘う気力残っていない」】
会見には、代理人を務める野村吉太郎弁護士も同席。訴訟の経過や和解勧告を求める意義、今後の日程などについて説明した。
「中通りに生きる会」の52人が福島地裁に提訴したのは2016年4月22日。他の集団訴訟と異なり、被告は東電のみ。国は相手取っていない。一律の賠償を求めてはおらず、請求額は原告ごとに異なる。
提訴の2年前、2014年4月から陳述書の作成は始まっていた。陳述書を書き上げるまでに少なくても3回、多い人で10回も書き直したという。昨年2月からは原告本人尋問が始まり、計46人の原告が法廷で想いを述べた。
今年3月22日の口頭弁論期日で本人尋問が終了。その際、野村弁護士から裁判所に対して和解勧告を求めた。「和解は、訴訟を終結させる一つの選択肢。民事訴訟では一般に行われている。もし東電が受諾しなければ直ちに判決に移行できるような、細部にまで踏み込んだ和解案を出していただきたい。裁判所から和解案が出されたら原告は無条件で従う。東電も受諾して欲しい。裁判所が和解案を示さない、もしくは東電が和解案を受諾しない場合は当然、判決による終結になる」(野村弁護士)。
和解を求める意義について、野村弁護士は「和解は、お互いを認めて譲歩する事。判決は東電に対する金銭の支払い命令だが、和解は東電が自主的に支払う。東電が支払いに応じるという事自体が、各個人の損害を認めたと解釈出来る。和解は判決に比べてポジティブな意味合いを持つ。集団的な原発損害賠償請求訴訟において、和解が成立するとすれば全国で初めてのケースとなる」と語る。
今後は、今月28日に福島地裁で進行協議が行われる。「裁判所が和解を示す事に応じるのかどうか、ある程度の方向性が見えて来るのではないか」(野村弁護士)。その後、6月28日までに最終準備書面を提出。次回の口頭弁論期日は7月17日。弁論は終結する。
「原告本人尋問を7回やったが、原告の皆さんは疲れたんじゃないか。控訴審、さらに上告まで闘える気力が原告に残っているのかという懸念がある。東電を説得するための理由付けをきちんと示した上で和解案を示していただけるよう期待したい」と語った野村弁護士。「当初は裁判所は和解勧告に消極的だったが、率直な想いを再度伝えた事で『検討します』となった。和解で終わる事で、結果的に、より原告の救済につながる」と裁判所による和解勧告への期待を口にした。
第17準備書面を提出した野村吉太郎弁護士。会見で「これ以上、闘える気力が原告に残っているのかという懸念がある」、「和解は判決に比べてポジティブな意味合いを持つ。集団的な原発損害賠償請求訴訟において、和解が成立するとすれば全国で初めてのケースとなる」などと語った
【「見えない放射能と格闘してきた」】
野村吉太郎弁護士が4月26日付で福島地裁に提出した第17準備書面には、原告たちの想いが凝縮されている。原発事故により、不幸にして放射性物質が降り注いだ福島県中通りで生きるというのがどういう事か、考えるヒントになる。少し長くなるが一部を紹介したい。
「この訴訟は『私はここにいます』ということを認めてもらうための訴訟です。被告東京電力を断罪する目的で提起したものではありません。被告の法的責任は、原賠法3条により明らかです。原告らは『私はここにいます。私は原発事故により苦しんでいます。私は原発事故により被った精神的損害は、東京電力が一律に支払い済みの大人1人あたり4万円ではとうてい補えない深刻なものなのです』と訴えているのです」
「放射能は目に見えません。臭いもしません。しかし、原告らが住む地域に設置されたモニタリングポストには、原発事故前と比べると遙かに高い放射線量の値が示されています。住宅除染作業の後処理として自宅の敷地内にビニールシートにくるまれた除染廃棄土があちらこちらで目につきました。そのビニールシートが目立たなくなったのは、ほんの1年前のことです。それでも仮置き場に行けば、除染廃棄土が入った大量のフレコンバッグを今でも目にすることができます。放射能は見えなくても、原発事故が起こった影響は目にすることができるのです」
「原告らの中には子どもや孫を連れて一時的に避難を余儀なくされた人たちがいます。そもそも、原告らは、原発事故が起きた後の生活を望んで選択したものではありません。モニタリングポスト、放射線量の新聞・テレビ放送、除染作業、食品検査、及び県民健康調査、すべてが原発事故前とは異なっています。山林の除染作業は手つかずで、土壌汚染は放置され、モニタリングポストや放射線量の新聞・テレビ放送を見ては放射線量を気にかけて、食品検査の結果を見ては買い物をし、県民健康調査の結果を見て子どもや孫の健康を心配したり、自宅の除染作業で庭木や花が伐採され入れ替えられた土砂で埋め尽くされた庭を見てため息をつき、自主的避難で離れていった家族との同居生活を振り返りながら原発事故さえなかったらと考え、見えない放射能と格闘する生活が、原告らの生活なのです」
「原告の中には、自らあるいは家族が原発事故の影響で健康不良になったのではないかと考えるに相当の理由がある人が複数います。残念ながら、因果関係を証明するような医師の診断書はありません。仮に原発事故がなかったならば、そもそも当該病気が『原発事故の影響かどうか』を考えることはあり得ません。原告らが『原発事故が起こったからこうなった』と原発事故を結びつけて考える理由は、『原発事故が原因でなければ、何が原因なのか分からない』ということにあります」
「他人からしてみれば、無理矢理原発事故と結びつけようとしていると思われるかもしれませんが、そうではありません。原告らは、自分なりに、自分が納得したいがために、一生懸命自分や家族の健康不良の原因を調べています。色々調べたあげく、客観的にも『やはり原発事故と結びついているのだ』としか考えられないと思うからこそ、『原発事故と関係がある』と考えているのです」
「他の原発事故損害賠償集団訴訟において、地裁が出した損害賠償認容判決について、被告東京電力が控訴しないようにアピールしている事件もあります。しかし、被告がそのような要請に応じた事件は、原発事故後の自殺事件以外にありません。最終の本人尋問に先立って行われた訴訟進行打ち合わせ手続きにおいて、原告ら代理人が裁判所に対して求めた『和解勧告』に対し、被告代理人は『他の事件との兼ね合いもあって和解は難しい』と応えました。しかしながら、この訴訟は、他の訴訟と違って、原告らに対して一律に賠償を求めるものではありません。原告1人1人、損害の内容も違うし、主張している損害の額も異なります。他の事件と比較して、平仄(ひょうそく)をとること自体に意味はありません」
「原告らはもともと高齢者も多く、上記のような経過、さらには年齢的なことを考慮しても、原告らは肉体的・精神的に限界を迎えております。原告らは、この訴訟を、福島地方裁判所限りで終了させたいと強く願っているのです」
(了)
【中通りに生きる会・損害賠償請求訴訟】「疲れ果てた。裁判所は良い和解案を」「これ以上傷つきたくない。東電は受諾を」。原告らが会見開き、和解による裁判終結求める 民の声新聞
http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-325.html
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