http://www.asyura2.com/18/senkyo251/msg/630.html
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https://twitter.com/fuma_ringo/status/1046897905146056704
この記事は、主張は主観的だが心に来るものがありました。
あまり関係ないかもしれないですが、男にとってのプライドとは、人間の尊厳とは。考えさせられました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57768
そして、キーマンが明かした今後の課題
石戸 諭記者・ノンフィクションライター
翁長雄志・前沖縄県知事の急逝を受けて行われた沖縄県知事選は、翁長氏の後継・玉城デニー氏の圧勝で幕を閉じた。この勝利に翁長氏の死が大きく影響していたことは間違いない。
しかしそれは、単純な「弔い選挙」で片付けられる話ではない。翁長氏の死によって、これまで眠っていた沖縄県民の怒り――「沖縄をなめてはいけない」――が呼び覚まされ、今回の大勝に結びついたと考えられるからだ。翁長氏の死は、一つのきっかけだった。
一方で、さっそく玉城陣営=「オール沖縄」の課題も見え始めている。翁長氏の遺志のもとに集った人々は、本当に結束を続けられるか――玉城陣営で尽力した沖縄財界のキーマン、呉屋守将・金秀グループ会長の言葉からはそんな心配が透けて見えた。
ノンフィクションライター・石戸諭氏による、本土と沖縄の「これから」を考えるための選挙ルポルタージュ。
第一回 「翁長君は誤解されている」元知事が明かす沖縄、不条理の正体
第二回 なぜ沖縄県知事選の世論調査は「あてにならない」と言われるのか
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■異例の「ポスター貼り替え」の意味
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圧倒的な勝利を収めた玉城デニー陣営のポスターが慌ただしく張り替えられたのは、選挙戦も終盤にさしかかろうとする時期だった。
9月30日の投開票を前に、しかも勝者となる陣営が選挙期間中にポスターを差し替えるというのは極めて異例のことである。
他の選挙ではほとんど聞いたことがない上、さらに新たに作成されたポスターも異例としか言いようがないものだった。
初期のキャッチフレーズ「新時代沖縄 NEW ERA OKINAWA」を引っ込め、「翁長知事の遺志を引き継ぐ」を新たなキャッチフレーズとして採用し、演説する在りし日の翁長雄志の姿が玉城の右肩に印刷された。
任期途中の8月に急逝した翁長の後継者であることを強調した、事実上「死者」との二連ポスターである。
貼り替えられたポスター〔PHOTO〕著者撮影
異例はまだまだ続く。ポスター張り替えを嫌がる声が陣営で上がらなかったことだ。
政権与党の全面バックアップを受けた、佐喜真淳陣営が選挙事務所を構えたのは、那覇市のメインストリート。中をのぞくと、全国から動員された関係者がきれいに区分けされた机に張り付き、1日中電話をかけ続けるグループがいる。
対する玉城陣営はどうかといえば、那覇市の外れ、道路に面した場所すら事務所として確保できず、路地を一本入ったところにひっそりと事務所を構えていた。ボランティアが狭いスペースを分け合い、ある人は電話をかけ、あるグループはビラを整理する。
単純な人手の数ときれいに役割分担された事務所内外での活動を組織力と呼ぶならば、その差は歴然としていた。
普通であれば、ポスターを張り替えるのは労力も手間もかかる。限られた人数であればなおのこと、不満の声が出るのが道理だ。
ところが、玉城陣営に集った人々はむしろ喜んだ。「これを待っていた」「翁長さんの遺志を継ぐってもっと言ってほしいんだ」。
陣営幹部は取材に一段と声を張り上げて、こう語るのだ。
《選挙戦の期間中に、これしかないと思って切り替えた。9月22日にあった総決起集会。そこで(翁長の妻)樹子(みきこ)さんが壇上に立って訴えたんです。
誰一人、席を立とうとしなかったのを見て、戦略を切り替える時だと思った。翁長知事がずっと言ってきた「辺野古に新しい基地を作らせない」「ウチナンチュのことはウチナンチュが決める」「イデオロギーよりアイデンティティ」……。
