http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/497.html
Tweet |
シリアから米軍を撤退させるという米大統領の決定への強い抵抗(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901060002/
2019.01.07 櫻井ジャーナル
シリアからアメリカ軍を撤退させるというドナルド・トランプ大統領の決定に対する批判は有力メディアや議会だけでなく政府内からも出ていた。ジェームズ・マティス国防長官は撤退の命令書に署名したものの、今年(2019年)2月一杯で辞任するとしている。 そうした反発は強烈なようで、ロイターによると、国務省の高官は撤退の日程を決めていないと語ったという。何年か何十年か何百年かわからないということ。大統領の決定を無効にしようという動きが国務省にもあるということだろう。 アメリカ軍の撤退が問題になっているという話は、アメリカ軍が存在していることが前提になる。バラク・オバマ政権はシリア政府の承認を受けず、地上軍をシリア領内へ侵攻させて基地を建設したのだ。イギリスやフランスが建設した軍事基地を合わせると、そうした基地は20カ所以上に達するとも言われている。 こうした侵略のスタートは1992年2月に作成された国防総省のDPG草案、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はリチャード・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツ次官が中心になって作成されたことからそう呼ばれているわけだ。 チェイニーやウォルフォウィッツはネオコン、つまりシオニストの一派。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。(2007年3月、10月) ウォルフォウィッツ・ドクトリンはアメリカが唯一の超大国になったことを前提にした世界制覇プランだが、1993年1月に始まったビル・クリントン政権の第1期目はこのプランに従って動いていない。 1993年9月2日付けのウォール・ストリート・ジャーナル紙にボスニアへの軍事介入を求める公開書簡が掲載されたのも同政権への不満が背景にある。 ちなみに署名者にはイギリスのマーガレット・サッチャー元首相、アメリカのジョージ・シュルツ元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、ズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官、ポール・ニッツェ、ジョージ・ソロス、ジーン・カークパトリック、アルバート・ウールステッター、ポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パールが含まれている。 侵略戦争を始めるのは第2期目、マデリーン・オルブライトが国務長官に就任してから。オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの教え子で、ヒラリー・クリントンと親しいと言われている。 1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃、4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館が爆撃された。大使館を爆撃したのはB2ステルス爆撃機で、目標を設定したのはCIAだ。3機のミサイルが別々の方向から大使館の主要部分に直撃している。(つづく) |
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。