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2024年6月8日 12時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/332239?rct=tokuhou
埼玉県郊外で高齢の夫婦が、難民申請中のアフリカの男性と一緒に暮らしている。男性は生活するためのさまざまな権利を奪われる仮放免の状態にある。「俺の背中をかいてくれたら、君の背中もかいてあげよう」。体の不自由な夫婦はそう言って、男性を迎え入れた。「血はつながっていなくても家族」というほどうち解けたが、10日施行される改正入管難民法により、男性には強制送還の危機が迫っている。(森本智之)
◆暮らし楽しく「死ぬのがちょっと惜しくなった」
埼玉県桶川市。駅に近い線路沿いの一軒家で、伏見功さん(82)、美恵子さん(77)が、東アフリカ出身のピエールさん(50代、仮名)と暮らし始めたのは昨年9月だった。
功さんは病気で左半身にまひがあり、美恵子さんには交通事故の後遺症が残る。周囲は「うまくいくだろうか」と気をもんだが、ピエールさんは2人の生活を助けるだけでなく、日本語に英語を交え、大切な話し相手になった。
「ヨタヨタと歩く私に歩調を合わせてくれる人」と美恵子さんは評し、功さんは「度量が広くユーモアもある。彼に会って、死ぬのがちょっと惜しくなりましたね」と笑った。
◆ピエールさんは「仮放免」…日本政府が難民と認めず
ピエールさんの母国では民族対立による内戦が長く続いていた。精神科医を目指して学んでいたが、対立する民族に自宅を襲われて父は殺害され、避難の途中に息子も亡くした。2004年、日本に逃れてきた。
だが難民として認められず、出入国管理庁の施設での収容生活を経て、07年からは仮放免の状態にある。
どんぐり眼に穏やかな笑顔が印象的なピエールさんは日本に来て、ずっと1人で暮らしてきた。「家族ができてうれしい。お父さんは真っすぐな人。亡くなったお父さんもそうだった」とうなずく。
◆働けず、都道府県またいだ移動もできず…厳しい制約
仮放免は「おりのない監獄」と呼ばれる。就労は許されず、許可なく都道府県をまたいだ移動もできない。生活保護や健康保険など社会保障の網からも漏れる。「収容所よりはマシ」(別の仮放免の男性)という状況にすぎない。自力で生活できないので、支援者に頼って生きていかざるを得ない。この生活は、難民として認められ、在留資格が得られれば、終わる。ただそれがいつになるかは分からない。
ピエールさんも支援者の助けを得て東京・大井町の「床が抜けそうな古い家」で20年近く暮らしてきた。ところが、昨年、急に取り壊しが決まり、途方に暮れていた。
◆「お互いに助け合え、支援にもなる」
そこに支援団体を通じて伏見さん側から同居の提案があった。都内で暮らす長女の操さん(54)は、入管施設で収容中に死亡したスリランカ人女性の問題から仮放免者の追い詰められた境遇を知り、「実家で暮らす両親と一緒に住んでもらえば、お互いに助け合え、支援にもなるのではないか」と思い付いた。
思い切った提案だった。ピエールさんを支援してきた難民自立支援ネットワークの理事長、小林麻里さんは「仮放免の外国人が最初にぶち当たるのが住宅の問題。先の見えない支援は負担が大きく、日本人の支援者とトラブルになるケースがある」と懸念が頭をよぎった。実際、暮らし始めた当初は生活習慣上の擦れ違いがあったが、間もなくうち解けた。
東京の下町で生まれ育ち、娘から「口の悪い毒蝮三太夫」とちゃかされるほど正直で裏表のない功さんと「人の話を良く聞く」ピエールさん。不思議なほどウマが合い「かなり珍しい共同生活」(小林さん)は9カ月を迎えた。
◆「両親はものすごく穏やかになった」 新しい夢も
3人の生活が始まって、功さんには夢ができた。中華料理店を再び開くことである。
中学卒業後、中華の料理人になった。趣味の語学学習が高じ、40歳を前に、英語講師に商売を替えたが、自宅では包丁を握った。
しかしその後、状況が変わった。20年ほど前に妻の美恵子さんが交通事故に遭い、数年後には功さんが病魔にむしばまれた。不自由な生活に夫婦のいさかいも増えた。ピエールさんはその間に入っていった。
長女の操さんは「両親は私と話してもすぐけんかになっていたけど、彼はじっくりと話を聞いてくれる。両親はものすごく穏やかになった」と驚く。
半身まひの影響でむくみやすい功さんの足を毎晩マッサージし、功さんに教わって、代わりに台所に立つようになった。「ラーメンも食べたことがなかった」というが、期待に応えるように腕を磨いていった。
「お父さんに教わるのが楽しい」と言うピエールさんを前に、功さんは「いつかもう一度自分で麺を打ちたい。この体ですから1人は無理ですけど、彼がいれば」と話した。
◆難民認定をせず「送還」に傾く日本政府
今月10日施行の改正入管難民法は、そんな生活を一変させかねない。
日本の難民認定率は他国と比べて著しく低い。ピエールさんのように在留資格を得られないまま、何度も申請を繰り返している人も多い。国はこの状況を問題視。難民申請中の人は送還しないという現在の規定を改め、3回目以降の申請者は送還できるようになる。
ピエールさんは現在3回目の申請中で結果を待っている状態にある。難民支援に長く携わる渡辺彰悟弁護士は「国はピエールさんのように難民認定されるべき人を認定せず、『送還忌避者』と呼んで、無理に帰らせようとしている。仮放免者への締め付けはさらに強くなる」と批判する。
◆仮放免者支援への家賃支援「あと何年持つかな」
一方でコロナ禍以後、生活に困窮する仮放免者が増えている。密を回避するため、入管の施設収容から仮放免に切り替えられ、多くの人が収容所の外で暮らすようになったからだ。
困窮の度合いは深刻で、生活困窮者を支援する団体などが昨年、「仮放免者の5人に1人が路上生活を経験した」との調査結果を公表した。
調査に加わった「つくろい東京ファンド」が現在確保する55部屋のシェルターのうち、11部屋で外国人が暮らす。他に自前で部屋を借りている外国人らへの家賃支援は、これまでに1000万円近くに上る。生活保護を受けられず、収入の手段もない仮放免者への支援は全額、支援団体の持ち出しだ。
同ファンドの大沢優真さんは「既に限界に近い状況で、他の団体の人と『あと何年持つかな』と話すことがある。半分冗談、でも半分は本気です」
◆「居なくてはならない大切な人なんです」
国連の自由権規約委員会は22年、仮放免者の置かれた状況に触れ、「収入の手段を与えるべきだ」と日本政府に勧告した。だが、国のしていることは真逆のように見える。
「居なくてはならない大切な人なんです」。伏見さん夫婦は改正法施行を控えた今年5月、法相あてに難民認定を求める嘆願書を提出した。長女の操さんは知人らを通じて集めた約2500人の署名を添えた。
功さんは直後、仮放免の更新のため入管に出頭したピエールさんに車いすで付き添い、職員にも直接気持ちを伝えた。「この次もついて行きます。彼がいてくれるおかげで体調も良くなった。リハビリも頑張って、彼が必要だということを自分の体で証明したい」
夫婦はピエールさんを養子にするつもりという。
◆デスクメモ
伏見さん夫婦とピエールさんの温かな間柄。そこばかりに目を奪われてはいけない。仮放免者が民間の支えなくして生活できないのは異常でしかない。それなのに国は強制送還のハードルまで下げる。歯止めをかけようにも仮放免者の立場は弱い。だからこそともに声を上げねばと思う。(榊)
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