翁長さんの遺志を継ぐ。これが方針になり、きょうで結果も出た。》
「玉城デニー」という候補以上に、「翁長」が前面に出てくる。選挙戦の主役は名実ともに急逝した「翁長」、より正確にいえば翁長という死者の遺志=「幽霊」になっていた。
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■崩壊寸前、のところから
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翁長がまとめ上げたオール沖縄は、あと一歩で崩壊寸前のところまで追い込まれていた。
少しばかり歴史を振り返ってみよう。自民党沖縄県連の雄だった翁長が普天間飛行場の辺野古移転を巡って反対を打ち出したのが2014年の県知事選だった。
自民党の支持基盤だった経済界の一部、そして革新陣営を巻き込む形で知事選を圧倒的な票差で勝利した。
沖縄で続いた保守・革新の対立に終止符を打ち「オール沖縄」で戦う。これが翁長らを支えたストーリーだった。ところが、この選挙をピークに翁長を支えたオール沖縄はジリ貧の戦いを強いられることになる。
勢いには徐々に陰りがでて、辺野古移設が「唯一の解決策」「粛々と進める」という安倍政権の交渉術を前に手詰まり感が出てきた。政府はさらに沖縄振興予算の減額という揺さぶりをかける。
2018年に入ってからも、絶対に落とせないと言われた名護市長選で、自民・公明が推す候補に敗れた。内部からも「我慢の限界」とばかりに飛び出す人たちもでてきた。
前回知事選と同じ枠組みで戦うことすらできず、もはや打つ手なし。オール沖縄の二期目は厳しいという見方が強まっていた。取材を重ねていた地元紙記者の分析を聞いてみよう。
《争点となった辺野古移設問題で革新系の候補ならいざしらず、バリバリの自民党出身で沖縄の政治を知り尽くしている翁長さんが知事に就任したことが政府は相当、嫌だったのでしょう。
なんとしても、二期目は防ぎたい。
オール沖縄も亀裂が入りかかっていましたから、これは自民・公明・維新のブロックで勝てると思っていたでしょう。成功体験となった名護市長選と同じように戦えばいけると踏んでいた。》
大きな誤算が生じたのが、すい臓がんで闘病を続けていた翁長が迎えた突然の死、そして後継について語っていた音声データの存在だった。
翁長前知事〔PHOTO〕Gettyimages
《翁長さんの死は……。こういうと語弊があるかもしれませんが、あまりに劇的でした。多くの県民の心を打った。基地問題で国と最後まで対峙して、沖縄のために働き闘病していた。このことは思想信条を超えて誰もが批判できないことです。》
彼は左手の人差し指を突き立て、振り子に見立てながら左右に指を傾ける。
《8月8日で県民の意識は変わった。もうオール沖縄路線ではダメかもと、政府側に振りかけた振り子がもう一度、翁長さんのほうに振れてきた。》
語りながら指はゆっくりと右側へ軌道を描き、急なスピードで左に動いていた。
ひとつの事実として、対立候補で自民・公明が擁立した佐喜真淳氏も、翁長氏の名前をあげての批判は慎重に避けていたことを記しておく。掲げたキャッチフレーズ「対立から対話へ」も、誰が対立していたのかは明確には口にしない。せいぜい「この4年で(辺野古移設問題を巡る国との)法廷闘争に明け暮れていた」と言ったくらいである。
内部分裂の火種になりかねない後継争いも翁長自身が終止符を打った。音声データの中で名前が上がったとされる一人が玉城デニーだったことには多くのメディア関係者も驚き、そして政治的に納得する一手だったと唸ることになる。
長く沖縄政界を取材してきた地元紙幹部の証言――。
《玉城さんの名前を聞いた時には驚きました。あっ、その手があったんだと。正直、僕はまったく想定しないなかった。候補とも考えていなかったですね。
確かに、考えてみれば戦後の沖縄の歴史を体現するような人なのです。米軍兵士の父と沖縄の母の間に生まれ、沖縄で生きてきた。しかも明るい性格で、国政選挙もしっかり勝ち抜いてきている。革新色も薄く、この人ならと保守層も納得もできる。
さすが政治家・翁長雄志だと思ったものです。》
「翁長の遺志」を継ぐ
