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「シリア革命」発祥の地の報道されない惨状と、越境攻撃するイスラエルの狙い
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-10625.php
2018年7月19日(木)19時30分 青山弘之(東京外国語大学教授) ニューズウィーク
<シリア南西部にイスラエルが越境攻撃を繰り返している。古くて新しいアラブ・イスラエル紛争のロジックに回帰させようとしているかのようだ>
「シリア革命」発祥の地であるダルアー市がシリア政府の手に陥ちた──同市中心街で抵抗を続けてきた反体制派が7月12日、シリア政府との停戦に応じ、武器を棄ててイドリブ県に去ったのである。
■自由や尊厳といった理念ではなく、暴力によって支配された町
ダルアー市は、シリアで「アラブの春」が高揚するきっかけとなる事件が起きた町だ。2011年3月末、10代前半の子供たちが、チュニジアやエジプトでの抗議デモで掲げられた「国民は体制打倒を望む」というスローガンを、遊び半分で壁に落書きしたのがこの町だった。
抗議デモの波及に神経をとがらせていた治安当局は、この一件に過剰に反応し、子供たちを捕らえて拷問にかけた。家族や地元住民の不満は抗議運動に発展し、デモは各地に拡がった。治安部隊・軍の弾圧と武装化した反体制派による暴力の応酬が「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれるシリア内戦を誘発していった。
ダルアー市の落書きと拷問を受けた子供(出所:Shahedon, February 27, 2016)
シリア政府が「革命の首都」と称されたヒムス市やアレッポ市の奪還に成功するなか、ダルアー市を含むシリア南西部は持ち堪えた。シリア政府はダルアー市の北半分と首都ダマスカスに至る県内の国際幹線道路沿いの地域を掌握していた。だが、それ以外のほぼ全域は反体制派が死守した。
シリア南西部の勢力図――赤はシリア政府、緑は反体制派、黒はイスラーム国、紫はイスラエル(出所:https://syria.liveuamap.com/、2017年5月)
とはいえ、ダルアー県の反体制派は、自由や尊厳といった「シリア革命」の理念ではなく、暴力によって支配を維持し、利己的な動機によって離合集散を繰り返した。2014年2月年に南部戦線として糾合した彼らは、2017年2月には「堅固な建造物」作戦司令室の名のもとに再編した。中核をなしたのは、アル=カーイダの系譜を汲むシャーム解放委員会(シャーム解放機構)やシャーム自由人イスラーム運動(シリア解放戦線)だった。
このほか、イスラエル占領下のゴラン高原(クナイトラ県)に面するダルアー県南西部のヤルムーク川河畔地域は、イスラーム国に忠誠を誓うハーリド・ブン・ワリード軍が手中に収めた。
■南西部で起きている惨状
南西部の戦況は、2017年5月にロシア、トルコ、イランが同地を含む各所を緊張緩和地帯に設置して以降しばらく膠着した。だが、2018年4月から5月にかけて、ダマスカス郊外県、ヒムス県北部、ハマー県南部の反体制派を降伏させたシリア政府は、南西部の奪還に本腰を入れるようになった。シリア軍は6月19日、ロシア軍や「イランの部隊」(後述)とともに大規模な掃討作戦を開始したのである。
反体制派は徹底抵抗を試みた。「堅固な建造物」作戦司令室を含む7つの作戦司令室は6月20日、南部中央作戦室の名で統合し、戦闘を継続した。しかし、この動きは、アレッポ市東部地区で抵抗を続けてきた反体制諸派が同地陥落(2016年12月)直前にアレッポ軍を結成したのに似ていた。アル=カーイダの系譜を汲む武装集団とフリーダム・ファイターを自認する自由シリア軍諸派を混濁させ、「テロとの戦い」を主唱するシリア軍の攻撃に正当性を付与するだけだったからだ。
南部中央作戦司令室発足声明(出所:Eldorar, June 20, 2018)
しかも、徹底抗戦の是非をめぐって、反体制派内でも意見が割れた。勝機がないと悟った戦闘員、活動家、地元名士は、停戦に応じていった。彼らの屈服を陰に陽に後押ししたのは、人道の名のもとに武器兵站支援を行い、避難場所を提供してきた米国とヨルダンだった。
