http://www.asyura2.com/19/china13/msg/284.html
Tweet |
尖閣諸島確保は「歴史的責務」 習近平氏、軍内部会議で発言
共同通信 2022/10/29
中国の習近平国家主席が2016年に開かれた軍幹部の非公開会議で、沖縄県・尖閣諸島や南シナ海の権益確保は「われわれの世代の歴史的重責」だと述べ、自身の最重要任務と位置付けていたことが29日、内部文献で分かった。南シナ海の軍事拠点化を指示するかのような発言もあった。
発言の約3カ月半後に中国の軍艦が初めて尖閣周辺の接続水域に進入。以降、軍事的圧力を含めて強硬姿勢を鮮明にしており、習氏の発言が背景にあったのは確実だ。習指導部は異例の長期政権に突入したことで、悲願の台湾統一と合わせ、尖閣実効支配への動きを加速させる構えとみられる。(共同)
https://nordot.app/959062140065136640
-----------------------------------------------------------------
学会を足がかりに狙う日本侵略の道
中国と創価学会公明党の関係と目的
創価ニュース
池田創価学会が最大級に誇る実績「日中国交正常化の架け橋は先生が行った」。
このことを調べていくと気付くことだが、周恩来総理、日本政府の外交文書、様々な研究者の文書を見るに、「“池田提言”や創価学会の影響が国交正常化の役割りを果たした」とはされていない。それどころか、創価のその字も出てこない。
しかし、正常化後、中国の要人、著名人らが、創価学会に対し正常化への敬意を述べている。
こういった不思議なことが、近年益々盛んに広報、宣伝されているのだ。
そこで、
1. 池田提言が本当に正常化に決定打を打ったのか?を検証し、さらに、未だ、
2. 中国本土で布教をしていない創価学会の目的は一体何なのか?
について掘り下げてみたい。
1.池田提言が与えた影響
日中国交回復までの流れ
台湾との国交を結んでいた日本は、次第に中国との関係を重視し国交回復にいたるのだが、この流れは中国政府の戦略によるものであることを知らなければならない。
下記年表を見れば、日中の国交は創価学会だけの影響ではないことが歴然としている。
1952年
第1次日中民間貿易協定【データ】
1953年9月
周恩来中国首相の大山郁夫教授に対する談話【データ】
周総理 「われわれは,世界各国との正常な関係,とくに日本との正常な関係の回復を主張しています。」
1953年10月
第2次日中民間貿易協定【データ】
1955年5月
第3次日中民間貿易協定【データ】
1955年8月
日中正常化のための北京会談提唱の沈平総領事書簡【データ】
「中日両国関係の正常化を促し,あわせて国際情勢を引続きやわらげる上に寄与するため,中国政府は,中日両国政府が両国の貿易についての問題,双方の居留民の問題,両国人民が相互に往来する問題,およびその他両国人民の利益に関係のある重大な問題について話合いを行うことが必要であると考えます。」
1957年4月
社会党訪中団と中国人民外交学会の共同コミュニケ【データ】
日本社会党中国訪問親善使節団は日本と中華人民共和国との親善友好を増進し、両国間の国交正常化を促進する目的をもつて中華人民共和国を訪問。
1957年7月
周恩来中国首相の日中関係正常化に関する談話【データ】
周恩来 「戦後,中国人民は,日本国民と友好関係を結びたいと願つている。」
1958年
第4次日中民間貿易協定【データ】
1959年
日中国交正常化問題に関する石橋湛山前首相の周恩来中国首相あて書簡【データ】
石橋 「中華人民共和国と日本との両国(以下両国と称す)はあたかも一国の如く一致団結し,東洋の平和を護り,併せて世界全体の平和を促進するよう一切の政策を指導すること。」
1959年
日中友好協会訪中代表団と中国人民対外文化協会との共同声明【データ】
「中国人民対外文化協会(以下中国側と略称)は、近年来、日本中国友好協会によって、日本人民の間に広く展開された日中国交回復運動と日中友好運動に感謝するとともに、日本の広範な人民の間からおこされたこのような運動こそ、日中両国の真の友好の基礎であると表明した。」
1962年1月
社会党訪中団と中国人民外交学会の共同コミュニケ【データ】
「日本社会党代表団は中国敵視政策に反対し中国は一つであるとの基本線に立って日中友好と日中の正常関係回復のためたたかうことを表明した。これに対し中国側は同意と謝意を表した。」
1962年9月
松村謙三自民党顧問と周恩来総理との会談に関する共同メモ【データ】
双方は、漸進的かつ積み重ねの方式をとり、政治関係と経済関係を含む両国の関係の正常化をはかるべきであると一致して認めた。
1962年10月
日中友好協会訪中代表団と中国人民対外文化協会との共同声明【データ】
「日中両国の正常関係を1日も早く回復させるよう日本政府につよく要求する決意を表明した.中国側はまったくこれに同意し,これを支持することを表明した.」
1962年
中国の雑誌『世界知識』に創価学会が紹介される。
周恩来が創価学会の調査を始めたとされる。
1963年
黄世明氏による創価学会の調査レポートが発行される。
1964年10月
日中友好協会中華人民共和国建国15周年慶祝代表団と中日友好協会との共同声明【データ】
「日中両国国交の速やかな回復を促進し、経済,貿易,文化の交流を拡大し、アジアと世界の平和を守るためにともに努力すべきであることを一致してみとめた」
1964年10月
周恩来中国首相と成田知巳社会党訪中使節団長との会談録【データ】
成田 「あらゆる国の核実験にも反対する」という社会党の態度は、結果的に中国の核実験にも反対するという面が出るわけですが、しかし、私たちの方針は、中国の平和政策と完全に一致している、との立場をとっております。
1968年9月