この戦略が嫌だったのは自民・公明だろう。彼らは結局、玉城ではなく翁長と戦うことになってしまったからだ。
佐喜真サイドは戦略的に辺野古移設への賛否を最後まで示さなかった。示せずに論点を「対立か対話か」に持っていこうとしたが、それも不発に終わった。
対話ができるかどうかは相手次第であり、力関係のなかでの対話とは一方的に許諾を迫るための儀式にすぎないことを翁長の死が示していたからだ。
玉城陣営は選挙戦の最後まで「翁長」に全面的に頼ることになった。彼のキャッチフレーズであった「イデオロギーよりアイデンティティ」をより強調し、「翁長の遺志」を継ぐことを訴える戦略である。
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■半信半疑
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玉城陣営が事務所近くの施設に構えた開票会場――。9月30日19時を過ぎる頃にはメディアの数は膨れ上がり、身動きすらとりにくい状況になっていた。
各社の出口調査は概ね出揃い、かつ同じ傾向を示していた。玉城優勢。それも圧倒的優位と数字は語っていた。通常の選挙ならすぐにでも打てるはずの開票即当確を打ったのがテレビ朝日系列、そして朝日新聞だけだったことにも理由はある。
結果的に見れば、数字は嘘をついていなかった。ほぼ出口調査通りの傾向を示したのだ。しかし、《出口調査で玉城が圧倒的リードとなったことで、かえって不安になるんだ》と漏らす記者もいた。
原因は前回のルポでも書いた名護ショックである。オール沖縄が推した辺野古移設反対派が世論調査でリードしていた名護市長選で、勝敗だけでなくデータ的にも世論調査と真逆の結果が示されたことで、沖縄のメディアは過度に慎重になっていた。
それは陣営も同じで、朝日グループが当確を打っただけでは彼らも動かない。開票が始まる20時直前に会場に入った玉城デニー本人も表情を崩すことはほとんどなかった。
最前列に座り、4つ並んだテレビをじっと見つめる。腕を組み、時折天井を見上げる。緊張をほぐすように腕組みをほどき、腕を回す。突発的に起こるデニーコールに両手を振って応えては、まだ当選が決まっていないから「抑えて、抑えて」とジェスチャーをしていた。
開票から1時間もしないうちに別の一社が当確を打ち、NHKが優勢を伝えるニュースを流すと、さすがに多少の余裕を持ったのか笑顔も見られるようになった。
午後9時半過ぎ、NHKが当確を打つと陣営からは歓声が沸き起こった。玉城は自ら先頭に立ってカチャーシーを踊り、それを支援者が取り囲む。彼らは一緒に踊り、喜びを表現した。
当確直後の玉城デニー氏〔PHOTO〕著者撮影
玉城は興奮気味に言葉を重ねる。
《示された民意に翁長知事がほっとしていると思います。翁長知事が築いた礎を継承したい。発展を翁長知事に約束したい。》
《政府と対峙することは難しくない。我々の民意に沿って政府が判断すれば良い。》
《辺野古の新基地建設は絶対に認めない。いま止めることが私たち責任世代の行動です。翁長知事の遺志をしっかり継いで、体を張って主張する。》
《普天間飛行場は閉鎖・返還こそが道理。代わりに新しい場所を作れというなら、どうぞ日本が全体的に考えてどこに持っていくか考えてください。》
《多くの国民がいらないというなら、米軍の財産はアメリカに引き取っていただく。それでいいのだと思います。》
一つ一つの言葉に拍手が沸き起こる。つい数ヵ月前まであった深刻な課題はどこかに消えていったように見えた。
だが、本当にオール沖縄に課題はないのだろうか。当選直後に表情を崩さないまま「嬉しさ半分、厳しさ半分」と語った人物がいた。
沖縄経済界の大物、金秀グループ会長の呉屋守将である。
翁長知事誕生を後押しし、翁長自身が後継候補の一人にあげた政財界のキーパーソンだ。彼は名護市長選の後、敗北の責任を取るとして、翁長の支持組織「オール沖縄会議」の共同代表を辞任している。
ところが今回の選挙では再びマイクを握り、玉城当選を支えた。呉屋は選挙期間中に私たちの単独インタビューに応じた。
そこで語られた内容はオール沖縄、そして玉城県政が今後直面するであろう課題を指摘したものだった。彼は選挙戦の最初から最後まで「熱狂」と距離を置き、経営者らしい冷徹さをもって情勢を分析していた。