ドナルド・トランプ政権発足以降、シリア情勢への関心を低下させ、アル=カーイダと共闘する反体制派との関係を解消した米国は6月24日、反体制派に「あなた方は我々の軍事介入を想定、期待して決定を下すべきでない」と文書で通達し、彼らを完全に切り捨てた。一方、65万人以上ものシリア難民を抱え、経済、安全保障の両面で負担を強いられてきたヨルダンは、2017年末頃から、反体制派にナスィーブ国境通行所(ダルアー県)をシリア政府に引き渡すよう求めるようになっていた。シリア政府と関係を修復し、難民を帰還させる経路を確保するのがその狙いだった。南西部で戦闘が激化すると、同国は国境を封鎖し、避難してきた住民と反体制派の入国を阻止した。
欧米諸国、アラブ湾岸諸国、そしてトルコは、シリア・ロシア両軍の容赦のない攻撃に無関心を装った。これらの国のメディアも、南西部の惨状を報じることはほとんどなかった。
行き場を失った反体制派はなす術を失い、7月6日にはUNESCO(国連教育科学文化機関)世界文化遺産のローマ劇場を擁するブスラー・シャーム市、7日にはナスィーブ国境通行所、9日にはダルアー県のヨルダン国境全域、そして12日にはダルアー市中心街をシリア軍に明け渡した。
シリアの主要メディアは、解放を祝う市民の映像を連日配信した。独裁への忠誠を強要されているだけ――市民の歓喜をそう解釈することも可能だろう。だが、彼らの多くは、反体制派支配地域の無政府状態のなかで、自由と尊厳を享受しているフリをする一方、公務員のなかには、定期的にシリア政府から給与を受け取り続ける者もいた。市民は紛争における最大の被害者だが、同時に賢く、また強くもある。
英国を拠点とする反体制NGOのシリア人権監視団は、ダルアー市が陥落するまでの約20日間で住民130人以上が死亡し、30万人近くがヨルダン国境地帯に避難したと発表した。だが、シリア軍に対する非難の声が盛り上がりを欠くなか、お茶を濁すかのように、避難民のほとんどがシリア政府によって制圧された町や村に帰還したと追加発表した。
シリア軍が進駐したナスィーブ国境通行所(出所:SANA, July 7, 2018)
シリア南西部の勢力図――赤はシリア政府、緑は反体制派、黒はイスラーム国、紫はイスラエル(出所:https://syria.liveuamap.com/、2018年7月13日)
■越境攻撃を頻発化させるイスラエルの狙い
シリア軍の勝利を陰で支えた国がもう一つあった。イスラエルだ。
イスラエルは南西部でのシリア政府の支配回復に最後まで難色を示していた。その理由は、人道的な立場からシリア軍の攻撃を憂慮していたからではない。シリア政府の勢力伸長が「イランの部隊」の南西部への浸透を伴うことに脅威を抱いていたためだ。
「イランの部隊」とは、シリア政府側が「同盟部隊」(あるいは「同盟者部隊」)と呼ぶ勢力で、イラン・イスラーム革命防衛隊(そしてその精鋭部隊であるゴドス軍団)、同部隊が支援するレバノンのヒズブッラー、イラクの人民動員隊、アフガン人の民兵組織ファーティミーユーン旅団、パキスタン人の民兵組織ザイナビーユーン旅団などを指す。「シーア派民兵」と称されることもある。
「イランの部隊」を含む民兵のエンブレム(出所: FSA News, November 2, 2016)
南西部が緊張緩和地帯に指定されると、イスラエルは、ゴラン高原から40キロ以内の地域に「安全ベルト」を設置し、同地から「イランの部隊」を排除するべきだと主張するようになった。同時に、シリア領内に点在する「イランの部隊」の拠点(とされる施設)への爆撃やミサイル攻撃を繰り返した。イランの無人航空機の強行偵察に端を発するタイフール航空基地(T4航空基地、ヒムス県)への爆撃(2018年2月10日)、イラン・イスラーム革命防衛隊によるゴラン高原砲撃への報復としてのダマスカス郊外県各所への爆撃(5月10日)は記憶に新しい(拙稿「シリアへの越境攻撃を再び頻発化させるイスラエルの狙いとは?」Yahoo! New Japan個人を参照)。
イスラエルにとって、シリア政府による南西部奪還は「イランの部隊」の脅威が軽減するか、脅威に対抗するためのフリーハンドを得ることなくしては認めることなどできなかった。イスラエルが「安全ベルト」だけでなく、シリア全土からのイランの撤退さえも主張したのはそのためだった。
こうしたイスラエルの懸念を払拭しようとしたのが、他ならぬロシアだった。モスクワで7月11日に行われたベンジャミン・ネタニヤフ首相との会談で、ヴラジミール・プーチン大統領は、シリア領内での「イランの部隊」を主たる標的としたイスラエルの軍事作戦を(今後も)黙認するとともに、ゴラン高原に設定されている兵力引き離し地帯(1974年に設置)の維持を確約した。ネタニヤフ首相は、これに応えるかたちで南西部でのシリア軍の攻勢に青信号を出したのだ。
