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天皇誕生日の記者会見に思う http://kenpo9.com/archives/4671 2018-12-23 天木直人のブログ きょう12月23日は天皇陛下の85歳の誕生日であるとともに、 天皇陛下として迎えられる最後の誕生日だ。 その歴史的誕生日にあわせて天皇陛下が記者会見に臨まれた。 その全文がきょうの各紙に掲載され、そしてNHKの朝7時のニュー スを皮切りに、テレビがその一部を画像で放映した。 その内容は2年前のお言葉よりもさらに強い平和の思いが語られていた。 時折声をつまらせて語る姿は、あのお言葉の時よりさらに強いメッセー ジ性があった。 しかし、私の頭によぎったのは、やはり安倍政権と天皇陛下の関係だ。 ここに至るまでの、国民には知らされていない、安倍政権と天皇側のやり 取りがあったに違いない。 まずあのお言葉と今度の記者会見の違いだ。 私の記憶が正しければ、2年前のお言葉は、記者会見ではなく天皇陛下がみずから生前退位を望まれ、 その意思を国民に伝えて了解を得たいという思いから行われたものだ。 安倍政権はそれにあわて、以来安倍政権と宮内庁の関係は緊張したものになった。 宮内庁の人事が一新され、宮内庁は安倍政権寄りで固められた。 その一方で天皇家の安倍政権に対する見えない抵抗は続いた。 安倍政権に面従腹背する天皇側に立つ宮内庁職員も少なからずいると報道されもした。 今度の記者会見は、まさしくそのような安倍政権と天皇側のせめぎ合いの結果として行われたものに違いない。 つまり、安倍政権としては天皇陛下が好き勝手に自分の思いを語られては困るのだ。 だから2年前のお言葉とは違って、記者が質問したから天皇陛が答えた という受け身の形にしたのだ。 もっともこの形にしたのには、もう一つの理由がある。 つまり天皇陛下の政治的発言の封印だ。 そして、それについては天皇側も異論はない。 憲法に違反する形で天皇陛下がその意思を発言されるのは、やはり好ましくない。 あの言葉一度だけにとどめたいという配慮が働いてもおかしくはない。 だから記者会見の形式は双方が一致した結果だともいえる。 しかし、その内容は安倍政権にとって厳しいものだ。 沖縄への言及は、民意に反して土砂投入を強行した安倍政権批判と受け 止められるものだ。 この安倍政権と天皇のせめぎ合いは4月30日の退位まで続くだろう。 「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」(憲法第一条)である天皇陛下の 意に逆らう政策を強行し続ける安倍首相は、それだけで首相失格だ。 自らを恥じ、国民に詫びて即刻退陣すべきであると思う(了)
「紛争やテロの犠牲・・・心痛む」天皇誕生日会見全文1(18/12/23) ※6:42〜 沖縄への思い 再生開始位置設定済み 「天皇としての旅終えようと・・・」 陛下の会見全文2(18/12/23) 天皇陛下の記者会見 全文 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757541000.html 2018年12月23日 1時10分 NHK (宮内記者会代表質問) 天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。 (天皇陛下) この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。 新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。 ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。 天皇の望ましい在り方を求める日々 今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。 第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。 しかし、その後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。 戦後の道のり 以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。 終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。 昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。 平成に起きた災害 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。 ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。 障害を抱える人に 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。 障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。 海外と日本 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。 そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。 日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。 また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。 皇后陛下 明年4月に結婚60年を迎えます。 結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。 そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。 今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。 |
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