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2024年7月25日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/342490?rct=national
相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件は、26日で発生8年となる。19歳だった美帆さんを入所の4カ月後に奪われた母親(60)の悲しみと後悔は、同じように家族を亡くした人たちが和らげてくれた。だから今度は、娘を語ることで周りに愛を伝えたい。その先に差別のない、誰にでも優しい社会があると信じるから。(米田怜央)
◆消えない悲しみ「お化けでも幽霊でも会いたい」
美帆さんの6畳の部屋は片付けていない。机にお気に入りのおもちゃが入ったまま。幼い頃からの写真も並ぶ。「悲しみは消えない。1分でも1秒でも、お化けでも幽霊でも会いたい」
音に敏感で、よく泣く子だった。3歳で重度の自閉症と診断された。母親に障害の知識はなく、必死に本で学んだ。年子の兄も抱える生活は多忙で、夜中もてんかんの発作があった。母親に自分の時間はなく「何のために生きているんだろう」と思う時もあった。
でも、かわいかった。音楽が好きで「いきものがかり」の曲に合わせて踊った。兄の分の唐揚げまで食べるような家での姿と対照的に、外に出ればしっかり者。プールに行きたい時は水着に着替え、車の鍵を手に取った。会話はできなくても、意思表示ははっきりしていた。
◆多くの学びをくれた「先生」だった娘
「他人のできないところではなく、良いところを見つけるのが上手になった」と母親は自分を振り返る。美帆さんは、多くの学びをくれる「先生」だった。
特別支援学校の中等部の頃、家庭の事情が重なり、罪悪感でいっぱいになりながら入所施設へ預けた。2016年春、津久井やまゆり園へ。最後に面会したのは事件の2日前だった。翌週の納涼祭を楽しみに別れた。美帆さんは、いつものように腰の辺りで手を振っていた。
◆「泣いていいんだよ」話さなくても分かってもらえた
7月26日朝、ニュースで事件を知って園に駆けつけた。名簿をたどると、美帆さんの欄に×印があった。亡くなったことを示していた。「私が預けなければ」。後悔と悲しみがあふれ「美帆のところへ行きたい」と思う日が続いた。
支えてくれたのは、事故や災害に家族を奪われた人たちだった。知人を通じて日航ジャンボ機墜落事故の遺族と知り合い、2018年に御巣鷹山(群馬県上野村)へ一緒に登った。美帆さんと同世代の娘を失った東日本大震災の遺族とも出会った。「泣いていいんだよ」「何かあったら連絡して」。話さなくても、気持ちを分かってもらえた。
◆同じ事件起こらないよう、変えていきたい
少しずつ前を向けるようになり「周りに恩返しを」と思うようになった。請われれば、福祉関係者らに美帆さんや事件について講演した。人前は苦手。悲しくて涙が出る。それでも続ける。ある講演の後、母親とけんかをしたという高校生が「産んでくれてありがとうと伝えます」と声をかけてきた。「同じような事件が起きないよう、周りから変えていきたい」と願う。
事件を起こした元園職員の植松聖死刑囚(34)は「意思疎通のできない障害者は不幸を生む」と差別発言を繰り返した。裁判を経ても、なぜそんな考えになったのか分からない。障害者への虐待や差別が後を絶たない。事件を思い出したくはないが、忘れられることは怖い。だから「障害者は不幸をつくらない」と伝え続けている。
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相模原殺傷事件 2016年7月26日未明、相模原市緑区の知的障害者施設、神奈川県立「津久井やまゆり園」に元職員の植松聖死刑囚が侵入し、入所者19人を殺害、職員2人を含む26人に重軽傷を負わせた。横浜地裁の裁判員裁判で2020年3月、死刑判決が言い渡された。弁護人の控訴を自ら取り下げ、死刑が確定。2022年4月に再審請求し、横浜地裁は2023年4月に棄却する決定を出した。
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- やまゆり園障害者殺傷事件の植松聖死刑囚が獄中結婚、相手は障害を持つ女性「私にはもったいない美人」 メモノート 2024/12/02 21:56:42
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