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「自己責任論」は権力の〈ジャーナリズム弱体化〉の罠?
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2018/11/18/post-2146.html
サンデー毎日 2018年11月18日号
牧太郎の青い空白い雲/693
シリアで武装勢力に拘束されていたフリージャーナリスト安田純平さんが解放され帰国した。良かった。
でも、例の「自己責任論」が吹き荒れている。
〈あなたを助けるためにかかった諸々(もろもろ)の費用はすべて負担してくださいね〉
〈無精ヒゲ剃(そ)らずに捕虜生活大変でしたアピールか? 帰国しなくて結構ですけど?〉
〈行くなと言われている場所に自己責任で行った結果でしょ?〉
ネットの「自己責任論派」はいささか品がないが、要するに「日本政府が救出にかかった費用を安田さんに請求すべきだ」というのが、彼らの主張らしい。
今回はシリア人権監視団のアブドルラフマン代表が「カタール政府が武装集団に多額の身代金を払った」と公言。その額は、300万ドル(約3億3000万円)といわれている。
邦人を助けてもらった日本政府は官房機密費から支払うべきなのか―も議論になっている。
× × ×
そもそも「自己責任論」が登場したのは、2004年、イラクで邦人3人が人質になった事件。現地でボランティア活動を行っていた高遠菜穂子さんが解放後「今後も活動を続けたい」と語ったことに、当時の小泉純一郎首相が「寝食忘れて救出に尽くしたのに、よくもそんなことが言えるな!」と激高。当時の安倍晋三自民党幹事長は人質が解放された翌日の会見で「山の遭難では救出費用を遭難者に請求することもある」と発言した。安倍首相は当時「自己責任論」の急先鋒(きゅうせんぽう)だった。
× × ×
その一方「安田さん英雄論」も存在する。テレビ朝日解説委員の玉川徹さんは10月24日の「羽鳥慎一モーニングショー」で「英雄として迎えないでどうするんですか!」と声を上げた。
〈ジャーナリストは何のためにいるんだ。民主主義を守るためにいるんですよ。民主主義といっても国や企業で権力を持っている人たちは、自分たちの都合のいいようにやって隠したいんですよ。隠されているものを暴かない限り、私たち国民は正確なジャッジができないんです。それには情報がいるんですよ。その情報をとってくる人たちが絶対に必要で、ジャーナリストはそれをやっているんです。フリーのジャーナリストは命を懸けてやっているんです〉
一理ある。
企業に属する新聞、テレビの記者は戦場に行かない。フリージャーナリストだけが、命懸けで取材している。国民の「知る権利」のために紛争地の最前線に向かう。海外では称賛されるのだが......日本では、なぜか武装勢力ではなく、被害者に矛先を向ける。
× × ×
この議論を聞きながら、僕は『新潮45』の休刊のことを思い出していた。【『新潮45』騒動。新潮社の社長は、なぜ「休刊」にしたの?】(10月14日号)で、雑誌業界の裏側にも触れたが、雑誌人がこれほど弱体化したのか? 今でも驚いている。
1997年の「神戸の酒鬼薔薇事件」。新潮社は『FOCUS』で犯人の少年の顔写真を掲載して、猛烈な批判を受けた。『FOCUS』だけではなく、犯人の写真に目線を入れ掲載した『週刊新潮』まで発売中止に追い込まれた。でも「休刊」にしなかった。この時、新潮社は(重役に『週刊新潮』元編集長らがいたこともあり)頑張った。酒鬼薔薇事件は少年の「非行」なのか? 「凶悪犯罪」なのか? それを言い続けた。
連続射殺魔・永山則夫事件、浅沼稲次郎暗殺事件の時も「これは少年法の範疇(はんちゅう)ではない」と判断した新聞、テレビも顔写真を出し、実名報道したではないか?
それが、今回、いとも簡単に「休刊」を選んだ。"体たらく"である。これは「右寄り」「左寄り」とは無関係である。言論、表現は自由である。
ノンフィクション作家から「舞台」を奪った雑誌人。僕は、ジャーナリズムの弱体化を痛感する。
今回の「自己責任論」と『新潮45』休刊の陰には同じような取材活動の弱体化を狙う「国家権力の罠(わな)」を感じてならないのだ。
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