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■財界のキーマンの独白
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金秀グループの誕生は1946年に遡る。
沖縄戦で多くの県民が犠牲になり、終戦後もその傷が生々しく残っていた。そんな時期に、西原村(当時)我謝の集落で、農機具を作っていた鍛冶屋がいた。
グループの創業者で、呉屋会長の父・秀信だ。太陽が空に昇る前から金属を叩き、西原村の農民たちのために農機具を販売した。これが原点である。秀信は19歳にして社長に就任し、米軍関係の工事も受注しながら企業は成長を続けていった。
彼らもまた過酷な沖縄戦後の歴史を生きぬいてきた。その後を継いだのが息子の呉屋だった。グループの事業は好調で、来年2019夏にはフランチャイズ契約を結んだセブンイレブンの沖縄初出店が控えている。
呉屋は辺野古移設への反対を明確にし、市民集会などでも発言することから革新だと言われる。だが、本当にそうなのだろうか。
沖縄経済界には1998年の県知事選以降、経済界の集票を担当する六社会というグループがあった。金秀もメンバーだった。
沖縄の経済界は自民党の支援も受けながら、政治に深く関わってきた歴史がある。基地反対派の大田昌秀県政から1998年に県政を奪還した稲嶺恵一は、沖縄の石油企業「りゅうせき」の創業者一族であり、その後を継いだ仲井真弘多は沖縄電力の会長(当時)だった。
いずれも六社会が誕生をバックアップしている。
ところが前回の知事選では六社会を離脱してまで翁長を推した。仲井真陣営からは公然と「翁長が知事になれば不況になる。革新不況がやってくる」と言われた中での支援表明だった。
《基本的に基地は経済発展の妨げなんですよ。沖縄に最低限、どのくらいの基地が必要かは議論がわかれるので、これは議論をしたいと思っています。
でも、沖縄は基地依存経済だなんていう人は、那覇新都心を見てほしい。小禄の再開発をその目で見てほしい。そこにあった米軍基地と比べて、どっちが雇用を生んでいるか。どっちが経済効果があるのか。こちらには論より証拠がある。
私たちが作りたいのは、日本のどこにもない沖縄県なんですよ。観光業が好調なのも平和だからできること。私はそこを企業経営でバックアップしたいんですよ。政治家は支えても、自分が政治家になるつもりは毛頭ないんです。》
呉屋会長〔PHOTO〕著者撮影
呉屋は時に舌鋒鋭く、間違っているものは間違っていると指摘する。今回の県知事選こそ勝ったが、名護市をはじめ首長選で敗れたオール沖縄についても同様だ。
一人称は「私」から「僕」へと変化する。
《地方の首長選でも「辺野古移設反対」を掲げて勝とうなんて大きな間違い。県民の意思は4年前の選挙でも示されている。それを踏まえて、今回の候補者は何をやるのかを語らないといけない。
僕が「オール沖縄会議」の共同代表をやめたのは、名護市長選の呆れた選挙戦術、選挙対応がきっかけ。これで本当に名護市民に対して申し訳ないという気持ちはないのかと聞いても、誰一人として反省の弁がない。
こんな低落は僕の企業人としてのプライドが許さないよ。でも、翁長さんがこんなことになると知っていたら、共同代表をやめるわけにはいかない。どんなことがあっても僕はやめずに留まったと思う。
僕の辞任が死期を早めたとしたら、申し訳ないなと今でも思っています。》
その罪滅ぼしの気持ちなのだろう。呉屋は今回の選挙に並々ならぬ気概で臨んでいた。
今年9月に入り金秀グループ主催のゴルフコンペがあった。参加者は沖縄の名門ホテル・沖縄ハーバービューで開かれた懇親会で驚くことになる。乾杯の音頭をとったグループの幹部が「まず翁長知事に黙祷を捧げましょう」と促したからだ。参加者には経済界の関係者もいる。当然ながら少なくない数は、佐喜真氏支持に回るだろう。
参加者の証言――。
《あぁ、これは呉屋会長の指示だなと直感しました。今回の選挙に賭ける本気度を示している。いくら政治的な心情が違っていても『殉職』とも言える形で亡くなった翁長さんへの黙祷を拒否する人はいません。
正面からの批判もできない。二人三脚で戦ってきた翁長さんの遺志を継いでいくというメッセージですよね。》
