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ツルを伸ばしたカボチャがトラックにひかれる“因果応報” 安倍政権が推進 アブない道徳教育
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242045
2018/11/21 日刊ゲンダイ
カボチャが大泣きする衝撃の結末(C)日刊ゲンダイ 「礼儀正しい挨拶のしかた」と同じく、小学校低学年の教科書には「かぼちゃのつる」がある。文科省の検定を受けて使用されている小学校教科書は8社から出ているのだが、なんとこの読み物は全社がそろって載せている。よほどいい話なのか? とんでもない。バカバカしくなるくらいくだらない内容だ。カボチャが擬人化され、自分勝手にツルを伸ばして周囲に迷惑をかけた末、道路にまで達してトラックにひかれて「いたいよう、いたいよう。ああん、ああん。」と泣きを見る羽目になる。極めて単純な因果応報ばなしなのである。わがままを通すと痛い目に遭うよ、と教えたいのだろう。 これじゃ、まるで「悪いことすると怖い人が来るよ」と子どもを脅しているようなものではないか。小学校の授業なのだから、自分のわがままを通すことと他人に迷惑をかけることとの間をどう調整し、うまく折り合いをつけるかについて考え、議論する展開にしなくちゃ。そこで初めて、わがままをどれくらい我慢すべきか、逆に他人のわがままな行為をどこまで許せるかを自問する深い思考が生まれる。 そもそも植物を擬人化するのに無理がある。動物なら、まだしも意思というものを感じさせもしようが、植物はツルを伸ばすのも、それをどの方面に向けるのも、自然の摂理に従っているだけだ。しかも、文科省が学習指導要領で定めた同じ低学年の指導内容に「身近な自然に親しみ、動植物に優しい心で接する」というのがある。「動植物の飼育栽培などを経験し自然や動植物などと直接触れたりすることを通して、それらに対するやさしい心を養うことが求められる」とされている。明らかな矛盾だ。植物を栽培すれば、ツルを伸ばすのが「わがまま」なんて思えないはずだ。 このように、学習指導要領が求める指導内容を細切れに一つ一つの読み物内部で完結させていくと、二律背反が生じる。わがままなカボチャが世の中から制裁を受け、ツルを切断される話の一方で、朝顔を大切に世話して成長を喜び、生命の大切さを強調する話があるのでは、子どもたちは混乱してしまう。子どもの心を部分部分で育むのでなく、さまざまな場面を考え、議論する中で総体として豊かなものにしていくという発想が全く感じられない。 読み物教材で教訓を与えるというやり方が、そもそも子どもの心を育てることになじまないのである。教訓読み物は、必ずひとつの結末に読者を導く。わがままが許される場合もある、とはならない。これでは、どうしても押しつけになる。(つづく) 寺脇研 京都造形芸術大学客員教授 1952年、福岡市生まれ。ラ・サール中高、東大法学部を経て、75年に文部省(当時)入省。初等中等教育局職業教育課長、大臣官房審議官、文化庁文化部長などを歴任し、2006年に退官。ゆとり教育の旗振り役を務め、“ミスター文部省”と呼ばれた。「危ない危ない『道徳教科書』」など著書多数。
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