池田大作会長 学生部総会で「日中国交正常化提言」を行う。
劉徳有が中国当局へ打電。
1970年
日中国交回復促進議員連盟連盟総会宣言【データ】
「われわれ衆参両院の有志議員は、党派やイデオロギーの別を超えた全国民的課題として、日中間の法的な戦争状態に終止符をうち、平和共存、内政不干渉の原則の下に国交を回復するため、力を合わせて進むことの合意に達した。」
1971年7月5日
田中角栄 自民党総裁選制す
「正常化の機が熟していると思う」(田中)
1971年7月7日
田中内閣誕生
田中は日中国交正常化を目指すことを述べる
1971年7月15日
ニクソン大統領 訪中を電撃発表
1971年7月
第一次公明党訪中
◎第1回 竹入委員長、周恩来総理会談 7/27【データ】
周第一次公明党訪中
◎恩来「日中間も国交回復し、友好条約を締結してアジアの平和のみならず 世界の平和に貢献しましよう。」その時期を9月と両者同意。
◎第2回 竹入委員長、周恩来総理会談 7/28【データ】
周恩来 日中間、中米間の問題に言及。
◎第3回 竹入委員長、周恩来総理会談 7/29【データ】
周恩来 「私たちの考えでは、田中首相、大平外相が訪中する場合は、共同声明か、共同宣言を発表した方がよいと思います。」
国交回復に田中首相に期待する旨述べる。
公明党五原則に中国側が合意
1971年10月
中国 国連加盟復帰
1972年5月
公明党第二次党訪中、周総理と会見。
1972年7月
公明党第三次党訪中
周総理 国交正常化への中国側草案提示。日本政府へ持ち帰らせる。
1972年9月
田中首相、大平外相が訪中。「日中共同声明」に調印。
日中国交正常化が実現
1974年
池田会長 周恩来総理と北京の305病院で会見。(約1年後、周恩来は死亡)
1975年
創価大学が日本で初めて中国の留学生の受け入れ
対日戦略に乗せられた創価公明
周恩来は1950年代より、民間外交、政治次元において国交正常化実現のため周到な手を打ってきた。それは、日本の総理、与野党の議員、財界、要人、記者、スポーツ界、演劇などに渡る。
実のところ、正常化は中国政府の主導で展開してきたということである。
そうして、日本における機が熟した中で、池田提言がなされたのである。その意味では、池田提言が歴史を開いたのではなく、それを周恩来は利用したということになろう。
なぜなら日本に三原則(@ 中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府 A台湾は中国の一部 B台湾との断交)を突きつけてきたのであるから、学会が多用する「友好」「友情」などというよな生易しいことでは結ばれない。ましてや、民間人の提言を拠り所に条約を結ぶはずがない。
ここがポイント
国交回復の決定的な理由
国交回復の足かせ
長年の日中両国は、国交回復に努力をはらってきたのだが、それを阻む事情があった。
それは、戦後アメリカに統治され、その後もアメリカ追従の姿勢を取らざる負えなかった状態で、そのアメリカは中国封じ込め政策とっていたことにあった。日米は中国に対し、共同歩調ととっていたため、国交回復の扉が開けられなかったのだ。
しかし、これが1971年、ニクソン大統領が日本を出し抜け訪中発表。これにより突然、その状況が転換することになったのだ。
こういった転換点を向かえた中で中国は国連に復帰、田中政権の誕生、こういった条件が揃い一気に国交正常化に動いたのである。
つまり、日中双方が求めていた国交回復の扉を開けたのは、ニクソン米大統領の訪中発表が決定的なきっかけとなったのである。
詳細は
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/11116/20-17_n.pdf
結論
1.日中は池田提言の遥か前から民政両面で国交回復に向け動いていた。
2.中国政府は、公明、自民の密接な関係を認識。
3.公明党は創価学会の支配下にあることを認識。
4.周恩来は学会ではなく政治権力につく公明党を窓口にした。
5.池田提言は間接的な影響のみ。
中国はなぜ公明党に目を付けたか
公明党は創価学会の支配下にあることは周知の事実であるから、創価学会を味方にしておけば、公明党も意のままになることを知悉。そして、その創価学会は教団の成果を自慢する性質が強いことに目を付け、学会に花を持たせることで、日本の政治を一定のコントロールができると考えたであろう。この推察が違っていたとしても、現実はこの通りであるだけに日本国民にとって、由々しき事態であることに違いはない。
池田提言は間接的影響
1960年代の情勢を言えば、両国は長年の交流の中で、国交回復の最終的段階に至っていたことは明らかである。
中国政府は、公明党は自民党と陰では密接な関係にあり、さらに学会の支配下にあると分析済であろうことは容易に考えられる。
そういった意味で公明党は池田提言に従うことは間違いないと見て、公明党を交渉の窓口にしたと言えるだろう。
外務省が機密としてきた周恩来、竹入委員長の会談メモを読むと、双方とも「池田提言」に触れていない。周恩来は、提言によって公明党が動くことを期待していたに過ぎないからだ。
中国の核兵器実験について言及なし
国交正常化にいたるまで、何度も公明党、創価学会は中国と交流してはいるが、学会の大看板である「核廃絶」を中国に言及することはなかったようだ。一方、社会党はこの問題に言及している。
https://www.soka-news.jp/nichukankei.html
https://www.soka-news.jp/index.html
参考
エポックタイムス
中国による対日工作、NPOや創価学会がパイプ役=米シンクタンク報告
https://www.epochtimes.jp/2020/08/60384.html
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。