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■「イデオロギーの前に、尊厳が傷つけられている」
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呉屋が考える翁長の遺志とは何か。呉屋の話はオール沖縄とは何か、にまで広がっていく。
《イデオロギーの前にウチナンチュの人権、尊厳、プライドが傷つけられている。また新たに大きな基地を国が押し付けようとする。
今で言う強大なパワハラでしょ。理不尽なことを押し付けられるのに黙っていていいのか。もう黙っていないでウチナンチュ立ち上がろうよっていうのが「イデオロギーよりアイデンティティ」なんですよ。
僕の立ち位置は全然ぶれない。これは人権問題なんだと思っている。最低限の人権がないと経済だってうまくいかないでしょ。
アメとムチでいつまで沖縄がいじめられるのか。いい加減にしてくれと。自分たちのことは自分たちで決めたいんだということですよ。
対話、対話っていうけど対話というのは小さな声を汲み取ってこそ対話でしょ。知事が会いたいというのに4ヵ月も無視したのは誰なの。沖縄に対立と分断を持ち込んだのは誰なの。
沖縄の苦労に思いを寄せてくれる政治家もいたのに、いまの政権にはない。常に上からやってくる。》
彼が重んじるのはプライドである。自民党を支持しておけば、米軍基地を受け入れておけば沖縄の経済は安泰だ。そんな時代は終わりつつあるという。
《僕は商売人だから人権尊重・自由・平和。僕にとってはこれが一番大事。翁長さんになれば不況になるって言われたけど、観光が伸びたじゃない。これも論より証拠。
僕には土建屋としての夢がある。それはね、米軍基地の撤去工事をやること。僕がある選挙で応援演説したときに一番、受けたね。
(立候補者が)「金秀グループは米軍関連の工事はしない」っていうから、慌ててマイクを取り返して、「我々は米軍工事をやります。撤去工事をやるんです」って言ったの。
沖縄県民の所得は低いでしょ。ずっと全国最下位の216万。今までの政権が沖縄のために何をしてくれたんですか。政権の言う通りにやっていたから最下位なんですよ。沖縄のポテンシャルは観光にもサービス業にもありますよ。
無批判に従属するだけではダメなんですよ。》
「隠れ玉城支持者」の存在
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■「熨斗つけて、基地はお返しします」
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あぁそういえば、と呉屋はこんなエピソードを披露してくれた。全国から建設業界の集まりで、ある自治体の代表とのやり取りである。
《「呉屋さん、沖縄でいろいろ騒いでいるみたいだけど、沖縄は基地経済でしょ」。で、僕は言うわけ。
「はぁそうですか。では熨斗つけて基地をお返しするので、お引き取りください。こちらは喜んでお渡ししますよ」
現実にできるかどうかは別の問題として、そこまで言うならどうぞ基地と予算を一緒に持っていてください、というのが僕の気持ちですよ。
僕も翁長さんも、沖縄の米軍基地即時全面撤去なんて一言も言ってない。最低限の防衛力、防衛機能はあってもいいと思っていますよ。でも、それがなんなのかを本当に検証したということは聞いていない。
その結果、沖縄の応分の負担がこれだからと言われたら負担は必要でしょ。それを示した上で、議論したいのになんでもかんでも沖縄に押し付けようとする。
ここはゴミ捨て場じゃないんだと言いたいですね。》
普天間飛行場〔PHOTO〕Gettyimages
ここまで聞いて、翁長と呉屋がタッグを組んだ理由がようやく見えてきた。彼らは基地問題を観念的な「平和」問題として考えていない。プライドの問題として考えている。
これだけの理不尽を押し付けられて、それを断ろうとすればお金を削るとちらつかされる。ある人たちは「問題を解決するためにやせ我慢をしよう」と言い、ある人たちは「今日、明日の食事が大切だから受け入れよう」と言う。
この構造にプライドを傷つけられている。誇りを取り戻そうじゃないか、食べていく方法は他にもあるではないか。もう絵空事ではない。好調な観光業、それに付随するサービス業、返還されたほうが大きい経済効果――。彼は経済人として、経済のリアリズムから動き始めた現実にこそ目を向けよと言ってきたのだ。
