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昭和歌謡前期は「おいら]や「おらぁ」が後期には「おれは」となったには何か意味があるか?
♪おいらのなおいらのー胸が…/春日八郎 や
♪おいらはドラマー ヤクザなドラマー/裕次郎
がやがて
♪おれは待ってるぜー/裕次郎 や
♪霧笛がおれを呼んでいる/赤木圭一郎
となったには、男どもの心情が「近代自我」に目覚めたのではなかろうか。
「おいら」の語感には一歩下がった下から目線が感じられる。一方「おれは」は一歩踏み出した中目線が感じられるが、いかがであろうか。
ロマンロラン「魅せられたる魂」には主人公の女性が敢然と頭(顔)を上げて街を闊歩する情景が何度も出てくる。
「チボー家の人々」ではジャックの兄アントワーヌが反戦ビラを飛行機から撒いていて墜落死するという場面も出てくる。国家が起こす戦争に敢然と立ち向かう個人の自我の台頭が感じられる(ジャックにも自我の目覚めを感じる)。
この頃、欧州では「近代自我の確立」があったと見られる。
日本は、これより半世紀以上の歳月をかけて同様の歴史局面を迎えたのではないか?
(以上、一仮説である)
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