ひとつ思い違いを正したいが、今回れいわからでた野原氏は確かに現創価と過去の池田創価とは違うということを言っている。つまり例えば統一系と創価系の立場は派閥の違いこそ在れ近い間柄ではないかーというようなこれまでの考えも一旦改める必要がでてくる。公明以後から清和会と距離を縮めはじめたのでは?という考えに絞るとこれまでの一連の疑惑も一端捉えなおして保留することになる。するとおなじ創価のバックアップからでた小池希望の党も一種、見方を変えざるを得ない。ともに派閥争いと利権に支えられた動きによる事に変わりはないが、小池、希望、そしてその後継である国民民主と公明とは指摘される接点を持ちつつも一定に距離は置いている事になる。 れいわの山本が静かに自由・国民を離れたのはそうした裏があるのかも知れない。 だが、国民の代表玉木自体はどうなのかいまだわからない。もしかすると音喜多同様、希望に入り込んだスパイかも知れない。そしてそれは小沢氏はちゃんと読み解いているのかな? 本日目にしたiwjでは、記者の質問に対し、これまでも時折見せる、裏舞台で毒蛇にケツを噛まれているような回りくどい言い回しをしていた。その時どこか遠くに心を置いているような表情をしている。 そして昨日、民放がいっせいに吉本の名ばかりトップをえんえんと映している間、NHKでは安倍が玉木にラブコールをしていた。改憲派としてシンパシーを感じているからだろう。はて?いまごろ改憲に向けた工作の指南、手解きを受けてたりするのでは? 玉木はいまだ一人区での勝利を野党共闘の音頭を切った個人の手柄のように考えているような節を見せる。選挙の反省がまったくなっていない。何故国民は議席を減らしたのかね?そして接戦を制した地方選の争点をまったく読み取れてない。現状ではこいつに先はない。 もし与党が2/3を確保していたとする場合、この駒はどう動いていたかね。一体こいつの立ち回りはなんなんだ? 玉木は2/3満たない中では改憲勢力は下手に動けるはずが無いだろうと言っている。(当たり前だ)だからいまは改憲論議の話題は発議も出来ない情況の中で時期尚早だというような発言をしているがここに違和感がある。何故なら国民主の票が加われば2/3議席の確保が可能だからだ。おまえらはそんな動きに加担しないよな?と暗に釘を刺して記者が訊いているのにそう答えるから違和感が生まれる。つまり、玉木も改憲派なのである。安倍らの動きに飛び乗って下手な動きに出た所で反発を招き、改憲のチャンス共に潰されてしまうと考えているのだろう。そうなってしまえば二度とチャンスはない。だが、安倍は既に公共の電波でラブコールを発している。これにどう答えているのか、反対の声明を出していない現状では疑わしさ千万である。 現行、どの政党の議員も不正し放題の選管運営(抜け穴が指摘されまくり)不正装置の存在をなんら指摘もせず、逃げ隠れるだけの面子である限り政治は根底からシステムごと変えなければなら無い。これを維持したままで、直接的な国民選挙を形ばかり取り入れた所でまったく意味が無い。政治、社会システム、周りの環境をがらっと変えるチャンスがやって今、きていると思うがね。 王族だの血族だの、派閥だの人種の違いだの、人の形をしていたら誰でも仲間と認識できるところ迄もっていかないと意味が無いね。今変えなきゃ程度の低い人間社会がいつまでも築かれていくザマとなる。 だから、墓じまいといっている。血筋だの名家だの、そんなものはない。能力の違い、優劣の違いなど無い。それらすべて不正利用されているだけだろうが。すべてその墓じまいの為にいま俺たちが居るんだよ。 ローマ法王が第二代ローマ法王に預言されてたように今期で丁度終わりのときとなる。だからすべて墓じまい。ケネディ家も墓じまい。キシリトールむしりとーるもおしまい。すべてに終わりの時があり、終わらせる役目の為に終わりの時に生まれ来ている。 嘘を終わらせないと正しいものは何もはじまらない。正論を発する力を持てない者はまた自分探しのためにディストピアの渦の中に引きずり込まれて行くだけ。
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