厳しさ半分、と呉屋が言ったのは「翁長の遺志」で覆い隠されたが、国と対峙することは難しいと知っているからだろう。
その時にこそ、大事なのは「遺志」を超えたビジョンなのだと思うのだが、オール沖縄にそれは見えてこない。
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■「隠れ玉城支持者」の存在
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日付が変わった10月1日午前2時前に開票を確認した。玉城が獲得した最終票数は39万6632票、得票率は55%に達していた。沖縄県政史上に残る圧勝である。
玉城票の特徴は事前の予想よりもはるかに「取れすぎたこと」だ。言い換えれば、彼は勝ちすぎた。なぜこんなことが起きたのか。
沖縄を取材するメディアが最後まで読み違えたのは、出口調査で浮上した「隠れ玉城支持者」の存在だった。自民党支持者の2割以上、公明党の支持者の25%前後が流れていた。
政権与党・公明党の支持母体にして、佐喜真陣営支持に回った創価学会は特にこの選挙に力を入れていると言われていた。
ところが蓋を開けてみると、かなりの数を固めきれずに取りこぼしていた。玉城の遊説会場には創価学会のシンボルである三色旗がいたるところに見られた。
創価学会員の中には玉城陣営の選挙運動の中核として関わった人もいた。
《公明党は「平和の党」だって言ってるのに、なんで辺野古に新基地を作るかどうか明言もできない人を支援するって言えるの。そんなの筋が通ってないじゃないか。そう思いませんか?》
まくしたてるように思いの丈をぶつける彼の声を聞きながら、彼らが本当に支持していたのは、玉城ですらなかったと言えるのかもしれないと思った。
「沖縄をなめてはいけない」
《単なる弔い、単なる玉城支持ではこの票は説明できない》と語ったのは地元紙の記者だ。彼は言う。
《人の懐に手を突っ込んで、基地との取引材料にしようとする政府や与党の姿勢そのものに違うと言いたい怒りがあるんだ。そうとしか言いようがない。》
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■プライド
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2017年12月に争点となった普天間飛行場に所属する大型輸送ヘリが、宜野湾市内の小学校の運動場に窓を落下させた事故が起きた。そこで取られた「対策」は運動場内に児童が避難するための避難所を作ることだった。
なぜ小学校の上をヘリが飛ぶことはやめてほしい、とこれだけが叶わないのか。
普天間飛行場を返してもらったとして、なぜ辺野古に代替施設を作るのが「唯一の解決策」なのか。国防が大事なことはわかっている。だから沖縄は基地を受け入れているのに、なぜ代替施設が他県ではいけないのか。
辺野古移設を受け入れる県政だと国から「有史以来の予算」が付き、反対する県政だと減額されるのか。
「なぜ」と理不尽の積み重ねに耐えきれなくなった人々がいる。
彼らは抱く思いは、翁長や呉屋が強く訴えた「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけない)」という言葉に象徴される感情、プライドを傷つけられたという思いそのものである。
結局、この選挙の勝者は残存するオール沖縄勢力でも、玉城でもなかった。勝ったのは急逝した翁長雄志の「幽霊」であり、「幽霊」が呼び覚ました「怒り」だ。
勝ちすぎた理由はそれが大きい。だからこそ課題もすぐにやってくる。
「幽霊」は対立する問題に対して、ある時は正解を知っているものとして立ち現れる。「課題はあるが、彼はこう言っていたのだから頑張っていこう」と、人々は「幽霊」の遺志のもと、結束することもできる。
だが「幽霊」は遺志の解釈を巡る争いを諌めることもできなければ、和解を仲介してくれることもない。つまり、内部にある課題は残ったままなのだ。
いみじくも呉屋はこうも言っていた。《選挙だけが問題なのではない。これからが本当の問題なのだ》、と。
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