なお、ロシアは、この取引と並行して、イラン、ヨルダンと「白紙合意」と称される合意を交わしたとされる。その内容は「安全ベルト」(兵力引き離し地帯から45キロ以内の地域)からイランが撤退することの見返りとして、米軍もタンフ国境通行所から撤退するというものだ。
こうした取引や合意を通じて、ロシア、そしてシリア政府やイランは、イスラエルに譲歩したようにも見える。だが、「イランの部隊」とは捉えどころのない曖昧な存在で、その撤退の有無を確認するなどそもそもできない。言い換えると、撤退合意がなされたとしても、イスラエルと米国はイランの脅威を主張し続けられるし、シリアとイランは、その存在をちらつかせて心理戦を挑むことができるのだ。
5月9日にダルアー県の国境地帯を掌握したシリア軍は、ロシア軍とともにシャーム解放委員会が活動を続ける「死の三角地帯」(ダマスカス郊外県、クナイトラ県、ダルアー県の県境一帯)や、ハーリド・ブン・ワリード軍支配下のヤルムーク川河畔地域への爆撃・砲撃を激化させ、ゴラン高原に向けて進軍を続けた。
イスラエル軍は7月11日と13日、シリア軍の無人航空機がゴラン高原上空を「侵犯」したとして、パトリオット・ミサイルで撃破、クナイトラ県のシリア軍拠点複数カ所を爆撃した。だが、実質的な報復は、シリア軍ではなく「イランの部隊」に向けられた。
イスラエルは15日、アレッポ市東部のナイラブ航空基地近郊にあるイラン・イスラーム革命防衛隊の拠点とされる標的をミサイル攻撃したのだ。こうした行動は、イランの脅威に対するイスラエルの断固たる姿勢を示しているように見える。だが、実際には、ゴラン高原から500キロ以上も離れた無関係な場所を狙うことで、シリア軍の進軍を黙認したようなものだった。
イスラエル軍がシリア軍の無人航空機を撃墜する映像(出所:https://twitter.com/AvichayAdraee/, July 11, 2018)
それだけはなかった。イスラエルはこれまで、負傷した戦闘員の国内への搬送や治療のほか、武器弾薬の供与を通じて反体制派を支援していた。だが、今回は、シリアからの難民流入を拒否すると強調することで、反体制派に対する門戸を閉ざした。イスラエルは、反体制派の退路を奪うことで、彼らにシリア政府と停戦するよう迫っているかのようだった。なぜなら、シリア軍と反体制派の全面軍事衝突を回避することが兵力引き離し地帯を維持し、シリア軍、さらには「イランの部隊」の浸透を抑止するうえで有効だったからだ。
シリア軍の進攻を受けて、3,000人からなる避難民が兵力引き離し地帯に殺到し、イスラエルへの入国を求めているとの情報が流れた。だが、欧米諸国の政府やメディアはまたしてもこの事実を大きく取り上げることはなかった。
■アラブ・イスラエル紛争のロジックへの回帰
イスラエルは、シリアへの越境攻撃を繰り返すたびに、シリアの内政に干渉しないと強調している。だが、イスラエルは南西部の戦況にこれまでになく深く関与することで、シリア内戦に新たなパラダイムへの転換、ないしは古いパラダイムへの回帰をもたらそうとしている。
その古くて新しいパラダイムとは、アラブ・イスラエル紛争のロジックに他ならない。
シリア情勢においてイスラエルがプレゼンスを増すことは、シリア内戦における諸々のアジェンダを、失地回復(占領)やレジスタンス(テロ)といったアラブ・イスラエル紛争の大義のなかに埋没させることにつながる。そこでは、自由、尊厳、独裁打倒、人道尊重、主権尊重、化学兵器使用抑止、テロ撲滅といった理念は、もはや意味をなさない。アラブ・イスラエル紛争の当事者たちにとって、政治・軍事闘争を続けること自体が目的だからだ。
こうした古くて新しいパラダイムのなかで、少なくとも確実に言えるのは、イスラエルや米国にとって、シリア政府が、際限のない闘争のゲームを続けるうえで、イラン、ヒズブッラー、反体制派よりも「分をわきまえた敵」だということだ。また、シリア政府にとっても、イスラエルは「アラブの春」以来、シリアが向き合ってきたさまざまな問題を棚上げにする口実を与えてくれる「都合の良い敵」なのだ。
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